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私は音楽を聴いて涙が出ることはあります。

その歌詞に共感したり、
そのメロディーに心が高ぶった時などです。

それと同じように
絵を見て感動して、涙を流したことがある方はいらっしゃるのでしょうか??

それはどんな感情なんでしょうか??

実は私は趣味で絵を描いていますが、音楽のように感動できる絵を描きたいと思っています。
しかし、自分自身絵を見て涙を流したことはありません。

どなたかヒントを頂ければと思いこちらに相談させて頂きました。
宜しくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

#11です。


お悩みのようなので、少しだけ。

>やはり、見る側の内に秘めたものとどうシンクロ出来るか。
>見る側の主観であるので、描く側ではコントロール出来ないのですしね。

イラスト(説明画)が感動的な物が少ないのは、それ自身を限定するような(説明する)絵という事が大きいと思います。

これは「百聞は一見にしかず」という言葉通り、音楽と絵の情報量の違いでしょう。
シンクロする確率が低いのは、それだけ曖昧さが少なく正確に伝わり易いのもといえるかもしれません。
しかし、シンクロした時の感激は比較にならない程 大きな物となるでしょう。

どこにでもありそうだけど、どこにもない。(理想的な美というのが、昔から追求されてきましたが、そういうものです)

また、見る者に合わせてもらうのではなく、絵の方でも合わせられるようにする方法もあるでしょう。
見る側に想像する部分を残しておくというのがそれです。
日本の絵で言う「間」など、西洋画で言うと「抽象化」でしょうか。
しかし、その「間」は何もない間ではなく、多くの物があり、一見しては何も無いようであるが、実はとても多くの物が描かれているものということが大切ですね。(たんに描き込むという事とは違うかもしれません。間によって表現されているというべきかもしれません。)

見る側との共通の物が無ければ、感激は少ないでしょう。
前衛的な物が、その時代に理解されなかったというのは、そういう事かもしれません。

まぁ、音楽という物は、そっぽを向いていても耳をしっかり塞いでしまわない限りなっていれば自然に入ってくる物です。(それだけに雑音も多いですが)
絵の場合は、見る事で初めて会話が出来る訳で、それには、掴みというものも必要です。
それと、先に述べた物を加える事で深みが出てくる訳で、これは音楽のような形の無い一過性のものには無い芸術かもしれませんね。

音楽や映画は時間とともに流れてしまうもの。
絵は時間を閉じ込めるもの。
同じ考えでは上手く行かないのではないでしょうか?

何かヒントになれば良いのですが・・・
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この回答へのお礼

watercolorsさん度々ありがとうございます。

今回の回答が少し私には難しいかったので考える時間を頂きました。
遅くなって申し訳ありません。

<<シンクロした時の感激は比較にならない程 大きな物となるでしょう
私には体験したことがありません。
その未知の世界が存在すること。私の体験しうる可能性があること。
それを知ることが出来き嬉しいです。

今回の回答で
絵というものをどうとらえるか。
と言うことを教えて頂いたような気がします。

「絵を沢山みて勉強しなさい。」
なんて難しい言葉だろう。と思っていました。
「勉強する」曖昧でどう考えたら良いのか分かりませんでしたが、
「絵を勉強する」ということの道筋も見つけられました。

watercolorsさんの回答の
絵に対する考えはどの意見も私にとって新しく、驚きと納得がありました。

本文を全て理解は出来ませんでしたが、
新しい問題提議をしてくれたことで、
新しい道筋が見えたことは確かです。
もう少し考えてみます。

音楽に対する思いよりも
絵に対する思いがあまりにも軽かったのかもしれません。
描く側であると自分で思っていたので、そこに隙が出来ていたのかもしれません。強めて言うならば傲慢であったとも言えそうです。少し恥ずかしいです。

<<同じ考えでは上手く行かないのではないでしょうか?
とても大きなヒントを頂きました。
今回の質問よりもっと大きなものを得れる気がします。
今は何を得れるのかは確かではありませんが、
前に進めそうです。

