アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

『「見る・見せる・見させる」などの動詞について 』の続編です。
その前に訂正です。前の質問で「似る」「寝る」は他動詞です。と言いましたが、これは「自動詞」の
間違いでした。また、他動詞で「上一段活用」をするものは全く少数でした。したがって「見せる」「着せる」「浴びせる」のようなものがみつからなかったはずです。

 さて今回の質問はタイトルどおり、「~せて/させて(ください/ほしい)」の形にして不自然な動詞は?ですが、詳しく言いますと、使役の助動詞を使って相手の許可を得る言い方が、上記の形です。使役の意味には「強制的に~させる」がありますが、もう一つの意味が「許可」をえたり、「放任」の状態にしてもらうことです。この場合は許可を得る言い方です。許可を得ようとしているのは「 私」で、許可を与えるのは相手です。例を挙げます。
 「飲ませてください」飲むのは私で、飲ませるのは相手です。必要に応じて「酒を」「私に」などの言葉を入れて考えてください。(別に入れなくてもかまいません)
 この例は、普通の使い方ですが、質問は「~させてください」と言って不自然な言い方になる例を挙げてください、と言うことです。できるだけ多くお願いします。

質問者からの補足コメント

  • >『質問は「~させてください」と言って不自然な言い方になる例を挙げてください、と言うことです。』とおっしゃるのは、言ってみればアンケート的なご質問と考えて宜しいのでしょうか。

    はい、そうです。「~させてください」と「~させていただく」では、かなり違いがあると思っています。話は「~させていただく」にも及ぶと思いますが、前提としてまず、「~させてください」に
    ついて質問しました。

      補足日時:2015/12/08 23:43
  • 皆さんへ。出来るだけ語法的に成り立ちにくい例を挙げてほしいのですが。状況から考えて言われるはずがないというのではなくて。よろしくお願いします。

      補足日時:2015/12/09 15:40
  • >何かひとつ例を挙げられてみてはいかがでしょうか。
    たとえば、「吹く」という動詞には他動詞と自動詞があります。他動詞「笛を吹く」、自動詞「風が吹く」他動詞の方は「笛を吹かせて」のように問題なく成立しますが、自動詞の「吹く」は「風を?吹かせて」のように形を為しません。あるいは、自動詞にそういう傾向があるかも知れません。勿論全部ではありません。

      補足日時:2015/12/09 20:22
  • 「~せて/させて(ください/ほしい)」と、許可を求めるのは、別の言い方をすれば、「~してもよろしいでしょうか」と同じ意味になると思います。
     「笛を吹かせてください」は「笛を吹いてもよろしいでしょうか」と言い換えられます。
     許可を得たい人と、許可を求められる立場の人がいれば、成り立つ関係です。「笛」のような小道具(時には大道具)が必要なことはあります。

      補足日時:2015/12/10 12:16
  • だんだん分かってきました。自動詞にも関係あるかも知れませんが、「意志動詞」と「無意志」動詞の問題かも知れません。例「落ちさせて」

      補足日時:2015/12/10 15:11
  • どう思う?

    hakobuluさんへ
     回答者が質問し、質問者が答えるという図式は、ここではふさわしくないし、お互い相手を納得させることは出来ないように思います。質問に答えるのにやぶさかではありませんが、この議論は打ち切った方がよさそうです。そのうちこの質問も締め切りたいと思います。こんなやり取りが出来るのも、「goo」の好もしい特徴なのですが。

      補足日時:2015/12/13 00:32

A 回答 (21件中1~10件)

「出る」はどうでしょうか。



「でさせる」は普通「だす」と言うと思います。

例:「役者が映画にでる。」に対して、
・監督が役者を映画にでさせる/だす。

※「でさせる」も「ださせる」も漢字で書くと「出させる」なのでややこしいですね。今回は「出(で)させる」について述べています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わたしの質問にストーレートにお答えくださり、ありがとうございます。
>「出る」はどうでしょうか。

 「(映画に)出(で)させてください」 これは許可を求める役者がいう言葉と受け取っておきます。「出る」は自動詞ですね。これに対して他動詞の「出す」を使って
 「(映画に)出してください」というのが普通ではないか、ということですね。
以上、一つの回答として受け取っておきます。ありがとうございました。
   …………………………………………………………………………
 以下のことは、それについての感想ですから、あまり気にしないでください。
役者が、キャスティングをする立場の人に向かって、私が出たいと思ったときにいうのは「私を使ってください」という言うんじゃないでしょうか。あるいは「出演させてください」かも知れません。ここでの質問は、「~せて/させて(ください)」の形なので、
 「出させてください」が不自然なら、「出演させてください」と言葉を変えるのがいいでしょうね。

お礼日時:2015/12/12 12:43

#20です。



>私が「びっくり仰天した」のは、「専門家」と言われる人が、「~せて(~させて)いただきます」という表現を「下のものが、上のものにいう言葉ではない」といってる点です。

