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MANZAIブームの時の明石家さんまは、どういうポジションだったのですか。

A 回答 (2件)

70年代後半には「ヤングおー!おー!」でアイドル的人気で、80年からは同番組のメイン司会者も務めていたので、すでに関西では人気若手お笑い芸人の一人でした。



そのまま80年代に入ると「笑ってる場合ですよ」「俺たちひょうきん族」「笑っていいとも」と人気番組のレギュラーになり、全国区でも不動の地位を築いたと記憶しています。

漫才ブームを作ったと言われる「花王名人劇場」や「THE MANZAI」には縁が無かったようですが、漫才ブームは別にコンビ漫才師限定のブームではなく、ピン芸人も大勢活躍していました。
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恐らくですが・・・、


彼はピンだったので、ブームには関わりたくても関われなかったんじゃないでしょうか。
ですから「THE MANZAI」から「ひょうきん族」立ち上げへの流れにも乗っていなかったのではないかと思われます。
(高田純次急病&降板の後釜として、急遽の抜擢だったそうです。)

才能のある人は売れて当然なのですが、売れるタイミングとしては偶然だったのかもしれません。

当時の関西ローカルでの人気は、ちょっとわかりません。
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