2度もありがとうございます。

お礼日時:2009/06/11 12:38

音楽を聴く事も絵を見ることも大好きな一般人です。


残念ながら絵心も歌心もないものですから、自身が創る側にまわる事はなく恩恵を受けるのみの身ですが。

音楽を聴いて涙した事も、絵を見て涙した事もあります。ただやはり前者の方が多い事は確かですね。
他の方も仰っていますが、芸術の中でもある意味音楽って特別なんですよね。音は物理的振動ですから直接”体”に響きます。そういう物理的刺激は心臓の鼓動や血圧に影響しますから、それが「感動」に結びつきやすい…という側面は少なからずあると思います。
「すべての芸術は音楽に嫉妬する」というニーチェの格言があると知った時は、さもありなん…と納得したものです。

絵を見て涙する場合は、やはりその画家やその絵のバックグラウンドをある程度知っていて、それに対する思い入れが強い時でしょうか。非常に月並みですが、ゴッホの晩年の作品などは、どうしても彼の生涯や満たされない孤独な魂に思いを馳せながら見てしまうので泣けましたね。
ただ、何も前知識なく見た際に、涙する…までいかなくても何だか切なく胸が締め付けられる様なじわっとする様な気分になる事も少ないですがあります。私の場合は主に風景画(具象・抽象を問わず)ですが、おそらく自分の心の奥底にある「原風景」の様なものとシンクロした時だと思います。

最初にお断りしました通り私は受動一方のファンですから絵のテクニックの事とかはまるでわかりません。ですからどんな絵を見る時もただ「好きか嫌いか」の感情だけで見ています。有名無名・日本画洋画問わず。
こういう人間が描かれる側の方に意見できる様な事は何もないのですが…描き手が「見る人を感動させようと思って」描いているのではなく、描かずには居られない衝動を持って制作活動に駆り立てられているからこそ、その情念が絵の中からにじみ出て見る側に何かを訴えかけるのではないでしょうか。
質問者様も見る側の事を気にするでなく、ただひたすら自分の描きたいものを追い求めて己の才能と格闘するのみ、それで良いのでは…といち素人は思いました。
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この回答へのお礼

「すべての芸術は音楽に嫉妬する」というニーチェの格言
まさにその通りです。
音楽に嫉妬しています。
ニーチェがそんな言葉を残しているなんて。
あまりの衝撃で、ゆるぎない事実だと確信させられました。
私の思っていたことが間違いでなかった事。
そして、大げさですが絶望感を感じました。

私の考えが間違っているのかも知れません。
感情的に書かせて頂くと、「音楽には勝てない」

音楽を愛するがゆえにそれを超えたいと思っていました。

私の出来る事は絵を描くこと。


やはり、見る側の内に秘めたものとどうシンクロ出来るか。
見る側の主観であるので、描く側ではコントロール出来ないのですしね。

確かに、コントロールしようとすること事態が間違いですね。
大きな間違いを犯す所でした。

今はmyun0922さんの回答にただ打ちひしがれている感じになっています。
涙が出てきました。

自分の才能や技術はこれから先、自分との戦いで見つけられると思っていました。
ただ、音楽を超えれる絵を描ける道が知りたかった。

でも、希望を持ち。絵を描き続けます。
そして、その答えをいつか見つけます。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/09 12:32

音楽だと、魂への浸透度が深いんですよ。

だから、容易に感動感激できますね。絵は、体に入りにくい。

体に入れるには、より、その作品の製作思想を理解しないとダメでしょうね。

私は、変な性分で、現代芸術の問題提議性に感動するたちです。日付だけの作品(キャンバスに日付時刻だけデジタル文字で書いてある)ってあったのですが、その思想性に圧倒されましたね。ちょっと涙ぐんだと思います。
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この回答へのお礼

魂への浸透度。
確かに、音楽は体に響きやすいです。

絵を体に入れるには
「製作思想」を感じるってことですね。

「製作思想」を感じるようにするにはどうすべきでしょう。
絵を見て読み解く。
かなりの技術が必要な気がします。

思想性に圧倒される。
やはり、作者のメッセージ。何を伝えたいか。
ということが重要のようです。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/07 09:56

