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特に新聞や論文などの文章で、
例えば、
「10年続いており、毎回100人が参加している」
といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。
「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。
新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。

辞書によると「おる」は
『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』
とあります。

「10年続いていて、毎回100人が参加している」
「10年続いており、毎回100人が参加しておる」
両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。
新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、
新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。
(「~しております。」のような、単独での使用は違和感を覚えませんが)

長くなりましたが
●両者を併用している理由は何なのでしょうか

ご教示のほどお願いいたします。

A 回答 (10件)

 No.9でふれた菊地康人氏の『敬語』の記述について。



 詳しくは下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415. …
 以下は一部の抜粋(重言)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318~のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
(5)[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321~322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231. …

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801. …
 以下は一部の抜粋(重言)。
================引用開始
 本動詞の「おる」のほかに補助動詞の「~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。
 辞書の引用は末尾に。
『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。


【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
 この点について『大辞林』には下記のようにある。
================引用開始
自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
================引用終了
〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。
 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。
 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。
 ところが、〈1〉で見た6)によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。問題の根が深いorz。


【2】「おります」で丁寧な言い方?
『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。
『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。
 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。
〈1〉の1)で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。
 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。
 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。
「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。
「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。
 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。
 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。
 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。
 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。↑の「5分類」法と併せてウノミにすると相当混乱する。

 で、辞書の記述に戻る。それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。
(略)
================引用終了
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 中止形の「~おり(、)」と「~いて(、)」。



「~している。」「~しておる。」という終止形とはちょっと違う話です。
>『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』は終止形の話でしょう。
 現代では「~しておる。」の形はあまり使われず「~しております。」の形で謙譲語として使われます(異説もあります)。
 中止形の「~おり(、)」は、すでにコメントがあるように、ニュートラルでしょう。
『敬語』でこの話が出てくるのは「~しておられる/おられる」の話の中で、これがまた厄介です。詳しくはコメントを別にします。

 新聞で中止形の「~いて(、)」を使ってますか?
 当方の記憶だと、新聞は圧倒的に「~おり(、)」が多い印象です。
 どちらが正しいということではなく、どちらも使われます。
「~おり(、)」のほうが昔ながらの言い方なので、言葉を厳格に使う人はこちらを使うようです。「昔ながらの言い方」は、古風とも言えます。
 当方は一応プロのライターですが、もう何十年も「~いて(、)」を使っています。それでも問題になったことはありません。一度だけ年配者に「文法的におかしいのでは……」と指摘されたことがありますが、「おかしい」理由はいくら調べても見つからないはずです。
 当方は、古くさい言葉づかいがイヤなので避けている言い回しがいくつかあります。
 中止形の「~おり(、)」もそのひとつです。やや古風で格調の高い印象の文章が書きたければ、下記の心得の逆を心がければよいでしょう。こういうときは、「いい」にはしにくい(泣)。

【「~だ」と「~である」はどう違うか2──やわらかい感じがする文章を書くために】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-642.h …
 以下は要点だけ。

1)「~である」を使わずに「~だ」を使う(理想を言えば「~だ」もできるだけ使わない)
2)「よい」は使わず「いい」を使う(ex.「いい方法がある」「こうすればいい」)
3)補助動詞の「ゆく」は使わず「いく」を使う(ex.生きていく私)
 ※これは現代では「ゆく」とか「ゆう」を使う人は少数だろう
4)「起点のヨリ」は使わず、「から」を使う
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.h …
5)「のみ」を使わず「だけ」を使う(ex.問題はこの点だけ)
6)むやみに漢字を使わない
7)結果を表す「と」は使わず「に」を使う(ex.「~することとした」を「~することにした」にする)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-305.h …
8)「行う」はできるだけ使わない。
 とくに過去形の「行(おこな)った」は「行(い)った」とまぎらわしい場合があるので、極力避ける。
  ex.みんなで行った花火大会。
 個人的には本則ではないことを承知で「行なう」と書くことにしている。
9)重文のつなぎの「~おり」(正確にはなんと言えばいいかわからないorz)は使わず「~いて」を使う。
  ex.この件はすでに解決していて、~
10)接続詞の「また」は極力つかわない
 だいたい削除できる。助詞の「も」をうまく使う。
「それもまた一理ある」のような副詞は許容(個人的にはまず使わない)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
たくさんの表記の例示うれしいです。
「行って」については私も同感です。使う場合は「行なって」にしています。

お礼日時:2014/05/13 16:54

#5です。



#6さんがお示しになった菊池康人氏の下記の記述は興味深いですね。
------------------------------------------------
「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。
------------------------------------------------
この菊池氏は、たしか文化審議会国語小委員会の副主査だったと思いますが、<敬語の指針>作成メンバーの一員とは思えない記述です。
>「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがある

