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創価学会員さんに真面目に質問なのですが、創価学会員さんは家庭環境が複雑だったり、障害があるとか、絵に描いたような不幸みたいなタイプの人が割と多い気がするのですが、そういうのをバネにして、幸せを掴もうとするというのは凄い事だと思うのですが、話を聴くとか共感して相手を癒やすみたいなタイプの人が自分の体験上、多い気がするのですが、やはり、信心では、人を受け容れる器みたいなものまではコントロール出来ないのでしょうか?
自分がしんどい時に話を聴いてもらって、共感してもらうだけで、また頑張ろうかなと自ら思えたりするものですが、創価学会員さんとのコミュニケーションで、そういうことを感じない事の方が多いです。よく対話って言われてますが、相手の気持ちに寄り添うってような人があまり居なく感じます。
こうしたら良いっていう正しさを押し付けてくるだけのコミュニケーションばかりな気がして。
相手の気持ちに寄り添うみたいな力があまりない創価学会員が多いのは、もう諦めるしかないことなのでしょうか?

A 回答 (2件)

確かに自らの哲学を主張していくケースが多いかもしれませんね。



でも寄り添うだけならカウンセラーでもできるわけですし、宗教団体として癒しを目的にしているわけでもありませんし、創価学会員としてお会いするなら、創価学会の哲学を述べていくのは自然なことかと思います。

たとえば、病気を治す薬を持っている医師が、患者に寄り添って癒しを与えるばかりで薬の処方箋を出さないとしたらそれは本末転倒ですよね。

創価学会員は悩みに対する処方箋を持っているという自信があるので、つい主張が多くなってしまうのかもしれません。

とはいえ、相手の気持ちを無視して話すことがよいとは思いません。

創価学会員にもいろんな人がいます。

話を聞くのが上手な学会員もいれば、そうじゃない学会員もいます。

先の例で挙げたように、解決する答えを持っているという気持ちがあるのでつい主張が先行してしまうケースが多いですが、あなたの話を聞いてほしいというケースでは、「今日は私の話を聞いてください」とお願いすれば、きっと聞いてくれるはずです。

それでも聞いてくれないなら、私の話を聞いてほしかったのに、聞いてもらえず残念だったという気持ちをストレートに主張されていいと思いますよ。

そしてまた、あなたがどんな話をされるにしても、学会員側の答えは同じで「この信仰で悩みは解決します」ということです。

癒しを求めているならカウンセラーに相談すべきですし、仕事を紹介してほしいというなら職安に行くべきですし、身体に不調を感じているなら病院に行くべきですし、法律で困っているなら弁護士事務所に行くべきです。

適材適所です。話す内容によって相手を変える必要があります。

どういう理由で創価学会員に話を聞いてほしいと思われたのかわかりませんが、創価学会員に聞いてほしいことがあるというなら聞いてくれると思いますよ。

でも癒しを目的に創価学会員に話を聞いてもらうというのは、それは話す相手を間違えている可能性もあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2022/10/03 15:50

それは、そのコミュニケーション自体が・・・宗教団体の会員を集めるたの、引き込むための、セールストークですから、当然、相手に寄り添う姿勢とか、受容的言動などは、本来の目的と異なれば、必要なくなります。

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