重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

1)家族関係(親子、親戚)
2)知り合い
3)女友達 (セックス無し)
4)女友達 (セックス有り)
5)職場関係(上司、部下)
6)学校関係(先生、生徒、学校職員)
7)地域関係(客、お店)
8)セフレ
9)不倫相手
10)配偶者(奥さん、旦那さん)
11)現実世界の恋人(彼女)
12)一夜限りの関係
13)契約で結んだ男女関係 (例えば、お金を払って、セックス無しでデートしてもらう)
14)気が向いたらデートやセックスする女性
15)バーチャル世界の恋人(彼女)その一: 漫画・アニメ・映画・ドラマ・ゲーム等現実に存在しないキャラ
16)バーチャル世界の恋人(彼女)その二: 現実の女性
17)子供を作るため
18)ペットが恋人替わり

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    回答ありがとうございます。

    世界の見え方が違うって、興味深いですね。

    人生、どういことが大事だと思いますか?

    男女関係、うまくいくのはどういうことが大事だと思いますか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/20 00:12
  • どう思う?

    有難うございます。
    もう少し詳しく教えてください。。。

    同心円的ですと、
    正しいことより、
    仲間が言うこと優先との理解でよろしいでしょうか?

    日本人が同心円を好む傾向ですと、
    欧米人はどういう傾向だと思いますか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/20 04:37

A 回答 (4件)

No.3の補足コメントへの応答です。



同心円的関係(家族関係、職場関係、学校関係、地域関係)においては、社会通念の押し付けが優先されやすいという感じでしょうか。強いていうなら、同心円の中においては「仲間」と「仲間以外」の区別が曖昧で、社会通念は「正しい」のかどうかという検証すら許されない、ということになるかなと。

同じ同志でも、社会運動などは「正しさより仲間内世論」になりやすく、研究活動などは「仲間内世論より正しさ」になりやすいかなあという気はします。ただし、どんなジャンルであっても、党派間の対立が鋭くなりすぎると「正しさより仲間内世論」になりやすいといえそうです。

中井久夫の『世に棲む患者』というエッセイは1980年発表ですが、この中でイギリスに6年いた鈴木純一という精神科医の主張が紹介されていて、それによるとイギリスは「放射的」であり、「彼の国で社会的パワーを獲得するには、職場と全く無関係な、いくつもの場に根をおろすことができていると評価される必要が」あるそうです。

ただこれ、イギリス全土においてそうなのか?昔からそうなのか?というのは気になるところです。どんな国でも、都市部の場合はいろんな人がいるので同心円の論理は弱まりそうです。また、『世に棲む患者』では、同じ田舎でも農村地帯より漁村のほうが同心円の論理が弱まることが示唆されています。

アメリカがどうなのか気になりますが、映画版『スタンド・バイ・ミー』(原作は未読)みたいなのは、同志と同心円の対比を描いているといえるかもしれません。『ファイト・クラブ』(これも原作は未読)なんかはもっと露骨で極端な対比です。こういう映画がヒットするのは、アメリカでも同心円の論理を窮屈だと感じる人が多いという証拠ではあると思います。

日本のマンガでは、同心円の論理が不快でない人は『ONE PIECE』を好む傾向が強く、同志を必要とする人は『HUNTER×HUNTER』を好む傾向が強いように感じます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2017/08/21 03:17

No.2の補足をします。



「同志(創作、研究、社会運動、信仰、犯罪、スポーツ、趣味、同じ悩み、などのつながり)」

こう書けば、No.2で言いたかったことをまとめられる気はします。これなら、レッスン料を伴わない師弟関係や、愛人的要素のないパトロンも含めることができそうです。

「プラモデルを説明書通りに組み立てる」などはどう考えても創作活動ではありませんが、趣味としては成立します。だから趣味は趣味として用意する必要がありそうです。

「犯罪」は収益性があれば「職場関係」でよさそうですが、ハッカーグループなど、犯罪そのものが目的の集まりは確かに存在します。

「同じ悩み」というのはわかりにくいかもしれませんが、同じ病気とか、家族が同じ障害を持つ人の集まり、なども指します。

さて、なぜ同志は隠蔽されがちなのかというと、日本では「同志より同心円」が優先されるからでしょう。同心円的関係とは主に家族関係、職場関係、学校関係、地域関係、などのつながりです。病気の寛解後などは同心円の中に「復帰」することが推奨され、自助グループなどは軽視されがちです。このことは医療費や行政コストの増大にもつながっている可能性があります。

あるいは、中井久夫の『世に棲む患者』にあるように「それらが、彼らにとって非常に大切なものであるらしいことがいえよう。彼らは、それを本能的に感じとっているようである。一方、おそらく、彼らは、この大切さが一般に理解されず、知られれば、どちらかの方向に乱されることを直感しているのではあるまいか。二つの方向とは、大いに奨励されることと、やめるようにいわれることである。いずれも、いわば、自然に伸びようとする植物のツルの自然さをそこなう行為である」というのもありそうです。

若い世代がなぜFacebookから逃げ出すのか、というのも、同志のためのインフラだったつもりが同心円の論理に組み込まれていきそうになるからだともいえそうです。

また、恋愛(特につきあっていることをおおっぴらにする関係)や夫婦関係においては、片方が同志を重視するタイプでもう片方が同心円を重視するタイプだったりすると、その特性をよく理解してお互いに尊重しないと問題が出そうです。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

同志、創作や研究における仲間、趣味のつながり。



こういうのが真っ先に出てこないということは、このリストを作った人と私とでは世界の見え方がまったく違っているだろうな、とは思います。

「創作や研究」は、収益性があったり雇われてやっているなら「職場関係」でもよさそうです。「職場関係」じゃないなら「趣味」にまとめられるんじゃないかと思う人も多いのですが、取り組みの本気度によっては「趣味」というのはおかしい場合も多そうなので。

まあ、「創作や研究における仲間」と「趣味のつながり」を「同志」にまとめることは可能かもしれませんが。でも「仲間だけど論敵」というような場合もあって、論敵を同志と呼ぶのはおかしいのかなと思ったりも。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

男性目線から見た関係性のようですね。


ヒモとして食わせてもらうため ってのはどうでしょう?
その代価として、男性が女性を満足させるだけのセックスや家事などをする…代価はあくまでも不特定。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!