と言っているわけですが、なぜ「いる」を「おる」と言い換えることができるのか?また、言い換えた場合、どのような差異が意味的、ニュアンス的に生じるのか、という点についての言及がまったくありません。
そもそも、言葉が違えば必ず別の意味やニュアンスが生じるはずであり、そうでなければ別の言葉の存在意義はないでしょう。
単に言いやすいから「おり」を使うという説は腑に落ちないですね。
「おり」を使うのは、他のニュアンス(古風→歯切れよさ)を出したいからだと考えるほうが自然ではないでしょうか。
実際、
>謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方

とは言っていますが、古風な言い方ではない、とまでは言っていません。
古風な表現を採用することで、である調の歯切れよさを維持しようとした、と考えるのが自然でしょう。

「10年続いてい、」が本来の表現とおっしゃる方もおられます。
それはそうなのでしょうが、先述いたしましたように、「10年続いており、」とまったく同じ意味、ニュアンスにはならないはずです。
「古風な言い方」というのは、言葉を変えれば「改まった言い方」です。
「改まった言い方」というのは、必然的に尊大に使うこともできますし、明快に歯切れ良く使うこともできます。
その意味で、軽快に述べたい場合には適した表現だと言えるでしょう。(むろん、古風な言い方のすべてが適していると言っているわけでないことはご理解いただけると思います)

とは言うものの、#4さんや#6さんがおっしゃるところの、連用中止法という用語は勉強になりました。
#5で、わたしは、
-----------------------------------------------------
「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。
-----------------------------------------------------
と述べました。
「歯切れの良さ」が減少してしまうのは、「おる」ではなく「いる」を使っているため、としたわけですが、これに加えて、接続助詞「て」を使っているため、であることがわかります。
#4さんがすでに指摘されていますが、この「ている」は、下記辞書の、
7 (補助動詞)動詞連用形に接続助詞「て」が付いた形に付く。
(ア)動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。「猫が鳴いている」「花が咲いている」
という用法です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/15573/m1u/% …
「10年続いて現在に至っている。【そして】、毎回100人が参加している」というニュアンスになります。
この【そして】が勢いを削いでしまい、歯切れの良さが減少するわけです。

「おる」は古風な言い方でもありますが、聞き手に対して丁重な表現をするという謙譲語2でもあります。
下記辞書の1-イが前者であり、2が後者です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34019/m1u/% …
謙譲語2は現役表現ですが、それとは別に古風な言い方、という用法もあるわけで、これらを同列に論じようとすると収拾がつかなくなります。
  
   
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
ここまで話が大きくなること、こんなに複雑であること、想像もしてませんでした^^;

お礼日時:2014/05/13 16:49

No.4のものです。

恥ずかしながら、誤りがありました。古い時代の話の中で「いる」と書いた「居る」は「ゐる」と買うのが正しい書き方でした。上一段活用の「射る」「鋳る」はヤ行上一段「いる」であり、「居る」・「率る」はワ行上一段「ゐる」でした。
 回答の流れでは、あまり関係はなくなったようですが、取り敢えず訂正しておきます。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます^^

お礼日時:2014/05/13 16:48

これは#1さんが「現役の表現方法」とされ、さらに#4さんが「単純な回答をすれば…」としてご指摘の通りなのです。


古風でも、である調でも、尊大なわけでも、不統一なのでもありません。

日本語学習者など、日本語が不慣れな人限定の「テ形 (te-form)」で済ますところですが、実際には「い(補助動詞連用形)」+「接続助詞「て」の2語から成っており、この接続助詞「て」を加えるとアスペクトも変化し、順次成立型へと限定拘束されてしまうきらいがあるからです。

本来は「10年続いてい、」とすべきなのですが、実際作家などはそういう遣い方もするのですが、この新聞記事のように「10年続いており、」と記して余計な接続助詞の介入を排除し、連用中止法を守って文脈を自然にするのが一般的なやり方なのです。

参考:菊池康人「敬語」講談社学術文庫
「標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず」をニュートラルに使う人もいる。」(322頁)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
菊池康人氏の研究、初見です。
ニュートラルなんですね。

お礼日時:2014/05/13 16:48

これは、である調の文ですね。


丁重さよりも歯切れの良さを重視しているのでしょう。
「歯切れの良さ」を重視する場合、「古風な表現」も有効になるため「おる」が採用され、
「10年続いており、毎回100人が参加している」という文になった。
「参加しておる」を使わないのには、2つの理由があると思います。
文末なので、尊大な表現になってしまうから。
また、前の「おる」と重複し語感が良くないから。
「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。