なるほど。
素晴らしくて「びっくり仰天した」のかと勘違いしてしまったようで、どうも失礼しました。
「いただく」と「くださる」いついては、改めてということで。
    • good
    • 0

#17です。



>ぜひご覧ください

とのことでしたので、有り難く拝見しました。
なかなか面白い記述ですね。
わたしが#3で述べていること(下記)を少し展開すればこうなるでしょう。
『たしかに「~させてください」にも、適切な場合と,余り適切だとは言えない場合とがありそうですね。
たくさんの事例が想定できると思いますが、<敬語の指針>の表現を若干脚色して表現するなら、「相手側又は第三者の許可を受けて行うのが不自然,あるいは、相手側又は第三者の許可を受けたものと想定して行なうのが不自然な場合。」とでもなるでしょうか。』

別に目新しい発見があるとも思われない上に、ほにゃららが多すぎますね。
どんな点に
>読んでいる内にびっくり仰天

されたのですか?
この筆者は、単に自分が不自然だと思う事例について述べているだけじゃないんですかね。
逆の場合もある、という点に関しての考察が一切ないのは、どうなんでしょう。
自分の視点についてしか述べていない、極めて近視眼的な論述だと思います。
OKAT さんが同感だと言いたいなら、それはご自由ですが、果たしてそれで良いのか・・・。一度だけ疑問を呈させていただきましょう。
「○○させていただきます」には2種類の使い方があるでしょう。
ひとつは「謙譲」、もうひとつは、謙譲を隠れ蓑にした「強引さ」です。
この筆者は、話者が後者の意味で使った、という認識しかしていないのでしょう。
また、実際にそうだったのかもしれませんが、それは彼個人の事情ですから、それを国語全般の問題として論じるのはいかがなものかと。

【させていただきます】
本文の記事に沿って、もう少し詳しく見てみましょう。
1.
>当社に求職してきた応募者が履歴書に添えた文章ですが、ご丁寧に、「履歴書を送付させていただきますのでよろしく・・・・」と書かれてありました。この場合「履歴書を送付致しますので・・・・」という「する」の謙譲語の方が適切でないかと思ったりします。皆さんはどう思いますか?

これは、受け取った担当者の主観次第で、どちらにも解釈できるはずです。
a.「自分の立場を理解しておるな、感心、感心」⇒応募者から軽視される可能性ゼロの大企業の人事部などが典型例ですかね。
b.「謙譲表現を使って、自分の都合で勝手に辞めるという強引さを隠そうとしているな。そんな強引さが通用すると甘く見ているんだろう」⇒自らも自分の会社に自信を持っていない零細企業の担当者。
このように、両方の解釈ができるわけですから、「送付させていただきます」という表現の問題ではなく、受け止める側の問題にすぎない。

2.
>敬語の表現との関係表題の表現は、相手を敬う、「敬語」な訳ですが、敬語の使い方によっては、相手に失礼な表現となることもあります。かつて、「今月末をもって退職させていただきます」と退職願を示した者がいましたがあきれて何も言えませんでした。

これも両方の解釈が可能でしょう。
a.「忙しいのに退職するのは心苦しいと思っているようだな。あくまで会社の許しを得たと想定した上で、つまり、本来は会社の許可無く辞めるなど大それたことなのだが、せめて、そういう想定で退職させてほしい、という心情を表現したのだろう」⇒部下に対して常に適切な指導を行ない、面倒見の良かった上司の感想。
b.「なんで使役形を使うんだ。まるで、こっちがいじめて無理やり辞めるようにしたとでも言いたげな表現じゃないか。謙譲表現の形にしたからといって、そんな一方的な強引さが許されると思っているのか」⇒サービス残業・恫喝・安月給・有給なしで、こき使ってきたブラックな会社の人事担当者は、そうした引け目があるため、このように感じる可能性大でしょう。
こうした近視眼的な解釈しかできないため、
>上の退職願のケースで云えば、年下の人が年上の人に謙譲語を使うのは失礼です。 

などというとんでもないことまで言うようになってしまうわけです。
こういう方は、たとえ尊敬語を使われたとしても、「慇懃無礼になるから、年下の人が年上の人に尊敬語を使うのは失礼です。」などと言い出す可能性がありますね。
素直に尊敬と受け止めることができない要素が本人にあるのかもしれない、という前提条件が発生している可能性もある、という点に留意すると良いのでしょう。
全く受け止め方次第だと思います。
もっとも、こうしたマイナスの環境が社会に蔓延していることも思えば、敬語さえも、そうした裏の意味にしか解釈できなくなっているという実態があるのかもしれません。
しかし、それは敬語なり使役形の責任ではありませんから、そこは混同しないほうがよろしいでしょう。
まあ、
>大体において、年下の人が年上の人に対し、強い意思を表すケースは、限られています。年上の人に対し、強い意思を表すことは、時に「要求、強い要望」に変わります。従ってこの表現は、年上の人が年下の人に使うのが順当と考えるべきでしょう。
この場合、年上の人=権力をもつ人、年下=権力下にある人に置き換えることができます。

