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魯迅は、日本に医学生として留学中、
「医学より、中国人の精神改革が急務」
と、文筆活動を開始した。

と言う事になっておりますが、
そう決意したキッカケを知りたいのです。

諸説あるようですが、
なるべく、説得力のあるエピソードを
教えて下さい。

または、史実ありのまま、でも結構です。

以上、よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

魯迅の小説「藤野先生」は、魯迅と仙台留学時代の藤野先生との心の通い、仙台での暮らしを描いたものです。



これによれば、

藤野先生はある日、魯迅にノートの提出を求めます。2,3日後に返されたノートは「初めから終わりまで、すっかり朱筆で添削され、文法の誤りまでいちいち訂正してあった」。それが学年の講義が終わるまで続きます。
しかしこの行為が日本人学生の疑惑を招くことになります。
ある日、学生会幹事がノートをみたいと魯迅の下宿にやってきます。中国人がいい点をとったのは藤野先生が試験問題を漏洩したためではないかと疑ったのです。疑いは晴れましたが、魯迅の心は痛みます。
「中国は弱国である。それゆえ中国人は当然低能児である、点数が60点以上あるのはその人の人の能力ではない。彼らがそう疑ったのも無理はない」と彼は歯をくいしばるのです。
さらに「事件」が起きます。
階段教室で魯迅は日露戦争中に中国人のロシアのスパイが処刑される幻灯を見せられます。歓呼の声をあげる同級生、画面のなかでの処刑をみる中国人群衆の笑い顔が彼の胸をえぐります。
「もはや言うべき言葉がない」「およそ具弱な国民である限り体格がいくら立派でも、頑健でもせいぜい見せしめの材料と見物人になるだけだ。彼らの精神を改造することである。それに役立つには医学でなくて、文芸を挙げるべきだ」(駒田信二訳)と魯迅は決意するのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「藤野先生」ですか。
私の知りたかった事はこれです。

お礼日時:2005/08/16 19:31

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