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文字どおり たたき台です。思いっきり自由なお考えをお聞かせください。

○ 神とは何か?

§1 考えても 分かるか・分からないかが 分からないこと

世の中には およそ 二つの事柄がある。考えて分かること(Y)と考えて
も分からないこと(X)と。

   Y=考えれば分かること。

     ・いまは分からなくとも いづれ経験合理性に基づく科学行
     為によって分かるようになると考えられること。  

      ・科学が真実と判定したあと 真実ではなかったと判明する
     場合にも その誤謬について 〔有限ながら〕合理的に説明
     しうることがら。
 
   X=考えても分からないこと。

    ・いやむしろ分かるか・分からないかが 分からないこと。

    ・人間の知性を超えていて もはや経験合理性によっては そ
    のことの有無・可否・是非などを 判定しがたいことがら。
 
    ・もしくはつまり むしろこのように想定してしまっておくこ
    とがら。

ひょっとすると 世の中は Yの経験領域のことがらだけであるかも知れな
い。X は 経験を超えた領域のことであって それが有るとも無いとも 決
められないことがらである。

経験領域(Y)を規定するならば 《経験領域(Y)でない領域》は 規定
済みとなる。もはや超経験領域(X)は その定義の中に――あるいは そ
れを超えて――織り込まれているとも言える。だが それとして重ねて触れ
たほうが 説明のしやすい場合が多い。それゆえ 用語に加えたい。つまり 
あらためて

   超経験の領域= X

      超自然・非経験・絶対・無限・永遠・
      〔そしてこのような意味での〕神・
      〔人によっては次のごとく言う〕無・無神・空

人間の精神は 絶対 X ではない。人間じたいも 経験存在 Y であり その
精神も有限であり 経験世界 Y に属す。

《精神は 永遠なり》というのは 想定上 《 Y は X である》と言ってお
り――レトリックでない限り―― マチガヒである。(→§3)

さらには 《無意識》はどうか。これも 経験領域 Y に属すのであって非
経験 X ではない。神でもなければ 絶対法則でもないだろう。




§2 《考える》と《信じる》

考えるのは そして考えたことを表現するのは そしてまた表現をとおして意
思疎通をおこなうのは さらにそして大きくこの意思疎通の歴史を記録し伝え
あっていくのは 人間である。特にこの人間を 経験領域 Y の中より取り出
して その位置を捉えよう。

   人間存在 = Z 

とすれば 経験領域 Y に対して人間 Z が取る態度としての関係が いまの議
論では 《考える( Y-Z )》である。だとすれば 取りも直さず 非経験の
領域 X に対するわれわれ Z の関係は 《考える》ではない。ありえない。考
えてもよいが それが意味をなすかどうかは 分からない。

《考えても 分かるか・分からないかが 分からないもの(= X)》に対する
わたし Zi の関係は 一般にも 《信じる( X-Zi )》と称される。

これは 《考える( Y-Z )ではない》という意味で 《信じない・もしくは
無を信じる( nonX-Zi )》と名づけても 同じことである。そもそも X が 
経験世界で言う有であるか無であるか 分からないゆえ X=nonX であり ど
う表現しようと 《わたし Zi 》の勝手なのである。(信教・良心の自由という
公理)。

(言いかえると 《信じる( X-Zi )》は 無条件で無根拠においてわが心に
受け容れるという意志行為である)。

 
したがって わたし Zi は 信じる( つまり 信じないの場合も同じ )の対象
(したがって すでに非対象)を 

《空(欠如) 》 X-Za と言おうが 
《アミターバ(無量光)・アミターユス(無量寿)・ブッダ》 X-Zb

と言おうが 自由であろうし 

《神》 X-Zcとも 
《ヤハヱー》 X-Zd とも 
《アッラーフ》 X-Ze 等々とも 言い得る。

 
逆に 気をつけるべきは 信仰において 信じる対象は わたし Zi がわたしの
精神によって思考し想像して抱く神の像ではないということである。 すなわち
《神》といったことば・概念・想像は 《考える Y-Zi 》の問題である。

人間 Z が信じるのは 道徳規律でもなければ 倫理の信念でもなく 神という
言葉じたいでもない。神という文字でもなければ 聖典なる書物じたいでもなく 
むろん k-a-m-i という発音でもない。

X( X-Z )は Y( Y-Z )ではない。後者( Y-Z )には特に 精神と
その産物を含むゆえ この想像物としての神( Y-Z )と 想定上の神( X-
Z )とは峻別しなければならない。


  


§3 超自然 X が 経験世界 Y ないし人間 Z の歴史( ΣY-Zn )に介在しうる
か。

これに対する答えは むしろ簡単である。

絶対者 X を想定したときから すでにわたし Zi は その X による介入を受けて
来ている。もしくは 介入などありえないという形(=無神論 nonXーZi )にお
いて 関係が想定されている。

