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宗教に対して寛容な現代の日本の国民性はいつごろから生まれたのか気になります。

神道の神社と、仏教の寺は、歴史の中で互いの教徒を敵視したり焼き討ちしたりといった事件はなかったのでしょうか?それとも、今のような自然な共存共栄が古くから実現していたのですか?

A 回答 (3件)

>神道の神社と、仏教の寺は、歴史の中で互いの教徒を敵視したり焼き討ちしたりといった事件はなかったのでしょうか?



明治新政府により出された神仏分離令を発端として「廃仏毀釈」が行われ、多くの寺院、仏像、大仏が焼き討ちに遭って焼失しています。

当時の国学者により「神道は日本古来の宗教、仏教は外来の宗教」とされ、仏教が排斥されました。

中には、徹底的に破壊し尽くされ、今では痕跡さえも残っていない寺院もありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/16 15:31

明治期の廃仏毀釈とか


鎌倉期の日蓮が、他宗派の僧侶から迫害されたとか

政治的な流れの中で混乱が起きたこともあった


でもまぁ、仏教も神道宗教も一神教ではないというのがポイントだろうね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/16 15:31

>日本の国民性はいつごろから生まれたのか気になります



たぶん、ずーっと昔からです。

>神道の神社と、仏教の寺は、歴史の中で互いの教徒を敵視したり焼き討ちしたりといった事件はなかったのでしょうか?

大きく分ければ2回あったでしょうね。一度目はあの聖徳太子が若いときに仏教を導入するかどうかで戦いがありました。ただこれは宗教戦争というより、物部氏と蘇我氏の権力争いにちょうど神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏がぴったりハマったといったほうが近いんじゃないかな。だって、最終的には仏教派が勝利したものの神社が壊されることはなく、最終的には「神仏習合」というハイブリッドな解決をしたわけですからね。
二度目は明治維新による廃仏毀釈運動だろうなあ。このときは神道が巻き返して各地で仏像が壊されたりしました。ただ面白いのは、このとき廃仏毀釈でお寺がどんどん潰された一方、神社は勢力を拡大したので人手が足りない。そう、解決方法は失業したお坊さんが神社に再就職するというものだったそうです。特に説法が上手な浄土真宗のお坊さんは歓迎されたんだとか・笑。

あとは戦国時代には宗教戦争もありましたけど、これはまあ時代がそういう戦争の時代だったというのもありますし、そうねー、あとは鎌倉時代には曹洞宗や法華宗なんかが起きて仏教運動が活発でしたから、それぞれの宗派の間で活発な宗教論争、つまり叩き合いがありましたことはありましたね。でもこんときゃ仏教vs神道じゃなくて、仏教同士の論争だったから、質問者さんの考えとはちょっと違いますかね。

現代でも、生まれたらお七夜で神社に行って、結婚するときと冬至(クリスマス)はキリスト教式にお祝いして、死んだら坊さんが来るみたいな「住み分け」をしてるじゃないですか。それは今に始まった話じゃなくて、日本人のDNAの中に刻み込まれているある種の知恵なんでしょうね。
ちなみに現代の天皇家とアマテラスが中心となっている統一神道みたいな考え方は、明治維新で明治政府によって作られたものです。それまでは特に天皇家も神道の中心というわけでもなくて、各地で土着の神様を自由奔放に祀っていたのです。
ついでについでに蛇足ながら、日本神道では、神様フリーで誰でも神様になっていいのです。有名なのはお稲荷様で、狐が祀られていますよね。どこぞの神社では作家の阿佐田哲也氏(バクチ打ちで有名)がギャンブルの神様ということで祀られているそうです。「大魔神神社」なんてのもあったので、生きててもオッケーなのです・笑。まさに「なんでもあり教」。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/16 15:31

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