プロが教えるわが家の防犯対策術!

妖怪は人には見えない、霊的存在だからとネットで知ったのですが・・・。
そもそも、妖怪は存在するのだろうか。
私は過去にぬらりひょんの映った動画のサムネを見たことありますが、
ぬらりひょんの実在を調べた時に出くわしました。
タイトル名もないし、怖いし見なかったけど、人がコスプレしたものではなく、
サムネのぬらりひょんが本物っぽい生々しい感じだったよ。
ゾッとした。
それから、妖怪について調べなくなったけどね。




もしかして、妖怪って霊と同じで人には見えない存在なんですか?

質問者からの補足コメント

  • 水木しげるの創作なんでうすか・・・。
    ちょっと、疑問に思ったので補足します。
    ぬらりひょんの詳細が載ったwikipediaがあるのですが、存在していたのではないのか?
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AC%E3%82%89 …

    現代で知られているぬらりひょんは水木しげるのぬらりひょんということですよね。
    ということは現代版のぬらりひょんが創作ということなのでしょうか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/30 15:57
  • そうするなら、平安期に百鬼夜行も実在したのですか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/30 21:57

A 回答 (6件)

妖怪・霊、見ている、見えているかもしれないでしょうよ



要は、人間の意識の中に「目に見えない」とかいう物差しで測っているからねぇ~

夜、鏡を覗かないでくださいねぇ~ 自分を見て、きゃぁ~なんて ならないとも限らないでしょう

失礼します。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうなんですか・・・。
物差しというのが人間の意識の中にはあるんですね。
初めて知った。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 15:32

元々は水木しげる氏の創作なので、実在の根拠はありません。


民俗学的な観点で捉えるなら、見える人には見える、見えない人には見えない…という存在だと思います。
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど・・・。
教えてくれてありがとうございます。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 15:37

水木しげるさんにより、民間伝承(フォークロア)の、各地方などで言われている妖怪伝説、江戸時代から伝わった絵画などを、独特のタッチにより編纂しリメイクしたものだと思います。

彼は、またそれを学問の域にまで、引き上げたわけです。

水木しげるさんは、異界のモノが見えていたとも言います。
おそらくは、彼は、実在すると信じていたのだろうと思います。

アニメなどは別として、彼が描いたものが、まったくの彼の創作だったとは思い難いし、また、現実に存在しているかどうかを明らかにする必要はないように思うのです。私たちの周りで起こる不可解なことを決して明らかにせずに、妖怪の名のもとに、丸く納めてしまった祖先の知恵とも言えます。

民俗学的では、異民族との共存のための、まさにアンタッチャブルな緩衝材なのかもしれません。特に、東北ではいろんな伝説が残っています。東北地方では、長く縄文式文化が残っていたそうです。人と妖怪とが棲み分けて生きられる世界は、まさに自然を含めた他者との共存なのだろうと思うのです。

今、私たちが、合理主義の名の下に、こうした民間伝承を軽んじる傾向が強いのですが、そこには、私たちの大事にしなくてはならない心のあり方が残されているのかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんだ。
ということは実在したということですね。
教えてくれてありがとうございます。
良かった、疑問が残ってしまっていたので・・・。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 21:53

水木しげる氏の描く妖怪は


言い伝え、または昔から残っている妖怪などを
新しく自分のキャラとして描かれたもので
創作ではありません

特に江戸時代などに描かれた妖怪など
ほとんど原型があります

ただ
妖怪はどこにでも出ますし
どこにでも移動しますし
何者かが化けたものですが
幽霊は決められた場所にしか出現しませんし
正体は人です

幽霊と妖怪は違います
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

水木しげるの妖怪は創作ではなかったのですね。
やはり、妖怪はいたんだ・・・。
ちょっとね、存在するのか疑問があったからね。

幽霊と妖怪は違うんですね・・・。
なるほどね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 21:56

#3の回答者ですが、割り込み失礼します。


これは、もう文学や芸術の世界ですね。

>そうするなら、平安期に百鬼夜行も実在したのですか?
『今昔物語』の世界から、その後、『宇治拾遺物語』にも続きます。実在するかどうかは、それは想像にお任せしたほうがよいのではないでしょうか。心が汚れていなければ、みえるのではないでしょうか。

ただ、平安の時代は、どんどん新しい考え方や思想が、外国からもたらされて、民衆が価値観の混乱が生じていたのではないでしょうか。だからこそ、菅原道真公は、遣唐使の廃止を叫んでいたと思うのです。

百鬼夜行とは、ふつうは付喪神(つくもがみ)のことを表します。
新しいものよりも、古いもののほうが良いと思い始めた頃かもしれません。

江戸時代のものが充実しているのは、その町人文化の醸成と豊さを意味しているのだろうと思います。また、近代における『今昔物語』として柳田国男の『遠野物語(口語訳)』が、その精神を受け継いでいるわけで、私も、未だにその書籍は大事にしています。彼は、座敷わらしなどは、本当にいると信じて収録していったそうです。

私は、『遠野物語』に前後して、鈴木大拙の『日本的霊性』を読みました。

幽霊というと、上田秋成の『雨月物語』がありますね。私は、最初、高校生の頃、三島由紀夫さんから知りました。幽霊譚は、落語や講談には取り入れられましたが、より脚色した部分が多くなってしまいます。しかし、人の思いがなぜるわざとでも言ったらよいではないでしょうか。幽霊譚は、現在の社会にも通じますが、妖かしの世界は、自然の風景を壊していくことによって、失われてしまうものではないでしょうか。だから、柳田国男は、伝承をそのまま残すことに尽力をつくしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、興味深いですね。
民衆の価値観か・・・色々と大変な時期だったんですね。

私は妖怪はいると思いますが、人には見えないというか悪的な感情がない綺麗な心を持つものにしか見えないのかなと思っています。

色々と教えてくれてありがとうございます。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/09/01 18:37

一種の日本における精霊信仰の一つだと思います。


昔の日本では、長く飼っている猫が化け猫になったり、使い古したヤカンや傘が妖怪化します。
長く使っている物にも魂が宿るから粗末にしてはダメだと言う、道徳観を養う為に必要だったのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにそうでしたね。
そういうのを学生時代に習った事があるから覚えてます。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/09/01 18:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!