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古文書館に曾祖母の書状が残されていました。
幕末(婚家先からである事情からみて安政~文久のころのものか)に、使いに持たせて親類の家に大急ぎで書き送った巻紙の書状です。
「先日召し出しがあった。ついてはお預けしている「二幡」をこの使いの者に渡してほしい。歴の者に示した後に、宜しきものを差し上げる。急いでいるので、この者に「二幡」を渡してほしい。」といった内容です。
実際にはこれより少し長く、若干の事情を窺がわすようなものも書かれています。

「幡」には、仏具や旗のような意味と、帳簿といった意味があるようですが、以上のようなやり取りからみて、とうてい仏具とは思えず、旗や、帳簿でもなさそうです。「幡」とは何を意味しているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 留守をしており返事が遅くなりました。ご回答ありがとうございました。
    事情を伺わせる内容を、一部ですが、補足させて頂きます。
    当事者はいずれも武家ですが、皆共に給地とは別に私有地(抱地)を所有しており、耕作して・させています。この「二幡」は、親類の私有地の{茶山}を借りていた見返りに親類に預けていたました。
    そして、この「二幡」を使いに渡してもらったときに、曾祖母は、取り敢えず、御礼として自家の私有地(藪田)を親類に譲渡しています。
    当事者間では「二幡」はかなりの価値があるものに見えます。
    また、この「二幡」は、召出した第三者(行政地域名で書いてあります)の歴の者に示され、使いはこの第三者からの使いです。
    そして、宜しきものを差し上げるという相手は、茶畑を貸してくれてた親類であって、取り敢えずの御礼をもっと本格的な御礼にするというもののようです。

      補足日時:2016/02/29 13:07

A 回答 (2件)

補足を読むと、単なる贈答品とは思えませんね。

もう一度考え直すとして、「歴」とは「お歴々」とも使い、「れっきとした」という言葉にもあるように、身分や格式のある人と思われます。そのような立場の人に判断してもらうということなのでしょう。
 問題は「二」であり、そうすると「幡」は助数詞ではなく物そのものを表しているようです。しかも安政~文久の頃ですからもはや「幕末」と呼ばれる頃ですね。武士のあり方も変わっているはずで、軍隊の象徴であった旗や幟とも考えられません。また、寺社の幟もそれほど価値もなかったはずです。
 そうすると、「幡」は次のような物でしょう。

 幡(ばん)

仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)の威徳を示す荘厳(しょうごん)具。梵語(ぼんご)のパターカーに由来し、古代インドの軍旗が源流で、初めは仏教教団の標章に用いられたが、のちに法会や説法のとき堂内や境内にかける荘厳具となった。材質的には布製の裂(きれ)幡が多く、ほかに金銅幡、玉(ぎょく)幡などがあり、用途により内・外(げ)陣幡、灌頂(かんじょう)幡、命過(みょうか)幡、送葬幡などとよばれる。また色や模様によって青幡、五色幡、仏像幡、菩薩幡、種子(しゅじ)幡、三昧耶(さまや)幡など各種ある。通常、舌(ぜつ)をもつ三角形の幡頭の下に、長方形の幡身、その両わきに幡手、幡身の下に幡足をつける。幡身は3~4坪にくぎられるのが通例で、竿(さお)の先端につけた竜頭の口に吊(つり)金具でかけて用いることが多い。金銅幡は透(すかし)彫り、線彫りを施した金銅板を蝶番(ちょうつがい)、針金でつなぎ合わせ、玉幡は各種の玉をつないだものである。
 わが国では飛鳥(あすか)・奈良時代に優品が多く、法隆寺伝世品には蜀江錦(しょっこうきん)で仕立てた聖徳太子ゆかりの間道(かんどう)小幡(国指定重要文化財)、全長5メートルに及ぶ献納宝物の金銅灌頂幡(国宝、東京国立博物館)が名高く、正倉院にも聖武(しょうむ)天皇一周忌法要が東大寺で営まれたとき使われた数百旒(りゅう)の錦・羅(ら)の幡のほか、金銅幡四旒など多数が残っている。平安後期の遺品では岩手・中尊寺金色院の幡頭二枚と、迦陵頻伽文(かりょうびんがもん)を表した幡身一坪の金銅幡がよく知られる。玉幡は広島・厳島(いつくしま)神社の「平家納経」の安楽行品(ぼん)の見返しに描かれた絵によって平安時代の姿をうかがい知ることができるが、当時の遺例はなく、金銅板製の幡足などに玉を用いた室町時代以降のものがほとんどである。[原田一敏]
  《日本大百科全書(ニッポニカ)より》

 現代では、美術品的な価値も高いようですが、当時でも寺などに飾られるとかなり品格が挙がったのではないでしょうか。それを二つ所持されていたということですから、裕福な家柄だったのでしょう。
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この回答へのお礼

詳細にご説明頂き、ありがとうございました。
大した家ではありません。恥ずかしいです。
神道なので(明治からの改宗かもわかりませんが)、仏教的にみてそんなたいそうなものを持っていたのか、まだもやもや感があります。
興味を持っていただき、心からお礼を申し上げます。

お礼日時:2016/02/29 21:12

どうやら贈答品と考えられますが、二つの内、どちらか(相手が)気にいった方を差し上げると言っているように思います。

おっしゃる「帳簿」ととることも可能です。当時は和紙を閉じたものを、何かの記録や日記として使用していたと思われます。それにきれいな表紙をつけて飾ったものではありませんか。そういうものは当時庶民の使用するものではなく、ある程度レベルの高い層でしか用いられませんでした。こうしたものが「古文書」として今も残されています。
 八幡(はちまん、やはた)という語であれば、また別のものも考えられますが。
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