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神道には、神の像が(ほとんど)ありません。
ところで、イスラ-ムでも、神の像はありません。それは、神は偉大であるから、人間がそれを表現することは不可能であり、不遜である、というような理由ですね。
質問は、神道で、なぜ、神の像が(ほとんど)ないのですか?

A 回答 (18件中1~10件)

神道においては、天地神明八百万の神という考えがあり、すべてのものに神が宿っています。


例えば有名な天照大神は、太陽の神でしかありません。
現代では、パソコンの神なるものもあるのかもしれません。
すべてのものに神がありますので、像などつくらずとも、それそのものが神なのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<八百万の神>
があり、
<すべてのものに神がありますので、像などつくらずとも>
ですね。ただし、代表的な神くらいは、像を創ろう、という気持ちが、なぜ、無かったのでしょうか?

お礼日時:2016/10/27 17:32

神様は人間ではないからです。

この意味お分かりかな。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
このカテに投稿するくらいですから、分かる頭を持っていません。

お礼日時:2016/10/27 17:34

神道において、神とは魂・精霊・命・御霊(みたま)と表現も意味も様々であり、


定義づけることなく包摂し享受してきた経緯から巨石や樹木、山や森等の森羅万象が神体または、御霊代・依り代として存在する。
神社では、このご神体を神様として祀り敬っている。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
神様は、人間の姿で現われのでなく、
<ご神体>
の様子になるのですね。

お礼日時:2016/10/27 17:39

う~ん


自分なりの解釈ですが神道では神様は一か所におられずどっか天におられるのかと。
地鎮祭とかではその場に神棚据えて神降ろししてから祝詞やら玉串を捧げ
昇神して御終いになります事からもそう思います、神社でのお祓いもその手順ですね。
神社の神鏡等はこの神の依代の意味合いしか持たないのだと思えばいいのでは?
仏教では仏像や位牌に御心入れとか称してそのものを仏として敬うのとの違いがあると思います。
キリスト教では主に欧米人は見たものしか信じないから?でも依代は十字架かな?
イスラムでは砂漠の民がもって歩くの面倒でいつもかんかん照ってるお日様自体を
具体対象にしたからかも、なんて不遜でしょうか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
神様は、
<天におられる>
のですね。依代などによって、一時的にこの世に降りてきます。したがって、ある所で、ある姿で、神様を表すわけにはゆかない、ということですね。

お礼日時:2016/10/27 19:24

日本では古来から自然崇拝です。


山・海・森・大きな木・大きな石・川・風・雷等々、、、どこにでもあらゆるものに
神秘なものを感じればそれは神様なのです。
それが八百万の神々なのです。

伊勢神宮に祀られている天照大神は太陽ですし、浅間神社の神様の木花咲耶姫は富士山
のことですし、各地にあるお稲荷様は元々は田畑の収穫を祈る農業の神様でありそこから
産業全般の繁栄を祈る対象になっています。決してキツネ信仰ではありません。

こうした自然崇拝が基になっている日本の神々ですので姿を模した偶像は有り得ないのです。
一部には風神雷神のように画かれているものもありますが、、、、。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<神秘なものを感じればそれは神様>
であるから、いたるところに八百万の神がいるのですね。ただし、代表的な神様くらいは、人の姿を現しても、良いのかな、と思いますが。

お礼日時:2016/10/27 19:30

「質問は、神道で、なぜ、神の像が(ほとんど)ないのですか?」


→必要ないと思います。
逆に、何故像が必要なのですか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<像が必要>
とは思っていません。質問した動機について、1.かけ離れているようなイスラームと神道とで、神の偶像が同じように無い、ことに不思議を感じ、2.偶像が有った方が、崇拝対象が具体的で、絞り込めて、宗教活動に便利だろうな、と思った次第です。

お礼日時:2016/10/27 21:34

神像はありますよ。


主に八幡神社が多いですけどね。
ただ、平安時代以降に作られたものが多いようです。
仏教伝来以前は、神社自体も無いですから、古代の神道では神像も神社も無くて、山や海の近くに注連縄を張ったりした場所を信仰の対象にしていたのかもしれませんね。
多くの神は、降りてくるだけで、その姿を見る事は出来ません。
そういう意味では、姿を見たことが無いのも確かでしょう。(伝承では、人の姿で現れた例もあるようです)
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
古くは、
<神社自体も無い>
という宗教であり、神は、
<降りてくるだけで、その姿を見る事は出来ません。>
ということで、偶像はないのですね。

お礼日時:2016/10/27 21:38

鏡(神鏡)で表すからです。


太陽の輝きを思わせ、かつ、このうえなく澄んでいる真澄鏡が、神の依り代としての似像になっています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<真澄鏡が、神の依り代としての似像になってい>
るのですね。鏡すなわちお天道様が、神なのですね。

お礼日時:2016/10/28 09:28

キリスト教も仏教も、その始まりでは偶像を


否定していました。
ただ、ある種の人達にとっては、苦労して
悟るよりお題目を唱えるだけで救われるように、
心の中によすがを構築するより、外に具体的に
すがれるカタチが必要なのです。

ただ神道は、元々集団主義的な日本文化において、
そうしたポリシーとしてではない、儀式宗教と
して発達したので、アニミズムのままに留まっ
ているのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
初期の宗教では、偶像は造られてないのですね。その後、
<すがれるカタチが必要>
となり、偶像があらわれる、場合もありますね。神道は。
<集団主義的な日本文化において、>
<儀式宗教>
のまま維持された、ということなのですね。

お礼日時:2016/10/28 14:43

No.6です。



「偶像が有った方が、崇拝対象が具体的で、絞り込めて、宗教活動に便利だろうな、と思った次第です」
→なるほど、素直な疑問だったのですね。

ヒンディー教徒だったインドの釈迦が最初に仏教を開いた時も偶像はありませんでした。
でも、仏教がインド全土に広がっていく中で、インド西部(現在のパキスタン)で偶像が作られるようになりました。
その理由は、おっしゃるように偶像があったほうがお祈りしやすいからでした。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<偶像があったほうがお祈りしやすい>
ですね。ところで、イスラームは、偶像が禁じられているにも拘らず、(ますます)栄えており、不思議な宗教ですね。今のイスラームは
<釈迦が最初に仏教を開いた時も偶像はありませんでした。>
に当てはまる(成長期)のか、と思いたくなります。

お礼日時:2016/10/28 09:24

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