因みに、文化審議会<敬語の指針>で、「おる」は謙譲語2に分類されています。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi …
18&28ページ
謙譲語2とは、聞き手に対して丁重な表現をするという用法の敬語で、丁重語とも呼ばれます。
生徒が聞き手である先生に対して「昨日はずっと部屋にいました」ではなく「昨日はずっと部屋におりました」と言うのが謙譲語2の敬語表現です。
性質上、基本的に丁寧語を伴って使います。
「10年続いていて、毎回100人が参加している」を聞き手(読み手)に丁重に伝えるためには、謙譲語2を使い、
「10年続いていて、毎回100人が参加しております」と表現します。
ただ、これは、です・ます調の場合。
新聞記事とは異なり、歯切れの良さには重点が置かれていないため、「続いており」と古風な表現をする必要がありません。
また、「参加している」ではなく丁重表現の「参加しております」を使うため、「ている」の重複も避けられ、自然な表現になります。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
歯切れの良さを重視しているのですね。
確かに新聞なども、いくらルールがあるとはいえ読みにくかったら読みたくなりませんね・・・、

お礼日時:2014/05/13 16:46

 質問者がおっしゃることも、3人の回答者のおっしゃることも、いずれもうなずけるところがあり、やはり「いる」「おる」の問題は根が深いようです。


 単純な回答をすれば、「おる」は「おり」という(連用形)中止法が使えるのに対し、「いる」の連用形は「い」ですから、そこで止めるためには「い、」で切ることになります。
 もう少し詳しく言えば、この中止法は、萩原朔太郎の詩「竹」で「光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え‥‥」と使われて有名ですが、大抵の動詞は連用形を繰り返せばいいのです。しかし「いる」だけは「い、い、い」(例えば「人がい、犬がい、猫もい、」のように)のようには使えません。
 これは、No.2のかたがおっしゃるように「不自然な言い方」にも聞こえます。「て」を付ければいいとも考えられますが、実はNo.1の方が触れられたように「ている」というのは別の意味を表します。いわゆる「アスペクト」でいう、「動作が完了した状態が残っている」または「動作が引き続き行われている」ことを表す言い方でもあるのです。そうしたことは、「おり」を使えば直ちに解決できるという理由があります。

 しかし、質問者のおっしゃるように、「おる」は共通語の立場からすれば、ちょっと異様なな印象を与えるでしょう。辞書の説明に『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。』とあるようですが、「尊大」という印象は「武家言葉」の「おり申す」などから来るのでしょう。「い申す」とは言いにくかったのです。
 
 ある大学教授が「関西の先生方は、どうして『おられる』という言葉を平気で使われるのでしょう」と発言されたのを聞いたことがあります。実は共通語からすれば、「おる」は「いる」の謙譲語だといわれます。その謙譲語に「れる」を付けて敬語のように使うのが腑に落ちないということですね。今日のテレビで、元首相の細川氏が「言っておられることと、やっておられることが違う」と現首相を批判されていましたが、やはり関西出身だなと思いました。
 
 古文の勉強をしたとき、「あり・をり・侍り・いますかり」とラ変動詞を覚えたものですが、この「あり・をり」こそが古い時代の「存在動詞」でありました。(現代の存在動詞は「ある・いる」)この「をり」が「おる」に変化しました。一方、「いる」という動詞も上一段活用としてありました。どうして、「をり」と「いる」の両方が存在したのかというと、「いる」は別の意味を表していました。人間で言えば「座る」の意味です。(鳥などで言えば「とまる」の意味。)そして「立つ」に対応する意味でもありました。
 今も残る「立ち居振る舞い」「居ても立ってもいられない」はその名残です。また「月」を表す言葉で「いざよい月」「立ち待ち月」「居待ち月」「寝待ち月」(臥し待ち月とも)と続きますが、「立って待つ」「座って待つ」「寝て待つ」と一日ずつ月が出る時間の遅れを表しています。
 
 この「いる」が実は関東方言として定着し、後に江戸では現在の存在動詞と同様に使われました。政治経済の中心が江戸に移って以後は、全国の各藩の武士たちも参勤交代などによって江戸に住むものも増え、武士以外の人々も各地から集まって、ちょうど近世英国のロンドンにおける「言葉の坩堝(るつぼ)」状態と似た状況になりました。英国で「キングズ イングリッシュ」が生まれたのと同じ現象が、江戸時代から東京時代にかけて起こり、明治期に「標準語」と名づけただけの理由はあったわけです。多分に「江戸っ子弁」とも言うべきものが残ってはいますが。

