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突然ですが、お聞きします。
よく言われる「運命の人」はいると思いますか?
よく、「会って、ビビッと来た」とか、「通常とは違う感情を覚えた」などという記述をよく見かけますが、
なにを根拠にそう思うのでしょうか?それこそ曖昧で不確実な感情なのだと思います。
自分の考えでは、それこそ宝くじに当たるような確率なので、運命の人など存在しないと思います。
仲良くなり、お互いを知り合い、敬い、信用を積み上げていき、結果的に「運命の人」になると。
思います。

運命の人はいる/いないかを答え、あなたの考えを簡潔にお答えください。
よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

単語を良く見て見ましょう。



はこぶ(運) いのち(命)の人

互い又は片方の命を、握り合って取り扱い合ってる間柄は全て運命の人です。

その中身がどんなものであろうとです。

その上で、「異性としての運命の人の善し悪し有り様」の質疑を行うと宜しいかと思います。

自身の中の運命の人の有り様は、人の数だけ存在して存在しないと言う答えに帰結するかと。
また、異性に関する運命の人の認識も時を経れば見直し変容する事も有ります。

簡潔に纏めれば纏める程、言葉は表現を数多の方へ上手く認識させ難いものだとも
踏まえて、書いておきます。誤認も同じく、言葉を尽くせば増えて行きます。
全文読んでの読解力が求められます。

例「川だ」 「あそこは川だ」「川ってなに?」「日本の川」「世界の川」

皆各自思う例川は、近所の川がよぎったり山から続いてくる感じとか世界の川は流通関連の何かに
想いを馳せる事もあります。比較を据えてどこの川であるかとかです。一番長いとか綺麗とかね。

運命の人が居ないと言う事は、この世に自分以外誰も人類が居ない事を意味するかと
存じます。

質問の出発点を、見直して見ましょう。

「会って、ビビッと来た」とか、「通常とは違う感情を覚えた」

根拠は、その人に有り。俗にソースは自分の様なものです。
その人が、思っても周りは違うんでないかいって事です。
周りがそうだとしても、一部のコミュニティー単位の間だけとか。

参考に為りましたら幸いです。
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この回答へのお礼

考えさせられるような内容ですね。
最初の意図する「運命の人」とは、異性間に限定した、と明記した方が良かったと反省しました。
まさしく、貴殿の仰るように、運命の人が居ないということは、自分自身の人間が誰もいないことに
なる、という意味は理解できます。
自分がそう思っても周囲はそうは思わない、ということも多々ありますね。

お礼日時:2011/06/11 19:40

はじめまして。



私も結果的にのなら「運命の人」はいると思います。

「会ってビビッと来た」「通常とは違う感覚を覚えた」は無いですが主人が私にとっては「運命の人」だったんだと思いました。だから子供も授かり今も離婚などせず仲良く一緒に居られるんだろーなーって。

プロポーズされた時に「私でホントに良いの?」って聞いたら「ビビッと来たから、こうしてプロポーズしてるんだよ」って返って来た事を内容を読んでいて思い出しましたよ。(この主人のビビッと来たって言うのは主人じゃないと分かりませんが…)

ん~主人に対しては結婚生活を重ねて増々、尊敬.信用.愛情が深まって来た感じですね…

例え方は変ですがスルメみたいですね^_^;
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この回答へのお礼

ありがとうございます。まさしく、貴殿は自分の意図する「運命の人」の考え方です。
時間の経過とともに、信頼、尊敬、愛情が深まり、結果的に運命の人になりうる・・・やはり、
それなりの縁が必要だったと思います。
待っていれば理想の人に巡り合える、などという虫の良い話はあるわけではなく、自分で動かないと
なりません。自分は結婚には無縁の人間ですが、どうぞ、ご主人を大切に・・・

