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当方30代前半の男です。
大学卒業と同時に上京。小さい時からあまり父と口をきいていません。

友達から「xx才で初めて親父と本音で話した。すげぇ楽しかった。」という話をしばしば聞きます。
私はそんなの一度もありません。

高校ぐらいから「大きくなったらそのうちに話すのかな?」と思っていましたが、ますます話さないようになってきました。

実家に帰っても全然話しません。
「おかえりなさい。」「ただいま。」しか会話を交わしません。」
(兄弟の話によると、父は僕が実家に帰ると知ると、かなり楽しみにしているようです。)

理由は、子供のころのスパルタ教育です。

小学校~高校まで通知票をもらった日は、ビクビクしながら父の部屋に持っていって、成績悪いと、「殺されるんじゃ?」と思うくらい思いをさせられた事あります。

最近母は「お父さんに感謝しなさい。高校も大学も私立いかせたんだから。お父さんは年とったんだから、もうちょっと相手してあげなさい。」と言います。

しかし、私自ら「お願いします!大学いかせて下さい!」と頼んだことは一度もありません。

両親がいつも言いました。「学歴であなたの一生が決まる!!」
バブルの頃は僕が小学校高学年でした。うちの家も景気がよかったらしく、塾だ教材だ、なんだかんだ、教育費に費やされていました。

そして大学を卒業して、社会人になりました。
転職を重ねるたびに、それなりに出世してきました。

年を重ねるたびに
「社会人になって”大学出てよかった。”なんて思った事一度もないぞ。あんな勉強させやがって。」
と親を恨むようになりました。

私みたいな人ってたくさんいると思います。みなさん親とどう接していますか?

A 回答 (10件)

こんにちは。


30歳女性です。
私もあんまり両親が好きではないのですが…、、
自分が親になってみてわかりますが親だって
人間ですから、至らない所はあると思うんですよね。
「おかえりなさい」って言ってくれるし、あなたの
帰りをとても楽しみにしているんですよね。
それだけでも幸せじゃないですか!
過去は嫌な思いもしたかも知れないけど、あなたを
育ててくださったお父様ですよ。
私は両親には育ててくれた恩はありますが(今のところ)
尊敬とかいう気持ちはないですね。
多分あなたもそうなのでは…?
私は短大にどうしても行きたくて、受験料はバイトして
なんとか捻出して合格しましたが結局進学させて
もらえませんでした。
私は高卒で入った会社で学歴差別を受けました。
高卒では出世なんてできないのです、しかも女性では。
私はそれから自分でお金を貯めて24歳で社会人入試で
やっと短大に入学しました。
こんな人間もいますよ、あなたは(自分の意志ではない
にしろ)進学できて幸せだったと思えませんか?
大卒だから出世できたのかも知れませんよ。
高卒だったらお父様を好きになっていましたか?
そんな筈はないでしょう。
勉強は決して無駄ではないのです。
今度じっくり話してみてはいかがでしょうか?
そういう機会を作ってみるのも悪くないかも。
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「条件付の愛」ですからね。


ご質問者がお父上を嫌悪されるのは当然です。

私の父は十年ほど前に鬼籍に入っておりますが、私が小学生時代までは、それは怖い人でした。
私は小学校では、超のつく劣等生でしたので、学期末に通知表をもらって帰ると、その夜は確実に折檻が待っていました。
毎度、終業式の帰路は、顔面蒼白となって震えながら家路についたものです。
(母が父に成績の悪さを報告し、体罰を与えることを促していたようです。)

父が変わったのは、私が中学二年になった時です。
私は中二になってすぐ、大病を患いました。
下手をすると、命にかかわる病でした。

まる一年、私は絶対安静を医者から告げられ、厳格な食事制限を命じられました。
長い長い、「飢え」との戦いが始まりました。
病名は急性腎炎で、もし慢性に移行したら確実に「透析」を受けなければ生きられなくなり、三十歳の誕生日は迎えられないだろうと医者から脅かされました。

