プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は日本人の中で大天才は葛飾北斎くらいしか思いつきません

数学の江戸時代の天才 関孝和にしても微積分を確立したわけでもないし

本居宣長にしても科学的に思想を証明してもいないです

紫式部にしてもただただ男女の仲を長々とのべてるだけだし

湯川秀樹にしてもボーアの原子模型的な発想からすれば

なんか細かい事を追及する日本人的発想な気がします

信長などは天才な政治家、軍事家であると思いますが

チンギスハーンなど、軍事、経済、政治にわたる

大天才と比べると疑問符があります

日本の音楽も素晴らしいですがBEATLESやモーツァルト

みたいに何百年も影響力があるものはありません

天才的な人はある程度いると思いますが、やはり日本という土壌は

大天才を輩出しにくい国である気がしますがどうでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

みなさんと違う定義を提案するとすれば、



日本は相対的な社会だから、だと思います。そもそも相対的な社会は天才を評価する基準を持たないのではないでしょうか。

日本以外の世界は基本的に「絶対的な基準」で生きています。一神教がその極端な例ですが、世界では生きるか死ぬかの選択しかなく、戦争に勝てば、勝った側は負けた側に絶対的な価値観をもって振舞うことができました。その価値観に従わなければ敗者には死しかなかったからです。

それゆえに、各民族・各集団は絶対的な価値を持つものを探し回ることになります。平凡な合議では滅ぶだけだからです。
そして大天才が生まれれば、逆にその集団は絶対的な権力を持ちます。たとえば質問者様が提示してるチンギスハーンのほかにも、秦の始皇帝・アレキサンダー大王・ローマの小スキピオ・カエサル・ケマルアタチュルク・チェゲバラのような人々は大天才だったのでしょう。

さらにルネッサンス以降のヨーロッパでは神の真理の絶対性に近づくために、芸術家や数学者・物理学者などの大天才を創出しています。

これらの絶対性の中に生まれた大天才と比較すると、日本はそもそも大天才が生まれない価値観なのだろう、と思ってしまいます。すべてが、権力構造すら相対的であるからです。
    • good
    • 9
この回答へのお礼

なるほど相対的な価値観をもつ日本がそもそも大天才を産まない価値観

である事に共感しました。有難うございます

お礼日時:2015/11/19 01:18

集団主義的な稲作農耕社会では、「出る杭は打たれる」慣習で


協調性=他人と同じである事が良い事だとされます。
それによって、日本社会の秩序や工業化における協調性として、
日本の経済的成功につながったのですから、否定はできません。
稀な天才を生むために、エゴイストのぶつかりあう厳しい社会を
許容するかどうかは、判断の分かれるところでしょう。
    • good
    • 2

No.5ですが、私は音楽はさだまさしや岡村孝子やあとマーチ系が好きなのですが


実はこれら以外の曲で千回以上聴いた楽曲が有るのですが、それはイギリスの曲
でした(ビートルズではないですが)この曲を聴く度に日本は負けた~(笑)と思いますね
日本が天才を創るには昔テレ朝(昭和58年のザ・スクープーYouTubeで閲覧出来ます)
で石原慎太郎が「子供はみんな活き活きとしてやりたいことだけやって、やりたくない
ことはやらない、という教育にしたら良い!」と極論を言ってましたが一理有ると
思いますね。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

そうですねもっと子供がいきいきする教育があれば

面白い人がもっともっとでてくるかもしれませんね!!

お礼日時:2015/11/19 01:21

はじめまして。

トラック運転手のplapotiと申します。外国のことはもちろん、天才についても知りませんので、直接の回答はできません。みなさんの回答、特に4,6,10,13にうなづかされることが多かつたのですが、それに便乗して、文化の比較において見過ごされてゐるものがあるのではないかと感じました。