ありますよ。



絵と共鳴するような、何かですね。
絵から何かが滲み出てくる感覚でしょうか。
あるいは、自分の中から絵の中に何かが吸い込まれるような。
その両方でもあります。

絵描きの立場から言わせてもらえば、言葉にできないから絵にするという事もありますしね。

#4の方がおっしゃるシンクロに近いと思います。

前出の回答にあるように、その絵の背景や、いきさつ等を知らなくても。
絵の背景やいきさつを知って見るのは、漫画のストーリーで感激するのと同じ感覚だと思うけど、それとは違いますね。

音楽でも、唄(詩のあるもの)ではなく、音色そのもので感激するものはありますよね。
全ての音楽がそうなるのではないように、全ての絵がそうではないだけで。
あなたは、まだそういう絵に出会っていないだけではないでしょうか?
多くの絵をご覧になる事で、あなたも体験出来るのではないでしょうか?
写真や画集ではなく本物の絵をご覧になる事をお薦めします。
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この回答へのお礼

こんにちは。
watercolorsさんはブログをされていますか?
watercolorsというブログを時折見ていたので気になりました。
もし違いましたらごめんなさい。

あるのですね。
「ある」ということをはっきりと確信をもってお答え頂いてありがとうございます。
簡潔で分かりやすいです。

人は何かを質問する際にある程度答えは見えているのかもしれません。

私もどこかでそのことを信じつつ存在するのかを疑い。
そうであって欲しいという願いがあったのだと思います。

これだけ多くの方に回答頂いて、自分に自問自答しそのことがようやく分かってきました。

私も音楽の歌詞よりメロディーや重なり合う複雑な音に感動をします。

私が絵に対してそのような感情を抱いたことがないのは・・
経験不足なのかもしれません。
そう思うととても前向きになります。

これから先、いつか感動出来る絵に出合えるように。
そうして自分もそのような表現が出来るように。

「絵と共鳴するような、何かですね。
絵から何かが滲み出てくる感覚でしょうか。
あるいは、自分の中から絵の中に何かが吸い込まれるような。」

この言葉を大切にしていきます。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/05 13:00

おはようございます。


kottinQです。

丁寧なお礼、ありがとうございます。
改めて自分の回答文を読んで、不確かなことしか書いていないなーと、思いました。

彼が障害を持っているから感動したのでは決して無いのです。

彼の絵と出会った後で、母親と会いました。
お母さんは、息子の絵がそんなに大した物とは思っていませんでした。
私が褒めても、はじめはそんなに喜んでくれませんでした。
「この線は本当にすごいです。絵をかじり、クロッキーをやった人間ならわかります。ためらいのある線は一本もありません。素晴らしいです。どんどん描かせてあげて下さい」。
お母さんは、私のアドバイスに応えてくれ、息子と向かい合ってくれました。私が初めて見た絵は、お母さんへの誕生日プレゼントだったのです。年に一度、たまたま描いた絵から、息子の一つの可能性を知ったのです。

個展会場に並んだ絵を見て泣けてきたと書きましたが、それらの絵は、親子の共同作業として私の目には映りました。
正直な気持ちを言えば、素晴らしい作品、個展の成功は、私のアドバイスに応えてくれたからという、自己満足の思いがあったことも否めません。

個展会場には、涙ぐんでいる人が何人もおられました。みんな、母親の人柄と苦労を知っている人たちでした。

話は変わります。
私はまだ行ったことがないのですが(この夏に行こうと思っていますが)、信州上田に「無言館」という戦没画学生の作品を展示した美術館があります。「すすり泣きが聞こえる美術館」と言われています。
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この回答へのお礼