介入という表現が 適当でないとすれば わたしとその世界( ΣY-Zi )は 思議
すべからざる絶対者 X (= non‐X )に対して 開かれている。閉じられていない
ということが 重要である。考えても分からないことなのだから 閉めたり閉じ
たりするわけには行かない。

しかも ややこしいことには わたし Zi たる人それぞれによって その介入の
あり方( X-Y-Zi )は 決して一様でないことである。同一人のわたしにしても 
その人生のなかで さまざまに変化するかも知れない。(宗旨替えなどと言われ
ることが起こる)。

議論を端折るかたちになるが 問題は いまの介在のあり方について その基本
の形態を 一人ひとりが 明確に判断し 仮りに変化を受けたとしても・変化を
経ながらも その《信仰》形態を自分のもとで つねに 確認し得ていることで
はないだろうか。

信じる( X-Y-Zi )か 信じない( nonX-Y-Zi ) か これが いま確認すべき基本
の形態である。しかも この〔無信仰を含めての〕信仰の基本形態は変更しうる
けれど その時々の現在において明確に保持していることが 重要ではないだろ
うか。

いま一歩進めるならば  このおのおのの《信じる》の基本形態について 自身
が最小限度 言葉で説明しうるということが 望ましい。その点を一度明らかに
しておくならば そののちの話し合いにおいて 余計な誤解や不必要な対立を 
防ぐことができるからである。互いにみづから交通整理しつつ 社会におけるコ
ミュニケーションを円滑に進めることが望ましい。

信仰の基本形態からあとさらに具体的に展開されるという歴史( 人生 )の過程 
つまり言いかえると たとえば神 Xi が人間の歴史( ΣY-Z )に このように・か
のように介入したなどという過程 この問題は そもそも話し合い(《考える》)
では 埒が開かないものである。

もっとも これを逆に言えば やはりたとえば そんな介入などには 一切 目
もくれないのだという見解の提示(無神論)をも含めて わたし Zi の《神( X )
体験》ないし神学ないしいわば《 神 X 史観》については 自由に話し合えばよ
いと言える。そして そのとき コミュニケーションが成り立つかどうかは は
じめの大前提としての信仰の基本形態に合致しているかどうかによって判断され
るものと思われる。

もし問題があるとすれば その大前提についてあらためて 想定の仕方や規定の
内容を 議論しなおせばよい。

以上の定義だけの理論は 次が その心である。

  吾人はすべからく互いの差異を 自由に批評し合い コミュニケーション
  を進めながら つねにその差異を認め合わざるべからず。

質問者からの補足コメント

  • うまそうだ。


    昼まで 出かけます。

    No.25の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/04 09:00
  • №52つづき

    ★ 可能性ではなく原理的に、です。
    ☆ それは・つまり 原理的にという視点を持ち出すということは この世
    の中がすべては 相対的な関係として成り立っていると言っているのだと思
    います。

    それは そうなのでしょう。――でも それ以上のことは あまり言ってい
    ませんね。

    原理的にただしさ(変わらざる真理)が証明されないということは 相対的
    な世界で 可能性として妥当であったりなかったりするということなのでは?





    ★ 「マーフィー則」
    ☆ については 一面〔での妥当〕性を広げすぎだと言いました。




    ★ では、・・・1/87のアメリカの鉄道模型です。
    ☆ 実際のがいいです。実際のなら 鉄道全般が 好きです。

    No.52の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/07 10:36
  • 経験世界における真善美は 真偽・善悪そして美醜といった相対的な
    内容としてのものです。

    それらとは別に 想定として 絶対なる――非知なる――・真偽を超
    えた真理や 善悪を超えた・善悪の彼岸としての善と 美醜を超えた
    美があるという見方です。

    No.68の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/10 07:24
  • ようつべの前野氏の講義。――いま聞いたら 音が出ます。

    どうしてだったんだろう。イヤフォンの所為かも知れません。
    すみません。


    あらためて聞いてみます。

    No.66の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/10 08:52
  • 前野説は ダメです。

    能動的なチカラと受け身のチカラとの両方が 人間にはそなわっている。

    その受け身のほうを 全体にまで拡張したひとつの仮説である。からです。

    ニーチェにしても クリスチャンは 天国を志向しもう地上には生きてい
    たくはないと思っていると説きます。プラトンも イデアの世界を人は目
    指すべきだと言っている。両者は 同じ思想だと。

    ところが
    ▲ 神は 生きている者の神である
    ☆ とイエスは はっきりと言っています。ですから 誤解もはなはだし
    い。

    プラトニズムと一緒にしてしまうという誤解をした人びとのその思想を批
    判しているに過ぎない。

    つまり 聖書を何にも知らない。阿呆です。

    こういう事例は 例外ではないのです。



    マーフィ則も同じです。一面の事例を全体へと拡張しています。

    これは とても科学する心だとは言えません。

      補足日時:2017/11/10 16:02
  • 1. 前野説について。仮りにムイシキなる場からわれに 能動的および受動的
    な行動をうながす指令が来るとしましょう。つまり 全体として 《受動意識仮
    説》が当てはまると。

