以下を問います。
カタリストという言葉は 《壊す》という意味から来ているそうな。
あたかも《つるぎを投げ入れる》かのごとくに。
つまり哲学するという生き方は それぞれがあたかもちいさなキリストになることである。
相手がけっきょくわれに還ることをうながす。
そういう化学反応が その相手に起こる。
こちらは さして変わらない。
もしくは ミラーニューロン現象にて同じように振る舞うように成る。
化学反応が完成すれば こちらも何ごともなかったように元にもどる。
カタリスト=触媒である。
韓国人は 話が出来ないというきちがい状態に落ち入っている。
また 事大主義というのは アマテラス予備軍症候群である。
これに対して触媒たらざるを得ないと思う。
中国人は 覇者たらんとすることしか頭にない。
アマアガリ・シンドロームである。
これに対して 面と向かって話をすすめて行くカタリストたらざるを得ないではないか。
欧米人は ただ自分たちの世界認識の枠をよその人びとに向けて嵌めようとする。
宗教も倫理も科学も人格もみな 世界の模範であると思い込んでいる。
表向きウワベだけ《われに還る》かたちである。
生きたわれに立ち還るように 哲学の徒は 触媒となって癒してやらざるを得ない。
哲学が自然の振る舞いであるにほんじんが ほかのアジアの人びとと一緒に世界の人びとに向けて触媒となって化学反応を推し進めて行くのが これからのときである。
ときは満ちたであろうか。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
世界から見ると道徳的な日本人が、強い使命感を各人が持つことが非常に大事ですね!
時は選ばず、「今」だと思いますよ。
どまうどまうさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ 時は選ばず、「今」だと思いますよ。
☆ あぁ ちからづよいですね。
《何ごとにも ときがある。ときが満ちる》という基本とそして《ときを得ても得なくても〔前へすすめる〕》といった方針もあるように思います。
No.1のれくす33さんは 全体観に立つことが大事であるといった見方を示しておられます。
けれども 個別の場では すでに《ときは満ちている》かも分かりません。満ちていなくても コトをすすめる必要がある場合も考えられます。それは まさに《いま・ここで ほかの誰でもなくわたしが》なのでしょうね。
★ 世界から見ると道徳的な日本人が、強い使命感を各人が持つことが非常に大事ですね!
☆ となりますね。
たぶんいぢわるぢぢいになるとすれば 《道徳》は――つまり規範は・そして規範でしばることは―― 屁の河童でしょう。何もハカラヒなどなく自然に振る舞っているだけだと思いますから。
使命感は 或る程度・そのコトに応じて必要となる場合があるでしょうね。
あとは たぶんふだん生活しているその姿で 相手に向けて触媒となる。ハカラヒなきがゆえに化学反応をうながすことになる。そういう日常性が大事なのでしょうね。
にほんじんのムラの生活をぜんぶ丸ごと 輸出してもよいのではないか。とさえ考えられて来ます。
No.12
- 回答日時:
「触媒でない」という質問に回答を寄せようとしたら、ブロック登録をされていた!!
触媒になろうと思ったのに、触媒であることを否定されてしまいました。
大学で物理化学なる学問をちょこっと習ったことがあるのですが、大学時代に教科書とは別に物理化学の本を一冊、参考書として購入したことがある。
本気で物理化学を勉強したいのならば、
バーローやムーアの物理化学───どちらも上下2巻で分厚い、そして、高い!!───などを購入するべきなのでしょうが、
ネムネコは化学専攻ではなかったので、日本人の書いた物理化学の本を購入したのであった。
何が将来役に立つのか分からないので、無理をしても、ムーアやバーローの物理化学を購入するべきであったと、
今になり、少し後悔をしております。
私は化学屋さんでないので、化学反応の際に触媒がどのようなことをしているのかについてよく知らないのですが、
───たぶん、現代でも、触媒がどのようなことをして、反応を促進させているのか、このメカニズムは回答されていないのでは───
触媒というのは、例えば、自発的にはなかなか起きない
A + B → AB
という化学反応の場合、触媒Xをば加えますと、
A + X → AX
B + AX → AB + X
といったようなことが起きているのであろう、なんて言われておるようでございます。
一度、ある化学物質Aが触媒Xと結びつき《活性錯合体》となり、それが化学物質Bと化学反応を起こす、といったようなイメージ。
あるいは、触媒の力を借りて、一時的に不安定で壊れやすい遷移状態のようなものが出現するらしい。
実際はもっと複雑で、核分裂のように、連鎖的に起こるらしいですけれど。
なお、
私が学生時代に購入した物理化学の本には、触媒の作用についてこのようなことが書かれておりますけれども、最新の理論は違うのかもしれません。
た・ぶ・ん、
触媒作用についての包括的な理論を立てれば、ノーベル化学賞を受賞できるだけではなく、巨万の富を稼ぎ出せるんじゃないでしょうか。
適した触媒を見つけるというのは、経験と勘の世界で、膨大な数の失敗を積み重ねないと見つからないものらしいですよ。
以上、
触媒は、そこにいるだけで何もしていないようだけれど、
それまでの強固な結びつきを、一度、《破壊》、切断、弱めるために、
見えないところでアクティブに働いている、
という話でした。
ネムネコは、ネコでありながら、化学(ばけがく)が苦手なので、
あとは、私よりも化学に詳しいであろうplapotaさんにバトンタッチ!!
