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不安を抱えている人に対して、根拠がないけど「だいじょうぶ!」と励ますことがありますよね。

たとえば、ハイリスク妊娠をした妊婦に「だいじょうぶ!」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0815/434938. …

残念な結果になった元妊婦には「次はだいじょうぶ!」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0814/434569. …

私は、こういう励まし方には正直いって違和感があります。無責任で、時には残酷ではないかと。

そこで「だいじょうぶ!」と励ます人にお尋ねします。

(1) この言葉はどんな真意で言っていますか。たとえば
・本当に大丈夫だという確信がある
・単なる励ましの慣用句だから、文字通りに解釈されては困る
・「大丈夫だといいですね」の略語

(2) 大丈夫ではない結果に終わってしまった場合、「無責任なことを言ってしまった」と思いますか。

そのほか、ご意見があればお願いします。

A 回答 (10件)

まあ、他のどんな言葉を使ったとしても望まない結果になっってしまう事はあるわけで、ではその場合にはその励ましの言葉について無責任だったと反省すべきなのかどうか、については考えなくても良いんですね。



私は他人からの励ましの言葉は根拠が有ろうとなかろうと、「ありがたい」と感じるか「おめえには関係ねえよ」と感じるか、のどちらかなので、いずれの場合でも励ましの言葉を掛けてくれた相手を恨んだり憤ったりはしませんね。

>(1) この言葉はどんな真意で言っていますか。
A・単なる励ましの慣用句だから、文字通りに解釈されては困る
励まされた時も同様です。

>(2) 大丈夫ではない結果に終わってしまった場合、「無責任なことを言ってしまった」と思いますか。
こちらが相手に対して責任を持つべき立場(職務上の管理者、保護者など)であれば反省し、善後策を探ります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>他のどんな言葉を使ったとしても望まない結果になっってしまう事はある

おっしゃるとおりです。
しかし「大丈夫」は他の励ましの言葉とは違います。良い結果を予言しているわけですから。持ち上げておいて落とす、という恐れがある言葉です。

よって私の場合は
「それは心配だね」「大丈夫だといいね」
のような励ましを心がけています。

お礼日時:2011/08/20 22:34

「大丈夫」



の励ましは、大丈夫な時とそうでない時がある。

「場合による」それだけ。

どんな時でも、どんな間柄でも、どんな場合でも通用する魔法の言葉なんて存在しないし、逆に、どんな場合でも絶対に言っては駄目な言葉なんて存在しない。

時には「無言」や「バカ」って言葉に救われる場合だってあるかもしれない。

ちなみに私は、すごく悩んでいる時に「(そんなことで悩めるなんて)暇なんだね」というキッツイ言葉に救われたことがある。勿論、万人には勧めないけれど。

「頑張れ」という言葉は「絶対に言ってはいけない言葉」として駆逐されるつある。この言葉でなければならない時だってあったはずなのに。逆に接客用語はどこもかしこも馬鹿の一つ覚えみたいに「お疲れ様」で統一されつつある。なんだかなぁ。

質問者さんが「大丈夫」という励ましに違和感を覚えたとしたら、それはその時言った相手の態度やタイミングに問題があったのだろうから(少なくとも質問者さんサイドからすれば)、そのこと自体は否定しない。でも、「だから『大丈夫』という励ましは良くない」という法則にむすびつけるのはどうだろうか。

「大丈夫」という言葉自体がいいか悪いか、そんな問いかけにはあまり意味はないと「私は」思う。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

同感です。すなわち、私の疑問は
「励ましの言葉というと、馬鹿の一つ覚えみたいに『大丈夫』が乱用される」
ということなのです。

お礼日時:2011/08/31 23:37

自分が経験していて、そのひとが同じことになっているときに、私でさえできたのだからあなたでも大丈夫!と元気、勇気をこめていうときあります。

 あまりに困難なことだと、大丈夫だとはいえませんね。

このひとなら乗り越えられる、これくらいならできるだろうというときも大丈夫といいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すなわち、おそらく大丈夫そうだという根拠があるときに大丈夫を使うのですね。
私の疑問は、その根拠がないのに大丈夫と言うことです。

お礼日時:2011/08/31 23:38

私は無責任かつ無神経に使っています。


何が大丈夫でそう言うのか、と言う点において、おそらく質問者様のあげた例とはかなり違う場合に使っているので参考にはならないかも知れませんが、そんな事では死なない場合とかで(いや、それはそれでつらい事かも知れないけれども)、そこで諦めたり、くじけたりして欲しくない時に言います。
この使い方は、あくまで何か起きた後の過去の事象に対してです。
これからどうにでもなっていけるから、そこでおしまいにするな、と。
他の使い方では、わからない未来に対して言う事はありませんが、何かの時には私が力になるから大丈夫、と言う場合です。
いずれにしても、励ましたいだけの事で、落ち込みたければ勝手に落ち込んでおればいいが、元気になる気がないなら目障りだからよそへ行ってくれ、と言うのが、本心かもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/31 23:39

