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和歌山と大阪の境界付近(南海本線と加太線の間ぐらい)の、猿坂峠という峠に、「紀泉入会解消記念碑」という石碑が建っています。和歌山側の村と、大阪側の村の境界紛争の結果、入会山が解消された、という事の記念碑らしいのですが、この石碑はどうしてこんなに立派なのでしょうか?
それから、近くには、佐瀬川堡塁や明治期の軍道があり、由良要塞として軍に使われていた土地があります。このことは、入会の解消に関係があるのでしょうか?
例えばの話ですが、村付近で、土地を軍に買い上げられてしまったとか、山に入って木を伐りだしたりすることが制限されてしまい、紛争がひどくならざるを得なかった、と言うことはあったのでしょうか。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、教えていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

昭和10年5月19日付、大阪時事新報


軍とは関係ありません。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentVi …
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この回答へのお礼

教えてくださって、ありがとうございます。
とてもよくわかりました。
軍とは、関係なさそうですね。

お礼日時:2017/06/01 15:25

いろいろいたずらが増えて入会解消になったんだよ

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/01 13:35

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