「お前は理系だろう。文系のplapotaになんか後事を託すようなことをして恥ずかしくないのか!!」
というご批判もあるでしょうが、
オラッチの脳ミソは化学用にできていないのであった(ポリポリ)。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
あちらのほうは わたしもブロックされています。
触媒。じつは友だちに触媒を専攻した者がいまして この言葉だけはふるくから知っています。別に説明を受けたわけではないので 中身は何も知りません。
言ってみれば 創造的破壊なのでしょうか。
特に重大なマチガイということもないようでしょうか この触媒のタトエ。
ぷらぽた氏は たしかに化学の問題をよく書き込んでいるようです。
みなさん どうでしょうか。
No.11
- 回答日時:
☆☆ 《サナダムシ》の定義をもう一度お願いします。
つまり 相手の中に入って互いに助けあいながら共生するといったイメージで受け取っていましたが ここで西洋人にあてはめておられます。その点で あらためてです。◇環日本海に住むサナダムシは、その進化の過程で人間と共生できるようになった。
最終宿主である人間から余剰な栄養をいただく代わりに、アレルギーやガンの発生を抑える化学物質を作り、宿主の健康維持に貢献する。
しかし、
大西洋に住むサナダムシは、人間と共存関係ができておらず、栄養を一方的に搾取するのみならず、人間の臓器に深刻な障害をもたらすなど、宿主に多大の健康被害をもたらします。
このサナダムシのごとく、
西洋に住む人間サナダムシは、
大航海時代以降、植民地の富を一方的に簒奪することに飽き足らず、植民地の文化・伝統を破壊しつくし、植民地に多大の被害をもたらした。
これだけならばまだしも、民族分断や人為的な国境線の策定などを行い、今日の地域紛争の種を世界中にまき散らした。現代の地域紛争の多くは、西洋サナダムシの後遺症です。
海に住むサナダムシだけではなく、陸に住むサナダムシも凶暴な性格で、他の生き物と共存ができない。
搾取と破壊は得意なのですが・・・。
しかも、
西洋サナダムシは、アジアやアフリカ、アメリカ大陸に住んでいた猿を自身とは異なる、そして、西洋サナダムシよりはるかに劣る生き物と考え、差別した。今日においてさえ、その根底には根強く、猿に対する優越意識が生き残っている。特に、イスラームに対する差別意識です。
http://www.gekiyaku.com/archives/32499211.html
劇薬表示は比較的良識的な海外のサイト(の翻訳ページ)なんですけれども、
それでもレイシスト的な発言が飛び交う。
そして、ここでも朝鮮ヒトモドキは仲間外れにされるのであった(笑い)。
朝鮮ヒトモドキが何かを書き込むと、例外なく揶揄され、バカにされる。
友達ができない。
最新のものですと、
http://www.gekiyaku.com/archives/42466423.html
や
http://www.gekiyaku.com/archives/42467669.html
この回答への補足
すみません。
みなさんにもなんですが 《触媒》にたとえた仮説 これについては 特におかしいところはないでしょうか?
