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翻訳された文章は、かたいとか、不自然だとか、批判されることが多いのですが、どんな日本語が適切ですか。以下に例を挙げてみます。

[1] カール・ブッセの詩
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
(『上田敏全訳詩集』「海潮音」山内義雄・矢野峰人編 岩波文庫 67ページ)

[2] ソクラテスの論述
こっち来てわたしの質問に答えとくんなはれ。あんさんのいちばんの想いは、世の中の若いもんが、できるだけ道を踏み外すことなく、立派な社会人に育ってってほしいっちゅうことやと思うんやけど、ちゃいますか。
(プラトン『ソクラテスの弁明 関西弁訳』24D 第12章 北口裕康訳 PARCO出版 44ページ)

[3] 清少納言の主張
可愛がりたいなァって子をさ、お坊さんにしちゃうっていう発想っていうのは、ホント、胸が痛くなっちゃうわよねェ。まるで木の端切れなんかのように思ってるのって、ホント、すっごく可哀想だわ。精進料理のすっごくまずいのを食べてさ、寝るんだっても、若い人は好奇心だってあると思うの。女なんかのいるところだっても、どうしてケガラワシがってるみたいで覗かないでいられると思う?
(『桃尻語訳 枕草子』第4段 橋本治訳 河出文庫 上43,44ページ)

[4] キリストの言葉
ああ、この者等は何とまァ頼りにもなんねェ根性曲がり等だれ! 俺が何時までお前だぢど一緒に居で、お前だぢのこの様を辛抱してねェばねェんだべなァ?
(『ガリラヤのイェシュー』新約聖書ルカ福音書9章41節 山浦玄嗣訳 イー・ピックス出版 383ページ)

[5] 老子の思想
先生を尊敬しなかったり、元となるダメ人間を愛せなかったりすると、どんなにその人が天才であろうと人生迷いの連続に陥るのだ。これが神秘的に生きることのコツなのだ。これでいいのだ。
(『バカボンのパパと読む「老子」』第27章 ドリアン助川 角川新書 73ページ)

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    [1]の詩についての詳しい解説をしていただいた回答番号2をベストアンサーにします。[1]と同様、翻訳の歴史にのこるのは[4]でせうか。もしかすると[3]も。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/10 22:14

A 回答 (3件)

こんにちは。


私は、もともと翻訳ものはたくさん読みますし、下手ながら仕事として翻訳を引き受けた経験もあるので、この問題についてはいつも考えています。もしかすると、私が回答したドイツ国歌のスレッドから思いつかれた御質問かもしれませんが、向こうにも書いたように、翻訳の良し悪しを安易に判じるのは考え物です。アマゾンで外国文学の翻訳書のレビューを見ていると、一般の読者がこの訳はいいとかひどいとか好きなことを書いて、考えさせられます。もちろん、明らかにおかしいという翻訳はたくさんありますが、自分である程度の量の翻訳をやり通したことがない人にはわからないこともたくさんあります。
回答に入る前に、外山滋比古の「第四人称」をお読みいただけたらと思います。
http://www.nebuta.ac.jp/visitor/pdf/kakomondai/2 …

詩というのは凝縮された言葉の芸術で、それぞれの言語で簡潔な表現の中に多くの意味を込めます。それを違う言語に訳すとき、文法的構造はもとより、原語の一語を日本語の一語に置き換えることも難しく、意味をすべて正確に訳出しようとすると原文より長くなってしまいます。それがいき過ぎると、もはや翻訳ではなく解説になってしまいます。
カール・ブッセの翻訳は、私は上田敏調ではなく、当時の日本の詩歌のスタイルだと思います。馴染みのない古語表現にとらわれると、創作と錯覚し過ぎる危険があります。もちろん、上田敏の世界もあります。しかし、個性を殺した訳が理想とは言えません。
当時は、詩らしく訳すにはやはり七五調が最適と考える人が多かったでしょうし、決して「固い」ものではなかったはずです。簡潔な七五調の中に原詩の意味を掬い取るのは至難の業で、この詩がドイツ語から直接訳したものか、英語訳からの重訳か確認していないのですが、ドイツ語の原詩と比較すると、よくここまで七五調の詩として原詩の内容を伝えたなと感心します。限られた文字数に収めるために意訳はしていますが、原詩からそう遠く離れたものではありません。

Über den Bergen, weit zu wandern,
Sagen die Leute, wohnt das Glück.
Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen, weit, weit drüben,
Sagen die Leute, wohnt das Glück.