というのが固定観念のようですから、致し方ない部分もあるのでしょうね。

3.
>『させていただきます』
>つまり、「する」「もらう」の動詞が原形で、「する」の使役形を用いて、「もらう」の謙譲表現「いただく」を結びつけ「相手がしてほしいと望むのでしからば、自分が進んでしあげよう」という意味になった。しかし、この本来の表現が、いつの間にか、相手が望まなくても自分勝手にしてあげよう、という表現をとるに至ったのです。

一見、もっともらしいですが、では、
【「する」の使役形を用いて、「もらう」の謙譲表現「いただく」を結びつけ】ることが、なぜ、
【「相手がしてほしいと望むのでしからば、自分が進んでしあげよう」という意味になった。】のか?
この点についての論理はおかしいと思いませんか?
この方の論理でいくと、
「コピーさせていただきます」は、
「相手がコピーしてほしいと望むのでしたらば、自分が進んでコピーしてあげよう」という意味になります。
しかし、相手は別にコピーしてほしいと望んでいるわけじゃありませんから、論理のすり替えじゃありませんか。
しかも、「(コピーさせて)いただく(もらう)」の主体は話者に決まってますよね。
「もらう」の主体である話者が「望む」というならわかりますが、【相手がしてほしいと望むのでしたらば】という解釈が文法的にできる根拠はどこにもないでしょう?(これは「文法的忌み」と題された項目の記述です)

4.
>担当者が融資先であるお客に、「この案件は、融資させていただきます」と間違って言ったりする訳です。本人は、丁寧語のつもりで表現したつもりでしょうが、聞いた人は、違和感を感じる。銀行の取り引きは本来平等の立場であり、上下関係、権力関係がないにもかかわらず、この表現は権力をもつ人、目上の人が、権力のもたない人、目下の人に対して用いるものだからです。

これもおかしいと思いませんか。
融資する銀行が融資先の企業より権力を持っているのは当たり前のことじゃないですかね。
ですから、そう言った担当者は、極めて正直な人だったわけです。
ただ、なんども言いたくないのですが、この表現には、「謙譲」と、謙譲を隠れ蓑にした「強引さ」という両方の意味があるわけですから、こうした弱い立場の人間に使えば、後者の意味に解釈されてしまう可能性は高いわけです。
なので、『相手側又は第三者の許可を受けたものと想定して行なうのが不自然な場合。』と判断するのが妥当なのですが、(正直者ではあるが)それができなかった、というだけの話にすぎません。
【この表現は権力をもつ人、目上の人が、権力のもたない人、目下の人に対して用いるものだから】ではないのです。

5.
>この表現は「強い意志」を表すとされています。例えば、「私が行かせていただきます」といえば、「私が行きます」という強い意志を含んだ表現。さらに大きな声で強く言えば「どんなことがあっても、誰が反対しても私は行くんだぞ」という内容になります。

「私が行きます」と言っても同じことでしょう。
さらに、大きな声で言えば、なんだってそうなる。

6.
以下、同じような記述が続くので端折りますが、最後の一例については触れておきましょう。

>日本人がタイに観光に来て、日本語の流暢なガイドに出会いました。「今日、皆さんのガイドをさせていただきますソムチャイです。どうぞよろしく」と。ガイドの立場でさせていただく」ということは敬語の表現から考えると適切でないと思うのは私だけでしょうか?(へたなガイドでも最後まで自分がするからな、と聞こえる)

お客という、もちあげなければならない人に対して、この表現は不適切、自分が立場上、下にいるにも限らず使用しているからです。やはり、この際の表現は「今日、皆さんのガイドを致しますソムチャイです」が適切でしょう。

「今日、皆さんのガイドをさせていただきますソムチャイです。どうぞよろしく」
個人的には、極めて素晴らしい日本語だと思いますけどね。
というのは、私は、今、非常ににこやかな表情をした美人の利発そうなガイドさんを想定したのです。
しかし、いかにも意地の悪くてずる賢そうな表情のガイドが面倒くさそうに、こう言ったら、たぶん、この筆者と同じ印象を受けることでしょう。
つまり、この場合でも、やはり受け止める側の印象によって意味が異なってくるだけであり、【させていただきます】という表現自体には何の関係もない、ということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私が「びっくり仰天した」のは、「専門家」と言われる人が、「~せて(~させて)いただきます」という表現を「下のものが、上のものにいう言葉ではない」といってる点です。