その点これまでにほとんど議論がなかったものですから。
ご回答をありがとうございます。
かつての昔のゲルマーニア。森の中に住んだとかどうとか。氷の国から降りて来た。エウリダノスとか何とか言う。
質実剛健ではなかったのか。
クリスチアニズムにやられてしまったんだろうか。
扱い方が分からなかったんだろうか。
日本人は すでに亡くなっている人たち・つまり自分たちの先祖たちは もはや救われないというオシエだと聞いて パードレたちにその宗教はお呼びでないと言った人たちもいた。
西洋サナダムシですか。
ひとつの見方として やはりあれがありますね。例の遊牧民の文化というもの。
▽ (江上波夫:遊牧民と農耕民とについて) ~~~~~~~~~
牧畜・騎馬民族の特徴は 自分たち人間は労働するものではないという考え方です。働くのは牛馬や農耕民の仕事でね。自分たちはその上に立って支配する。軍事を司り 学問し 政治をする。
牛馬と言えば もともと彼らはたいへんな発見をしている。羊 山羊 牛と馬 これだけ飼って世界を横行することを考えた。何もない所へ行っても これだけで全部間に合う。食べる方は乳と乳製品で十分 毛と毛皮で 服も夜具もテントもできる。それ自身が生きた缶詰です。
鞭ひとつで草のある所 水のある所へかついでいってくれ かってに子供も産んでくれる。あとは寝ていればみんな事足りる。人間よりよっぽど頭がいいですよ。
彼らはやがて牛馬の代わりに機械を働かせるようになる。あるいは植民地の人々を働かせる。それが帝国主義となり 産業革命となり いわゆる近代文明を生んだ。
いっぽう農耕民族は人間は労働するものだという考え方なんですね。ここのところが牧畜・騎馬民族との大きな違いです。
農耕民族からみれば 牧畜・騎馬民族には文化がない 彼らは野蛮人だというのですが 文化の型が違うのです。
牧畜民は個人主義で 自由で 民主的です。文化は農耕民族の創出したものを摂取すればよい と考えている。
実際にいろいろな文明を融合して普遍性のある世界的な文明をつくってきたのは農耕民族ぢゃなく 牧畜民なんです。
ヨーロッパでは 地中海世界ではなくてゲルマンが牧民なのです。そういう意味で 世界史における牧民の役割を明らかにするのが私のテーマになっちゃったんです。
(江上波夫(著者代表):天城シンポジウム 日本人とは何か――民族の起源を求めて―― 1980 pp.16-17)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
劇薬表示は比較的良識的な海外のサイト(の翻訳ページ)なんですけれども、
それでもレイシスト的な発言が飛び交う。
そして、ここでも朝鮮ヒトモドキは仲間外れにされるのであった(笑い)。
朝鮮ヒトモドキが何かを書き込むと、例外なく揶揄され、バカにされる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 両論点について確認できました。謝謝。
よろしかったら あめんほてぷさんに声をかけてやってくれませんか。
No.10
- 回答日時:
追伸 bragelonneさん
お礼拝読しました。
私の発足した哲学製作委員会はネット上の投稿と回答により、進化するもので、水をさすのは、かまいません。
植物は、水を与えることで育ちます。
しかし、「水掛け論」は、禁止。
例えば、中世のスコラ学における、「普遍論争」。
実在論、唯名論は共に、「人間の理性の暴走を抑える」という点では一致していた。
しかし、これを論理学的にやると、両者は、水掛け論。
なんですって、ミネルバの梟は夕闇に飛ぶという、ヘーゲルの意見に賛成するのですか?
ヘーゲルによれば、「東洋人は、まだ精神が、また人間そのものが本来自由であることを知らない」と東洋人を軽蔑し、「人間の歴史は、東洋に次いで古代ギリシャからローマににかけての奴隷制を持つ社会から発展し、中世のキリスト教社会を経て、今や、すべての人が自由になったヨーロッパの近代国家を形成した。」との見解ですよ。
東洋を軽蔑するとはゆるせません。ヘーゲルの、この梟は「民族精神」と解され、ヘーゲルのいた時代は、黄昏だったかもしれませんが、現在の日本の社会は、今後、どのように、日本という国を造るかという、夜明けの状態です。
朝飛んで何が悪い。日本には「バカボンのパパ」という強力な人がいるから、協力してもらえば、西から太陽が昇り、東に沈むことは、簡単なことなのだ。
ところで、ねむ猫さんは、やはり、寒い冬はコタツで丸くなっているのでしょうか?
