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そして マチガイを自分で指摘しほかの人間もが指摘するのが 対話というものでは
ないだろうか。

もし指摘しないなら・あるいは相手の機嫌をうかがい気持ちに配慮して遠回しに言う
なら それは 相手を劣った人間だと決めつけていることではないか?

互いに対等でそれぞれ自由な存在であるなら マチガイもよきこともいづれもスバリ
表現して伝え合うのが ふつうではないか?

A 回答 (6件)

あなたはとても純粋で羨ましくなります。


間違いを指摘しないのは、それほど相手のことに関心を持っていないからです。
大体間違いを指摘するという行為は、相手の成長を願う気持の現れです。それほど関心のない相手であれば、どのような間違った考えや知識を持っていようと、自分にかかかわりの無い相手だと切り捨てます。それほど暇ではないし、また万人に関心が持てるほど人間が出来ていないということもありますが・・・。
決して劣った人間だと決めつけている訳ではありません。ただそれだけの相手だと思い込んでしまっているだけです。そうですね、面倒を避ける世渡りかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 間違いを指摘しないのは、それほど相手のことに関心を持っていないから
です。
☆ もし蛸壺の中にすすんで閉じ籠ろうとする原理原則の主義主張でないなら
そのほうが 《純粋》なんぢゃないだろうか。

★ 大体間違いを指摘するという行為は、相手の成長を願う気持の現れです。
☆ 説教口調をつづけますが これは はっきりとその基礎を見ていなければ
ならない。基礎のことに触れなければいけない。

おのれが そういうふうにして――いわゆる自己批判を繰り返して――《成長》
して来たからには そのささやかな自己表現をまづ 相手にもおこなう。

それが なお間違っているおそれがあるからだし(つまりは 永遠に自己批判
の連続)また 相手も同じふつうの人間だと思うから。

世の中で互いに共に生きていることに違いないはずだから。

★ 決して劣った人間だと決めつけている訳ではありません。ただそれだけの
相手だと思い込んでしまっているだけです。そうですね、面倒を避ける世渡り
かもしれません。
☆ まとまった命題(判断であり思想)だと思います。

まぁ でもやっぱし あいつはおれより より少なくかしこいとは思っている
んでしょうね。

そういう小賢しさは わたしは気に喰わんとはっきりさせたい人間です。

お礼日時:2016/01/11 08:00

私は地球全員に言う。


対象の好き好みで言を選んではならない。
馬鹿も知者も言を知っている。
言を選べ。人を選んではならない。
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この回答へのお礼

《バカ》という言葉が多すぎる。

ご回答をありがとう。

お礼日時:2016/01/10 21:13

それ以前に、「間違った」という断定自体が間違ってないだろうか、という検証を自ら行なってみる、という謙虚さも必要になるような気がしますね。


マチガッタとは殆ど言わない方が、このように言う場合が案外多いのも面白い現象だと思います。

こうした前提の上であれば、
>もし指摘しないなら・あるいは相手の機嫌をうかがい気持ちに配慮して遠回しに言う
なら それは 相手を劣った人間だと決めつけていることではないか?

全く同感です。さらに、
>互いに対等でそれぞれ自由な存在であるなら マチガイもよきこともいづれもスバリ
表現して伝え合うのが ふつうではないか?

とおっしゃるのも、全くそのとおりでしょう。
まあ、しかし、各人のスタイルですから、最終的には「見解の相違」になる可能性もある点は押さえておかないと疲れますよ。
あまり目くじらを立てても仕方ないような気はしますね。
本題に集中するのが得策でしょう。
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この回答へのお礼

★ それ以前に、「間違った」という断定自体が間違ってないだろうか、という検証を
自ら行なってみる
☆ これは 既に済んでいるという前提でのお話です。なぜなら このマチガイの認識
はあくまで自認によるものだからです。

間違いを指摘するばあいも 同じくあくまで主観としての判断であり伝達です。

だからこそ 互いに自由に批判しあって行けるということ。ぎゃくに言えば 批判し合
わないなら 互いに〔かまたは一方だけが〕 相手をうたがっている。つまり 相手を
劣った人間だと思っているということに ほとんどそのまま通じることになるからです。

おっと まづはご回答をありがとうございます。

次のご発言は ちょっとしたおどろきですね。
先ほどの《指摘しないなら 相手を劣った者として扱っている》という見方には:
★ 全く同感です。
☆ なんですね。これは 近年めづらしく見解が一致したようでもあります。

★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さらに、
>互いに対等でそれぞれ自由な存在であるなら マチガイもよきこともいづれもスバリ
表現して伝え合うのが ふつうではないか?

とおっしゃるのも、全くそのとおりでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 恐れ入りました。ズバリが わたしが間違えて スバリと成ってしまいま
したが。

★ ~~~~~~~~~~~~~
まあ、しかし、各人のスタイルですから、最終的には「見解の相違」になる可能性もあ
る点は押さえておかないと疲れますよ。
あまり目くじらを立てても仕方ないような気はしますね。
本題に集中するのが得策でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この問題は №2などでも出ました。でも いちばんの問題は アメリカや中国な
どを国ごと変えてやるといった方向にすすむのが おそらく自然な流れなのではないか
とは思っています。

