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GLAYのpure soulの歌詞の中に「賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む」ってありますよね。

他の質問サイトで見たらこの「賽を振る」の意味が
人に指図をする。指揮して物事を行う。
と解答されている方がいました。
(もちろんpure soulの歌詞の中での「賽を振る」という質問の中で)

賽とはサイコロという意味がありますよね。
僕は今まで「賽を振る=サイコロを振る=自分の道(人生)を決める」という意味で、自分の将来や未来を決める時が訪れて 今、人生の岐路に佇んでいる。
と思っていたのですがこの解釈は正しいとおもいますか?
前者の「指揮して物事を行う」だとその後の歌詞や歌詞全体から考えて違う気がするんですけど皆さんの意見を聞かせてください。
解答よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

他の方同様、私もサイコロ以外の意味があるのを初めて知りました。


ちょっと違和感があったのですが、改めてその意味を考えると、
「指揮して物事を行う」という考え方もなくもないなと思いました。

TAKUROさんの詩ですが、GLAYのリーダーとしてこれまでいろんな決断を
されたことがあるのだと思います。自分の夢の実現のため、GLAYの成功のため。。。

その中には、苦渋の決断や断腸の思いで決定されたことがあるのではと。リーダーとして。
その後にづつく、「人生の岐路」はサイコロを振るような運任せではなく、自分の責任において他人の人生に影響を与えるような辛い決定をされたことがあり、その時のことを詩にされたのかな?とちょっと思ってしまいました。ま、妄想膨らませすぎかもですが。

どちらが正しいか、というよりはそれだけこの曲の歌詞は意味が深いのだと思いました。
まさにメカラウロコの質問で、質問者さんナイスです!
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私も質問者様と同じ解釈でした。



賽を振るが指揮して物事を行うとゆう意味とは初耳でした。
でもpure soulの歌詞だと賽をふる=サイコロを振って人生を決める
って意味の方がしっくりくると思います^^
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みなさんのおっしゃるとおり、「賽を振る」というのは重大な決定をするという意味だと思います。

その方は「采配を振る」と勘違いされていると思います。
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この回答へのお礼

みなさんの回答で解釈に間違えは無いと思いました。
ありがとうございます!

お礼日時:2010/02/18 17:07

わたしも賽=サイコロだと認識しておりました。


賽は投げられた、ということわざもある通り、puresoulの歌詞内の解釈においても、質問者さまの「自分の将来や未来を決める時が訪れて~」というお言葉に同調致します。

ちなみに賽は投げられた、ということわざは、カエサルがローマに進軍する際に言った言葉だそうです。
「投げてしまったサイコロの目は変えられない」という意味のようですが、それを思うと、TAKUROさんのおっしゃった「賽を振る時は訪れ」という歌詞にもすごい重みがあるのだなあ…と考えていたのですが…、

解釈は人それぞれでしょうので何とも言えませんが、わたしは質問者さまのお考えに賛成です!
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます^^

お礼日時:2010/02/18 17:05

こんばんは。



私もずっと「賽を振る=サイコロを振る」だと思っていました。
前後を含めた解釈も質問者様と同じです。

「指揮して物事を行う」ではこの曲と意味が合わないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2010/02/18 17:02

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