私は、犬年で、実は「うなぎ犬」なのだ~(笑)。
では、お礼お待ちしてます。
あっ。
★ 私の発足した哲学製作委員会はネット上の投稿と回答により、進化するもので、水をさすのは、かまいません。
☆ その発足と発進について水をさしたのではなく コトバ尻を捉えたものでした。
ご回答をありがとうございます。
ねむねこさんは この時季おいそがしそうです。公私にわたってかな。たぶんあとで コメントをもらえるでしょう。
かのむかし 狩猟・採集・漁労といった自然の――第一次産業以前の――なりはひ(成り‐ハヒ〔さきはひ(幸い)・にぎはひ(賑わい)〕)で暮らしていたころ 誰が考えたか知りませんが 野生の麦なり稲なりを自分で粉にしてあるいは煮て食べようと思いついた。そしてこれらを自分たちの手で栽培しようとこころみた。
農耕なる生活様式が始まった。そうすると この植物が芽が出て育っていきやがて実を成らせるという段階と過程があるように 自分たち人間も《そだつ》ということを確認する。大きくなり実も成らせるかも知れない。
そうして 木も枯れるし植物も枯れてしまう。このことをも確認したなら 人びとは 生まれて育ったあと 大人の時代を過ぎれば死ぬということを知っていたはずだと考えられます。
ところが この死ぬということがまだ分からなかった。倒れて眠っているとでも考えた。稲だって種を蒔けばまた育ってくる。
さらにところが 墓の中では どうしようもない状態になっていると知ることになった。蛆虫がたかって目も当てられない姿に変わり果てている。
そこで 死ぬとは眠りに就くこととは違うと知った。
ひとは時間的存在であると知った。
この世界は かぎりあるものであると。ひとは いわゆる世界‐内‐存在であると。
これは・つまりこの世界認識と人間観は すでに農耕が始まっていていつ種を蒔き刈り取るかなどなどの《時間》という観念も持ったはずだという時にはまだ得られていなかった。すなわち その時間を知ったのは やがて世の中に人びとの経済生活上の――そしてその外からかあるいは経済力と相い携えてか政治上のチカラをもともなった――格差が出来て来た。そうして 死ぬと――死ぬことを人びとがしっかりと確認すると――単なる甕棺で墓としたのではなくいわゆる大きな古墳をこしらえるようになった。
昔の年表で言えば紀元前300年ごろ稲が――鉄とともに――もたらされ農耕生活が始まって やがて三世紀ごろから古墳の造営が始まる。つまり 弥生時代から古墳時代へと――そういった生活様式の進展として――移って行く。
ところで このようにひとがわたしは時間的な存在であると知ったのは――つまりそう哲学したのは―― この古墳時代の始まった300年ごろであると考えられています。(《はつくに知らししすめらみこと》という名目が現われるゆえ)。
つまり 弥生時代としての世の中がひとまづ終わりにさしかかって日暮れになってようやく哲学のふくろうが飛び始めたわけです。
リアルタイムで哲学するひともいるか? たぶん人びとのあいだに常識として広まりにくいのでしょうね その生きている過程と同時の哲学的まとめは。
以上のような意味であり それ以外の意味はありません。よ。
おや。犬年が一致しましたね。――というのは もう古い発想ですね。――と水掛けついでに もう一杯の水です。
No.9
- 回答日時:
bragelonne さん おはようございます。
図書館で、資料をあさっていたら、興味ある資料に出会ったので、投稿します。
西洋をサナダムシ扱いする、ねむ猫さんの意見も聞きたい。
ところで、bragelonne さんはアリストテレスの「生成消滅論」を読んだことはありますか?
抜粋します。
「絶対的意味で必然的に有るものは、同時に常に有るものであり、したがって、もし必然的に存在するならば、それは永遠なるものであり、また、もし永遠的であるならば、それが存在することは必然でなければならない。それゆえにまた、もし、生成することが必然であれば、そのものの生成は永遠に続くし、また永遠であれば、それは必然なのである。したがって、或るものの生成が絶対的に必然であるなら、その生成過程は「円環」をなし、再びもとに戻ってこなければならない。(中略)したがって、「絶対的な意味で必然的に」ということは、「円環的」な運動や生成のうちに存するのである。」
この「円環」という西洋のアリストテレスの考えは、東洋の仏教思想と融合できないか?