幸い私は、一年後に快癒しました。
今になって思うことですが、あの頃私は、父が「私が生きていることを喜んでいる」ということを、心のどこかで感じることができました。
「あたりまえの話だろう」とお思いかもしれませんが、このあたりの感覚は、とても言葉では説明できません。
私はあの時、「病気になって本当によかった」と感じました。
高校受験もありましたが、父は「高校なんてどこでもいいから、無理するなよ」と、穏やかに話しかけてくれるようになりました。
私は、完全に両親(の期待)から解放されました。
ただ単に生きているだけで、喜んでもらえる存在になったのです。

私も今は人の親となりましたが、親ってけっこう馬鹿なんですよね。
平常では、子どもが単に「生きて」いてくれるだけで幸せだと思わない。
親と子どもって、奇跡のような「出会い」なんですけどね。

ご質問者も、お父様を許す必要はないと思います。
お父様を憎みたくなるのは当然ですし、その責任はご質問者にはないからです。
お父様のご質問者への仕打ちは、ご質問者の心の中で「断罪」されるべきものだと思います。

でも、いつの日にか、ご質問者も「父親」となられ、気づかれるだろうと思います。
私と一緒で、「父親ってのは、馬鹿なんだなあ」と。

その頃のご質問者は、あらゆる意味においてお父上を凌駕され、当のお父上はといえば、小さく萎んだ老人となられていることでしょう。
お孫さんと遊ぶことだけが楽しみな、小さな老人・・。

その頃には、ご質問者の心の傷も、すっかり癒えていることでしょう。
今は無理に、お父上を許すことはありません。

ご質問者自身が、大きくなることだけを考えて生きていって下さい。
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色んな事を棚に上げる(選択肢を一つしか用意してくれない、それ以外の道に進む事を恐怖によって妨害する)くせに『感謝しなさい』なんて言う親の事は嫌いになるのも無理ないですよ。


子供が成長するにつれて望むのは”自由”ですよ。それは自分の意志で将来を決めるという事です。後々その選択肢が広がったから・・・とかそんな事は関係ないです。そういう親の元で育った子供には実質選択肢なんて今までも無かったし、これからも無いのですから(黙ってたらね)。
そんな親は恨まれて当然なんです。子供の未来を奪っているんですからね(外目にはそう見えなくても)
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色んな事を棚に上げる(選択肢を一つしか用意してくれない、それ以外の道に進む事を恐怖によって妨害する)くせに『感謝しなさい』なんて言う親の事は嫌いになるのも無理ないですよ。


子供が成長するにつれて望むのは”自由”ですよ。それは自分の意志で将来を決めるという事です。後々その選択肢が広がったから・・・とかそんな事は関係ないです。そういう親の元で育った子供には実質選択肢なんて今までも無かったし、これからも無いのですから(黙ってたらね)。
そんな親は恨まれて当然なんです。子供の未来を奪っているんですからね(外目にはそう見えなくても)
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一生そのままかもしれないですよね。



うちも同じような感じで、殺されるかもとまではいきませんでしたが、私が失敗すると母が父に殴られたりすることもあったし、反抗すると私が殴られたりするので、一切自分の気持ちを父に伝えたことはなかったです。
残念ながら両親は私が成人した後離婚してしまったことをいいことに、父親とは連絡すらとっていません。

たまに元気にしているかなあと思いますが、離婚原因が父の浮気だったので、きっと今も新しい女の人と楽しくやっていることだろうから、まあいいかってな感じです。

そんなにすっぱり父との関係をすっぱりあきらめられたのも、父と祖父の関係をみていたからだと思います。
おかしなことに祖父もつねに女を切らさない人で、父は新しいお母さんに苛められたりしてきました。
祖父も留守がちで自分の子である父にあんまり優しくはなかったようで、よく殴られていたようです。
成人後父はあんまり実家に近寄らなかったみたいですが、結婚して子供ができて、母とうまくいかなくなってきた辺りからやたら祖父に執着するようになって、
わざわざ引越しまでして祖父と一緒に暮らし始めるようになりました。

父としては、自分が大人になって愛情を注げば自分のほうに振り向いてくれるかもと思っていたのでしょう
でも祖父はやっぱりいつも恋人がいて、父とは一緒に暮らしたくなかったようで最終的には出て行きました。