おはようございます。
返事が遅くなり申し訳ないです。昨日は少々バタバタしていました。

私の質問自体が不確かなのかもしれません。
そんな質問に心を込めて答えて頂いてありがとうございます。

kottinQさんの答えは不確かではありません。
感情を文章にするのに抽象的になるのは仕方がないことだと思います。

kottinQさんの文章より私は沢山のことを考えることが出来ました。想像するきっかけを作って下さいました。

「彼が障害を持っているから感動したのでは決して無いのです」
その後のいきさつがどうであれ。
初めて絵を見た感動は正真正銘の絵から受けた純粋な感動だったのですね。

やはり「純粋な感動」は存在するのですね。
色々考えていくうちに「純粋」という一番大切なことに疑いを持ち始めてきていたのだと思います。だから、私はこんな質問をしたのでしょう。

信じることは大切ですね。

「純粋な感動」に少しばかりの自己満足があったとしても
それは微笑ましい「自己満足」のような気がします。

「無言館」とても興味深いです。
チャンスがあれば是非足を運びたいです。またまた新しいきっかけをありがとうございます。

お礼日時:2009/06/05 08:58

無ければ無いで仕方ないのではないでしょうか。



作者の制作にあたっての心境みたいなのが自分の問題に重なって理解できたと思ったときは感情的になります。
また作品が作者自身をも超えた物になったなと感じ取れる瞬間もあります。
生とか死とか人の意志ではどうにもならない時の流れは画題として描かれていない場合でも美術から感じ取れる場合があります。
歌詞の題材として理性ではなんともならない恋愛が選ばれている場合が多いのも関連があると思います。

美術は音楽のように演奏会場の空間をリアルタイムで支配したりはできないのですがずっと観ていられたり残ったりしますから違う強さを持っているので音楽家から見たらうらやましい特長だって持っているみたいです。それを生かせば良いのではないでしょうか。
メロディや音色が感情に染み込んでくるような強さほどではないですが色と形が直接染み込んでくる場合はあります。
実をいうと私が音楽を音として深く観賞できるようになったのは色や形を突き詰めて考える体験をしてからと思います。

あと言葉による補強も嫌う作家が多いのですが絵の中にむりやり図解を入れるよりは言葉で説明した方がむしろイイみたいで、そのようなアナウンスによる感動が邪道であるとは全く思わなくなりました。
しかし優れた作品ほど作品の中に心にはたらきかける造形要素が織り込まれているようにも思います。

美術にもいろいろあるんで感動を目的としない作品だっていくらでもある、あるのが良いのだと思います。
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この回答へのお礼

やはり、見た人と描いた人と共感できた時に感動するのですね。

「理性」など自分自身でコントロール出来ない部分の感情。または抑圧された感情。
それを表現している作品(音楽、絵を問わず)に人は突き動かされるということですね。

>>美術は音楽のように
とてもためになるお話でした。

私はある意味、表現する手段として
音楽を尊敬しています。
そして、音楽に嫉妬すらしています。

音楽ほどの感動を与えられるものを作り出せるのかどうか。
絵としての存在とは必要性とは。

考えると限りなくて困ってしまいます。

美術の強さを描いていただいて思考することの新しい道が見つかりました。
美術の特長。美術の良さをもっと探して行くべきだと思いました。

「私が音楽を音として深く観賞できるようになったのは色や形を突き詰めて考える体験をしてからと思います」
音と色や形。
まったく違うものが一つの流れとなってつながっていく。
とても興味深いです。その感性が変化していく流れの過程が知りたくなりました。

表現することに囲いは無くなってきていると。
だから、どんな方法があっても良いと。
それこそが、良いんだよ。
ということですね。

大きな視野で見ることが大切なようです。
それを教えて頂きました。

私の簡単な文章の質問から、深く読み取って頂いてありがとうございます。音楽と美術とを対比して書いて頂いて感無量です。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/04 12:41

涙を流すとは「理性のコントロールを超えて感性が漲った時」です。


ですから、言葉では言い表せません。
また、理性のコントロールも個人差がありますから、厳密には「こうなんだ」と話題にする事も困難です。

しかし、人間として共通している課題があり、共通の感性があります。
名画として取り上げるか、また逆に、ささやかな幼稚園児の心で捉えるか、それを感ずるとき、また直面したとき、涙を抑えることはできません。