お礼日時:2011/06/11 19:34

異性同士での運命の人に絞ると、私は、運命の人は存在する派です。



まず相手の事を分析し、将来のリスクを考慮して、それから信用を積み重ねていくなんて、どこかの政略結婚した中年夫婦の話なんでしょうか。

男女が出会った時に、「通常とは違う感情を覚えた」というようなバカバカしい感情って、とても大事だと思うんですけど。そこから運命の人かもしれないと思う段階で、何か確実な根拠がいるんでしょうか。

質問者様は、恋愛も結婚もロジカルに考えていそうなので、それはそれでいいとは思います。でも、運命の人になりそうな可能性のある人すら排除していそうな気がします。

私の意見としては、『「運命の人」は存在すると信じてるから、相手にとっても将来的に「運命の人」になり得る』です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。さて、すこし補足をします。(便宜上、異性の運命の人と絞ります)
相手のことを分析し、信用を重ねるというのは、とても大変な作業だと思います。
結婚は生活が懸っているわけですし、やたらな相手のすることはできません。まして一生の問題
なのですから、慎重に取り組まざるを得ません。
ゆえに、「通常とは違った感情を持った」を運命の人だと考えるには、人間の感情は不安定である
ので、非常にリスクは高いと思います。

一目で、運命の人かを判断できればこんなに簡単なことはありません。
白馬の王子様がやってくるなどという都合のよいことは、この世にありません。
従って、時間を掛けて、互いの信用と尊敬を積み上げて、結果的に運命の人になるでしょう。

お礼日時:2011/06/11 14:16

男性については、はっきりしています。


「いない人が相当数いる。」
男性余りですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに、適齢期(25~40歳の人口構成比)を見てみると
貴殿の仰るように男性の方が多いです。
しかし、そのうち全員が結婚願望を持っているとも限りません。
自分のような独身主義の人も男女問わずいるでしょうし、今は女性の社会進出も目覚ましく
ある程度、収入があれば生涯独身という選択肢もあります。

男性についてのみ、運命の人がいないというのはいかがなものでしょうか?
婚活(あまりこの語句は好きでないですが)は女性サイドが熱心だという統計もあります。

お礼日時:2011/06/11 14:21

います。



この世に生まれてきて、自分が好きになったなった人は男女を問わずすべて運命の人。

それらの人々にかかわる思い出はすべて自分の人生へのプレゼント、生きるパワーです。

宝石で言えばスタールビーのように輝き続けることでしょう。

また、国境を越えて、運命の人は存在します。メディアの中でしか見ることができませんが、そのプロの仕事ぶり、素晴らしさに勇気と感動と、日本人にはないスケールの大きいスター性を感じられます。言わばあこがれですね。

このように様々な運命の人々が多ければ多いほど、人生は楽しいと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やや拡大解釈した「運命の人」の考え方ですね。
自分に必要な人=運命の人と考えれば、その数が多いほど、人生は充実するという貴殿の
主張には概ね賛成です。生きるパワーになるというのも頷けます。

しかし、狭義(異性間)の運命の人であれば若干、話は異なります。
そう簡単に理想の人、フィーリングがバッチリ合ういう人に巡り合わせになるのは
極めて稀でありますし、どこかで妥協しなければなりません。
そこで、お互いの信頼関係の構築という作業が不可欠になるのです。

お礼日時:2011/06/11 07:39

運命の人は、この世に生を受ける前から両親が第一に運命の人である。

(居ますね)
命を握ってやり取りする人は運命の人で、何も一人では無く命尽きるその日まで
運命の人は、揺れ動いているものだと私は思います。(どの部分の誰か何かとの天秤)

広義的な面が有りますので、ついつい運命の人がいるいないに疑問絞りがちです。
質問者さんは、自身とその人との命の共有比重に支点を置いてらっしゃるのですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。命の共有比重というと大げさですが、ここでいう(狭義の)運命の人
とは、自分の理想、お互いのフィーリングに整合性が取れている人のことです。

