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「2つの歌」は、<異なる歌詞>で<異なるメロディー>です。「同時進行」は曲の中で部分的にそういう箇所があればけっこうです。具体的には <例> をお聞きになってみてください。おすすめの曲を教えてください。

<例>

「プレイ・ア・シンプル・メロディ」(ビング & ギャリー・クロスビー)


「スカボロ・フェア」(サイモン & ガーファンクル)
https://www.youtube.com/watch?v=-Jj4s9I-53g

「ブルー・スカイズ」(ナット・キング・コール & パティ・ペイジ)
https://www.youtube.com/watch?v=QRiXpTEmo3s
歌われている曲は「ブルー・スカイズ」と「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」。
ジャズ演奏は「バードランドの子守唄」。

※ 「クラシック曲」は対象外とします。
※ おひとり 3曲まででお願いします。

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A 回答 (8件)

こんにちは~


表題を見た時に最初に「スカボロー・フェア」を思いつきましたが<例>にありました

あとは、ぱっと思いつきませんが
I've Got A Feeling - The Beatles


この曲の後半でジョンとポールが別々な歌詞とフレーズで歌っていますが、これもありでしょうか
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この回答へのお礼

》 I've Got A Feeling - The Beatles

よく出来ていますね。ジョンとポールが底力を見せた作品だと思います。

》 この曲の後半でジョンとポールが別々な歌詞とフレーズで歌っていますが、これもありでしょうか

当アンケートの趣旨にぴったしです ^^。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/28 17:50

こんばんは~またビートルズの曲ですが



She's Leaving Home - The Beatles


1番と2番のポールが歌う「彼女は」~「出て行く」~「家を」
3番の「彼女は」~「楽しく」~「過ごしている」のところに
ジョンが掛け合うように歌われています
とても美しい曲でポールの作ですが、ジョンのパートの詩はジョンが手伝っています
この曲でビートルズは演奏していなく、ジョージとリンゴはレコーディングに参加していません
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この回答へのお礼

》 She's Leaving Home - The Beatles

アルバム「サージェント・ペッパーズ」は全曲ともすばらしいですが、この作品は、正に「美しい」という表現がぴったしの名曲ですね。ハープとストリングスの伴奏もきいています。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/29 10:52

また変なヤツを。



The Sunshine Underground


メロディが交錯するだけでなく、リズムも交錯していきます。
ゆったりした曲かと思ってじっと聴いているといつの間にやら高速のダンスミュージックに。
よく聴くと分かりますが、リズムが速くなっているのではなく、
異なるトラックを重ねる事で上手くリズムを分割しながら体感速度を変えています。
構造を分解すればするほど良く出来た曲です。
DJならではの作り方ですね。
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この回答へのお礼

》 The Sunshine Underground

知らないジャンルの曲で面白く聴かせていただきました ^^。

》 リズムが速くなっているのではなく、
》 異なるトラックを重ねる事で上手くリズムを分割しながら体感速度を変えています。

技術的なことは私の理解を超えていますがなんとなくうなずけます ^^; それとエンディングですが、だんだん遅くなっていくように聞こえますが基準となっているテンポは変わっていないですね(?)

あと、素人的な感想ですが、ミニマルミュージックや Penguin Cafe Orchestra の影響を受けているのではないかとちょっと思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/29 10:33

※「あの人に似ている」中島みゆき&さだまさし



http://www.nicovideo.jp/watch/nm11937892

大変珍しい二人の合作です。
前半は二人が別々に歌っているようで、
サビで合流するという仕掛けです。

「『マッサン』の主題歌は無関係です!」( ゜д゜)/
「話をややこしくするなよ!!」ヾ(゜д゜ )
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この回答へのお礼

》 ※「あの人に似ている」中島みゆき&さだまさし

初めて聴きました。最初は、誰かが、二人の歌を継ぎはぎして合成したものかと勘違いしました。そして、よく出来ていると感心していたらそういう曲だったのですね^^;; それにしても、豪華なデュエットです ^^。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/29 09:04

こんにちは(^-^)



ポール・マッカートニーの「心のラブソング」は
確か、そんな感じだったような気がします。。
違っていたら、ごめんなさい。
ご存じの曲かもです。
どちらにしろ、とても素敵な曲なので、
回答させていただきます・・。
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この回答へのお礼

》 ポール・マッカートニーの「心のラブソング」

初めて聴きました。明るいラヴソングで、これなら恋もうまくいきそうという感じがしてくる曲でした。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/28 20:31

ちょっと毛色が違いますが…



2曲を1曲に合体させる、というコンセプトの楽曲です。
(イメージは合体ロボだとか)
シングル発売時には、わざわざ2枚組にして、
2つ同時に再生するという遊びが出来るようにしてありました。
CDで完璧に合わせるのは難しかったですねー。

