たたき台として、以下に私見を述べます。
「人智の及ばぬ自然宇宙の、絶対的摂理の結果として我々は存在している。( A )」
「その摂理に恣意性がないことは明らかなのであるから、我が我として存在している必然性は皆無である( B )」
から導かれる、
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
という真理に気づくことが重要だと思います。
すなわち、
・南京大虐殺
⇒殺されたとされる人数が多すぎる、などという異論を唱えない。
【なぜなら、人数が少なければ良いという問題ではないのだから。】
・慰安婦問題
⇒強制ではなかったとか、少女はいなかった、などという異論を唱えない。
【なぜなら、強制も少女もゼロであったはずはないのだから。】
これら【なぜなら~】という考え方は、
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
という真理に気づくことが無いと、なかなか難しいように思うわけです。
仮に異論を唱えるとしても、あくまで控えめに事実として提示するに留め、口を尖らせて抗弁するようなことは厳に慎むべきである。
とりあえず、このように考えますが諸賢のご見解をお聞かせください。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
No.7です。
やはり短文で、自分の意を伝えるのは難しい。そこで、少し長くなるかもしれませんが、あなたの「仮説」を敷衍(ふえん)する形で、前に書いたことに少し説明を加えてみます。
≪人智の及ばぬ自然宇宙の、絶対的摂理の結果として我々は存在している。・・・ A ≫
≪その摂理に恣意性がないことは明らかなのであるから、我が我として存在している必然性は皆無である。・・・ B ≫
そしてA,Bから導かれる「定理」或いは「命題」として
≪彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない。・・・ C≫
即ち、ぶっちゃけて言えば、
≪我々の運命は、摂理(神、ないし超越的存在の意志として説明されることが多い。)に基づくものであり、そうした摂理は人智の及ぶ所ではない。・・・A~Cのまとめ ≫
ということでしょうか?
一方、太平洋戦争における象徴的事件として、南京大虐殺 と 慰安婦問題 の2つが挙げられ、中・韓がこのふたつを切り札にして、日本を散々責めるので、多くの日本人は辟易し、そんなに責められる謂れはない、といった被害妄想に陥っているようですし、確固とした証拠が見つからないことを理由にして「ねつ造」だと主張する人も多いようです。
しかし、こうした事件を、最短で解決するために必要なのは、どんな方策でしょうか?
南京大虐殺 と 慰安婦問題 は、それが日本によって本当に引き起こされたのかどうか、その規模・程度がどのくらいのものであったのか・・・といった真実は別として、既に、世界中から、史実として既成事実化したものだと思います。つまり、
≪歴史の「真実」(本当に起こったこと)はひとつしかない筈だが、後世の人間(の大多数)がそれをどう捉える(解釈する)かによって、史実は既成事実化される。・・・D ≫
そして、南京大虐殺は、無辜の市民の「大量虐殺」、慰安婦問題 は、「女性に対する虐待」という現代において西欧社会が最も軽侮する事件であり、そのこと自体は、やはり「大量虐殺」であったユダヤ人に対するホロコーストを同様、議論の余地なく、世界中から非難を浴びる内容である。つまり、
≪やった、やらなかった以前に、こうした「人類の敵」に類する行為を憎む、許さない、という意志表示が必要・・・E ≫
そして、
こうした既成事実化された(D)「人類の敵」に類する行為(E)に100%身に覚えがない、と神(超越的存在)のように言い切れない以上、「いや、そんなものはなかった。」とか「日本軍は関与してなかった。」とか「中国/韓国人を虐待するつもりはなかった。」などと言った所で、「狼の遠吠え」であり、言い訳にしか聞こえない、ということなんです。つまり、導き出された結論は、
≪たとえ、その規模や程度が軽微であった(かもしれない)としても、それが100%証明できない以上、既成事実化された(D)「人類の敵」に類する行為(E)について言い訳することは、「火に油を注ぐ」結果になることを良く知る必要がある。・・・F ≫
少し、例を挙げましょう。
1. ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判に立ち会い、「上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまう、悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態である。」とレポート「イェルサレムのアイヒマン」にまとめたが、アイヒマンを極悪人に仕立て上げたい社会は、このアーレントの見解に猛烈なバッシングを加えた。