最初のニ行を逐語訳すれば、

山々を超えたところ、歩いていくと遠いところに、
人々は言う、幸せが住んでいると。

となりますが、一行目は、原詩でも七音節しかありません。詩的に簡潔に訳すためには、「歩いていくと遠いところ」を「空遠く」などのように意訳するのは許容範囲だと思います。「im Schwarme der andern」の「Schwarm」は、もともと何かを求めて群がり移動する意味なので、「ひとゝ尋めゆきて」はまあ的確な意訳と思います。ほかにも特に大きな問題はありません。翻訳をやったことがある者として、苦心の作ということは十分感じられます。たとえ古めかしさはあるにしろ、今日まで名訳として伝わっているだけのことはあると思います。
[2]~[5]までの訳は、最近いろいろなところにお出しになっていますね。どちらかといえばパロディー、もしくは翻案といった方がよいのかもしれません。[4]については、以前の御質問時に書いたように、少し違う意義があるのは承知しています。こういうスタイルはどうしても通俗的になるので、拒否反応を示す人も多いと思いますし、私個人も基本的にはこういう訳を読みたいとは思いません。とはいうものの、オリジナルの内容をわかりやすく伝えるという意味では、少なくとも読者のことを意識して創作された翻訳です。これらの訳が将来残るかどうかはかなり疑問ですが、堅苦しい訳では本を取る気にもならないという人のことを考えると、こういう書物を知らずに終わるよりはまだいいという考え方はありますね。もちろんこれを読んだだけで終わりというのは考えもので、できればこれをとっかかりにしてちゃんとした翻訳に向かってほしいと思います。面白がってこういうものばかり読み続けるのは困りますし、ブームになっても困ります。ただ、こういう訳は一見軽薄ではありますが、それなりに技術はいりますよ。翻訳の練習としてはしても悪くないかもしれません。
そもそも、固いとか不自然とかいう理由で批判されるべき翻訳は、ここに挙げられているようなものではありません。まあこれはplapotiさんも承知の上で書かれているのでしょうから(確信犯!)、改めて書く必要はないと思いますが、読んでいて日本語として意味不明の翻訳はかなりあります。単純に日本語として悪文というものがたくさんあります。読み始めてすぐに投げ出すものもあります。読者不在の翻訳です。
外山滋比古も書いていますが、原作者の意図をくみ取るというのも、原作べったりか自己責任かという難しい問題があります。翻訳で色を付けて原作より勝ったものができてしまう場合もありますし、オリジナル通りにやらないと失敗する場合もあります。
訳語にしてもそうです。アマゾンのレビューを見ていると、複数の翻訳を引用して論じている人がいますが、気になるのは、以前訳した人が使った訳語を意識的に避けようとする翻訳家が結構いるのではないかということです。それが失敗につながることもあり得ます。作家の北杜夫が、自分より前に訳した人の訳語がよいと思ったら、それを踏襲するのが自信ある態度だと言っていますが、その通りだと思います。
翻訳が自然かどうかは、原書と比較しないとわからずじまいのこともあります。ドイツの作家、ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」という作品が岩波文庫から出ていて、以前から読みたいと思っていたのですが、数か月前に原書とともに寝室に持って上がりました。もし翻訳だけだったら、ちょっと読みにくいなと思うだけで終わったかもしれません。原書と突き合わせながら読み始めたところ、なぜこういう訳になるのか疑問に思ったので、ほかの訳を出してきました。そして、岩波文庫は読むのをやめました。岩波の方が訳は新しく、もう一方の訳を読んだ上での仕事のようなので、何とも腑に落ちませんでした。
いつものようにだんだん脱線してきましたが、英語のhe、she、theyを毎回「彼」、「彼女」「彼ら」と訳してあるものなども抵抗があります。特に、theyで表しているグループが男女混合の場合など、なぜ「彼ら」ではなく「みんな」とか「一同」とか工夫できないのかと思うんですよね。これも岩波文庫の話です。
さらに脱線しますが、だいぶ前から気になってしょうがないのが、外国のテレビドラマや映画の脚本の翻訳です。普通の日本語の会話なら、「~したんだ」、「~と思ったのよ」などの語尾が付きそうなところが、かなりの頻度で「した」「思った」と言い切るような形で吹き替えられています。イライラします。あまりに多いので、吹き替え翻訳業界でそういう指針があるようにしか思えません。どういうことなのでしょうか。
長くなりましたが、批判するのは簡単なんです。いざ自分でやると、そううまくはいかない。翻訳には様々な落とし穴がありますので。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ドイツ国家の回答は興味深く拝見しました。どこの大学の先生の話なのかわかりませんでしたけれど。これまで疑問に感じることすらありませんでした。当否はともかく、いろいろな指摘があるものです。それにしてもTastenkastenさんの検証能力には驚かされます。やはり言語は豊富な実例がものを言ひます。