図書館の司書に調べてもらったところ、この見地において、日本では本が書かれておらず、大谷大学にわずかながら論文があるくらいのこと。
本日、天皇誕生日に私は、マルクスの「共産党宣言」ではなく、「大日本哲学製作委員会発足宣言」をして、この回答が触媒となることを望みます。
大日本哲学製作委員会発足宣言
「時は満ちた。ミネルバの梟は、日のいづる国、倭国の朝日と共に飛び立つ。現在において哲学者は孤独な観察者であるべからず。全国の哲学者よ、立ち上がれ!」(2014.12.23)
IT media の大槻社長の資金援助を望む。
あめんほてぷ2000さん おはようございます。ご回答をありがとうございます。
ううーん。趣旨は分かりましたし お心はじゅうぶん汲み取ることが出来ました。
反応となると 今回は 水をさすほうに回ってしまいますね。
▲ したがって、「絶対的な意味で必然的に」ということは、「円環的」な運動や生成のうちに存するのである。
☆ これは 木がいまの冬では葉という葉を落として枯れたようになっていますが やがて春を迎えると どういうわけか枝から芽を出し 知らぬうちにみどりの葉をふたたび三度び繁らせます。こういう《円環的な運動》と思われ しかもそれは この経験現象としての――宇宙が存続するかぎりでの――《永遠的》なものです。とは チャチャを入れなければならないように思います。
それはそれで 問題ないわけですが もし《絶対・永遠》を神の次元で言われたとしたら それは違うと理屈をこねなければならないと感じました。
そして何故か日本人は かの永劫回帰なる《思想》に親和的なようなのです。コロッとイカレテしまう人の多いことか。おのれのクセにからんでトラブルや問題が繰り返し起こったなら――というより自分が自分で起こしてしまったなら・そして事態はもっと内面的な悩みなどのことなのでしょうが――そのつど何度も何度も これにきちんと向き合い自分の意志で解きほぐして行くのだという思想です。(そうとでも解釈しなければ意味がないように思います)。
これでは なるほど円環的な運動であるかも知れないけれど 学習効果がない。それでは 脳が無い。ぢゃないですか。弁証法を持ち出すかどうかを別としても 何でそんなのっぺらぼうの歴史観に引きつけられるのか? どうですか? (あめんほてぷさんのお考えとは筋が違う問題を 勝手に持ち出してしまいましたが)。
《仏教思想》は 《円環》なる運動の前に・あるいはそれを超えて けっきょく《絶対矛盾的自己同一》という捉え方であつかうものと思います。
いぢわるぢぢいの独り言:
哲学と製作とは あまり親和的でない。
ミネルバの梟は 何かコトが起きてだいたいその解決へ向けての道が分かり踏み進んで来たときに うしろを振り返る余裕が出来てそのたどって来た道を――そしてそれがやがてもたらす成果を――分析し理論づけるという哲学の作業を言います。
つまり 日が暮れてやっと落ち着くという頃にその日の出来事を振り返り言わば点検し理論づけておく。つまりたそがれ時になって 知恵なるミネルバの梟は飛び立ち始める。
ま もっとも春告げ鳥であるとか先駆けとなる梟もいるかもしれません。いなけりゃ 突然変異を起こさせればよい。
★ 現在において哲学者は孤独な観察者であるべからず。全国の哲学者よ、立ち上がれ!」
No.8
- 回答日時:
倭猿が望むことはただ一つ、
WAになっておどろう♪
です。
WAになっておどろう
アイドル不足の人は、オリジナルではなく、
アイドルマスター WAになっておどろう
https://www.youtube.com/watch?v=tWW19pwwCAU
をご覧になってください♪
WAは《倭》《和》ではなく、《輪》です。
《輪》には、始まりも終わりもない。そして、すべてが繋がりあっている。
https://www.youtube.com/watch?v=IJQYSiwLH9w
《WAになっておどる》ことによって、
国や肌の色の違い、文化の違いなんてものは消滅する♪
猿もサナダムシも、そして、おそらくヒトモドキであっても、ただの人間に還元される。
であるが、
違いは違いとして残しつつ、一つになるのだ~。
そのためには、
《WAになっておどる》ことによって、すべてが、己れの利や理を忘れてしまい、一度バカにならないといけない。《賢(さか)しら》なんぞは要らない。
そして、ここを出発点としなければならないのでしょうね♪
ご回答をありがとうございます。