(参考)映画「ハンナ・アーレント」http://www.cetera.co.jp/h_arendt/introduction.html
2. 朴 裕河(韓国・世宗大学校日本文学科教授、女性)は著書『帝国の慰安婦』で、「元慰安婦たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開」したとして、韓国の裁判にかけられた。これは2014~2015年にかけて韓国で大きな話題となった。
⇒ https://www.facebook.com/notes/705074766186107
私は、別の著書『和解のために』を読んだが、現実的、等身大の慰安婦問題を分析し、その解決を目指した本書は、名著と言えると思う。
しかし、韓国の民間圧力団体である「挺身協」やその意を受けた韓国世論は、少しでも日本を理解しようとするこうした考えをハナから拒絶しているようだ。
この2例のように、一度既成事実化された(D)「人類の敵」に類する行為(E)(ここでは、1.ホロコーストと2.慰安婦問題)については、いかなる言い訳や弁護に対しても、世界中の人々が、もはや「聞く耳」を持たないのです。
そこには、もはや、こうした事件の規模がどのくらいだったか、というグラデーションの大小によって、情状酌量の余地はなく(つまり、程度の問題ではなく)、白か黒かという二元論で、判断される世界しか残されていないのです。
従って、今度こそ最後の結論ですが、
≪こうした問題を早く解決する道は「単純化」つまり白か黒かをはっきりさせ、一旦その裁定が下った以上は、有無を言わず従う・・・G≫
そして、そうした世論の声に言い訳をして抗するのではなく、神の「摂理」として受け入れ、
≪そうした「人類の敵」と見なされた行為を他人事と考えず、我こそ加害者(或いは被害者)であったかもしれない、との当事者意識を持ち・・・C'≫、
≪そうした「人類の敵」と見なされる行為を二度と起こさない、という人類共通の認識を持ち続けることが重要・・・H ≫
だと思うのです。
ご回答ありがとうございます。
>即ち、ぶっちゃけて言えば、
≪我々の運命は、~~・・・A~Cのまとめ ≫
ということでしょうか?
:
少しニュアンスが異なります。
簡潔にまとめるとすれば、次のようになります。
人智の及ばぬ絶対的摂理によって我々が存在するのは明らか(=A=定理=大前提)であるのだから、我が [ 自我的なこの我 ] として存在している必然性は皆無であり、よって、彼は我であったかもしれないこともまた明らかである。
>≪やった、やらなかった以前に、こうした「人類の敵」に類する行為を憎む、許さない、という意志表示が必要・・・E ≫
:
まあ、このあたりまでは日本としても【一応は】やってきていると思うのです。
ただ、それを蒸し返す形の動きが出てきているような場合において、どのように受け止めるべきか、ということについて考えてみたいということです。
>「狼の遠吠え」であり、言い訳にしか聞こえない、ということなんです。
:
おっしゃるとおりと私も思います。
>悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態である。
:
全く同感です。
私の持論のひとつにも次があります。
・世の理不尽の多くは、一人の悪者によって喚起され、多数の愚者によって追随される。
>朴 裕河
:
彼女はプライムニュースで何度か見ました。
現在はどうなっているんでしょうね。スーチーさんの二の舞になるようなことは無いとは思っていますが。
>「挺身協」
:
まあ、韓国版右翼ですから仕方ないといえば仕方ないのでしょう。
>≪そうした「人類の敵」と見なされた行為を他人事と考えず、我こそ加害者(或いは被害者)であったかもしれない、との当事者意識を持ち・・・C'≫、
:
ここは難しいところで、まだ詰め切れていない点なのですが、
「我も被害者であったかもしれない」という視点が、まず必要、と考えている次第。
これを単にヒューマニズムという人間の恣意的な価値観・倫理観で根拠づけるのではなく、あくまで摂理としての真理から、論理的に導かれる命題である、と認識することが重要ではないか、ということです。
No.11
- 回答日時:
NO.10について
断定できないってのは、
A・B・C全部合わせて「断定できない」って意味だから、確かに筋は通ってない。
あと、南京大虐殺も従軍慰安婦問題も立証されていません。
南京大虐殺は、見たという人間が東京裁判で唯一現れただけです。また、それは間違っていたことが判明しています。
南京で中国人捕虜を数万人殺したのは事実で記録に残っていますが、捕虜である以上、当時の国際法にのってれば違法ではありません。ですから虐殺する相手は一般人でなければ虐殺といえませんが、公式な一般人虐殺の記録は日本側・中国側にも残っていません。また南京大虐殺を証明した写真はただの一枚もありません。だからこそ、wikiなどみてもらえたら分かりますが、南京事件は全くなかった、という論者までいるんです。
