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次のように、相手の行為に「おる」(下の文では「おらず」の形)を使うことがありますが、正しい使い方と言えるでしょうか。

しかしながら、取締役会等は、経営改善目標(コア業務純益等)の達成状況確認に傾注し、リスク管理態勢の強化に向けた各リスク担当部署の取組について報告を求めておらず、その進捗状況を把握・検証していない。(金融庁「金融検査結果事例集・平成27年6月」p.4)
http://www.fsa.go.jp/news/26/ginkou/20150626-9/0 …

質問者からの補足コメント

  • 丁寧な回答を数多くいただき、本当にありがとうございます。
    私は、皆様の回答をお読みして、金融庁は、「おり」、「おらず」をニュートラルな言葉として使っているのだろう、という結論に傾きつつあります。
    皆様のご回答を、これから再度読み返してみたいと思います。

      補足日時:2015/11/18 18:21

A 回答 (18件中1~10件)

「おる」は謙譲語2に分類されます。


謙譲語2とは、【自分側の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。】です。
文化審議会答申<敬語の指針>18ページ。
特定形の主な例として、
・参る(←行く・来る)
・申す(←言う)
・いたす(←する)
・おる(←いる)
・存じる(←知る・思う)
など。
謙譲語1は、「相手に向かう自分の動作をへりくだって言うもの」ですが、これと区別している。
「報告を求めていず」⇒「報告を求めておらず」ですが、これは読み手・聞き手(読者・視聴者など)に対して丁重な表現をしているわけです。
ただ、「おる」については、若干堅苦しい表現でもあるため、改まった表現をしたい場合にも使われます。
いずれにせよ、丁重表現である、という基本線は変わりません。
「~いたす」という表現もよく使われますが、これも「~する」の謙譲語2(一般形)です。
文化審議会答申<敬語の指針>がわかりやすく解説していますのでご参考に。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/so …
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#1です。



「自分側の行為・ものごと」という表現について少し補足いたします。
これは、必ずしも「自分の行為・ものごと」という意味ではありません。
話し手として何かの話題を提供する場合、その提供すること自体を「自分側の行為・ものごと」と捉えて良いと思います。
「報告を求める」というのは話し手である金融庁検査局ではないわけですが、そうした話題の提供者として「自分側のものごと」と位置づけていることになるでしょう。
「先生、お車が参りました」などの場合も同様に考えることができると思います。
この意味で<敬語の指針>の表現は適切ではない、と個人的には考えています。
誤った解釈につながらないよう、【自分側、または第三者の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。】のような表現にすべきでしょう。
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報告を求めていず、


報告を求めていなく、
では、ぎこちない文になるからではないでしょうか?

謙譲語、丁寧語の類の「おらず」の使い方ではありません。
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・・・取組について報告を求めていないため、その進捗状況を把握・検証し・・・

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#2です。


たびたび申し訳ありません。
訂正があります。

×
【自分側、または第三者の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。】のような表現にすべきでしょう。


【自分側、または敬意を払う必要性がない第三者の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。】のような表現にすべきでしょう。

訂正した理由は、たとえば、「みなさん、天皇陛下が参りました」のような表現はできないからです。
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以前、同様の質問に答えたことがあります。


【日本語の「おり」と「いる」について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8584484.html

 結論だけを書くなら、連用中止形の「おり、」「おらず、」は「謙譲」とはあまり関係のない「ニュートラル」な用法です。
 ですから、相手の行為にも使えます。
「敬語の指針」をはじめ、さまざまな文献を見ましたが、下記〈『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)〉より詳しいものは見たことがありません。
 あまりにも詳細な解説なので、引用しきれません。詳しくは原本をお読みください。

 以下は一部の抜粋(重言)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318~のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
(5)[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321~322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。
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No.6の方が引用された中に「謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある」と書いてあります。

これほど多様な様相を持つ動詞は外にはありません。
 現代語の中で使うならニュートラル(ほとんど敬語的な意味を持たない中立的用法)に限って使うのがいいでしょう。
 それはたとえば、ご質問の例文のような、一般的叙述文の中での「連用形中止法」(…ており、…ておらず、)に限定してもいいと思います。

