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今まで何度も「宗教と共産主義は仲が悪い」という話を聞いたことがあります。宗教は神や教祖を絶対視し、共産主義は共産党を絶対視するからでしょうか?共産主義社会と宗教集団は、組織運営に於いて類似しているように思います。共産主義は共産党、宗教は神とその預言者である教祖、どちらも権力集中の一党独裁だからでしょうか?みなさんのご意見をお待ちしています。

A 回答 (9件)

同じで、見極め難しいオーム真理教とか、麻原独裁!共産主義も平等と言いながら独裁!

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比べるのがおかしいだろ。



もう少し広い見識を。

ここで言う宗教とはキリスト教を指す。

キリスト教が人を救えないものだと認識したから、共産主義という思想で国民を救おうとした。



共産主義ももはや崩壊した。
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どちらも権力集中の一党独裁



ここひっかかります
失礼かもしれませんが 
宗教を知らない人に 語る資格はないと思いますが
でも言論は自由でした

共産主義 これ宗教です 哲学です

宗教 及び哲学は 人間の判断の基礎 基準 基本です
それがないと 膨大な情報の中から
好き嫌い 損得 先入観で都合良く判断してしまいます

プラテンが 宗教の必要性を説いている分けが分かります

共産主義 自由主義 王政 宗教制度 
残念ながら その良し悪しを判断する 基準を持ち合わせている人は
少ないのです

その 哲学 宗教 主義 制度は

①人間を強くしますか 弱くしますか
②人間を善くしますか 悪くしますか
③人間を賢くしますか 愚かにしますか

が 簡単な基準です ものさしです

深い哲学を知らない人は
浅い 単純な思想に傾きます
ハイブリットカーを知らないで 子供の三輪車の話をします
ヒマラヤを知らないで 多摩川の土手で バンザイをしています
不倫男は不倫男に感銘するのです

                長くなるので終わり

プラトン http://rokusann.sakura.ne.jp/newpag27.htm

カールマルクスの唯心観について
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage32.htm
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共産主義だけではなく、独裁的な政治体制は宗教を嫌います。


いわゆる宗教弾圧は、共産主義に限らず、繰り返されてきたことです。

また、共産主義でいうなら唯物論、無神論のマルクス主義が宗教を忌避する傾向が強いのであって、キリスト教共産主義のように宗教と親和性のある共産主義も存在します。

思うに、宗教が政治に影響することは避けられませんが、政治に宗教を持ち込むとろくなことになりません。
神がかりの教義が政治の方向を狂わせるからです。政治は宗教から完全に分離していなければなりません。

一方、宗教は、どうしても時の政治、政策と一致することが少ないといえるでしょう。
政治は、利益分配の妥協点を模索するのに対して、宗教は、教義に従い理想を追求しつづけますから。
宗教の勢力が強ければ強いほど、大衆の支持があればあるほど政治に影響を及ぼそうとするでしょう。
それは、究極的に、その宗教、教義による独裁に繋がるという危険を孕むわけですね。

独裁は、当然ながら、他の独裁を倒そうとするということでしょう。

もっとも独裁からかけ離れた思想である共産主義が、もっとも独裁的な政治体制となり、
宗教を忌避せざるをえなかったというのは、共産主義の欠陥なのか、当時の宗教の堕落なのか・・・

いずれにしても、人間のなせる業ということじゃないでしょうか。
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宗教は神や教祖を絶対視し、共産主義は共産党を


絶対視するからでしょうか?
  ↑
それもあります。
共産主義は、必然的に独裁的になりますので、
共産党以外の団体を認めるわけにはいかないのです。

理論的には、唯物論から導出されますし、
科学的社会主義思想と相容れません。

歴史的には、宗教は時の権力と組んで
民衆を支配してきたからでもあります。
時の権力を打倒するには、宗教も一緒に打倒する必要
があったのです。



共産主義社会と宗教集団は、組織運営に於いて類似しているように
思います。
 ↑
その通りです。

宗教は教祖などの意思が絶対的です。
盲目的に従うだけです。

共産主義も同じく、その思想の正しさは絶対的です。
歴史の必然とまで言っていますから。

これに対して、自由主義国家では、相対主義を
採ります。
何が正しいか、判らないから、表現の自由を認める
訳です。
正しいことが判っていたら、その正しい思想以外は
悪い思想ですから、禁じるのが当然で、共産主義は
それをやりました。




共産主義は共産党、宗教は神とその預言者である教祖、
どちらも権力集中の一党独裁だからでしょうか?
    ↑
マルクスの弁証法によれば、
原始共産制 → 封建制 → 資本制 → 社会主義
→ 共産主義

これは歴史の必然であり、共産主義に到って、人類は
頂点に達する。
問答無用でこれを信じろ、信じなければ虐殺だ。

構造が宗教とそっくりです。
宗教組織の構造を真似たんでしょう。
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マルクスは宗教をアヘンと評し、レーニンは戦闘的無神論を唱えました。


視点は違えど訴えたいことは同じで宗教は腐敗を招くということでした。
そしてレーニンは革命闘争の手段として宗教を排除するようになっていきます。
それが「宗教と共産主義は仲が悪い」の元になっています。

ですが結果を見ると共産主義を疑似宗教化したと見ることもできます。
それがかつてのソ連であり中国であり東側諸国です。

一方、アフリカやアジアの一部独裁者が教祖のように振る舞い、崇められ、
体制の維持を図っている様もまた疑似宗教のようです。

そして今、共産主義と言える国家は世界中のどこにもありません。
そうです、共産主義は大失敗だったのですね。独裁主義もまた同じ道を辿るでしょう。
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共産主義は、唯物論であり、神のような空想の産物は認められません。


また共産主義は、人々の物欲の結果である階級闘争によって労働者階級
の社会になるという「利己主義を前提とした社会像」なのに対し、
宗教は、そうした社会性を、人の善意(あるいは戒律による自制)に
おくので、社会の原動力が正反対なのです。
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共産主義とは、国や国民の富を全国民で共有する考え方ですが、


そのためには、全体の富を管理して再配分する組織が必要になります。
しかし、その組織である指導者達は、その富を自分のものとし、
国全体をも自分の意で動かしたい、と考えるのが常です。

今の新興宗教は小規模ながら全く同じで、財産は全て教主のもの、です。

ここでいう宗教とは、過去の偉大な指導者を教祖とするもので、
全ての富は全ての者に公平に与えよ、と言う考えのもと、
個人の行動を「教え」として布教するものです。
この教えは、先の共産主義社会の指導者たちには、相いれないものでしょう。

共産主義に於ける公平性の維持には、指導者組織が必要ですが、
宗教におけるそれは、個人の考えが最優先です。
この基本の違いが、「仲が悪い」の原因でしょう。
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同じですよ・・・



師を仰いでるだけなので・・

師が違うだけ・・
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