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~
そのためには、
《WAになっておどる》ことによって、すべてが、己れの利や理を忘れてしまい、一度バカにならないといけない。《賢(さか)しら》なんぞは要らない。
そして、ここを出発点としなければならないのでしょうね♪
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり:
(あ) 《WAになっておどる》というひとつの補助線を引いたわけです。ほかにもいろんな補助線が引けるのでしょう。にほんじんは それが得意なのだと思います。
(い) 理屈を言えば 《己れの利や理やバカやサカシラ》は おのれの精神の胃袋でしっかりと噛みくだし消化して おのれの心におさめていなければならない。おのれの手に負えないものは そのように申告すればよい。大いなる自然史過程にゆだねればよい。
(う) したがって 補助線は引く。つねにこころみる。手に負えない残留物は しかるべく扱う。自然史過程が面倒を見る。われは《われはわれなり》に留まるのみ。――という出発点をえがきます。
☆ 《サナダムシ》の定義をもう一度お願いします。つまり 相手の中に入って互いに助けあいながら共生するといったイメージで受け取っていましたが ここで西洋人にあてはめておられます。その点で あらためてです。
☆ 【Q:哲学する人間は 触媒ではない。】という質問が挙がりました。これも われわれが触媒となって反応をうながしたとすれば 哲学冥利だと見ようとしています。
No.7
- 回答日時:
時は満ちています が 自由意思で 受け入れるも受け入れないも 選択出来るのです
「奇跡を起こして人を虜にする事や キリストは この人です」等 言っても それがどうした・・・で終わります
心から 受け入れる事が 満ちる時
それだけの事
★ 自由意思で 受け入れるも受け入れないも 選択出来るのです
☆ すでに言いました。
★ 「奇跡を起こして人を虜にする事や キリストは この人です」等 言っても それがどうした・・・で終わります
☆ 《触媒》による化学反応といったことについて 説明が少ないとは思っていますが お分かりに成っていない様子に見えます。
ご回答をありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
宮沢賢治に『双子の星』という短篇がございます。
大カラスとサソリが喧嘩をして、瀕死の重傷を負います。そして、
~~~~~~~~
「大烏めは死にましたか。」
チュンセ童子が少し怒って云いました。
「まだそんな事を云うんですか。あなたこそ死ぬ所でした。さあ早くうちへ帰る様に元気をお出しなさい。明るいうちに帰らなかったら大変ですよ。」
蠍が目を変に光らして云いました。
「双子さん。どうか私を送って下さいませんか。お世話の序(ついで)です。」
ポウセ童子が云いました。
「送ってあげましょう。さあおつかまりなさい。」
チュンセ童子も申しました。
「そら、僕にもおつかまりなさい。早くしないと明るいうちに家に行けません。そうすると今夜の星めぐりが出来なくなります。」
蠍(さそり)は二人につかまってよろよろ歩き出しました。二人の肩(かた)の骨は曲りそうになりました。実に蠍のからだは重いのです。大きさから云っても童子たちの十倍位はあるのです。
(中略)
チュンセ童子は背中がまがってまるで潰(つぶ)れそうになりながら云いました。
「蠍さん。もう私らは今夜は時間に遅(おく)れました。きっと王様に叱(しか)られます。事によったら流されるかも知れません。けれどもあなたがふだんの所に居なかったらそれこそ大変です。」
ポウセ童子が
「私はもう疲れて死にそうです。蠍さん。もっと元気を出して早く帰って行って下さい。」
と云いながらとうとうバッタリ倒(たお)れてしまいました。蠍は泣いて云いました。
「どうか許して下さい。私は馬鹿です。あなた方の髪(かみ)の毛一本にも及(およ)びません。きっと心を改めてこのおわびは致(いた)します。きっといたします。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/459_1 …
~~~~~~~
宮沢賢治の「我が身を犠牲にしても、他人(ひと)の役に立ちたいのよ」という自己献身、自己犠牲願望が、結構、鼻につくのですけれども、