 すでにいくつかの回答で用法の説明がなされていますので、わたしは過去にさかのぼって、古い時代からの変化をたどっておきましょう。
 古典文法でラ行変格活用を覚えた経験のある人なら、「あり・をり・侍り・いまそかり」を知っているでしょう。このなかで「侍り、いまそかり」は敬語に属しますから省いて、主として「あり・をり」について述べます。これらは現代で言う「存在動詞」ですが、現代では「ある・いる」に変わっています。
 古文では「居(を)り」(ラ行変格活用)と「居(ゐ)る」(ワ行一段活用)の二種類ががあって、「をり」は存在動詞ですが、「ゐる」は特別の意味を持ちました。
 たとえば「徒然草」の中に、祭り見物に来た田舎者が木に登っている様子を、「ついゐて」と表現しています。「つい」は「付き」の音便で「ついゐて」は枝に「とりついて」という意味です。また「鳥」がとまるのも「ゐる」と表しましたし、「居ても立ってもおられない」という言葉は「座っていることも立っていることもできない」(心が落ち着かない様子)という意味です。また「伊勢物語」の「東下り」の中で、一行が隅田川のほとりに「むれゐて」とあるのは「群がって座って」の意味でした。
 言いたかったのは「ゐる」は「座る・落ち着く」の意味だったと言うことです。

 さて江戸時代に、江戸をが文化の中心地になった時、いろいろな言語的変化ががありましたが、「をり」の役割を「ゐる」が果たすようになったたこともその一つです。すなわち「存在動詞」としての役割です。その結果、「をり」(江戸期の「をる」)の役割は無くなりました。ちょうどその頃武士階級が江戸に集まっていました。その侍言葉に「をる」が取り入れられ、「下にをれ」、「控えをれ」、「待ってをります」、「参ってをります」など、相手を見下げた(卑しめ)言い方、自身の動作を卑下する(謙譲)の言い方が作られていきました。特に「卑下する」言い方は場合によっては、「待ってをるゆえ早く参れ」のような尊大な言い方にもなりました。現代のいわゆる「丁重語・荘重語(謙譲語Ⅱ)」は侍言葉が発生源といって過言ではないでしょう。そして、その武家屋敷に出入りするような高級商人の間にも広がりました。明治になって「標準語」とされた山の手言葉はこうして作られたのです。
 一方、関西では「をる」は相変わらず「存在動詞」としての地位を保っていました。現代になっても、東京の学者先生は、「関西の先生方は、どうして『おられます』という言葉を使うのだろう」と不思議がるシーンがあると聞きます。庶民も関西では「家におる」と言います。そいう関西人も次第に東京に進出し、ますます関西方言とも言える「をる(今は当然「おる」)」という言葉が使われることになります。
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#1ですが、少し補足させていただきます。



<敬語の指針>の執筆者の一人である菊地康人氏も、「敬語再入門」という自著の256ページで、
【「おる」・「・・・ておる」は、「いる」・「・・・ている」の謙譲語Ⅱ。
主語<1人称>を低め、聞き手に丁重に述べる。】
と明記しています。

続けて、
【もっとも、「おる」の語感には個人差・方言差もあり、謙譲語としてではなく普通の言葉として(いわば標準語の「いる」と同じように)使う人もいる。】とも記していますが、あくまで「使う人 [ も ] いる」です。
本質的には、「聞き手に丁重に表現したい」という意図を持つ謙譲語Ⅱの用法であることに変わりはないでしょう。
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>相手の行為に『おる』(や『おらず』)を使うことがありますが、正しい使い方と言えるでしょうか。


 という疑問にはっきり答えていないようです。
 この文章の主格(主語と考えてもいい)は「取締役会等」です。このような組織は個人と違って敬語を使う対象にはならないようです。もし、
 
