いちばん失敗した人決定戦

私は24歳の男性です。
千葉県で派遣をしています。大卒で就職に失敗しました。

これだけではありません。
ここに全てを書けば、全ての日本人の中から私を特定できかねないくらい、私は本当に辛い経験をたくさん、現在進行形で重ねています。

周りを見渡してもこんなに不幸まみれの同年代男性を、私は知りません。

さて、海援隊の贈る言葉などでも歌われていますが、よく悲しい辛い経験をたくさんすると、人に優しくなれるとかいいますけど、本当にそうでしょうか?

私は周りの幸せが妬ましく、嫉妬心の塊のような僻んだ心の持ち主にこそなれど、優しい人間になれたとは到底思えません。これからもなれないでしょう。

辛い経験、悲しい経験を多くした人は、本当に優しくなれるのでしょうか?

A 回答 (26件中21~26件)

ネガティブな考えをしなければと言うことだ。


何事も否定的な考え方をしていると、ひねくれた性格になってしまう。
嫉妬とはそういうものだ。
前向きなアクティブ思考で困難を乗り越えられれば強く優しくなれるだろう。
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「贈る言葉」のその歌詞、甘いな、と私は思います。



まあ、高校生位に「贈る言葉」って考えれば、「悲しみの体験」の程度も知れたものです。

たとえば、「可愛がっていたポチが交通事故で死んだ」とか、「片想いしてた隣のクラスの女子がイケメンの先輩と一緒に帰るのを目撃した」とか、「野球の大事な試合で自分の失策が原因で負けた」とか。
その悲しみで沈んでいたら、「おばあちゃんがボクの好物の塩大福を買って来てくれて、縁側で一緒に食べた」とか。

そういう体験の積み重ねは、たしかに人の悲しみを思いやる心が育つと思います。
悲しみや辛さの時に、「人の情に包まれる体験」が伴った場合です。

しかし、人生の深淵をのぞき込むような悲しみ、他者を信じられなくなるほどの悲しみ。
そして、孤立無援で誰の優しさにも会えなかったら、
それでも、他人に優しくなれたら、その人は、神か仏です。

「汝の右の頬を打つ人がいたら、左の頬を差し出しなさい」です。

多くの悲しみに遭遇し、手を差し伸べる人にも出会えなかった過酷な体験をした人に、
「人は悲しみが多いほど、人には優しくなれるのだから、あなたは人に優しくなれるはず、優しくしなくちゃいけないよ。それができないあなたはダメ人間だよ」
と言わんばかりのあの歌詞は、想像力に欠けた、人生の深い喜怒哀楽を知らない、能天気な軽い人間が作った歌詞だと思います。

子供向けの「道徳心の形成」という意味では、誰でも言いそうなセリフですから、まあ、許せる範囲かもしれませんが。

ヒトラーは、悲しみ多い育ち方をした人です。
父親はユダヤ人を毛嫌いしていたのですが、息子のヒトラーの顔つきはユダヤ人に似ていました。
父親が「劣等」と罵るユダヤ人に似ている自分。どれほど子供心が傷ついたことか。
美術に自信があり、パリ留学しますが、全然認められず、傷ついた自尊心、劣等感に苦しみます。

そして、のちに、ユダヤ民族滅亡、パリ殲滅、を人生の目標にしてしまいます。
過酷な悲しみの体験の果てに、憎悪の塊と化したのです。

「悲しみを経験した人は、人の悲しみをわかり、思いやりが育つ」などというほど人の心は単純なものではありません。
もしそうならば、子供はなるべく多くの悲しみに合わせた方が、「優しい思いやりのある良い子に育つ」ということになります。
極端にいえば、親に虐待された子の方が優しくなる、ということです。

親からネグレクトを受けて、お腹をすかせて死んだ子供がどれほど悲しかったか。
もし、その子が死なずに生き延びたら、人に優しく、思いやりのある人格者に成長するのでしょうか?

「あなたは悲しみが多かったのだから、人には優しくできるはずよ」と、世間はその子にいうのでしょうか?
もしそうなら、なんというひどい社会でしょう!

「贈る言葉」はメロディはいいですが、歌詞は甘っちょろい自己陶酔と安直な道徳の安売りです。

悲しみや怒りに出会って、自暴自棄になり、「ヒトラー」になりかけた時の、「自分への戒め」としてはいいかもしれませんが、深い真理を説いているわけでありません。

自分が不幸な時、他の人を妬み、自他を呪いたくなるのは、人間の自然な感情です。
そういう自分自身を認め、「仕方ないさ、やむをえないじゃないか」と許容する、ってことが大事なんだと思います。

「武田鉄矢が言うような、立派な人には、残念ながらなれません」と、まず、自分を認め、受け入れる。

「世間は、他の人は、そんな自分を責めるかもしれないけど、私はそんな立派な人間ではありません。
だけど、それでも、一生懸命生きてるし、精一杯やってるんですよ。
それでも妬み心や恨み心や怒りは湧いてきます。はい、そのために苦しいし、悲しいし、なんで自分はこうなんだ、とイヤになります。
はい、これが精一杯です。
で? 何か問題でも?」

そう心の中で思って生きていくしかないのではないでしょうか?

「これを、居直りって呼ぶのなら、勝手にそう呼んでくれ、」
私はそういう気分です。

わずかでもあなたの参考になれば、と思います。
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涙の数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように。

。。とは思いますが
人は悲しみが多いほど他人にはやさしくできるのだから。。。は多くの場合、大嘘ですね。

また、虐待されて育った親は子供にも虐待する率が高いです。
学校の部活などでの下級生いびりの伝統もそうですね。

>辛い経験、悲しい経験を多くした人は、本当に優しくなれるのでしょうか?
あなたがよほど努力しないとなれません。
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つらい経験や悲しい経験をどう生かすか、人それぞれではないでしょうか。



例えば、ベビーカーで立ち往生していたとします。
助けてくれるのは子育てをしてきた女性です。
同じ思いをしたから、手伝ってあげたくなるんです。

あなたはどうでしょう。
同じ苦労している人に手を差し伸べたいと思うでしょうか。

反対に自分が大変苦労してきていたら、目の前の小さな出来事に四苦八苦している人に厳しくなることもありますよね。

優しくなりたいと思うのか、なれないと思うのかはあなたが決めることだと思います。
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おはようございます。


まぁ人それぞれ性格が異なりますし、そういった
経験がいろいろなので、一概に優しくなるとは
限らないと思います。
でも、私自身は、過去にいろいろな辛くて地獄なよう
な生活を経験をし、人に対しては、感謝の気持ちを持つように
なりました。
それによって、人に優しくなることができました。
私の持論ですが、その辛い時に、人の支えや助けを受けた
人は、きっと人に優しくなれるかと思います。
ただ、助けを受けなかった方は、それが原因で妬みや嫉み
が生まれ、優しくなれない様な気がします。
まぁ人生の中で、誰しも辛い経験はあるかと思いますが、結局
は、それを自身がどのように受け止め、それをどのように感じる
かだと思います。
質問者様も、現在置かれている状況は辛いかと思いますが、それ
は己を試練だと思い、乗り切ってください。
きっとその試練を乗り越えれば、自身が成長し、自分の希望への
道が開かれますからね。
ではでは。
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それは貴方が「辛いその経験を他者に対応するときに「相手の身になる」と言う思考のない人ならば優しくはならないでしょうねっ」あなたが自分自身に感ずる??卑屈な人間としての対応しかできない人間になっているでしょうねっ。

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