死ぬまで祖父と父はわかりあうことなんてなかったです。
祖父としては自分が可愛がって育てた子じゃなかったので、自分が歳をとって弱ったときにどんな仕返しをされるのか怖かったようです。
父も心の底から祖父のことが好きじゃなかったのにムリしてたから、祖父もそのことは分かっていたのでしょう。
父にあったのは「子供として親を大事にしなければならない」という義務感だけでした。


そういうの見てると、自分の心にうそはつけないなと思います。
ただ、周りの人からみてヘンだ!と思われないぐらい正月に顔を出すとか、電話をするとかだけしてればいいのではないですか?
いくら厳しい親でも、同じぐらいよい思いでもあればそんなに遠ざかることもなかったのだと思います。
スパルタだったことしか思い出がないなら、どんな自然な優しさもでてこないと思います。
敬して遠ざける、それでいいのではないですか?
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こんばんは。


転職を重ねて出世もしてきて大学を出たことを恨むなんてとっても不思議です。大学を卒業したからこそできたことなのに。大学での時間、人間関係など大事な思い出もありませんか?
私の主人は高卒で私は大卒です。非難されることもあるとは思いますが(個人差もありますし)世界の広がり方、知識の持ちようは全然違います。本人は大きな世界を知らないし(かくいう私も超エリートの世界はわかりませんが)、知らないから別に特に不満もない(サラリーマンではないので)ですが、たぶんご質問者様の世界は大卒でなければ獲得できない世界だと思います。周りに高卒の方がおられないからおわかりにならないのかもしれませんね。

質問者様はきっと思春期の頃に反抗期がなかったのではないかと思います。というのは、私も似た家庭環境だったのです。子供の頃はテレビはNHKのみ、その日の復習を終わらせなければ遊べず(当然終わらないので中高は友達と遊ぶことはありませんでした)、最終進学した私大は親を満足させる物でもなく今でもたまに嫌みを言われます(^^;)
私が社会人3年目に父が単身赴任から帰ってきました。それから遅い反抗期が始まり、父と口を聞かなくなりました。3年後に父は癌になり何とか生還したものの、さらに3年後結婚でもめて反抗し家を飛び出しました。それから2年ほとんど交流もありませんでしたが、出産で大変なことがあり、何とか無事に出産できてから少しずつ父と話をすることができるようになりました。
今、思うのはなんて馬鹿なことをしてきたのかなってことです。子供のために一生懸命に働いてきた父に対して、汚いだの家庭を顧みなかっただのよく平気でそんなこと言えたもんだなあと恥ずかしいです。それはきっと自分が仕事で大変な思いをして家庭をもったからわかったんだと思います。
なかなかすぐには変われないとは思いますが、こうして質問をして皆さんの回答を読んでご自分が嫌だと思っている親の枠からまだ出ていないことを認識すれば(失礼かもしれませんがまだ大人になりきれていないように思うのです。親が非常に厳しいとどうしてもそうなるようです。自分も同じなので・・・)、きっと親に対する接し方は変わっていくと思います。変わっていってほしいと思います。
お母様抜きで、ご兄弟と一緒にお父様とお酒でも酌み交わしてみてはいかがですか?
時間ってあっという間になくなってしまいますよ。
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私も結構長いこと、父親のことが嫌いでしたねー。


でも、あるときフッと「父は父なりに家族を大事にしようとしてるんだな」ということに思いが至り、それからは少~し楽な気分になりました。(今でもムカつくことは多々あるんですけどね。)

これは結局、時間の問題かと。
受け入れられるようになることも、結局受け入れられないこともあります。
「感謝しなさい」って、いくら言われてもtosu3oguraさんの気持ちがそうならないんだったら仕方ないですよ。

いずれ、(順番どおりに)お父さまが先に逝かれたとき、
「あのときの父の気持ちを聞いておけば良かった」とか
「父とこんなことをしておけば良かった」とか思うかもしれません。
でも、「後悔するかもしれないから早く打ち解けるように努力すれば?」なんて言っても、今tosu3oguraさんにはそんな気持ちサラサラないんですよね?