慰安婦問題も同じです。証言者がいるだけで、日本側、韓国側にもまったく記録が残っていません。簡単なので調べてもらえたら分かりますが、慰安婦がいた、と主張する筆頭の学者ですら、証拠がないことを認めています。あと、証言は証拠じゃありません。
また日本は賠償金を払っていません。これまで日本が払ってきたお金の内容は「売春婦として雇って申し訳ない」という意味での賠償金であり、軍が拉致したことの賠償(慰安婦問題)は一円も払っていないのです。
先般、日本と韓国が慰安婦問題で合意しましたが、あれも同様です。軍が関与して韓国人を売春婦として雇った、これに対する女性人権への賠償であって、無理やり拉致した(従軍慰安婦)の賠償ではないのです。
ありえないと思います、と言っていますが、思うんじゃなくて一度調べたらどうでしょうか。
あったか、なかったか、それは闇の中です。
ただ、確かに立証されていないのは事実です。
ご回答ありがとうございます。
まず、
「虐殺」
・むごたらしい方法で殺すこと。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/54154/meaning/m1u …
という意味であることを確認しておくほうが良いかもしれません。
>南京で中国人捕虜を数万人殺したのは事実で記録に残っていますが、捕虜である以上、当時の国際法にのってれば違法ではありません。ですから虐殺する相手は一般人でなければ虐殺といえません~
:
この認識は2つの観点から間違っているでしょうね。
まず、殺し方の問題があります。
当時日本軍の食料は枯渇しており、捕虜の分まで確保するのが難しく、そのため捕虜を川岸に並べて機銃掃射で大量(数百人単位)に殺戮した、といった複数の証言があるのは定説と思います。
また、南京城内に突入した際、中国軍の兵士が軍服を脱ぎ捨て、民間人に紛れて身分を隠そうとしたのも事実認定されているでしょう。
軍人と判断されて処刑された民間人が多数いたのは、むしろ明らかではないか、と思います。
極めて緩い基準で軍人か否かを見分けたはずがないことは、当時の指揮官などの証言によっても事実と言って良いでしょうから。
>南京事件は全くなかった、という論者までいるんです。
:
戦争なんだからお互い様だという理屈でしょうが、これは違うと思いますね。
わざわざ海を越えて積極的に進軍し、相手の国を戦場として戦ったわけですから、お互い様などというのは詭弁じゃないでしょうか。
なので、最低限、こうしたことは認めなければ論理的な話し合いはできないと思います。
そのうえで、30万人も殺しているはずがない、とおっしゃるなら筋の通った見解と言えるでしょう。
それに対し私は、いやいや、数の問題じゃないだろう、少ないからといって威張ることができるのか? という視点で問うているわけです。
>あったか、なかったか、それは闇の中です。
ただ、確かに立証されていないのは事実です。
:
最初に申し上げたように「虐殺」の定義を考えれば、それは、あったと言わざるを得ないでしょう。
>闇の中
:
であったり、
>立証されていない
:
とすれば、それは単純に人数の問題だけではないですかね。
慰安婦問題については補足欄で述べます。
No.10
- 回答日時:
異論を唱えるにしても〜 とありますので、私なりに控えめに問題点を挙げます
設問に矛盾があり、またごちゃごちゃしています。
①南京も慰安婦も似てるところはあっても、全く別の事件ですから、どちらか一方にしないと方策そのものも説明しづらいです。どちらか一方にすべきかと。
②方策は哲学できないんです。これが矛盾です(質問者さんは「0か100か思考」を哲学しています。そこは正しいんですが、方策の哲学ではありません。そして方策は哲学できないのです)
③例えば南京事件ですが、最初の捉え方を誤解しているので、その後展開がおかしい。
④「人知の及ばぬ〜 は、要は「物事は断言できぬ」ということですが、次の文章と整合性がとれない。すわなち と文章が続きますが「物事は断定できぬ」すなわち「人数が多いか少ないかの問題ではない」では文章がおかしくなります。
つまり「この設問は回答不能である」 公平に見てこれがもっとも適切な回答だと思います。
まあ、これだと味気ないので、何かしら理論的な(哲学的な)ことを申し上げますと、南京大虐殺という事件の捉え方に違和感があります。③ですね。
立証責任を哲学的に(理論的に、でもいいですけど)。
南京大虐殺を人殺しで例える
■ケース①「犯人の特定の理論」
中国「死体はないけど、あなたが犯人ですね?」
日本「え、いや、知りません。何のことでしょう」
中国「じゃあ、殺していないことを証明してください」
日本「え? 誰が死んだんですか? 指紋とかあるんでしょうか?」
中国「いや、殺していないことを証明してください」
日本「あの、具体的にどうすれば……」
中国「殺していないことを証明してください」