>「今月末をもって退職させていただきます」と退職願を示した者がいましたがあきれて何も言えませんでした。
>上の退職願のケースで云えば、年下の人が年上の人に謙譲語を使うのは失礼です。
> 敬語の表現法を学ぶため本屋へ行って本を探してみましたが、具体的な敬語の表現例について説明した本は見つかりませんでした。『敬語総論』といったタイトルの本があれば教えてほしいものです。日本語の乱れが激しい、という声を聞くにつけ、残念でなりません。しかし、
>「させて」は「する」の使役形に接続助詞「て」を付加したもの。「いただきます」は、もちろん「ます」の謙譲形です。この二つの動詞が結びついて、複合動詞となり特別の意味を持つ言葉を形成しています。つまり、「する」「もらう」の動詞が原形で、「する」の使役形を用いて、「もらう」の謙譲表現「いただく」を結びつけ「相手がしてほしいと望むのでしからば、自分が進んでしあげよう」という意味になった。しかし、この本来の表現が、いつの間にか、相手が望まなくても自分勝手にしてあげよう、という表現をとるに至ったのです。
>この表現は「強い意志」を表すとされています。例えば、「私が行かせていただきます」といえば、「私が行きます」という強い意志を含んだ表現。さらに大きな声で強く言えば「どんなことがあっても、誰が反対しても私は行くんだぞ」という内容になります。
>大体において、年下の人が年上の人に対し、強い意思を表すケースは、限られています。年上の人に対し、強い意思を表すことは、時に「要求、強い要望」に変わります。従ってこの表現は、年上の人が年下の人に使うのが順当と考えるべきでしょう。
この場合、年上の人=権力をもつ人、年下=権力下にある人に置き換えることができます。

 あまり多いので、これで打ち切りますが、これが「専門家」と言われる人の発言かと、あきれたのです。
 その点で、「敬語の指針」の考え方は、6ページの 『「相互尊重」を基盤とする敬語使用』に書かれているように、上や下という概念を極力避けている点が違います。(お礼欄の制限でこれ以上かけません)

お礼日時:2015/12/14 12:10

No.18でコメントした者です。


 仕切り直しはナシでうか?
 とにかく本題に関係のない部分が多い気がして……。

 えーと。まず下記について。
>ところで、「ください」と「いただく」との比較ですが、正しくは「くださる」と「いただく」を比較するべきです。
 たしかに本来はその形で比較するべきですね。
 そのあたりは、一応理解しているつもりです。下記をご参照ください。
【~いただけますようお願いいたします ?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8908189.html

>http://www.kobayashi.co.th/Kaicho-shitsu/zuihitu …←ここへは直接行けます。
 そこまでお読みになりましたか(笑)。
 そこにコメントが来るのは想定外です。本命は井上明美氏の記事です。
 いま読み直してみましたが。
 かなり……。
 当方のコメント[10]の下記は失言ですね。全然読めていません(泣)。訂正します。
==============引用開始
 リンク先の下記の記述はマトモだと思う。
http://www.kobayashi.co.th/Kaicho-shitsu/zuihitu …

 これを参考にしたはずなのに、なんでこんな訳のわからない文章になるんだろう。
【「させていただきます」の間違いだらけの使い方】
http://blogs.itmedia.co.jp/yoshimasa/2010/08/pos …

〈実はこの「させていただきます」というのは上から目線の言葉だったようです〉って、どうして?
==============引用終了

 ブログ主のコバヤシ氏が〈この表現は権力をもつ人、目上の人が、権力のもたない人、目下の人に対して用いるものだからです〉と書いていますね。そんなことはないでしょう。ブログにも反対意見のコメントが入っています。まあ「実家に帰らせていただきます」「好きにさせていただきます」あたりだと、かなり無礼な言い回しになりますが。
 このかたは一般人のようです。「専門家」はコバヤシ氏のブログに対してメールをくれた人で、この「専門家」の指摘はマトモだと思います。この書き方は信用できるよな気がしないでもありません(超弱気)。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

No.20への「お礼欄」に書いたこともお読みください。
>仕切り直しはナシでうか?
とにかく本題に関係のない部分が多い気がして……。
 だから、困っているのです。質問にまともに答えてくださったのは、No.13の方お一人だけで。実は、私自身「~せて/させて(いただく)」にはあまりいい印象を抱いていません。しかし、それどころではなくて、真っ向から「下のものが上のものに使う使う言葉ではない」という人があったりして、ということは上のものが使う言葉ということになるのか。この「上下」がわたしは嫌いです。外国人向けの敬語を教えるサイトでも、「目上、目下」が出てきます。「たんこぶじゃあるまいし…」そんあ言葉は戦前のものでしょう。昔は「階級差」や「長幼の序」がありましたが、敬語の中にそんなものが今に持ち越されて、それが敬語を支え続けているのかと思うと、馬鹿らしくなります。その点、別のところにも書きましたが「敬語の指針」の、
『「基本的に平等な人格を互いに認め合う」あるいは「人と人が相互に尊重し合う人間関係」とは,人が社会の中でそれぞれに持つ様々な立場や役割の違いの存在を無視して言うものではない。年齢の違い,経験・知識・能力などの違い,あるいは社会集団の中での立場の違い(例えば,先輩と後輩,教える側と教えられる側,恩恵や利益を与える側と受ける側など)や階層(例えば,会社の中の職階)などが存在することを前提とした上で,さらに,これらに基づいた様々な「上下」の関係が意識されるものであることを前提とした上で,人と人が互いに認め合い,互いに尊重し合う関係に立つことを,ここでは「相互尊重」と呼んでいる。「相互尊重」とは,年上の人,先輩,上司,教えてくれる人などに対して,年下の人,後輩,部下,教えてもらう側の人が,敬いやへりくだりの気持ちを持つ場合だけでなく,逆に,年下の人に対して年上の人が,後輩に対して先輩が,部下に対して上司が,教えてもらう側に対して教える側が,それぞれ,相手の立場や状況を理解したり配慮したりする場合をも合わせたとらえ方である。』には強い共感を覚えます。