若い頃聖書の私訳にとりくんだのですが、とちゅうで能力の限界を感じて以来翻訳には手をださなくなりました。でも他人の翻訳には関心があります。気に入つた本なら数種の訳本は手に入れます。

>外山滋比古の「第四人称」

問題の丸投げはいけません。漢字の問題は「さんみいつたい」だけはわかりました。ぶらげろさんの好きな神学理論ですから。第四人称といふ造語もぶらげろさんみたいです。読者を重視しつつ著者への配慮も欠かさない、そのとほりだと思ひますが実践は困難なのでせう。英語とフランス語の訳者の相違もなるほどと感心しました。

>私は上田敏調ではなく、当時の日本の詩歌のスタイルだと思います。......今日まで名訳として伝わっているだけのことはあると思います。

ホメロスの土井晩翠の訳などは驚異です。古本を高値で買つたのですが、今では青空文庫で読めるやうです。伝統の重みとはありがたいものです。翻訳だと感じさせません。

>こういう訳は一見軽薄ではありますが、それなりに技術はいりますよ。

翻訳にあたつての研究の量はすさまじいものがあると推測します。以前質問した憲法の翻訳も訳者の勉強量には感心させられます。

>自分より前に訳した人の訳語がよいと思ったら、それを踏襲するのが自信ある態度だ

かういふパクリなら大いに結構です。

>そして、岩波文庫は読むのをやめました。

岩波文庫は「あたりはづれ」が激しいと思ひます。最近の光文社古典新訳文庫は今のところ「あたり」ばかりです。Tastenkastenさんの評価眼ではどうなるかわかりませんが。

>外国のテレビドラマや映画の脚本の翻訳です。

あまり気にしてゐなかつたのですが、そのやうな実態があるのでしたら問題です。

>批判するのは簡単なんです。いざ自分でやると、そううまくはいかない。翻訳には様々な落とし穴がありますので。

おつしやるとほりで、私は無理です。御回答ありがたうございました。このサイトでの名訳を今後も期待してをります。

お礼日時:2015/09/09 20:13

>若い頃聖書の私訳にとりくんだのですが、とちゅうで能力の限界を感じて以来翻訳には手をださなくなりました。



それは初耳です。ぜひ拝見したいですね。翻訳には自ら限界がありますから、あまり潔癖になって自分の能力のせいにだけするのはよくありません。もちろんやるからには、今までの訳より良いものを作りたいと思うのが人情ですが、誤訳があって当然、不完全でも当然と開き直らないとできません。翻訳の報酬は良くないそうですし、締切りがありますから、意に沿わないまま発表する翻訳家もいるのでしょう。その辺は、外山滋比古の文章にも書いてありました。

>ホメロスの土井晩翠の訳などは驚異です。

先ほど、森鴎外訳のファウストを青空文庫でちらっと見ました。面白そうです。誤訳があるという話は聞いていますが、時代が時代ですし、それは別問題です。ファウストは翻訳が多いですから、比較のし甲斐はあります。鴎外は、かなりたくさん翻訳を手掛けていますね。

>最近の光文社古典新訳文庫は今のところ「あたり」ばかりです。

私も以前から注目しています。アマゾンのレビューによると、カントは「はずれ」らしいのですが、ほかの出版社が出さないような作品を出してくれるのがありがたいです。ついこのあいだも、デュレンマットとピランデッロを買ったばかりです。ピランデッロは翻訳賞受賞作品です。ナボコフやケストナーも読みました。「飛ぶ教室」は良かったです。驚いたのは、ブラジルの作家、マシャード・デ・アシスの「ブラス・クーバスの死後の回想」が出たことです。留学中に、ドイツ語教室で知り合った日系3世のブラジル人(混血していないので、100%日本人)がいて、ブラジル文学で何かお勧めはあるかと聞いたところ、絶対にこれがいいと言われた作品です。向こうでドイツ語訳を探したのですが、絶版で入手できずそのままになっていました。まだ読んでいないのですが、結構前衛的な小説らしく、勧めてくれたのが若い女性だったので意外でした。

