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人は、魂に従ってその生き方を定めるものだと思います。
魂は具体的な形、言葉で規定できる形を持ちませんが、情熱や希望、願い、などとなって人生を推進している原動力なのだと。それは精神における血流であり、生きているものなのだと思います。

しかし現代には、何をしていいかわからない、何をしたいかわからない、どんな風に生きたらいいかわからない、という人々が多いのではないかと思います。それで、問いを立てたく思いました。このように魂の不在とも見れる状態になるのはなぜか、魂の再発見とはどういうことか、について尋ねたく思います。
また、魂は在るけれど、その受け皿が社会において機能していないのかもしれないとも思っています。
こちらについてもご意見いただければと思います。


魂が何であるかという定義は色々あると思いますが、上述のような意味に近づけたとしてお答えいただければと思います。

A 回答 (6件)

「キッカケがあるかないか、もしくは巡り合えるかどうか」ではないかな、と思います。



例えば今、若者に人気の音楽グループで気志團という人たちがいます。
彼らは不良でした。
しかし、あるキッカケにより音楽に触れ、そこから現在の地位を確立します。

このように、「キッカケがない」人たちが多いのではないでしょうか。
だからこそ魂はあってもそのアウトプットがない。
結果彷徨ってしまう。

また、その魂の行き場を失ってしまう事もあるでしょう。
2年連続で大河ドラマは戦国時代を扱っておりますが、戦国時代が終わる頃に問題視された話の一つが「武将や浪人の行き場」でした。
彼らは魂の行き場を失うという境目に立たされていたのです。

これは現代でも失職や怪我病気などでの退位など、誰にでも起こりうる話です。
ある意味失恋もそうでしょう。

その先にある新しい出会いが魂の再発見ではないかな、と思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます。
ご回答を読んで、魂の柔軟性というものを考えました。病気や怪我、時代の流れ、人間関係などで魂を欠損し、生きる道を見失った時に、どれだけそのショックを吸収出来るかというのが立ち直りに大きく影響するのではないかなと。

繁華のバーではメジャーになれないミュージシャンがごまんといますが、彼らの魂の行方が気にかかります。この場合も、魂の柔軟性というものが人生を左右するように思います。いつまでも音楽を貫くにせよ、転職するにせよ、何れにしても柔軟性が必要だと思います。

社畜、フリーター、ひきこもり、老人、魂を失いかけている人々は本当に多い。

ですが、ご回答いただき光が見えたように思います。

お礼日時:2017/05/09 01:05

>恵まれた環境と言われる条件に落ち着いた人々はかえって、



恵まれた人たちの、恵まれた悩みに寄り添いたいということですか。
うーん。まあ、ざっくばらんにいえば、私はそういう人たちに寄り添いたくないってことになりますね。

質問者さんの環境だと、そういうことに意味があるんでしょう。もしお坊ちゃん大学とか、コネ入社が多い企業でカウンセリングのお仕事なんかをしていたりすれば、それは大切なことでしょう。
しかし私のいる環境だとあまり重要度が高い問題ではないようです。

話が並行線ということでお許しを。
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この回答へのお礼

好き嫌い、僕はしたいしたくないで話せば並行線にもなりますね。
大人気なかったでしょうか、ご容赦を。

お礼日時:2017/05/09 16:27

こんにちは。



孤独がこわいんですかねぇ 人びとは。

孤独がじつは――人間が社会的動物であるからには―― 孤独どうし
の関係であるということを 現代人は知らないんでしょうか。

孤独がつねにひらかれた時間であると知るなら わが心の奥なるわが
固有の時――非思考の庭――は 生きたちからであると 人びとはど
うして知ろうとしないのか?

クリスマス・ツリーのごとく誰もが競っていい飾りをより多くつけよ
うとする。樅の木本体だけでも じゅうぶんだということを知らない。

こころなき身にも あはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ

と もののあはれを知るのを忘れたのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

こんにちは。
心の豊かさとは何か。
孤独があるから関係がある、おっしゃるとおりですね。
昔からある人の心の動きに、この忙しい時代を生きるヒントが有るのかもしれません。
ありがとうございます。

(ところで、お礼欄の左下にスタンプ機能があったのですね。下のお二方にスタンプを押しそこねてしまいました。失礼しました。)

お礼日時:2017/05/09 12:39

しかし現代には、何をしていいかわからない、何をしたいかわからない、


どんな風に生きたらいいかわからない、という人々が
多いのではないかと思います。
   ↑
ハイ、その通りだと思います。
自由であり過ぎるのです。
豊かであり過ぎるのです。
自由と豊かさがその原因だと考えています。

自由と豊かさをもてあまし、ついていけない
人が多いのです。

自由と豊かにも、能力みたいのが必要なのかも
知れません。




このように魂の不在とも見れる状態になるのはなぜか、
魂の再発見とはどういうことか、について尋ねたく思います。
   ↑
事由と豊かさを享受する資格、能力が無いからです。
そういう資格、能力を身につけるのが再発見では
ないですか。
やはり教育であり、勉強をするしかない、と思います。



魂は在るけれど、その受け皿が社会において機能していない
のかもしれないとも思っています。
  ↑
極端な話、身分制社会にしてしまえば
その手の問題は解消するでしょう。
何しろ、何をすべきか、どんな風に生きればよいかは
産まれによって自動的に決まりますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