お礼日時:2015/12/14 12:44

No.16でコメントした者です。


 やはり仕切り直しをオススメします。
 本題とかけ離れたやり取りが多すぎて、解読が困難です。

>そこで、「許可を得る」とはどの表現によって言えるのか、「恩恵を受ける」とはどういうことなのか、皆さんのお考えから探ってみたかったのです。

>少し時代を経て、皆さんの意識がどの程度変わっているのか

 そういうことでしたか。
 だとすると、当方はあまりお役に立てないようです。
 当方の考えは基本的に先の質問のときとかわっていません。
 
 ……で終わるのもアンマリなので、少しでも役立ちそうな情報を。
 以前見た記事のリンクが切れていて、ちょっと手間取りました。
 下記の記事は一読の価値があると思います。
【「~させていただきます」この使い方って間違い?】
http://allabout.co.jp/gm/gc/395394/
 詳しくは下記をご参照ください。
【「~させていただきます」の正しい使い方】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12105786722.html

 さらに、当方がテーマにしている「拝見させていただきます」に関して、最近新しい発見がありました。今回の質問があえて「~せて/させて(ください)」の形だったので、関係あるかと思いましたが、たぶん関係ありませんね。
「〜いただきます」「〜いただきたい」「〜ください」では微妙な違いがあるようです。
【拝見させていただきます 拝見させていただきたい 拝見させてください】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12105560745.html

 さらにこれは近く再度まとめようと思いますが、
1)拝見させていただきます 
2)拝読させていただきます 
3)拝借させていただきます
 のうち、3)だけはちょっと問題がある表現のようです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たいへんなものを紹介してくださいましたね。というのはリンクをたどっている内に、次のようなものがありました。http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=71602710&comment_c …
  この中の [10]
 http://www.kobayashi.co.th/Kaicho-shitsu/zuihitu … ←ここへは直接行けます。

 専門家の御意見ということでしたが、読んでいる内にびっくり仰天。意見が対立しがちな hakobuluさんも是非お読みください。
 ところで、「ください」と「いただく」との比較ですが、正しくは「くださる」と「いただく」を比較するべきです。
「今朝早く、お医者さんが来てくださった」「今朝早く、お医者さんに来ていただいた」を比較するとどういう違いがあるか、ということを書いているサイトがありました。(その筆者の感想は省略します)
「見せてくださいました」「見せていただきました」「拝見させてくださいました」「拝見させていただきました」このような比較はかんたんです。しかし、これが相手への依頼・要望や許可を得る時になると「ください」という命令形が登場します。そのことは敬語ではない「くれる」と「もらう」の比較でも同様で、「くれ」という命令形は使われるが、「もらえ」という命令形が使われる状況はあまりありません。
 「助けてくれ(ください)」はあっても、「助けてもらえ(いただけ)」は他人ごとです。これはどうでもいい話で、日本人の「命令形」嫌いは有名で、そのことが「ください」より「いただく」を多用する原因だろうと思います。
 この話の前に話題にした「専門家」のご意見は「~させていただきます」は「上から目線」なので「下」の人が「上」の人に使ってはいけないということでした。では何といえばいいかというと、「~させてください」ではなくて「~いたします」を使えといっています。「本日は休業させていただきます」→「本日は休業いたします」
 「ください」が使われなくなったもう一つの理由は、「慣れ」でしょう。学校などで「書いてください」「並んでください」「書きなさい」「並びなさい」のように多用された結果、近世末期から重要な尊敬動詞(補助動詞)であった「くださる」「なさる」に慣らされました。

お礼日時:2015/12/13 20:49

#15です。



補足拝見しました。
>質問に答えるのにやぶさかではありませんが、この議論は打ち切った方がよさそうです。

了解いたしました。
質疑の舵取り、つまり司会役は質問者なので、終了のタイミングは質問者に委ねられていると考えています。

> 回答者が質問し、質問者が答えるという図式は、ここではふさわしくないし、

その理由はわかりませんが、そんなことは全くないと個人的には考えます。
回答者という立場ではありますが、むしろ、質問者・回答者の応答の中で、なんらかの形が明らかになっていく過程。
文字によるコミニュヶーションは口頭でのそれより難しいものですが、それを補う意味でも、むしろ必須でしょう。
これをできるのが goo の良い点だと常々思っています。
揉まれる中で、より良いものが結果的に生じていく、という形。
回答者としては無責任のそしりを受けるかもしれませんが、言いっ放しで納得したような気にさせられるしかない他のサイトよりは結果的に好ましいでしょう。
その意味で、論理的に、つまり感情的にならずに論議できる方であれば、なるべく多くの方の意見を伺いたいものだという気がします。
私としては、是々非々というスタンスが根幹にあります。間違いは間違いとして素直に認めさせていただきながら、より良いものが紡ぎだされることを期待していきたいと思います。