>おつしやるとほりで、私は無理です。

まあ、そうおっしゃらずに。ギリシャ語、ラテン語ができる人はそうはいませんから。聖書の翻訳など、私には手が届きません。

>このサイトでの名訳を今後も期待してをります。

とんでもないです。ここではなるべく早く回答しなければなりませんから、いつも不完全なまま送っています。ある程度でも納得のいく翻訳をしようと思ったら、何週間も何カ月もかかります。
ドイツ国歌で勇み足をした人は、東北大学の先生のようです。専門が「外国語としてのドイツ語」、つまりドイツ語教育で文学とは違いますから、ああいうことが起こる可能性はあります。私も以前、大学で英語教育を教えていた人に英文を直してもらったところ、使いものにならない文章になって戻ってきたことがあります。語学的知識と文章のセンスは別ですから、そこで間違いが起こることも多いですね。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。

>誤訳があって当然、不完全でも当然と開き直らないとできません。

Q&Aサイトでは誤回答の連続です。聖書の私訳はノートに何冊か書きためてあるのですが、公開できるほどのものではありません。気に入つた日本語訳がないので挑戦したのですが、むづかしいものです。岩波書店の良訳が出版されてゐますから満足です。低価格になつてくれると助かるのですけれど。

>鴎外は、かなりたくさん翻訳を手掛けていますね。

青空文庫は便利です。岩波文庫の『即興詩人』はもつてゐるのですが、未読です。『ファウスト』は持つてもゐません。

>カントは「はずれ」らしい

買はないやうにします。といつてもカントは1冊も持つてゐませんし、読む予定もありません。ナボコフ、ケストナー以外は名前も初めてききました。ボルヘスやガルシア・マルケス以来南米ブームが続いてゐるのでせうか。

>ギリシャ語、ラテン語

さきほど外国語カテゴリの『カルミナ・ブラーナ』の質問に少しだけ回答しました。昨晩ヨッフム指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団のCDを聴いてゐて、回答するのを忘れました。またあとから追加するつもりです。ラテン語の本は、あまり読んでゐませんし、使用された時代が長いので面倒です。

>語学的知識と文章のセンスは別ですから、そこで間違いが起こることも多いですね。

Tastenkastenさんは兼備です。

お礼日時:2015/09/10 19:40

筆者がどのようなニュアンスで表現しようとした文章なのかを読み取り、その通りに(または、できるだけ近い表現で)翻訳するのが適切と思います。


挙げられている例は、原文の意味を「理解するだけ」なら(もしくはユーモアとしてなら)有用かと思いますが、翻訳としては不適切です。
特に、文学作品の翻訳としては、最悪と言っていいです。
根元的に、文学は書かれた文字で読まなければ真価の問えないものだと考えています。
翻訳をする時にはそのことを念頭に置いて、細心の注意を払ってやらなければなりません。

詩歌の類いは特に翻訳が難しい部類に入ると思います。
上田敏の海潮音は詩集としては優れていますが、「海外の詩の翻訳」として見た場合には、及第点とは言えません。
どの詩でも、誰が書いた詩でも、全部が全部、「上田敏風」になってしまっています。
私は、海潮音は海外の詩歌に因んで上田敏が新たに詠い上げた詩集、という認識でいます。

シェイクスピアの戯曲なども、駄洒落や掛け言葉の類いが頻繁に出てきますので、翻訳者泣かせでしょうね。
翻訳というのは、意味が通じればいいわけではありません。
とても難しい問題だと思います。
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この回答へのお礼

さつそくの御回答ありがたうございます。「プリンたい」さんのIDは九州の方言なのですか。

>文学は書かれた文字で読まなければ真価の問えないもの

御趣旨にはうなづかされます。私の場合はちやらんぽらんなので簡単なものばかり読んでゐます。難解なもの長大なものは敬遠します。質問文の『ソクラテスの弁明』などは高名で短編なので、努力しなくても読んだことを自慢できて最高です。

>全部が全部、「上田敏風」になってしまっています。

これはおもしろい指摘ですね。原典を読んだことがないので私では判断できませんが、個性の強い翻訳なのかもしれません。一般に文語での翻訳は文体が確立してゐますので、おちつきがあります。

>シェイクスピアの戯曲なども、駄洒落や掛け言葉の類いが頻繁に出てきますので、翻訳者泣かせでしょうね。

シェイクスピアは福田恆存の訳で読みました。いくらか古さは感じますが、さすがはプロだとうならせます。いちばんの好みは『ジュリアス・シーザー』です。ニーチェも書いてゐます。
「ブルータスの憂鬱に比べれば、ハムレットの憂鬱が束になってかかったところで何になろう?」
(フリードリヒ・ニーチェ『喜ばしき知恵』第2書98 村井則夫訳 河出文庫 175,176ページ)

今後ともご指導くださいませ。

お礼日時:2015/09/09 11:38

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