
■お花見のルーツは貴族文化と農民文化
まず、お花見はいつ頃始まったのだろうか?
「お花見の起源は、貴族文化と農民文化の2つの習わしがあります。まず貴族文化からお話しますね。桜を愛でる風流は、奈良時代の貴族から始まったといわれています。当時は桜の花ではなく、中国の遣唐使によって伝わった梅でした。平安時代になって遣唐使が廃止され、梅から桜になり、貴族たちが桜を眺めて歌を詠んで楽しんでいたのです」(桜さん)
いまでこそお花見=桜のイメージだが、昔は梅だった。では、桜の花見はいつ頃始まったのだろう。
「『日本後記』には、嵯峨天皇が桜を大変気に入って、812年に京都のお寺『神泉苑(しんせんえん)』で『花宴之節(かえんのせち)』を催されたことが記されてあります。これが桜の花見が記録に登場した最初といわれています。一般庶民がお花見を楽しむようになったのは江戸時代の中頃からです。第8代将軍徳川吉宗がお花見を奨励したことが背景にあります」(桜さん)
■桜には神様が宿っていた!?
もうひとつの、お花見の起源である農民文化について、引き続き桜さんに聞いた。
「次に農民文化についてお話しますね。古代から農山村では春の農作業に先立ち、豊作を祈願して山野にでかける花見が古くから行われていました。昔から桜には神が宿ると考えられていたのです。『サクラ』の語源には諸説ありますが、一説によると『サクラ』の『サ』は田の神様のことを表し、『クラ』は神様の座る場所という意味があり、『サクラ』は田の神様が山から里に降りてくるときに、いったん留まる依代(よりしろ)を表すとされています」(桜さん)
なるほど。桜に宿った神に祈るように、花見をしていたのだ。
「直物の開花は、農業の開始時期を示す自然の暦です。特に気象に敏感な桜は重要でした。花を稲の花に見立ててその年の作柄を占い、神とともに飲食を行い、これが遊びとしてお花見につながったといわれています」(桜さん)
■花見団子の色に込められた意味……駄洒落も含まれていた!?
お花見といえば、豪勢なご馳走も印象的。ちなみにこうしたご馳走に、由来はあるのだろうか?
「花見には、江戸時代から弁当や団子、酒がつきものでした。落語『長屋の花見』には、貧乏長屋の住人たちが重箱に卵焼きの代わりにたくあん、かまぼこの代わりに大根をつめ、酒の代わりに番茶を薄めたものを持って出かけるシーンがあります。このほか定番は、稲荷寿司、巻き寿司、花見団子や酒は、元々神に供えるものでした」(桜さん)
花見団子といえば三色の色で有名だが、それぞれにはどんな意味があるのだろうか。
「花見団子は、桜色、白、緑色の三色が一般的です。桜色は桜で春の息吹を、白は雪で冬のなごりを、緑色はよもぎで夏の息吹を表しています。そして、秋がないため、飽きがこないともいいます」(桜さん)
桜餅も春の甘味で有名だが、これについてはいかがだろうか?
「桜餅は、1717年、向島長命寺の門番、山本新六が桜の葉の掃除に困って、これを塩漬けにして餡餅をくるんで売り出したのが始まりだとされています。桜餅の独特の香りはクマリンという成分によるもので、塩蔵すると生成されます。桜の葉をかいだり、手でもんでも香りがしないのはそのためです」(桜さん)
日本人の心といわれるお花見だが、その由来と歴史について初めて知った人も多いのでは。こうした背景を頭のなかに入れておくと、さらにお花見の魅力が楽しめるのではないか。
なお、教えて!gooウォッチでは「昔の花見は梅でしていた!今が旬の梅についてリサーチしてみた」という記事も公開している。併せてチェックしてみてほしい。