理論の追求ですから、まあ、これも一応哲学です。見てわかるように、ないものは証明できない。
■ケース②「犯人の特定の理論」
中国「ここに死体があります、あなたが犯人ですね?」
日本「え、いや、知りません。何のことでしょう」
中国「じゃあ、あなたが殺したことを証明してみせましょう」
これが正しい。
つまり、殺人が発生した場合、立証するのは被害者側です。当然ですよね。証拠(死体がある。犯人の痕跡ある)があるから相手を犯人といえます。それらがない場合、そもそも殺人が起きたかどうかすら分からない。
そして南京大虐殺にしても、慰安婦問題にしても、被害者側があったことを立証していないんです。立証していないものを、あったと言い張り、その解決策と立証責任を日本(この場合犯人と思われる)に投げてる時点でおかしいのです。
歴史問題を立証できていない場合、本来解決が必要ではありません。なぜならばあったかどうかが分からないからです。
哲学的に申し上げますと、以上のことからそもそも歴史問題自体発生していない、とでも言っておきましょう(詭弁かもしれませんが)。
本質的な具体的解決策は、恐らく求められてないと思うので、ここで言うことはさけておきます。
あと、これは嫌味になるかもしれませんが、哲学は理論の追求であって、小難しい言葉を使うことではありません。
ご回答ありがとうございます。
>方策は哲学できないんです。
:
ごもっともです。
「方策」という言葉が良くなかったですかね。
たたき台として明記したのは、「~という真理に気づくことが重要」との私見でしたが、これは、言ってみれば、心構えとか、姿勢といったことになるでしょう。
まあ、しかし、具体的方策があるなら、それも含めて聞いてみたい、ということで方策と表現した次第です。
>「人知の及ばぬ〜 は、要は「物事は断言できぬ」ということですが、次の文章と整合性がとれない。
:
「物事は断言できぬ」⇒断言できぬ結果として「我」があるのであれば、「我が我である」という断言もまたできない⇒よって、「我が彼であったかもしれない」
ということなので整合性は取れています。
「我は我以外のなにものでもない」という断言が一般的である、という実情を背景にしているわけです。
>そして南京大虐殺にしても、慰安婦問題にしても、被害者側があったことを立証していないんです。
:
そうなんですか?
それはあり得ないと思いますがね。
日本も、そんなことは【全く無かった】と言ってるんですか?
つまり、無かったのに言われたから、取りあえず謝罪したし賠償金も払った、ということでしょうか?
いずれにせよ、そういった認識であるなら、これは全く「見解の違い」と言わざるを得ません。
あとは、論理性という観点から第三者に判断を委ねるしか無くなります。
No.8
- 回答日時:
歴史の中のより未熟な時期には
未熟ななりの最先端の主流の考え方の軸が存在して
そこからの派生としての価値観に基づいた行動しかできない。
端的にそういう限界が現実として存在すると思います。
第二次大戦の戦中戦前の国際的な主流の軸として
植民地主義的な考えの影響は甚大だったと思います。
そのことを踏まえた議論がなされているのか
素人的には見当もつきません。
起こってしまった歴史の未熟さによる悲劇に関して
「歴史の宿命的現実を踏まえた議論からの地道な対話」
そういうことが大事なんだろうと思います。
たぶん‘最短‘みたいな気持ちで取り掛かろうとすると
解決から遠ざかるだけなんじゃないかとも思いながら。
なんだか月並みな意見になってしまいましたが、
哲学カフェの雑談程度のレベルとして
とりあえず一言参加します。
ご回答ありがとうございます。
>端的にそういう限界が現実として存在すると思います。
:
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
が真理として無意識的に浸透することで、限界の底上げにつながるように思います。
>植民地主義的な考えの影響は甚大だったと思います。
:
しかし、時代とはいえ 植民地主義 というのも、よくよく考えてみれば、色々な意味でですが奇妙なものですね。
>たぶん‘最短‘みたいな気持ちで取り掛かろうとすると
解決から遠ざかるだけなんじゃないかとも思いながら。
:
いや、ごもっとも。
これは全くおっしゃるとおりです。
>なんだか月並みな意見に
:
とんでもございません。
色々、参考になります。
No.7
- 回答日時:
南京大虐殺 と 慰安婦問題 は、歴史の必然で起こるべくして起きたもの。
今更、そんなものはなかった、と言っても始まらない。欧米の人にとって、戦場での虐殺や、女性の虐待は、そのこと自体、全てにも増して軽侮すべきこと・・・そうした軽侮することの象徴であり、歴史的事実と世界から一旦烙印を押されたものを、後から色々言い出すのは、「歴史修正主義者」と捉えられても仕方がない。
ここは甘んじてそれを認め、ああだ、こうだ、と言い訳しないのが一番では?
以上、過去最短で哲学しました!