 しかし、京・大坂などでは「おる」を使い続けてきました。「家にいるか」を関西では「家におるか」というのが普通です。方言に聞こえたり、古い言葉に思えるのは、当然のことです。「イルカ、オルカ」と動物の名の語呂合わせにもなるところですね。(オルカという動物、本当にいるらしいのですが)
 「言っている」→「言ってる」になるのが関東で、「言うておる」→「言うとる」になるのが関西です。 一部で「言っちょる」(薩摩弁?)もあったようです。
 以上、「いる」と「おる」についての考察でした。
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この回答へのお礼

古文にまで遡った考察、ありがとうございます。
中止法~~と文法の話になり混乱してきました^^;

お礼日時:2014/05/13 16:44

文法的な内容は書かず、(多くの人が感じるが認識していない)無意識的な部分を書いていきます。

ほとんどの人は文法的な内容などは考えず、自分がその時(聞いた時)に感じた感覚を元に話しているからです。

 「あり」と「いて」の違いですが、これは文章の位置によって変わってきます。今回の文章の位置とは、「途中」(あなたが挙げられた文章では「、」付近)と「最後」つまり「。」があるところです。


 「途中」に関しては、「おり」のほうが品があり少しそこで「区切り」がつくようになります。それに比べ「いて」は前後の内容がつながれることが前提であり、すぐに後ろの言葉を話す(聞く)ことが求められます。そのため、お寺やお城や貴族・皇族などの重厚感がある場面では「おり」が使われ、スピード感が求められるスポーツの実況などは「おり」は使われにくく、通常は「いて」や省略されやすいです(「続いていて」も「続いて」になります)。

 一方「最後」では「おり」は現代語では「おる」になりますが、「おる」は古風というより「年配者が使う言葉」になります(また、関東人には「関西人が使う言葉」にも感じます)。一方「いる」には特別な感覚はありません。そのためか、おなじセリフでも「おる」にしただけで年寄りっぽくなります(たいていは語尾に言葉を追加して「おるんじゃ」などになりますし、関西人は「おるんや」になります)。

 「おる」にこうした意味が付加された経緯はわかりませんが、感覚的にこうしたことを読み取り(音質的にそうした特徴があるかもしれません)それを使い続けているのが、こうした感覚が続いている理由ではあるでしょう。「おる」自体に年寄り要素があるというより、年寄りがよく使う言葉が「おり」であり、その結果「おり」に年寄りくささがついた というものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
「スピード感」、これは意識したことなかったです。
歯切りと少し異なり、確かに大切な要素ですね。

お礼日時:2014/05/13 16:42

比較するならこんな感じです。


1.「10年続いておって、毎回100人が参加しておる」
2.「10年続いていて、毎回100人が参加している」
3.「10年続いており、毎回100人が参加しておる」
4A.「10年続いてい、毎回100人が参加している」
4B.「10年続いており、毎回100人が参加している」

1.と2.が対応します。1.は古風あるいは方言のような感じです。2.は格調高さがありません。
3.と4A.が対応します。3.は1.と同様に古風あるいは方言のような感じです。4A.は不自然な言い方です。4Aの代わりに4Bを使うと
不自然さはなくなり,かつ程よい格調の高さが生まれます。
2.には統一性があり現代風だとは思いますが,少し幼稚に聞こえます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> 2.には統一性があり現代風だとは思いますが,少し幼稚に聞こえます。

ごもっともです。

ただ、今回問題にしたいのは、新聞や論文などの文章おいてです。そうしたメディアで「古風あるいは方言のような感じ」のする言い回しをするのは如何なものなのかと感じます。。。

代わりの言い方が無いからですかね?

お礼日時:2014/05/07 15:13

この「おり」は、古い言い方ではありません。

現役の表現方法
ですから、どちらかというと「続いて"いて"」の方が誤用です。

ちなみに、この場合の「参加して"いる"」は、「現状を表す用法」
ですから意味が違いますし、「続いていて」とすると「参加して
"います"」が正しい、「ですます調」の文章になります。

要は辞書の引き方を間違ったんではないかと思いますが・・・。

この回答への補足

「おる」と「いる」は「デジタル大辞泉」の解説
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=d …
を見ました。
同書には、

●お・る 〔をる〕 【▽居る】
5 (補助動詞)動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
「…ている」の古風な、または尊大な言い方。

●いる 〔ゐる〕 【居る】
7 (補助動詞)動詞連用形に接続助詞「て」が付いた形に付く。
ア:動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。「猫が鳴いている」「花が咲いている」
イ:動作・作用の結果が、続いて現在もあることを表す。「枝が枯れている」「窓があいている」
ウ:現在の状態を表す。「彼の気持ちはもう変わっている」

とありました。
これを見る限る、「~ていて」は誤用とは思えないんですが、どうでしょうか?

補足日時:2014/05/07 13:05
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