1曲目 STAR FRUITS GREEN
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10615107

2曲目 SURF RIDER BLUE
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10615189

合体後 STAR FRUITS SURF RIDER
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この回答へのお礼

》 1曲目 STAR FRUITS GREEN

まずヴォーカル。波の効果音がきいています。

》 2曲目 SURF RIDER BLUE

面白いです。単独で、音楽として十分楽しめると思いました。

》 合体後 STAR FRUITS SURF RIDER

「1曲目」、「2曲目」と聴いてから「合体後」を聴いたわけですが、やっと完成品を耳にすることができたという喜びがありました(笑)。波の音がそれと分からなくなっているというようなところもありましたが仕方ないですね(うちの PCの再生能力のせいかもしれません)。

全体の感想ですが、遊び心のある実験作だと思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/28 18:53

質問者さんの内容と異なるかも知れませんが、一つの曲に異なるメロディーがある。

と言うことで、古い曲ですが、映画音楽「戦場にかける橋」のテーマ音楽。「クワイ河マーチ(ボギー大佐)」、ミッチ・ミラー合唱団ですね。
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この回答へのお礼

》 映画音楽「戦場にかける橋」のテーマ音楽。「クワイ河マーチ(ボギー大佐)」、ミッチ・ミラー合唱団ですね

「ボギー大佐」と「クワイ河マーチ」は別の曲。そして、その2つを合わせて演奏したのが、ミッチ・ミラーの「クワイ河マーチ(ボギー大佐)」という解釈でよろしいでしょうか。

調べてみたら、以下のようでした。

「ボギー大佐」F. J. Ricketts 作曲(1914年)
「クワイ河マーチ」Malcolm Arnold 作曲(1957年)。
「クワイ河マーチ(ボギー大佐)」ミッチミラー(1957年)。

youtube に、「ボギー大佐」と「クワイ河マーチ(ボギー大佐)」を左右のチャンネルに分けて聞けるようにしてくださっている動画がありました。今までずっと同じ曲だと思っていたので勉強になりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/28 15:57

対旋律や副旋律があって、別な歌詞も付いているということですかね



二つ、というか最終的には四パートですが、旋律ラインとしては二つです
ウエストサイド物語から「クインテット」です。

よくこの違うタイプのメロディが絶妙に絡み合うなぁと
鳥肌が立ちます。
2分20秒ぐらいから同時に絡み始めます。
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この回答へのお礼

》 ウエストサイド物語から「クインテット」です。

見事ですね ^^。昔映画を見たときは漫然と聞いていたのですが、もう一度、音楽中心に、映画を見たくなりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/28 09:41

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Q男女が異なる歌詞のデュエット曲はなんていうのですか

・同時に声を出すが異なる歌詞のデュエット

・片方が少し遅れて始めるが、歌詞の文字数もしくは速度が異なることにより二人同時に歌い終える

こんな歌・歌い方って何か名称があるのでしょうか
海外の歌でこんなのを聞いて気に入ったので他にもこんな歌がないか検索したいのですが
検索ワードすらわかりません

Aベストアンサー

日本語では、「掛け合いデュエット」と言います。

音楽用語「掛け合い」
ボーカルや楽器演奏などで、二人以上でフレーズを交互にプレイすること。

Q汚れつちまつた悲しみに・・・

中原中也の、汚れつちまつた悲しみに・・・、という有名な詩の意味を、どなたか教えてください。この詩は、いったい何を表現しているのでしょうか?伝えたいことはなんなのでしょう。ひたすら悲しい、ということは伝わってくるのですが、あまりよく分からないのです。

Aベストアンサー

 
詩にしても和歌にしても、俳諧にしても、これはこういうできごとの折りに造られたものだ、という説明を聞いて、意味が分かるとかは本当はおかしいのです。

作品を読んで、聞いて、何かの心の感銘を受けて、その後、その作品が作られたときの状況や経緯をしって、なるほど、よく分かるということで、作品としての感銘・感興は、説明と独立していなければならないのです。

造られた状況が分からないと、感銘がないとか感興がないというのは、作品になっていないのです。

中原中也の詩は、その点、少し問題があるのです。読んでも、よく意味が分からないとか,何を言っているのか感興がないという人がかなりいるのです。その他方、中也の独特な作風というものに惹かれる人がかなりいるのも事実なのです。

幾つかの作品を読んでみて、中也は、その言葉にどういう思いを込めたのだろうか、と考えていると、ある程度,何かが分かってきます。無論、分からない、感じられないということもあります。

この作品は、著作権が切れているはずで、引用してもよいはずです。全文は、下の参考URLにありますが、一行置きに繰り返される、「汚れちまった悲しみに」と「汚れちまった悲しみは」をはずしてみます。次のようになります:

>汚れつちまつた悲しみに

>今日も小雪のふりかかる
>今日も風さへ吹きすぎる

>たとへば狐の皮裘(かはごろも)
>小雪のかかつてちぢこまる

>なにのぞむことなくねがふなく
>倦怠(けだい)のうちに死を夢む

>いたいたいしくも怖気づき
>なすところなく日は暮れる……

「汚れちまった悲しみに」という表現が、自嘲的で投げやりな表現だという感じは確かにあるのです。「悲しみ」が「汚れる」とは、何と気障な、とも感じるのですが、他方、これは非常に自嘲的な言葉に響きます。それでは、「汚れちまった悲しみ」を除くと、詩はどうなるかというと、上のようになります。

二連目の「たとへば狐の皮裘(かはごろも)」というのは、何を言っているかよく分からないのです。感覚的に分かるか分からないかの問題のようになります。

しかし他の行は、通俗的な言葉のようで、しかし、

>今日も小雪のふりかかる
>今日も風さへ吹きすぎる

ここには、何か痛々しい感情の苦痛と絶望のようなものが、造形されています。この表現自体、まだ自嘲的な感じがしますが、中也の他の作品を見ると、やはり、こういう自嘲的な感じの言いまわしが出てくるのですが、しかし、他方、その部分だけを見ると、高度に冷静に緻密に彫琢された、詩的形象が含まれています。

中也の詩は、どこかユーモラスで自嘲的な言いまわしと、綺麗な詩的形象と、そして悲哀というか、切ないような悲しみの三つの要素から大体できているのです。

この作品にも、この三つが含まれていて、この場合、詩的形象が一番希薄というか、形象はあるのですが、それが自嘲的な表現に隠れてしまっています。

どこかユーモラスで自嘲的な言いまわしは、中也が自分自身を反省的に眺めている結果,出てくるのだとも感じられるのです。この詩の場合、自虐的とも言えるレベルまで来ているのですが、しかし、上に抜き出したラインを見ると、詩の形象彫琢は行っていることが分かるのです。

中也の詩は、自意識過剰で、自己の感情に溺れているようにも思えるのですが、良く読むと、冷静にそのような自己を眺めている視線があるのです。「自嘲」とは、そういう状態だとも言えるのですが、中也の場合、ただ自嘲に溺れこんでいないというのが、彼の作品を「詩」と評価する人たちの見方でしょう。

自嘲し、悲哀の感情に溺れているように見えるなかに、冷静に詩の言葉を彫琢している中也という詩人がいるということになるのです。すると、これは、単なる自嘲や自虐ではなく、もっと複雑な屈折した意識のありようの表現であるとなります。

どこかユーモラスな自嘲的な屈折した、いわば青年期の自己の客観視のような視点と距離の取り方、それに先に述べた,詩としての形象彫琢と、悲哀という組み合わせで、「中原中也世界」というものが出来あがっているのです。

自嘲的な視点に心動かされる人と、詩的彫琢に心動かされる人と、悲しみのある言葉に心動かされる人がいるということになるのですが、これらは、どれも、中也の詩の世界を前提にしているのです。

この「汚れちまった悲しみに」は有名な作品ですが、これは詩ではなく、青年が日記に書くような感傷的で自意識過剰な言葉の羅列だと感じられる人には、これはそういうものに見えるのです。

立原道造という青年詩人がいて、若く亡くなりますが、彼の感傷的リリシズムの詩は、エピゴーネンが一杯あるが、しかし、立原はエピゴーネンとは一線を画しているという評価を昔,読んだことがありますが、「一線はなかった」というのが答えだったと思います。

中也の場合も同じで、こういうスタイルのエピゴーネンはたくさんいるのです。そこで一線があるのかというと、あるのですが、ないとも言えます。しかし、中也の詩は模倣できないのです。こういう自嘲的で悲哀のある詩の真似はできますが、「中也の詩」にはならないのです。

この詩は、投げやりになり自嘲的になって、「人生はこんなものさ」と言いつつ、感傷的に悲しみや絶望をうたっているように思えますが、どこか、「冷静さ」が入っているのが特徴なのです。自分を反省して自嘲する自分自身を、また冷静に眺めている自分がいるというような構造です。

何重にも、こういう自己観察、自己省察の視点があるのではないかというのが中也の詩で、立原の詩は、ここまで自己省察した視点がある意味ないとも言えます。

立原の詩は、詩的空間からある距離を置いて、詩を形象している作者がいるのですが、中也の詩は、もっと自己観察・自己省察が錯綜しており、もっときっちりした詩的イメージを彫琢できながら、敢えてそれをしない中也という存在が感じられるのだとも言えます。