No.6
- 回答日時:
そうした国家間の対立は、内政の失政を糊塗するために利用されている
(外敵に目をそらせる)。
しかし一方で、我々の身の回りの衣食住、どれも海外からやって来た
ものばかりだ・・・・我々は分業=助け合っているのだ。
国家間の対立は、そうした国家の枠組みに利権を持つ、政治家や
軍需産業、石油メジャーの利益にこそなれ、一般市民には不利益
以外の何ものももたらさない。
我々が未来に生きる上で、過ぎ去った過去は何の影響もない。
過去の全ては一旦現在に射影され、その後に未来に展開される。
つまり、現在、世界に悪影響を及ぼす国は、過去がどうあれ悪だ。
その逆も真なり。
現在の我々が、いかに人類の未来(平和、幸福)に貢献するか、
具体的に示すだけでいい。
ご回答ありがとうございます。
>そうした国家間の対立は、内政の失政を糊塗するために利用されている
(外敵に目をそらせる)。
:
これはあるでしょうね。
>しかし一方で、我々の身の回りの衣食住、どれも海外からやって来た
ものばかりだ・・・・我々は分業=助け合っているのだ。
:
これは、珍しく矮小化されたご見解のように見受けられます。
経済的因果関係が無ければ、つまり、助け合っていなければ、国家間の対立はあって良いということになってしまいます。
>我々が未来に生きる上で、過ぎ去った過去は何の影響もない。
:
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
としても、そう思えるでしょうか。
つまり、この命題を加害者側として持つのか、被害者側に持たせようとするのか・・。
といったあたりが大事になるような気がするわけです。
>現在の我々が、いかに人類の未来(平和、幸福)に貢献するか、
具体的に示すだけでいい。
:
なるほど。ただ、
>示すだけでいい
:
と納得できるだけの根拠は必要でしょうね。
No.5
- 回答日時:
赤いカラスが存在するか、という命題があったとします。
存在しない、と証明することは困難というか、
まず不可能です。
過去現在未来に生じた、あるいは生じるであろう
カラスすべてを調べなければ、存在しない、なんて
言えないからです。
これに対して、存在すると証明するのは簡単です。
一羽捕らえ、それを調べれば終わりです。
かようにして、存在においては、存在すると主張する側に
立証責任があるのです。
そうでなければ、この世は冤罪だらけになってしまいます。
そして、慰安婦も南京も証明されていません。
証明されていないどころではありません。
否定する証拠ばかりがゴロゴロと出てきます。
しかも、提出された証拠はねつ造ばかり。
ねつ造がばれると、じゃあ次はこれ、とやはりねつ造証拠を
出してくる。
これで、信じろというのは無理でしょう。
南京大虐殺 と 慰安婦問題 を最短で解決するための方策を
哲学してみてください
↑
刑事裁判と同じ手法で、または科学的に調査すれば
答えは出ます。
政治やイデオロギーが絡んでいるので、複雑になって
いるだけです。
ちなみに、南京については、中国政府に申し入れを
したが、必要ないとはねつけられています。
ご回答ありがとうございます。
>慰安婦も南京も証明されていません。
:
そうですね。
たしかに、おっしゃるとおりで【正確には】証明されていないと思います。
全員が強制連行というのも不自然ですし、30万人というのも、多数の証言などから総合的に判断すれば合理性が無いでしょう。
ただですね、わたしが言いたいのは、
「正確ではない」と胸を張って主張すべき問題なのだろうか?
ということなんです。
ヒューマニズムとか相手の身になるとかいった、人間の価値観による判断基準ではなく、
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
という真理に気づいていれば、そんなことはできないのではないか、ということです。
どうでしょうかね。
具体的な方策としては色々あるのだと思います。
だとしても、その交渉する人間の、そして、我々国民の姿勢といいますか、スタンスとして、どうなのか、というところを問いたいわけです。
No.3
- 回答日時:
妥協しないことじゃないですかね・・・
今までの日本政府の対応観てるとそう思います。
なんか、妥協してプラスになったんでしょうか?
今回の韓国との合意も、韓国政府ではなく民間レベルでなんかいろいろ言ってるみたいですし・・・
なし崩し的にまた問題が起きるのではないかと思いますが・・・
ご回答ありがとうございます。
なるほど。
妥協ばかりだと、たしかに、
>なし崩し的にまた問題が起きる
:
かもしれません。
この「問題を起こそう」とする気持ちにならないようにするのが、根本的な解決策ではないか、という気がするんですよね。
そのためには、
「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
という真理に気づくと良いのではないか。
といった問いかけです。
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「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」
という真理に基づけば、それはできないのではないか、ということを申し上げている次第です。