>お互い相手を納得させることは出来ないように思います。

「見解の相違」と言えるところまで行き着けば、そのようにも言えるでしょう。
そこまで行き着けたという自信が持てるまでは、何とか納得してもらえる表現手段を模索するのが私のスタイル。
つまり、私の表現力不足のために納得させることができない、というパターンをなるべく避けたいということ。
ですので、「あなたが何を言いたいかは良くわかった。しかし、その考え方には同意できない」という段階にまで辿り着けば、そこから先は水掛け論になりますから「見解の相違によって質疑終了」とするのが妥当だろう、というのが私の考え方です。
むろん、相手が感情的な発言しかできなくなった、と判断すれば見解の相違云々以前に終了せざるを得ませんが。
いずれにせよ、「相手を納得させること」と「見解の相違と言える時点に至るまで自分の考えを相手に伝えること」を分けて考えているということ。
むろん、これは単に個人的願望なので無理強いをするつもりはありませんし、必然的にしつこめになってしまうわけなので、質問者のお立場で打ち切ると言われれば、それは質問した方の特権だと思いますし、快く同意いたします。
    • good
    • 0

No.8でコメントした者です。


 No.8で書いたように、質問者のOKATさんがまとめて意見を書くのを待っていました。 
 そんな気配がないことを残念に思います。
 No.11の「お礼」では〈他の人のご意見も聞きたいと思います〉とのことですが、コメント数が伸びていても、「何が論点なのか」「本題とどう関係するのか」当方の読解力ではサッパリわかりません。

【補足欄】の〈だんだん分かってきました。自動詞にも関係あるかも知れませんが、「意志動詞」と「無意志」動詞の問題かも知れません。例「落ちさせて」〉というコメントに期待しましたが、具体的な話がないので残念に思っています。
 このような状況が続くのなら、〈そのうちこの質問も締め切りたい〉とお考えになるのもやむを得ないかと。
 質問に関係することをいろいろ考えたのですが、〈また見当違いのムダな回答をするのはイヤなので〉詳細は控えます。
 一度仕切り直して質問し直してはいかがでしょうか。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

ご期待に反して、まことに申し訳ありません。論点は「コピーを取らせていただきます」のような形の言い方に疑問を抱く人も多いので、その言い方及び、世の人がどういう語感を抱いているのか解明したいと言う点でした。
 そこで、「許可を得る」とはどの表現によって言えるのか、「恩恵を受ける」とはどういうことなのか、皆さんのお考えから探ってみたかったのです。ご記憶にあるとおり、
【心ばかりの物を、お贈りさせていただきます、は?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8472230.html
 の蒸し返しである思います。この質問↑での、No.7の方の回答は、典型的な批判型だと思いました。
 少し時代を経て、皆さんの意識がどの程度変わっているのか、知りたかったということもありました。
>質問に関係することをいろいろ考えたのですが、〈また見当違いのムダな回答をするのはイヤなので〉詳細は控えます。
 無駄ということは多分ありません。No.13のご回答はありがたいものでした。

お礼日時:2015/12/13 13:49

#14です。



> 発表会の席上で、聴衆に向かって「発表させていただきます」と言って、聴衆の許可を得て(あるいは得たと見なして)発表をするのが、この言い方です。発表者が得る恩恵は客観的に見れば、(発表したいう)自己満足だけでしょう。

おそらくですが、「発言者側が得る恩恵」と捉えれば良いのではないかと思います。
端的にお伺いしますが、
「図書館で(生徒に)本を読ませていただきます」
「バーで(皆に)酒を飲ませていただきます」
という表現はできない、というお考えですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「図書館で(生徒に)本を読ませていただきます」
「バーで(皆に)酒を飲ませていただきます」
という表現はできない、というお考えですか?
誰に対して言う言葉か分かりませんが、「図書館の係りの人」や「バーの主人」に言うのなら、「生徒に本を読ませてやってください」「この人たちに酒を飲ませて上げてください」と言います。「いただきます」はふさわしい言い方とは、思いません。

お礼日時:2015/12/13 00:10

#12です。



1.
> 「発表させて」の部分で「相手の許可を得る」。そして「いただきます」の部分で「相手から恩恵をもらう」。そういう言い方であろうと考えています。この点では「発表させてください」も似たところがあり、「発表させて」の部分が「相手の許可を得る」。これは同じ、また「ください」で「相手からの恩恵を受ける」。こう言ってしまうと同じだということになるでしょう。