まず【死】です。死は誰にでも必ず訪れます。死を前にしてあなたは
どんな風に心が動きますか。また、死をテーマにした文学、音楽、
絵画に接したとき心はどんな風に動かされますか。
テーマに真剣に向き合っていれば居るほど、心は動きますね。

ミレイのオフェリアの死をご覧ください。
まもなく死を迎える姿です。周りの花々にはそれぞれ花言葉があります。
頭の上には(この画面では写っていませんが、)駒鳥が居て、恋の歌を
詠っています。前幕の舞台でオフェリアが一緒に歌った恋の歌です。

同じように【老い】(木下晋先生の「祈り」、年老いた病の母の祈り)
【病】(イリヤ・エフィーモヴィチ・レービンの富豪の娘の復活)
【貧】(同じ作者の「船を曳く人々」)

他に【希望】【感謝】【愛(宗教画に描かれている神の愛)】等など。

文学、音楽、絵画、は【命】のメッセージです。描く側も、観る側も
無感動ならメッセージは伝わりません。
命と真剣に向き合うときに メッセージは伝わります。

私の個展では解説なしでも、涙する人、時には怒号する人が度々
居られます。人生最後の日にその日一日私の絵の前で過ごされた方も
居られます。 
エピソードは少なくありません。ご覧になられる方々にも恵まれている
のでしょうね。

心豊かな人生でありますように。

参考URL:http://cgfa.sunsite.dk/millais/p-millais4.htm
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この回答へのお礼

感性や感動を言葉で話し合うことは無謀で意味をなさないことかもしれません。

自分の知らない世界があるのかもしれない。
という好奇心もありました。

FinePencilさんは画家さんですね。
専門家とあるので、きっとプロの方なのですね。

文章にも絵に対するの強い思いが込められているように感じました。先ほど考えた文章ではないようです。私の勝手な思いこみでしたらごめんなさい。

「死」は究極のテーマだと思います。
「死」とは。
あまりにも深いテーマで今の私は見て見ぬ振りをしています。

「いつか死んでしまうから。今を精いっぱい生きよう。」
それぐらいにしか考えていません。

「テーマに真剣に向き合っていれば居るほど、心は動きますね。」
なるほど!!
そのテーマに真剣に向き合っている人は共感する。ということですね。

FinePencilさんは常に「死」を意識している。
その「死」をテーマとされた文学、音楽、絵画、に出会った時。
大きな感動が生まれる。

FinePencilさんは常に「死」を意識している。
そのFinePencilさんが描かれた絵を「死」を意識している人が見て。
大きな感動が生まれる。

最後のエピソードの部分を読みました。
絵で人のためになることが出来るって素晴らしいな。と思います。

自分の好きなことをして人の役に立ちたい。
だから絵を描きます。

私もそのような絵を描けるようになります。

自分の心が満たされて、人の心を満たせるのか。
人の心が満たされるから、自分の心も満たされるのか。
心豊かな人生を送りたいです。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/03 19:57

おはようございます。



私も絵描きの端くれで、絵も描けば、美術館にもよく通います。
しかし、どんな名画を観ても涙が出ると言うことはありませんでした。

その絵の誕生のいきさつを知っていれば、別です。

統合失調症、障害を持った若者がいます。彼は人とはめったに話しません。
その彼が母親の絵を描きます。コンテで一気に描きます。
その線の勢いは、とうてい私などが真似できるものではありません。
初めてその絵に出会ったとき、衝撃を受けました。お母さんと知り合い、「素晴らしい」と褒めさせてもらいました。
お母さんは、社交辞令と思ったかもしれませんが、その絵が大阪のある展覧会で特選になりました。
大阪にも観に行ってきました。勢いのある線は、他の作品を圧倒していました。

