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最近になってQUEENを聴くようになりました。
フレディ・マーキュリーという人の恐るべき才能に
ただただ、驚いています。

「Live at Wembley Stadium」というDVD作品を観ているのですが、
あるレビューに
「これがウェンブリー・スタジアムでの最後の演奏になるとは、フレディ以外の誰も…」とありました。
・・・ということは、他のメンバーはまだフレディが病におかされているとは知らなかったということでしょうか。
とすれば、メンバーがその事実を知ったのはいつなんでしょうか?

また、リアルタイムにQUEENを聴いていた方は、やはりフレディのエイズ感染が公表されるまでは、予想だにしなかったことなのでしょうか?
(公表が死の前日、とのことなので)

A 回答 (2件)

先日めざましTVでブライアンのインタビューをやっていましたけど、


フレディの病気のことを知ったのは、亡くなる5年前だったと言ってました。

たしかに、ライブエイド以降のクイーンの精力的な活動ぶりを振り返ると、なるほどなぁと思いました。
期限がある、と判ってある意味悲壮な感情を持っていたと思いますね。

フレディが亡くなったとき私は海外に居て知らなかったのですが、
もう公表した時点で既に死去していたんでは、と話す人もいました。
あまりにもタイミングが良すぎるので。
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おはようございます。

書かせて下さい。

フレディーという人は非常にプライバシーやプライベートに関してはデリケートな性格の持ち主でした。
86年に「カインド・オブ・マジック」というアルバムを発表した時、
前年のライヴ・エイドのパフォーマンスが圧倒的な評価を得たおかげで、
本国イギリスや欧州各国で再QUEENブームが訪れていて、セールスは瞬く間にNo.1に輝き、
ウェンブリーでのライヴが最高潮だった「マジック・ツアー」は100万人以上(イギリスだけでも40万人を)を動員して
欧州市場最高のツアーと大成功を収めました。

各文献などによるとフレディー自体はもうこの時には、病気の事を知っていた・・との事です。
しかしメンバーにはまだ知らされていません。
これだけの成功を収め、バンド絶頂時に自分のしごくプライベートな事情で、
バンド内部に影を落としたくなかったのでしょう。

その後、残された時間が少ないフレディーは精力的に仕事に打ち込みました。
憧れのオペラの女王モンセラート・カバリエと共演した「バルセロナ」や
QUEENのアルバム「ミラクル」「イニュエンドゥ」、そして「メイド・イン・ヘヴン」の
いくつかの楽曲、シングル「グレート・プリテンダー」などの仕事です。

メンバーにフレディ自身の病気が知らされたのは、「バルセロナ」「ミラクル」を
製作していた87~88年の頃と言われてます。
伝え方にも諸説ありますが、フレディ自身が病んだ体の一部をメンバーに見せて、
事のしだいを飲み込ませたという話もあります。

リアルタイムのファンでも日本にいるごく普通のファンには正確な情報は、当時とくになく、
一部ゴシップ的に音楽雑誌の「ひとことコメント」みたいな所にはエイズの噂があると書かれていても
「フン!くだらねぇ~!でたらめ載せやがって」って感じだったです、私は。
ただ「イニュエンドゥ」が出てすぐに「グレイテスト・ヒッツ2」が出て、
さらに次のニュー・アルバムのレコーディングに入ったとの情報が入った時、
「何急いでるんだろぅ?」と感じたのは憶えてます。

そしてエイズの公表・・私はショックで目の前真っ暗でした。
当時インターネットなんて普及してないし、情報を集めるのにとても苦労していた翌日、
1991年11月24日 享年45歳 早すぎる訃報でした・・。

その後約1年くらい、私はQUEENを聴く事ができないくらい落ち込みました。

ただ最近、色々な文献を読んでると日本でも一部のとてもとてもコアなファンや
仕事の音楽関係者にはフレディの病気の事は知られていた・・との話もあります。

メンバーも大変なショックを受けたようですが、ブライアンもロジャーもジョンも
「フレディーのために!」と結束を強固にしレコーディングに取り組んだそうです。

辛い事思い出してしまいました・・
長くなってごめんなさい。

参考になれば幸いです。
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