「発表させて」の部分で「相手の許可」だと思います。
a.「発表させて いただく」で、「相手の許可 を得る」
いただく=自分側の動作
直接的恩恵
b.「発表させて くださる」で、「相手の許可 が出る」
くださる=相手側の動作
間接的恩恵
ということかと思います。

2.
>『「部下が発表することを、あなたが部下に<させる>」という意向を、私は、いただきます』
 もまた、私の頭脳では咀嚼できません。<させる>は使役形ですが、使役の用法に少なくとも二種類あります。
 その一、相手に強制的に何かをさせる 「亀を歩か<せる>」
 その二、相手の意志を生かして、したいようにせせる 許可・放任(この場合、相手にそういう意志があるかどうかはっきりしていなければなりません。相手が「したい」と言っているなら当然意志があると見なされます)

「発表させていただきます」に関しての、
『「部下が発表することを、あなたが部下に<させる>」という意向を、私は、いただきます』
「発表さ(発表する)」⇒部下
「せて(使役 せる)」⇒聞き手
という記述は、次のようなシチュエーションを想定したものです。

部長:「例の結果は君が発表してくれるんだろうね」
課長:「実は、ちょっと風邪をこじらせまして喉の調子が良くないので、部下が発表するのはまずいでしょうか」
部長:「風邪なら仕方ないな。じゃあ、それでもいいよ」
課長:「ありがとうございます。それでは、部下に結果を発表させていただきます。」

この場合、部長は、課長を通して部下に許可を与えることになるわけですが、部下も課長側の人物として発表の意志があるという暗黙の了解が成立している状況だと思います。(部下に発表の意志がなくても、本質的な意味合いに影響はない、ということです)
『「部下が発表することを、あなたが部下に<させる>」という意向を、私は、いただきます』は、
『「部下が発表することを、あなたが部下に(私を通して)<許す>」という意向を、私は、いただきます』のように解釈されても良いかもしれません。

3.
> 「(図書館で)本を読ま<せる>。」(図書館に来たからには、本を読む意志がある) 「バーで酒を飲ま<せる>。」(バーへ入ったからには、飲む意志がある)

(図書館は嫌いらしいが、無理やり本を読ませる) 
(酒が飲めないのに、バーで無理やり飲ませる)
というほかに、こうした意味もある、ということですね。
どちら(強制・意志)の意味の場合もですが、
「図書館で(生徒に)本を読ませていただきます」
「バーで(皆に)酒を飲ませていただきます」
のような第三者介在も可能ですよね。

4.
> 「発表さ<せ>て」と言っている以上、相手が「発表したい」意志があると見なせます。
(どうぞ、発表してくださいと、許可を与えることになります。)
 「犬を歩かせる」の場合、犬を外に出すと喜んで歩きたがります。しかし、それを犬に意志があると考えるのはどうでしょうか。

歩きたがっているので歩かせる、と解釈すれば、「歩きたい=意志」と捉えて良いように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

1. の話はいいとして、2.3.4. については私には私には全く理解出来ません。
 発表会の席上で、聴衆に向かって「発表させていただきます」と言って、聴衆の許可を得て(あるいは得たと見なして)発表をするのが、この言い方です。発表者が得る恩恵は客観的に見れば、(発表したいう)自己満足だけでしょう。
 他の人のご意見も聞きたいと思います。

お礼日時:2015/12/12 23:09

#11です。



>そんなに考えが違うなら、話は続きません。

お怒りはごもっともです。
肝心のところで、とんでもない!!!ポカがありました。
お詫び申し上げます。

Ⅰ.
まず、お詫びに関する要点を述べさせていただきます。
【これは逆のような気がしますね。
「それでは,<発表さ>せていただきます。」
「発表さ(発表する)」⇒聞き手
「せて(使役 せる)」⇒話し手
ではないでしょうか。】という箇所は、全く不要の記述であり、完全に血迷っていました。
『>ここに出て来る動作(< >でくくったもの)は、すべて話し手のものです。その後についた「せる」は聞き手が話し手を使役する形になっています。』とおっしゃる内容で全く正しいのに、このような記述をしてしまいお恥ずかしい限りです。
改めてお詫び申し上げます。
ただ、敢えて言い訳させていただくなら、私としても全く同意見で、
「発表さ(発表する)」⇒話し手
「せて(使役 せる)」⇒聞き手
という解釈であることは、
【「私が発表することを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』
という構図。】
と述べていることからご理解いただきたいと思います。

Ⅱ.
次に、
>「発表させていただきます」と言った人が発表しないで、誰が発表するんですか。

とおっしゃる点については、極めて重要と思いますので、改めて私見の内容をご検討くださればと存じます。
それに先立ち、上記お詫びの要点を踏まえたうえで、#10の内容を書き換えさせていただきます。
お腹立ちが収まりましてからで結構ですので、ご感想などいただけると幸いです。
-------------------------------------------------------------------------------------
1.