「知らないだけで、出すぎた杭もあるのではないかと思っています」

おもしろい言葉です。ときどき日本社会は均一化を求め、個性が発揮できないといふ見解を見ますが、私にはそんな風には思へません。これはそのやうに考へて安心したい人の見解にすぎないのではないでせうか。私は職場では、Q&Aサイトでの投稿以上に好き勝手に意見を述べます。社長や部長などに対しても肩書きでは呼ばず、他の人たちに対するのと同じやうに「○○さん」で通します。海外の企業で私のやうな態度をとつてゐたら、即座に解雇されるのではないかと推測します。私は何度か転職しましたが、クビになつたことは一度しかありません。食品偽装の体制を改めるための提案をしたら、解雇になりました。正当な方法によつてさらに利益を上げるためのただの業務改善なのですが、やましいところのある人は非難だと感じるものです。むしろこの一回しか経験がないといふほうが不思議です。私は日本社会はだれでも意見の出せる開かれたものだと思つてゐます。

日本文化といへば、和歌です。万葉集にしても古今和歌集、新古今和歌集にしても、いろいろな身分の人の作品が収められてゐます。古来よりだれもが個性を発揮できる社会だつたのではないでせうか。

「打たれる」といふ表現がありますが、むしろ「天才」に関していへば、「期待される」といふ面が強いと思ひます。過剰な期待によつて、つぶれてしまふ、そんなことがあります。もしかすると、挫折に対応できないから「大天才」になれないのかもしれません。

「大天才」については「大馬鹿」の私ではこれ以上論じることができません。申し訳ございません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

私も実は大天才が実は町工場のおっさんだったり

農家ののんべのおっさんだったり、見えない所で世界を

技術的、思想的に引っ張って実は世界を内面からラディカルに変えているのかも

と考える時はあります

お礼日時:2015/11/18 22:33

日本人は手先はあれで、細かいことがこうだと言っているのに、中国が出来た、有人周回が出来ないし、


福島廃炉も日本の英知がすっ飛んで、今は、フランスやら、英国やら、米国に助けを求めて、調査費に1億円を
費やしている。出張費だよ。
ノーベル賞は米欧に協力したのでありがとう賞だと、本質が未だに分からない、中国も韓国もあれだよ。

仏陀は述懐している。私は過去世で馬鹿を放置していたという過ちが有ったと。
    • good
    • 5

>そうですね、例えば、世界的に凄くラディカルな発想をもとに


>世界史その物に多大なインパクトを与えた人

うーん、一つ目として、世界に対して考えると地方なのと小さいという事が上げられると思います
島国で世界の中心の流れから外れてるので、影響は日本国内だけになってしまうんじゃないかなと
土壌というか、地理的条件とかではないかなと

もう一つは科学技術系は影響を残しにくい時代になってきたんじゃないかと
大天才を排出するにはネタが残ってないといけない訳で
アインシュタイン以降は個人でそういう影響は残しにくいんじゃないかなと(芸術系は別ですが)
海外でも今後そういう大天才が出るかというと難しいと思います

出る可能性があるかないかで言えば
根本的な方向転換でも、きちんと論理立てが出来れば普通に認められるような
ただ、日本自体が世界と比べるとマイナーなので、日本国内でのみの活動でとなると、それは無理な気がします
    • good
    • 3

そうですね、突出した能力のある天才は日本では生きにくいかもしれません。


でも、じゃあどの国なら生きやすく才能を発揮し生きられるのか・というと答えは容易には出ないと思います。

時代・国を問わず、才能を持って生まれるというのは本人にとって難儀なことであり、天才は常に孤独だと思います。
    • good
    • 3

世界史の流れをダイナミックに変えた人が天才となると


天才とは習慣や常識や定義や学識の「過ちや誤りに気づけた人」ですね。

本質は変わらないのに成長して変態すると天才という定義。

日本人は大天才とまで言わなくても賢者は沢山いるはずですよ。
お約束というか、挨拶みたいなもんで、
しょっちゅう自らの過ちを認め(させよう)としますから。
三島由紀夫さんぐらい賢くてもすべった感がしますが、
先人の屍を超えて続く天才の義務は、変態が普通になること!?
    • good
    • 9

wikiによると、ハジメちゃんが世界一だと書いてあるけどね。

それにママのやさしさも天才的ですね。
    • good
    • 7

日本人ではなくて、天才はニュートンとマイケル・ファラデーと、この二人しか居りません。


分かれば分かる事です。
    • good
    • 5

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す