徳によって人々を感化すること、《徳化》というものがここに示されているように思います。
おバカなサソリですら《徳化》できる。
ただ、ここで問題になるのは、
「朝鮮ヒトモドキと西洋サナダムシが、このサソリほどに賢いのか?」
ですね。
それでも、西洋サナダムシは、東日本大震災の時の日本人の姿を目にし、人間の素晴らしさを、理屈ではなく、心で感得できたようですが、
朝鮮ヒトモドキの多くは、東日本大震災が日本に起きたことに歓喜し、さらに
「もっとひどいことが起きて、チョッパリはすべて死に絶えろ!!日本列島は、倭猿ごと沈んでしまえ」
と願ったとか。
史上最大級の呼び声が高かった台風19号(?)が発生し、日本列島を直撃するとの予報が発表されたとき、
日本人よりも朝鮮ヒトモドキがいち早く反応し、
「被害、出ろ。死ね、死ね、いっぱい死ね、チョッパリ!!」
と騒いでいた。
───この台風19号のことをネムネコがはじめて知ったのは、ヒトモドキのこうした書き込みを見たときのことだった。この時点で、日本のマスコミは、この台風の報道をまだしていなかった───
ヒトモドキの《徳化》は無理かもしれない。
姿・形は人間or猿のそれと変わりませんが、中身は人間or猿ではないのかもしれないから。
「Mga koreano asyal hayop talaga sila!
お前らの方が、獣じゃないか!」
倭猿と同じく猿に属するフィリピンの猿は、
朝鮮ヒトモドキをこのように申しあげております。
中国の人は、
四川地震の時、日本から派遣された救援隊の人々が、この地震で亡くなられた方の遺体を丁重に扱い、そして、心から、遺体の冥福をお祈りする姿を目にし、心を強く打たれた。
と同時に、中国人に欠けている何かに気づき、このことを深く反省したのであった。
いい意味で、
「他人の振り見て、我がふりを直した」
のであった。
華猿と倭猿は、たとえ種は異なったとしても、猿だから、心を通じ合わせることができる。
また、
日本のサナダムシと、西洋のサナダムシも、同じくサナダムシだから、心を通い合わせることができる。
ですが、
ヒトモドキは、おそらく猿よりはるかに高等な生物でしょうから、心は通じ合わないのかもしれない。ここには越えがたい断絶があるのかもしれない。
☆ 哲学が自然の振る舞いであるにほんじんが ほかのアジアの人びとと一緒に世界の人びとに向けて触媒となって化学反応を推し進めて行くのが これからのときである。
ときは満ちたであろうか。
◇言葉によらない振る舞いを通じて、触媒になることもできるのでしょうね。
日本人同士の場合は、以心伝心などで思いが通じ合いますけれども、
他の人(ヒトモドキではなく猿です)の場合、相手の察しを期待することは難しいのでしょうね。
ですから、
振る舞いだけではなく、言葉も必要になる。
特に、
西洋サナダムシを相手にするとき、「物を言わない=アホウorバカ」、「物を言わない=無責任」と認識される可能性が高いので、
言葉(ロゴス)を使わなければならない。
華猿は、《理》ではなく《利(益)》で動くので、《理》ではなく《利》を説けば、話し合いは可能である。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
でもこのフィリピン人は コレアノも皆が皆 そうではない。つまり 卑しい心の持ち主ではないとも言っていました。
○ Mga koreano asyal hayop talaga sila! : お前らの方が、獣じゃないか!」
(pl.) Koreans ? animal truly they !
☆ asyal が分からない。辞書にない。次ならあるのですが。
・ asal : (n.) custom, habit, behavior, manners
◇ ヒトモドキの《徳化》は無理かもしれない。
☆ きちがいなる状態に落ち入っている。ですから 人ともヒトモドキとも規定できない状態にあるのではないか。つまり 心神喪失であるゆえに 意志行為として成り立っていない。ので その不法行為について責任を問えない状態にある。ヒトモドキと言うよりは 人間以前の状態にある人間らしき生物。
◇ 華猿は、《理》ではなく《利(益)》で動くので、《理》ではなく《利》を説けば、話し合いは可能である。
☆ 《利》は サンゴを奪うことができれば あとは要らないと答えませんか? つまり 話は それ(話)も要らないと言い張りませんか?