実はわたしもこの詩はよく分からないのです。しかし、中也の他の詩のなかに、その哀切さと美しさに心動かされる作品があるのであり、そこからすると、この詩にも、大きな感銘を受ける人がいるだろうと想像できるのです。

この詩がよく分からない場合は、中也の他の作品を読んでみて、どれか心に感銘を受けるものがあれば、もう一度引き返して、この詩に戻ってくると、違って見えてくる可能性があります。

最初に述べたように、この詩がどういうできごとの背景で造られたのか、関係がないのです。

No.1 の方の回答が簡潔で見事に中也の詩の構造を言い当てているのですが、そういう意識は、実は大勢の人が持っていて、しかし、彼らは中也ではないのです。しかし、中也の詩に心動かされる人たちなのです。

「近代人的意識」と言えば、小林秀雄につながって行くのが分かるでしょう。
 
>汚れちまった悲しみに
>http://macalfa.tripod.co.jp/YomuFiles/yogore.html
 

参考URL:http://macalfa.tripod.co.jp/YomuFiles/yogore.html

 
詩にしても和歌にしても、俳諧にしても、これはこういうできごとの折りに造られたものだ、という説明を聞いて、意味が分かるとかは本当はおかしいのです。

作品を読んで、聞いて、何かの心の感銘を受けて、その後、その作品が作られたときの状況や経緯をしって、なるほど、よく分かるということで、作品としての感銘・感興は、説明と独立していなければならないのです。

造られた状況が分からないと、感銘がないとか感興がないというのは、作品になっていないのです。

中原中也の詩は、その点、少し...続きを読む

Q全然違う曲なのになぜか伴奏とうまく合う歌

ふつうはその歌のカラオケで歌いますが、その歌のカラオケではなく全然違う曲なのにコード進行が同じとかでなぜか伴奏とうまく合って唄えてしまう、なんていう歌とカラオケの組み合わせがあれば教えて下さい。

洋楽に乗る演歌とかジャンルの異なる組み合わせの歌とカラオケならばなおうれしいですね。

Aベストアンサー

以下の過去質問をご覧ください。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=927659,http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=226756

Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
書類送検の方が、拘束されないだけ罪が軽いような気がします。
書類送検でも前科となるのですか。
どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

Aベストアンサー

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む

Q100強とか、100弱の言葉の意味は?

よく、100強とか、100弱とか、言いますが、
100強といえば、100以上とか、100より多いという意味
で、100弱といえば、100に近いけど、100に
満たないという意味だと思っていたのですが、
知人は、100強は、200に近い100台だと。
100弱は、100よりは、多いけど、
110とか、100台の少ない数のことを指すといっています。
本来の意味を教えてください。

Aベストアンサー

あなたの見解でOKです。

私は仕事柄統計関係を扱うことが多いのですが、去年は48%、今年は49%の場合、「2年連続して50%弱で推移している」なんていう表現を用いる場合があります。

「強・弱」というと「数%」などと同様、若干あいまいさがありますので、社内では

・40%→40%
・41、42、43%→40%強
・44、45、46%→40%台半ば
・47、48、49%→50%弱

なんてルール化する場合もあります。もっとも、有効数字によっては、同じ40%台といっても、例えば1%きざみの40%台と、0.1%きざみの40%台とでは意味合いが異なりますので、ルール化には注意が必要です(前者は49%までが40%台ですが、後者は40.9%までが40%台です)。

いずれにせよ、知人の方の解釈は間違っているわけですが、誤解の理由は分かる気がします。例えば震度などと混同されているのです。

震度5弱→震度5の下の方
震度5強→震度5の上の方
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/shindokai.html

あと人事評価や企業格付けの格付け記号などで、
A(シングルA)
A+(≒AA、≒Aa、ダブルA)
A++(≒AAA、≒Aaa、トリプルA)
などもありますよね。同じAランクだけど、その中でさらに微妙な差異を出す場合です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E6%A0%BC%E4%BB%98%E3%81%91

日本的にいうと、上の上、上の中、上の下・・・といったところでしょうか。いずれも「上」には違いないんですけどね。

知人の方は、おそらくこうしたものと一緒だと思ったのでしょう。

あなたの見解でOKです。

私は仕事柄統計関係を扱うことが多いのですが、去年は48%、今年は49%の場合、「2年連続して50%弱で推移している」なんていう表現を用いる場合があります。

「強・弱」というと「数%」などと同様、若干あいまいさがありますので、社内では

・40%→40%
・41、42、43%→40%強
・44、45、46%→40%台半ば
・47、48、49%→50%弱

なんてルール化する場合もあります。もっとも、有効数字によっては、同じ40%台といっても、例えば1%きざみの40%台と、0.1%きざみの40%台...続きを読む


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