お礼日時:2016/01/10 18:43

あなたの弁は正しい。


私は実際は向き合って指摘するということは、親しい者にしかしない。
そのときは厳しく物言う。間違えたときは、その場で、後に訂正する。
親しくない者には物言わない。執拗にいじめられたり、殴られたり、殺されたりする危険が大いにあるから。
やっかいだよ、年齢関係なくきちがいと馬鹿は。
きちがいと馬鹿同士が間違いを指摘しあうのか。
これだけにしなさい。"犯罪は割に合わないからやめなさい"。
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この回答へのお礼

そうですか。危険ですか。

そうですね。つまり これは 哲学の問題として取り上げています。

ということは 確かに方針として決まれば いつでも・どこでも・誰にでも
間違いを指摘するし 指摘し合うことになるのではありますが。

いちばんの問題は マチガイを自分のにしろ相手のにしろ見過ごしたりまた
さぞ遠回しにものを言ったりするならそれは ひとを劣った者として扱って
いる。そういうことになるのではないか です。

言いかえると これを見過ごすと ますます人間は危険な動物になってしま
うのではないか。そういう問題を孕むのではないか。と考えるのですがどう
でしょう。

ご回答をありがとうございます。

今回のご投稿は やさしい内容でしたね。
ただし まだまだきちがいとバカは相変わらず出て来ますね。
わたしも使いますから 何とも言えませんが まぁ 徐々に無くしていった
ほうがよいかとは思っています。

お礼日時:2016/01/09 14:51

間違ったなら間違えましたと言うのが ふつうではないか


    ↑
間違えた相手に対して、それは間違いだ、と
指摘するのが普通だ、ということですね?

善悪はともかく、普通では無いと思います。
日本では、たとえ間違いがあっても、相手に対して
ズバリ指摘しないのが、普通でしょう。
善悪は別ですよ。


マチガイを自分で指摘しほかの人間もが指摘するのが
 対話というものでは ないだろうか。
     ↑
お互いに指摘し合うということですね。


もし指摘しないなら・あるいは相手の機嫌をうかがい気持ちに配慮して
遠回しに言うなら それは 相手を劣った人間だと
決めつけていることではないか?
   ↑
そうとも言えません。
特に、日本人は相手を不快にさせないよう気配りを
する民族です。
また、和を大切にしますので、人間関係を壊すまい
との配慮で指摘しない、遠回しに、ということが
やられるのが多いと思います。


互いに対等でそれぞれ自由な存在であるなら マチガイも
よきこともいづれもスバリ
表現して伝え合うのが ふつうではないか?
    ↑
内心と外に出す言葉とが常に一致しているとは
限りません。
だから、相手によっては、俺に悪感情を持っているから
だ、と、とる場合も往々にしてあります。
それは普段のつきあいや、その人の性格によります。

また、間違いを認めたら、自分が悪かったことを
認めたことになる。どんな責任をとらされるか
判らない、という場合もあります。
だから、競争が厳しい米国や中国では、滅多に
間違いを認めたりしません。
人の間違いを指摘したら、ケンカになる場合も
多いです。

このように、人間は建前と本音に分かれるのです。
人間に表裏がなければ、質問者さんの指摘通りですが、
そんな人は、現実の世界にはおりません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 間違えた相手に対して、それは間違いだ、と指摘するのが普通だ、ということ
ですね?
☆ まづは 間違ったひとが間違えましたと伝えることが来ます。

と同時に そのマチガイに気づいた周りの人も――よほどの事情がないかぎり――
そのマチガイを指摘してやるということも 同じ程度に伴なわれているはずだ。と
いう趣旨です。

すなわち:
★ お互いに指摘し合うということですね。
☆ です。

★ 日本では、たとえ間違いがあっても、相手に対してズバリ指摘しないのが、普
通でしょう。
☆ つまり ズバリでなくても指摘するということですよね。遠回しに言ったりす
るのは 《ふつう》でしょう。日本でも。

★ 特に、日本人は相手を不快にさせないよう気配りをする民族です。
☆ そのことと(つまり その気配りの方面と) マチガイを指摘し合うときに回
りくどく表現するのは相手を劣った者と見なしていることではないかとは 両立し
併存するのでは?

★ ~~~~~~~~~~~~~
また、和を大切にしますので、人間関係を壊すまい
との配慮で指摘しない、遠回しに、ということが
やられるのが多いと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《やられる》というところが分かりませんでしたが そして《遠回しに》はも
う触れたと思いますが 《指摘しない》ということは 稀れだと思います。そうで
はないでしょうか? 単純に言って。

★ 内心と外に出す言葉とが常に一致しているとは限りません。
☆ その問題はすでに前提となっていると思います。前提ないし付帯条件のような
ことだと思います。一致しなくても指摘はするということのはずです。

★ 競争が厳しい米国や中国 / 現実の世界
☆ 百年先・二百年先のそれらの国や現実の世界を見通して考えるのが 哲学では
ないでしょうか。

お礼日時:2016/01/09 06:45

それは、当たり前でしょうね。




でも、最近、特にこうしたQ&Aでは、質問をしその質問にたいして回答をするのですが、自分の意にそぐわなければ受け入れる事のできない人が増えている気がいたします。

残念な事ですが、、、。

質問する意味が無いような気がします。

特に、、、年寄りは。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ご賛同についてもありがとうございます。

たとえば 何も言わなかったとしても そのあとではマチガイがあらたまっていたとすれば
それでいいんですけれどね。

マチガイをみとめないだけではなく 同じマチガイをつづけている場合には困ります。
自分ではそうしないようにと思っていますが。

年寄りに限らないという感触を得ているのですけれど。

お礼日時:2016/01/08 23:26

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