(1)挙げられている例とは違うので、あまり参考にならないかもしれませんが私が「大丈夫」と言う相手は配偶者と子どもたち(小さな時)です。



なにか不安になって困っている時。

結果がどうであろうと「私は君の味方だよ」「独りにしないよ」「最悪の結果になっても一緒になんとかしよう」という気持ちで使います。

(2)一緒に大丈夫な方向に軌道修正して行きます。

過去に色々なことが有りましたが今のところ、なんとか大丈夫で凌いで来ましたがこれからも凌げる保障は無く、最悪の場合は「大丈夫」と言いつつ私も一緒に堕ちていくかもしれないことを考えれば「無責任なこと言っているな」という気もします。

でも、大切な人と堕ちていけるなら私は別にいいかな・・・

やっぱり私は無責任ですね。(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/31 23:40

まぁ、「こまち」ですからね。




私は「絶対に大丈夫と確信が持てるのに、当の本人がナーバスに考えすぎていて自身の実力が発揮できないおそれがあるのではっぱをかけて励ましたい」
という時以外使いません。

状況もよく知らず軽々しく「大丈夫、大丈夫」と無責任にいうやつの言うことは何も信用しません。
そういう馬鹿は少なくとも私の友人にはいません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/31 23:40

細かな回答にはなりませんが 私の経験から少し…。



場合によります。
『大丈夫』って言葉

軽々に言える類の 本当に他愛のない事に対しては 相手に
『大丈夫さぁ』と言います。

しかし、『大丈夫』よりも『お気の毒でしたね』という言葉と合致する場合もありますよね。

私は夫と死別した時 結構な割合で 『まだ若いから大丈夫』とか『人生これから』とかの言葉を沢山頂きました。
当時は質問者さんの気持ちの様に 無責任な言葉だなって思いましたし、軽いなとも思っていました。
以来 『大丈夫』の言葉を結構意識するようになりましたが……。
深刻な物事の場合は私は『大丈夫』は やはり躊躇します。
自分の経験からです。
しかしその経験で、 時がくれば『大丈夫』になる事を知りました。

きっと『大丈夫』って言った人は 『時が経てば大丈夫』って言いたかったに違いない…。いつの間にか 私自身が答えを出していた。だって今本当に『大丈夫』なんだもん。

人間って その時は言葉を受け入れられなくて 相手をウザく無責任に思っても 時が経てば 言葉の意味や相手が言いたかった事を理解できる心に変わるものです。
そうやって 人間は色々複雑にも 考えながら 成長していく。
私はこれを【人間の可能性】として受け止めています。
心は良くも悪くも 日替わり弁当の様に変わる。実際 昨日の心と今の心は 全てにおいて同じじゃない。
自分の考え方を ギューギューに固めたとしても 日々の生活において 刺激され 変化している…。

質問者さんが今聞く『大丈夫』と一ヶ月経ってからの『大丈夫』はドコカが違うはずなんだ。
私は気付きたいから
気付く生活を心掛けてきました。沢山の人の『大丈夫』という言葉の意味を知りたいからです。
『何であの人は私に大丈夫って言ったんだろう。根拠あるのかな?それとも 口先だけ?』

答えを知りたいから随分そこにこだわりたくもなる。
でも 解決してくれたのは 時間だったと思う。私の心が変わり
『大丈夫』の言葉を真っ直ぐ受け止められる様になった。
これは時間の経過と共に ゆっくり変わった。

結局ね、自分の心持ち次第で 違うんだよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/31 23:41

大丈夫という言葉は私なら言われて安心します。


無責任だと感じる場面もありますが、
一種のおまじないのように落ち着かせたいときに自分で言ったりします。

身内が自分の子供の呼吸の為にのどに挿入している管が詰まって、
すぐに管を交換しないといけない処置の時、
(呼吸困難になって、唇が紫になり一刻を争う場面でした)
手が震えるほどあわてていた身内の様子をみて、
落ち着かせようと思い「大丈夫」「大丈夫だから、いつもどうり処置して」と言いました。

なんとか間に合い、ほっと一息したあと、
身内から「パニクリそうになったけど、あなたが「大丈夫」って言ってくれたから
落ち着いて処置できた」と言われたことがあります。

1)その時は大丈夫であって欲しい。という切実な願いや
  あなたなら、大丈夫、きっとうまくできる!という確信から出た言葉でした。

「大丈夫」という言葉は、信頼している人から言われれば、心強い言葉だと思います。

2)大丈夫じゃない場面に遭遇していないので、おまじないが効いているのかも。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、暗示をかけることで良い結果を引き出そうという意味があるのですね。

お礼日時:2011/08/20 22:35

自分から見て、絶対に大丈夫と言えるものならこの言葉は使ってもいいと思います。


でも、何の根拠もなく「大丈夫」と励ますのは無責任ですよね。
私自身、ハイリスク妊婦だった経験があります。医師や看護士の「大丈夫」は励ましになりましたが、身内や友人の「大丈夫」は「知識もないくせに無責任だなぁ」と思ってましたから。
自分がそう感じたので私はあまり使わない言葉ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
専門知識などの裏づけがあれば良くて、なければ無責任だと。

お礼日時:2011/08/19 23:00

他にいい言葉がありません。



よく「無責任」という言葉を見かけますが、考えすぎです。
大丈夫ということばは本当にすばらしい言葉です。

大丈夫と言われて「無責任なことを言いやがって」としか思えない人とは
付き合わないですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大丈夫ではない結果に終わっても、無責任だと感じるほうが悪いというご意見ですね。

お礼日時:2011/08/19 22:59

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