お父さまはきっと、自分を受け入れようとしない貴方の気持ちも分かってらっしゃると思いますよ。
だから貴方が実家に帰ってくることになると、喜んでいるわりには自分の方からも会話を切り出しにくいのでは…。
お母さまも きっと やきもきしてるんでしょうねぇ。

大人になってから父親と腰据えて話すのは、なかなか楽しいもんですよ。
お友達にもそんな方がいらっしゃったようですね。
tosu3oguraさんにも、そんな日が来るように、他人事ながら願わずにいられません。
きっと、いいもんですよ。
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「親孝行したい時には親はなし」


という言葉があります。

とは言え、私もどちらかと言うと親の事を敬遠しています。
自分が子を持ち、人の親になっても、感謝の気持ちはあまり出てきませんね。

うちはスパルタだったわけではなく、母が過保護な方でした。
心配症で子離れできない人です。
父はそういうことはないのですが、当然ながら母を庇います。
なので今は、妻の実家には近いですが、自分の親とはかなり離れた土地で暮らしています。

大学や勉強は役に立っていると思います。
数式を実際に使うわけではありませんが、知識の底辺が広がったと思いますし、学生生活は色々勉強になりました。
でも、親がお金を出してくれたコトを感謝する気持ちはあまり出てきません。と言うのも、親があまりに恩着せがましく言ったからで、逆にうんざりしてしまったのです。挙句に「少しくらい親孝行しなさい」と言って来たり・・・
自分で言うものですかね?親孝行しろと。

私は自分の子が大学行きたければ行かせたいと思いますし、当然学費も出すつもりです。しかし、それは親として当然の事であって、見返りを求めるつもりはありません。
価値観の違いとは思いますが、親孝行を強要する親に、親孝行したいとは思えませんね。

話がそれましたが、親が子供の心配して過剰になると言う点では、スパルタも過保護も同じように思います。
勉強が役に立つか立たないかは使い方次第なので何とも言えませんが、実際の所、それよりは親の態度が気に入らないという所が発端ではないでしょうか。

で、私の場合、たぶんこれからも”社会人として”電話で話したり、年に1回会うか会わないかの状況だと思います。
大喧嘩もしましたが、「もう年なんだから変わらない」と言われたので、それ以上関る気も失せました。
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私としてはご両親を恨む理由が見つからないのですが。

。。。。

高校、大学と進学されてきたということですが、そのときに進学するか?就職するか?という選択肢はあったのでは?
そのときに高校、大学と進学する道を選んで、親に学費を払ってもらったことは感謝するべきではないですか?

大卒であることは就職するときに有利という点ではもちろんですが、
大学で見つけた友人や自由に過ごした時間などはなかったですか?
私も大卒ですが、高卒の友人などから言わせると、
やはり4年間の自由な時間を与えられている。うらやましい。という答えになります。

それと極端な考え方かもしれませんが、
今の質問者さんがあるのは、ご両親がいて質問者さんが生まれて、
今までかかわってきたことすべてのことから今の質問者さんが出来上がっているわけです。
今の自分を否定すると過去もすべて否定したくなるかもしれませんが、
今の自分を肯定すると過去の出来事すべて懐かしく楽しい思い出になりませんか?


私自身も高校生くらいまではかなり親に反抗していましたが、
大学生のころに親の大変さが分かってからはいつの間にか仲良く本音の話なんかもしていますね。
まぁホントの意味で大人になったのかなと・・・・・
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応募資格が大卒の会社にいる(いた)のではありませんか?



ま、そんなことより、なるべく早くにあなたの方から心を開いて話した方が良いです。
昔どうだとか、何をされた、何を言われたとかそんなことはどうでもいいです。

お父さんが可哀そうだからというのでもありません。
あなたの為です。
はっきり言えば残された時間はそう多くはないということです。
いつ何があってもおかしくない年齢でしょう。

後悔しますよ、慟哭の涙を流し、自分を責めることになります。
「僕が実家に帰ると知ると、かなり楽しみにしているようです」
これだけでわだかまりも解けて消えませんか?
ありがたくて、ありがたくて涙が出ませんか?
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