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海外留学なしで、第一外国語がドイツ語やフランス語世代で生きている友人はいらっしゃいますか? いたらレアです。



①帝国大学出身の医師
(1943年9月あたり学徒出陣者のため、軍医勤務。結果、1941年12月卒業者で1943年9月まで臨床実習が終えている人)

旧制中学校 4年→旧制高校(理科乙) 3年→旧制帝国大学(医学部) 4年→臨床実習 約2年

もっとも若くて 1919年4月1日生まれ
(1941年12月 旧制帝国大学卒業者)→1990年4月時点で71歳。現在105歳
※その前の年齢でも、戦後、ごく少数だがアメリカ留学して、英語が第一外国語にした医師もいた。先生など。




②文科乙または丙選択
(1943年9月あたりに学徒出陣だったが、授業はあった)

旧制中学校 4年→旧制高校(文科乙または丙) 3年→ 旧制帝国大学 ドイツ文学またはフランス文学 3年

もっとも若くて 1923年4月1日生まれ(1944年9月 旧制帝国大学卒業者) →1990年4月時点で67歳。現在101歳



③医学専門学校出身の医師 
(1941年12月から軍医として勤務)

旧制中学校 5年→医学専門学校 4年 → 臨床実習 2年

もっとも若くて 1918年4月1日生まれ(1940年3月 医学専門学校卒業者) → 1990年4月時点で72歳。現在106歳
※その前の年齢でも、戦後、ごく少数だがアメリカ留学して、英語が第一外国語にした医師もいた。先生など。



旧制中学校、旧制高校(文科理科とも)、帝国大学は学徒出陣でも授業あった

しかし、帝国大学医学部は1943年9月、医学専門学校1941年12月から軍医として勤務 → 臨床実習よりも軍医が優先でした。



本書、明治生まれの伯祖父や大正生まれの祖父から聞いた話です。→ 今でも覚えてる。

質問者からの補足コメント

  • 私も1995年3月、当時4歳。
    怪我をして伯父が所属する病院に行きました。

    その当時、誰1人も独語や仏語でカルテを書く人はいませんでした。

    私が見た限り、最高年齢68歳でも

      補足日時:2024/12/15 16:22

A 回答 (3件)

居ました(過去形です)


元、銀行マンで、満州からの引き上げして、我が家のお隣に暮らしていました。

フランス語(当時は公用語)で、ほかにロシア語とドイツ語を。
日常会話は、中国語か韓国語、および日本語が銀行内で使われた。
英語は、戦後に学んだそうです。

他に、三越(日本橋)の元課長。(子供時代に可愛がってもらった)
第一外国語はフランス語、第二にロシア語、英語、中国語。
エジソンとの交渉経験も有ったと。

さらに、帝国ホテルから満州ホテルでマネージャをした人で、
大学でもいろいろ教えて貰いました。
彼の業績から溥儀(満州皇帝)から感謝状を受けた偉い人。
フランス語のほか、中国語を学んだそうです。
英語は戦後です。

ほかに沢山の方と友好的な交際をしてました。
でも20年ほどまでに皆さん私の前から去られいます。
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コロナで死にました。



昔の人はすごい、見てないでやれ!ですもんね
仮免のような人は全員、医師免許を与えた時代ですね

授業短縮で工場で働いたりしたんだよね

読み書きできても、話せない人 続出
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
その時代が最高でしたよね。

1945年9月以降も、医学部でも英語を勉強し始めたが、用語や本書は全て日本語(ドイツ語)でした。

英語の医学用語や本書が出始めたのは、1953年4月からのことです。
それでも戦後の昭和時代でも、アメリカ以外にドイツやフランスの医学のことも学んでいた医師もいました。

その人たちの医学カルテは本当だったらもう英語だが、戦前の医師の人が独語で医学カルテを書かされるなどされていましたね。

それが昭和の終わり(1989年1月)まで続いたのですよ。

1989年1月時点で、その人たちはもう70歳で、もう病院内で存在しなかったけど。

お礼日時:2024/12/15 16:08

いました

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