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最近、真田家の話題が多いですが、私も乗ります。
ラジオで次の説明がありました。聞き間違いもあるかと思いますが。
“真田昌幸は、主家が5度(たび)変わったが、彼の方の裏切りによって変わったことは、一度もなかった。”
戦国時代を生き抜くためには、裏切らないことは容易でなかった、と同情します。
しかし、この説明は事実ですか?

A 回答 (3件)

まぁ、基本的に国人勢力なんで配下になるというか、自分たちの盟主を誰にするかといった感じですね。



武田家→武田家が滅亡
織田家→本能寺の変で滝川一益が近畿に戻ったため織田勢力圏外に
上杉、北条、徳川→本能寺の変後の混乱の中、最初上杉の庇護下にあったものの北条、徳川の勢力争いの戦場となりかかったため、攻めて来た方と対立する形で盟主を変えた。

この段階で主家というよりもほぼ独立勢力なわけで。
まぁ、結局表向き臣従だったけど独立勢力として動いていたんで裏切りとはまた違う話かなと思ってます。特に上杉、北条、徳川に関しては。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<盟主を誰にするか>
昌幸の方が選択したのであり、主家が変わったからと言っても、裏切っている、とは彼は思っていないのですね。ただし、秀吉もそれを認めていたのでしょうか?

お礼日時:2016/01/23 17:34

戦国の世の中には裏切りが多数見られます。

しかし、真田一族が生き残るためにはなくてはならない存在がその手法でした。
その他、徳川家康も大きくなるまでに、何度か裏切りをしています。
だから、稀な生き方ではなく、当時としては、生活を守るためには当然の行為だったということです。
生きていくためには仕方のないことだったと言えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<当然の行為>
として、真田昌幸も、他家と同様に裏切ったのですね。

お礼日時:2016/01/25 09:07

ご質問読ませていただきました。



「真田昌幸は、主家が5度(たび)変わった」が、裏切りでしょうか。そうではないと思います。

豊臣秀吉・徳川家康は、策略をろうして「主家」を滅ぼした、これこそが真実の「裏切り者」ではないでしょうか。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<策略をろうして「主家」を滅ぼした>
は裏切りなのですね。しかし、主家が5度変わった(あるいは変えた)位では、裏切りとは言えないのですね。

お礼日時:2016/01/17 21:47

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