街中で見かけて「グッときた人」の思い出

英語の慣用句で「walk a mile in someone's shoes」というのがあると知りました。「その人の気持ちになって考えてみる」というような意味だそうです。確かに靴って自分の癖や好みがはっきり表れるものだと思います。そしてふと、「今までの人生で何足の靴を履いてきたんだろう?」と考えてしまいました。私は歴代の靴の中でも96年に高校のアメリカ研修で買った「エアマックストライアックス96」という靴が一番思い出に残ってます。当時一大ブームを巻き起こしていたエアマックスとは少し違うラインナップでしたが、とっても格好良くて気に入ってました。皆さんの人生で一番思い入れのある靴の話も伺ってみたいです。

A 回答 (20件中1~10件)

昔 彼女と お揃いで買った



 リーガルの スェードの デザートブーツ

デートに スキーに 甘酸っぱい 想い出が いっぱいです。

私も もう すっかり おっちゃんになってますが

靴も 想いでも 私の 大切な宝物です。
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おばあちゃんが買ってくれたヒール付きのサンダル


きらきらしてた、今でも夢に出てくる
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想いでの靴:今から79年前のことですが終戦を旧満州出迎え、住宅も日本人の住宅から現地人たちの部落での生活となり、1年経過の後、日本への引揚となりました。

その時に現地の人が作った布製のチャイナシューズ(革製は高価でした)を母が買ってくれました。その靴を履いて、途中で雨に降られたり、収容所での生活も経験して、無事に祖母の住む日本たどり着きました。布製でしたがしっかりとした靴でしたので、その後も暫く使いました。
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悪い意味で一生忘れない靴の思い出があります。


元々身長が高い私ですが、それに比例して靴のサイズ(女性にして、現在25cmものを愛用しています。)も大きくて…
小6になった時に、私の足のサイズは既に24cmありました。 ところが、小5まで履いていた学校の上靴が23cmしかなかったので、私は親に「24cmを買って欲しい!」と嘆願しました。  返ってきた親どもの回答は、「後1年で卒業だから、それで我慢しなさい!」 (アホ親とはこれを言うと、子ども心にガッカリしました…)
我慢にも程がありました。 我が足はその1年間無理して履かされた上履きのせいで指の関節にいぼが多数出来てしまい、70歳近い現在尚、そのいぼがとれないままです…(参考ですが、痛みは無くなっています。)
今現在、女性用靴もサイズが多様化していて、25cm以上の靴もかなりの数が販売される時代になっていて助かっています。
まさに、我が親には「子どもの気持ちになって考えて」欲しかったものです。
maniachoさんには素敵な靴の思い出を聞かせて頂いたのに、靴に関しては悪い思い出しか語れない人間で、大変失礼申し上げました。
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84年離米記念でBallyとDunhillを購入。

底皮も張り替えたりして2008年定年退職日まで履いていましたね。
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小学生のときにはやっていた子ども向けブランドの靴。

安くはなかったので特別な日にしか履けなかったが、友だちの家に行くときにどうしても履きたくて履いていったところ、泥まみれになってしまった。夕方、落ち込んで泣いていたら、父親に「履いていくからだ」と怒られたが、その後こっそり父親が洗ってくれていた。
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祖父のゲタ


大きかった
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昔ナイキがつぶれて日本の企業に買収されたことがありました。

その時アメリカ製のナイキコルテッツを5500円でスポーツ店で売ってもらいました。うれしくて次の日校庭を何周も走り回りました。
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靴に入れていいのか分かりませんが、小学校4年生から5年生まで使用していたローラーブレードです。

あのスピード感はいまだに忘れられません。最期は私とともに側溝に突っ込んで大破しました。
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靴の底に空気の入った袋?が仕込まれてて歩行の補助をしてくれるというものです。


効果があったのかはわかりませんが、ギミックのある靴をかっこいいなと思っていました。
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