身分制社会ですか。それでは社会が後退してしまうのでまずいかと思いますが、格差社会など、その人の置かれた境遇が強制力となって人々の生き方を規定しているのは下の方の仰るところでもありますね。

自由すぎる、豊かすぎる、これはまさにそのとおりだと思います。自由と豊かさとは何かという話はまた深いものになりますが、それらを享受する資格、つまり今の自由や豊かさはどのようにして獲得されたのかという勉強が大事なのではないかと思います。とにかくあれを覚えろこれを覚えろの詰め込み教育よりも、理由の示された教育の方が学ぶ意欲を刺激し結果的に知識も考える力も豊富な人が育つのではないかと思います。

お礼日時:2017/05/09 12:33

>社会では、他人のニーズを満たす事が仕事になります。


>自主的に利他の道を行く事ができた時に初めて自己実現が可能なのではないでしょうか。

経済学的用語で置き換えれば、上が交換価値で、下が使用価値と呼ばれるものですね。二つが弁証法的に一致するって話でしょう。それはそれでいいとして、うーん。わからないなあ。

質問者さんの話だと、皆が皆、自分の意思で仕事を選ぶのだが、魂がないがために見当違いのことになり、自分の在り方と仕事とがフィットしていないと言っているように読めます。

こういう話だとしたら、私は、逆に聞きたいです。そんな愚か者が多くいるんですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いや、それは愚かじゃないんですよ。真っ白の紙を渡されて、なんでも自由に絵を描いていいという。しかしその仕上がりは素晴らしいものでなければならない。この条件が無いという条件が、モチーフやテーマと言った様々な条件をつけられた場合よりも難しいのです。
魂の不在に陥った場合のうち、社会条件や置かれた環境によって魂を発揮できない人々というのは、モチーフやテーマを与えられて絵を描く人です。自分はこんなモチーフは嫌だ、あんなテーマは嫌だ、こっちがいい、と、自分の意志を発揮しやすい条件にむしろあるのです。恵まれた環境と言われる条件に落ち着いた人々はかえって、自らモチーフやテーマを見出して描かなければならない分、自己の確立や生き方の指針の模索が必要とされ、その分人生の難易度も上がるのです。

搾取や抑圧と言った目に見える社会問題を解決するのも大事でしょう。しかし同時に、まだ目に見えぬ社会を新たに創出するということも、それ以上に大事であるのだと私は思います。

お礼日時:2017/05/09 12:27

>このように魂の不在とも見れる状態になるのはなぜか、



うーん。質問文を読んで思ったのですが、もしかしたら質問者さんは学生さんではないですか。違っていたらすみません。
どうしてそのようなところを指摘したかといえば、おっしゃっているのは大変幸せな状態で、現実の日本人はそれよりももっと何歩も手前の状態で汲々としていると思うからです。

社会だと、自分で物事を決められることは稀で、周囲がどんどん決めていき、波の中をかいくぐっていく他ないんです。
魂とか、何が決めるとかじゃなくて、まず自分のことなのに、自分が決定権を持っていない。状況的に決まって行ってしまいます。どこに住むか、何を食べるか。都市部だとこれは給料が決めていますね。地方だと家族関係も影響あるでしょう。
あるいは現場で自分が仕事しているのに、自分が決められないことはよくある話です。上が責任を取るのは俺だとかなんとか言って、どやどや介入してきて、自分が責任を持ってきっちりやることもできない。

こういう抵抗を行う時に、一昔前ならば、階級闘争という考え方がありました。搾取されていると考え、批判するのです。
現代はそういう言葉はないですね。でも「名目だけ責任者」みたいな状態は、やはり搾取されているということでしょう。見えない形で搾取と抑圧は続いているのだと思います。
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この回答へのお礼

どう思う?

ありがとうございます。
そうですね、主に若者や学生のためを思って書いた質問でしたので、そのように思われたのは当然と言えば当然です。よく読まれているなと感じました。また、私自身、未だその頃からの課題を引きずっていますから、心理的には学生みたいなものです。

おっしゃられている事は社畜と自嘲する人々の事でしょうか?それよりはマシのように思えました。
ですが、魂の不在となりかけている人々です。彼らは何処か学生と似ています。社会の枠にはめられて体裁は整っているように見えますが、その内実は自分のやりたい事もわからないモラトリアムなのではないか、と。
社会では、他人のニーズを満たす事が仕事になります。周囲がどんどん決めて行くとおっしゃられていることの遠因はそういう事でもあります。当然責任というものも出てくるでしょう。無料で働いているのではなく、言わばあなたのニーズを満たしますと約束して働いているのですから。一方、自分のニーズはお金を使って他人に満たしてもらうのです。

しかし自己実現と言った自己のニーズは他人が満たすことはできません。自主的に利他の道を行く事ができた時に初めて自己実現が可能なのではないでしょうか。
例えばミュージシャンが音楽で共感を呼び、人々を励ましたり癒したりする事で自分もさらに満足する。
料理人が食事によって人々の健康や憩いに貢献することで自身もさらに満足を得る。
職業に就くことだけが魂の在り方ではないと思いますが、自己実現の例としてはこんな感じだと思います。
ところが多くの人は、自身の選んだ職業と、自分自身とのフィット感が低いのではないか?
それは何故だろうと考えます。
骰子さんはご自身のお仕事とのフィット感、ありますか?
あるならそれは仕事に関しては幸せだと私は思います。

お礼日時:2017/05/09 01:33

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