「取締役会等は、…達成状況確認に傾注<なさり>、…報告を求めて<いらっしゃらず>…把握・検証して<いらっしゃらない>。

 というように表現されたらおかしいでしょう。このような場合の文章は客観的に事実を書く文章でいいわけです。

 そういう文章の中で「おらず」という言い方をするのは、その部分を
「報告を求めていず、」と書くか「報告を求めていないで、」(または「いなくて」)と書くか、「報告を求めておらず、」と書くか、の問題です。

 質問者は「おる」というような「謙譲語」(と考えていらっしゃるのですよね)を使っていいか、というご質問でしょう。それに対する回答は
1.「おる」「おらず」という語はふさわしくない。なぜなら「謙譲語」または「丁重語」だから。
2.この場合の「おる」の使い方は、特に敬語的な意味を持たない(ニュートラルな)「おる」であって、「いず」や「いないで」よりも文の続き具合をよくする使い方だ。
 という回答が出て来ることになります。
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#8です。


#9さんが面白い切り口をされているので参加させていただきます。

ご質問の骨子は、タイトルにあるように『相手の行為に「おる」を使えるのか』だと思います。
「相手の行為に」ですから、これは「おる」を謙譲語1と捉えていらっしゃるのは明らかでしょう。
ですから、答えは、#9さんの表記にならえば、
1.謙譲語1ととらえるので正しくないと思ってしまうわけですが、実は謙譲語2なので正しい。
または、
2.この場合の「おる」の使い方は、特に敬語的な意味を持たない(ニュートラルな)「おる」であって、「いず」や「いないで」よりも文の続き具合をよくする使い方だから正しい。
のどちらかでしょう。
「正しくない(ふさわしくない)」という回答が出る余地はないと思われます。

今回の文章は、銀行の取締役会に対する金融庁検査局の批判です。
組織か個人かという問題ではなく、敬語を使っていないのはそのためでしょう。
その上で申し上げると、
> そういう文章の中で「おらず」という言い方をするのは、その部分を
「報告を求めていず、」と書くか「報告を求めていないで、」(または「いなくて」)と書くか、「報告を求めておらず、」と書くか、の問題です。

という#9さんの見解部分には同意できます。
では、なぜこのように(無意識的にせよ)使い分けるのか? という点が重要ですし、論点となるはずです。
私は、謙譲語2「おらず(おる)」を使うことによって、読者に対して丁重な表現をしたい、という意図があるからだ、と思います。
「報告を求めていず、」「報告を求めていないで、」(または「いなくて」)よりも「文の続き具合をよくする使い方だから」ということではなく、それでは丁重さが不足しているから、ということ。
続き具合を良くしたいのであれば、
「報告を求めていないため、その進捗状況を把握・検証していない。」などとすれば問題はないはず。
または、#6さんにならって、
「報告を求めていないので、その進捗状況を把握・検証していない。」
のように表現すれば済む。
しかし、この場合でも読者に対する丁重表現にはなっていない、という点が浮上するでしょう。
敬意と考えると難しくなるかもしれませんが、改まった表現をすることによって丁重さを示している、と考えれば、それほど抵抗なく理解していただけると思うのですけどね。
『敬語的な意味を持たない(ニュートラルな)「おる」』という捉え方は、あり得ないと個人的には思います。
菊地氏も、#6さんお示しの「敬語」では、かなり自信なさげな表現をしているようですし、後発の「敬語再入門」や文化審議会答申<敬語の指針>では、「ニュートラル」という用語は一切でてきません。
あくまで推測ですが、そうした(「単なる語調の違い」という)考え方は妥当ではないと考えるようになったのではないでしょうか。
個人的にも、丁重(または、「古風」でも良いでしょう)を意味すると考えることの、どこに問題があるのか、むしろ不思議な気がします。
ただ、今回のような例の場合、敬意・謙譲の要素が「無い」ではなく「薄い」と考えることはできそうです。
「おる」という謙譲語2には、「謙譲の意図が極めて薄く、丁寧語的要素が強い」という用法を加えても良いかもしれません。
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