「それでは,<発表さ>せていただきます。」
「コピーを<取ら>せていただけますか。」
「本日,<休業さ>せていただきます。」
「私は,新郎と3年間同じクラスで<勉強さ>せていただいた者です。」
「私は,○○高校を<卒業さ>せていただきました。」
ここに出て来る動作(< >でくくったもの)は、すべて話し手のものです。その後についた「せる」は聞き手が話し手を使役する形になっています。

「発表さ(発表する)」⇒話し手
「せて(使役 せる)」⇒聞き手
という構図であるのは、全くおっしゃるとおりと思います。
『「私が発表することを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』
という構図。
ただ、文脈次第では、
『「部下が発表することを、あなたが部下にさせる」という意向を、私は、いただきます』
という意味に使うこともあると思います。
この点に同意していただけるものとして、次の2を述べます。

2.
論点を絞りやすくするため、次の2例のような表現で比較してみたいと思います。

A.「それでは、結果を発表させていただきます。」(課長が部長に)
○(ア)『「私が発表することを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』
「発表さ(発表する)」⇒話し手
「せて(使役 せる)」⇒聞き手
○(イ)『「部下が(部下から)発表することを、あなたが部下にさせる」という意向を、私は、いただきます』
「発表さ(発表する)」⇒部下
「せて(使役 せる)」⇒聞き手

ところが、Bの場合、下でお示しするように、(イ)のパターンを使って(エ)のように表現することはできても、(ア)のパターンを使って(ウ)のように表現することはできません。

B.「じゃあ、子犬を歩かせていただきます」(監督がプロデューサーに)
×(ウ)『「私が歩くことを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』
「歩か(歩く)」⇒話し手
「せて(使役 せる)」⇒聞き手
○(エ)『子犬が歩くことを、あなたが子犬にさせる」という意向を、私は、いただきます』
「歩か(歩く)」⇒子犬
「せて(使役 せる)」⇒聞き手

なぜかと言えば、
○(ア)『「私が発表することを、あなたが私にさせる」が成立するのは、
A.「それでは、(私が)結果を発表させていただきます。」という文の「発表する」は他動詞であるため、「私」が「発表する」の動作主になれるからでしょう。
一方、
×(ウ)『「私が歩くことを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』が成立しないのは、
B.「じゃあ、(私が)子犬を歩かせていただきます」という文の「歩く」は自動詞であるため、「歩く」の動作主はあくまで「子犬」であって、「私」は「歩かせる」という使役動作の主体にはなり得ても、「歩く」という動作の主体にはなれないからだと思います。
しかし、
(イ)部下
(エ)子犬
の対応パターンは、どちらの場合も「私」は「いただく」主体ではあるが、「発表する」「歩く」主体ではありません。
そのため、
B.「じゃあ、子犬を歩かせていただきます」
という使役形が、
A.「それでは、(部下が / 部下から)結果を発表させていただきます。」といった使役形にも対応するのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

いや、怒ったわけではありません。嘆いたのは事実ですが。
>『「私が発表することを、あなたが私にさせる」という意向を、私は、いただきます』

 私はこの説明がよく分かりません。私の考え方を述べて起きます。
 「発表させて」の部分で「相手の許可を得る」。そして「いただきます」の部分で「相手から恩恵をもらう」。そういう言い方であろうと考えています。この点では「発表させてください」も似たところがあり、「発表させて」の部分が「相手の許可を得る」。これは同じ、また「ください」で「相手からの恩恵を受ける」。こう言ってしまうと同じだということになるでしょう。
 ところが人間の「語感」は不思議なところがあり、いろいろなサイトで「くださる」と「いただく」の比較をしています。原型に戻せば「くれる」と「もらう」の差なのですが。 この点については、皆さんの語感をお聞きしたいので、私の意見は後回しにしましょう。

 さて、おなじように、
>『「部下が発表することを、あなたが部下に<させる>」という意向を、私は、いただきます』
 もまた、私の頭脳では咀嚼できません。<させる>は使役形ですが、使役の用法に少なくとも二種類あります。
 その一、相手に強制的に何かをさせる 「亀を歩か<せる>」
 その二、相手の意志を生かして、したいようにせせる 許可・放任(この場合、相手にそういう意志があるかどうかはっきりしていなければなりません。相手が「したい」と言っているなら当然意志があると見なされます)
 「(図書館で)本を読ま<せる>。」(図書館に来たからには、本を読む意志がある) 「バーで酒を飲ま<せる>。」(バーへ入ったからには、飲む意志がある)

 「発表さ<せ>て」と言っている以上、相手が「発表したい」意志があると見なせます。
(どうぞ、発表してくださいと、許可を与えることになります。)
 「犬を歩かせる」の場合、犬を外に出すと喜んで歩きたがります。しかし、それを犬に意志があると考えるのはどうでしょうか。

お礼日時:2015/12/12 14:14

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!