そんな都合のよい人に巡り合えるのはほとんどありませんから、ならば自分の努力で「運命の人」
に仕立て上げることが必要です。そのためには、恋愛感情よりも、お互いの信頼関係か重要だと
思っています。世の中、信用で成り立っていますし、互いに思いやる気持ちなくして運命の人には
なり得ないと思います。

お礼日時:2011/06/11 07:44

どういう人が「運命」の人かというと、



・結果的に結婚して幸せになった
・うまくはいかなかったけれど今も相手の幸せを祈れる
・結局大事な友人になった

などいろいろみなさん御意見あるかと思います。(で、最初が多いかと思いますが、自分はそうではないです)

思うのですが、

最初はご自分の選択だったはず。
で、その選択に、今も後悔していない、そういう選択ができた、ということを、
曖昧な表現にして「運命」と呼ぶのでは無いかと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴殿は、運命=選択という考え方ですね。ある意味、的を得ていると思います。
人間、初対面ではその人がどんな人か理解できませんし、深くかかわっていくうちに
わかってくるのが通常でしょう。
なので、最低でも、「その人のことをもっと知りたい」という気持ちが必要です。
最初から、運命の人だ!と思うのはあまりにも短絡的です。
時間を掛けて、結果的に「運命の人」になりうるのだと思います。

お礼日時:2011/06/11 07:49

「運命の人」は存在すると思います。

私の場合は、夫になります。

「会って、ビビッと来た」とか「通常とは違う感情を覚えた」は全くなかったです。

でも今思うと、過去に起きた事象が全て繋がるんですよ。今現在の生活と、過去の生活を細かく紐解いていくと、不思議と説明がつくんですよね。

ちなみに、主人とは電撃結婚です。
すごく仲良くなったわけでもなく、お互いを知り尽くしたわけでもなかったけど、会うべくして会ったみたいな印象があります。3日後に結婚しました。


「結果的に」という点では、質問者様と同意見です。
何年も経った今、しみじみ思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
現在の生活を紐解けば、過去の出来事が理論的に説明できるということは。紛れもなく、その人は
運命の人なのでしょう。

自分の人生をも変えてしまうような人。結婚に限らず、学校の恩師、会社の上司、友人・・・色々
なケースがあると思います。

会うべきして会った、後々のこと何も考えずに3日で結婚とは、今後のリスクを全く加味していない
ということでしょうか?リスク・マネージメントという言葉をご存じないですか?
自分なら、相手のことを時間をかけて見極めるので、貴殿のような選択は絶対にあり得ませんが。

お礼日時:2011/06/11 07:56

私はかつて“運命の人”を信じてきましたが、実は違うのではないかと気付きました。



ビビッとくるのは自分の好みだからで、そんな感情を持つ人の方が多いと思います。

それより、いつの間にか傍に居て、居心地がいいなぁと思える異性が将来は運命の人になるんだろうと思います。
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運命の人ということは、なんだかんだいろいろあっても結果的にくっつく人であり、それでシアワセになれるかどうかは別の話だと思います。



つまり、幸せになる運命の人は誰であれ結婚すれば幸せになれるし、不幸になる運命の人ならその人が不幸になるための特質を持った人が結果的に結婚相手になるわけです。

でも、運命なんて結果論、ビビッときて結婚したのに別れたカップルもいました、運命の人なんていやしませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。数々の困難と苦難があっても、結果的にくっつくのが運命の人で
それは結果論でしかない・・・その通りだと思います。

ビビッと来て結婚したものの結果的に別れる、というのは相手の分析が出来ていないこと、これから
起こりうるリスクについて考えていなかったこと、いわゆる「勢いに任せて」の結果だと考えます。

貴殿の仰るように「運命の人はいない」というのは賛成で、自分が相手を思いやり、信用し、信頼と
尊敬を積み上げて、その結果が運命の人なのだと思います。

お礼日時:2011/06/11 08:57

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