めったに人と会わない、彼と会いました。
ニコニコ笑ってくれました。「自分を認めてくれる人がわかるのです」と、おかあさんんが言ってくれました。

その彼が個展を開いたのです。
お母さんの顔ばかりです。
一枚として同じ絵はありません。
その日、お母さんの顔を見て、嬉しそうだ、怒っている、疲れていると、観察した顔を一気に描いています。

私は、その絵を見て、本当に泣けてきました。
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この回答へのお礼

こんにちは。

kottinQさんも絵を描かれるんですね。

統合失調症、障害を持った若者の絵ですが、
もし、彼が「統合失調症、障害を持っている」と知らなければ涙は出なかったのでしょうか。

回答の流れからみてkottinQさんは
彼は障害を持っていた。
絵を見て感動した。
彼に会った。
彼の絵を見て涙した。

私はkottinQさんが彼に会った。と言うことが大きいかったのではないかと思うのですが。

彼という存在と彼の作品。

絵の後ろにある何かがやはり
大きな感動を生む。ということですね。

絵を通して彼を見ている。ということにもなるのでしょうか。

絵を通して私を見てもらう。

う~ん。表現がナルシストっぽくなりました。

kottinQさんの回答を読んで、そうゆう要素も無きにしもあらず。だと思いました。

絵を通して感じるもの。
それも重要である。

大きなヒントになりました。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/03 19:34

普段から絵を描いている者です。



スランプに陥ってひどく落ち込んでいるときにクレヨン画のブログを見て泣いたことがあります。(http://plaza.rakuten.co.jp/crayon72/ 現在サイトでギャラリーやっていますhttp://www.yasu-crayon.com/)
「私、絵を描いてもいいんだな」って。
柔らかい色彩にとても慰められました。

特にストーリー性もないし優れた絵ではないのですが、包み込んでくれるような暖かさです。
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この回答へのお礼

ien-さんは普段から絵を描いてらっしゃるんですね。

URLありがとうございます。さっそく見ました。

絵に文章が書かれていました。
絵を見て文章を読んで感動されたのでしょうか。

ただ回答には文章のことが書かれていないので、色彩に感動されたということと受け止めます。

スランプの時だったとのことなので、その時の気持ちと色彩の柔らかさが共鳴したんでしょうね。

素敵なことです。
重要なヒントになりました。

ありがとうございます。

ien-さんはどんな思いでいつも絵を描いてるんでしょうか?少し気になりました。

お礼日時:2009/06/03 19:18

絵を見て泣く--これは非常に難しい問題です。


私は絵を見て涙したことはありません。

絵を見て涙する場合、
絵に描かれているストーリーや情景を感じて泣くということと
芸術性に感心して泣くという場合があると思います。

「いい映画だった」という場合と同じですね。
映画で描かれたストーリーが良いのか、
映画自体の出来が良いのかは別問題ですよね。

素人さんが初めて撮った「悲しいお話」でも泣けるでしょうし、
巨匠がとってもそれなりの脚本じゃ泣けないでしょう。

同じ絵を見ても、人によって見方が異なり、絵の構図や色彩を見ている人はなかなか泣けないではないでしょうか。

しかし、圧倒的な色彩と構図、それだけで人を泣かせてしまう作品があったら凄いです。

オランジュリー美術館、モネの睡蓮の部屋に立てば、涙が出てくるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

やはり絵をみて涙することは難しいことなのですね。

ストーリーや情景。感動することの重要な部分です。
やはりこの2つがないと感動することは難しいということですね。

「絵の構図や色彩を見ている人はなかなか泣けないではないでしょうか」
私はこのタイプです。

いかに美しい構成にるすか。
いかに鮮やかな色彩にするか。

今はそこに重点を置いて絵を描いています。

jun99さんの言葉を借りるとそこが致命的な点だと言えます。
絵に対する思いをもう一度見つめなおさないといけませんね。

涙する絵を描く。
可能性は限りなく低いようですが、
「圧倒的な色彩と構図、それだけで人を泣かせてしまう作品があったら凄いです。」
この文章を読んで、いつか描いてみせる。
という、情熱が出てきました。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/03 13:02

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