尖閣や南シナ海は 利よりも 覇権主義ではないでしょうか?
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
西洋サナダムシを相手にするとき、「物を言わない=アホウorバカ」、「物を言わない=無責任」と認識される可能性が高いので、
言葉(ロゴス)を使わなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ と見た上で それでも黙って坐れば ピタリと触媒がはたらく。化学反応に期待することが出来るかも知れません。
No.5
- 回答日時:
人は歩く時には、前を見る。
社会が複雑化し、巨大プロジェクトや長期投資が
行われ、技術が高度化しにより、高分子化合物や
原子力を生活に活用するようになった今、ちゃんと
“前”を見るには、原理的に深い認識とグローバルな
広い見識が必要なのだ。
意識において生きる事は、哲学なのだ。
日本人がとか誰かがではなく、誰もが哲人たらねば
ならない。
そうでなければ、主権者として参政する事もできず、
自律的社会行動による生きること自体による精神的
充足=人生を通算した最大充足も不可能だ。
誰かが考えて導くとかカリスマとか、そんなものは
お金や出世といった「馬車馬の目の前のニンジン」と
同じ、人を他律的にコントロールしようとする害毒だ。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
誰かが考えて導くとかカリスマとか、そんなものは
お金や出世といった「馬車馬の目の前のニンジン」と
同じ、人を他律的にコントロールしようとする害毒だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ほかの回答者とのやり取りは見ていないということでしたら 次のようにすでに書いていますので 見てみてください。
☆☆(No.2お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
No.1のれくす33さんは 全体観に立つことが大事であるといった見方を示しておられます。
けれども 個別の場では すでに《ときは満ちている》かも分かりません。満ちていなくても コトをすすめる必要がある場合も考えられます。それは まさに《いま・ここで ほかの誰でもなくわたしが》なのでしょうね。
◆ 世界から見ると道徳的な日本人が、強い使命感を各人が持つことが非常に大事ですね!
☆ となりますね。
たぶんいぢわるぢぢいになるとすれば 《道徳》は――つまり規範は・そして規範でしばることは―― 屁の河童でしょう。何もハカラヒなどなく自然に振る舞っているだけだと思いますから。
使命感は 或る程度・そのコトに応じて必要となる場合があるでしょうね。
あとは たぶんふだん生活しているその姿で 相手に向けて触媒となる。ハカラヒなきがゆえに化学反応をうながすことになる。そういう日常性が大事なのでしょうね。
にほんじんのムラの生活をぜんぶ丸ごと 輸出してもよいのではないか。とさえ考えられて来ます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 次のように言っています。:
○ 〔ときが〕満ちていなくても コトをすすめる必要がある場合も考えられます。それは まさに《いま・ここで ほかの誰でもなくわたしが》なのでしょうね。
○ にほんじんのムラの生活をぜんぶ丸ごと 輸出してもよいのではないか。とさえ考えられて来ます。
☆ まぁ このように提案するということは 《誰かが考えてみちびく》ことになってはいますが。
けれども それもダメだということでしたら 次の命題をも取り下げなくてはいけないでしょう。:
★ 日本人がとか誰かがではなく、誰もが哲人たらねばならない。
☆ つまり こういう提案めいたことはいっさい言ってはいけないということでしょう。
★ 今、ちゃんと“前”を見るには、原理的に深い認識とグローバルな広い見識が必要なのだ。
☆ その《認識と見識》とを持ったならば どういう《前向き》の姿勢がお勧めですか?
《深い認識が必要だ》という或る種のオオカミ少年の叫びも聞き飽きました。
ご回答をありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
イエスキリスト降臨の時も 受け入れたのは12使徒
ご回答をありがとうございます。
それは 聖霊の降臨ですね。ペンテコステの日。
使徒たちが受け容れたというより 使徒たちに イエスが復活したあと・昇天しさらに聖霊が降ったということですね。
直接の関係は ないと思われます。つまり 《ときが満ちる》こととです。
イエスの場合には むしろ洗礼者ヨハネの登場で ときが来たと人びとに告げられたのでしょう。
そういう局面ともすでに違って来ています。
要するに自由に振る舞い自由に もしそうならコトを起こせばよい。のだと考えます。
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