    2. そのときにも その指令を出す司令塔は ほかならぬわれである。・・・
    ということになるのでは? つまり ムイシキなる場は われである。

    3. そうでなければ そのムイシキと呼んだ司令は 超経験なる神である。

    4. けれども 人間は 神〔の霊なる場ないしチカラ〕を分有している。と想
    定されます。アートマン(霊我)あるいはブッダター(仏性)ないし神の霊です。

    5. このアートマンなるムイシキ司令は われにやどるという意味では われ
    のこと――わが心なる非思考の庭――であり ただし われの能力を超えている
    という意味では やはり神の霊なるチカラである。

    こういう問題なのでは?

      補足日時:2017/11/11 04:32
  • つづき

    ★ 我々は、時に、相手を思いやり、時に、意地悪をし、時に、相手の
    不幸を最高のイベントにします。
    ☆ それらすべてにわたって ひとの意志を踏みにじっていないかどう
    かや また同じことですが ヤマシサ反応に逆らっていないかどうか
    このリトマス試験紙が あてがわれます。区分されます。



    ☆☆ 抵抗も抗議も原状復帰も ナンセンスなことになります。
    ★ ~~~
    そのとおりです。
    ・・・
    手の付けようがないんですね。

    実際、兄貴のような考えでよくしていこうというのは不可能であると思
    います。
    ~~~
    ☆ ですから そういう自由度が――悪貨が良貨を駆逐するごとく――
    優勢であった時代・つまりじんるいの《前史》から やがて内なる開花
    とともに 《後史》に入ります。

    No.97の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/12 08:57
  • つづき

    ★ テトリス、コスモス、和の心の、神は調和的に人類の見方でした。正義の
    味方です。true justice.
    ☆ なぜ そうなりますか? 属性を考えて 真理・愛といったことを持ち出
    しましたが 《正義》は どうでしょう? 

    つまり 否定しようとはしませんが 愛が 愛憎を超えたものであるように 
    正義も 正邪を超えたものなのでしょう。


    ★ ボジョレーヌーボー開けて待っててね。
    ☆ ワインも何も 飲まなくなったなぁ。

    No.102の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/12 17:52
  • ▲ ソシュールの思想 単行本 – 1981/7/15
    丸山 圭三郎 (著)
    https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%8 …

    ☆ ここに カラーは 二度 触れられていました。

    丸山は 好意的にその研究を取り上げています。

    カラーという名が 名であるので わたしは見過ごしたかも知れません。

    No.156の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/16 16:35
  • 回答者が  mpcsp079gooさんだと思ってお応えしました。

    間違えました。すみません。

    特に ニーチェの揚げ足取りをしているところなどは 相手を
    間違えています。

    ご海容のほどをお願いいたします。



    (補足欄は これで10回すべて使い果たしました)。

    No.176の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/11/17 14:12

A 回答 (290件中31~40件)

マーフィー則、ニーチェ、フロイト


同じこと言っていますね。
私はすきですね・・・
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像31
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この回答へのお礼

好き嫌いの問題ではないはずです。ご回答をありがとうございます。


【Q:《自我・超自我・エス(無意識)》の理論は まやかしである。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9216057.html

【Q:ブッダ vs フロイト】

【Q:フロイトのタナトス】
【Q:フロイトの《喪の仕事》 とは?】
☆ この議論は 結着がついていない。

【Q:無意識ないしアーラヤ識をめぐって おうかがいします。(続編)】




★ ラカン
☆ については よう取り扱いませんし 批判のしようがないと思います
が 摂取するものではありません。エクリの訳本三冊など かなりの量を
読んでいます。


つまり 《患者〔と聴き手〕》と設定がなければ――つまり ふつうに二
人のあいだの会話としてなら―― 互いに過去の経験について話し合うこ
とも じゅうぶん あり得ます。

その対話をとおして どちらの側にしても ふと何かをきっかけにしてわ
れに還るということは 起きることがあります。

わたしがわたしであるとさとる。
あるいは 世界との和解が出来る。われ自身との和解が出来る。
――こういう体験は 積むことができます。

そのような一般的な事例と問題を 無意識・リビドー説に還元するのは
作り話であると考えます。

お礼日時:2017/11/05 09:11

ーーーー


わたしの物言いは 確かに微妙です。

過去の経験が・・・これは 作り話だという批判です。

後遺症は PTSD と呼ばれるような事例があって 一般的なのでしょ
うが あとの《独立した無意識という部位》の存在や 性にかかわる
リビドーの問題であると決めつけたことは 受け付けません。
ーーーー
ーー>
了解です。
私の考えは、すべてのものが今までのモデルを超えたような風に、関係
しているのではないのか、ということなんです。
それを指摘しているのがニーチェやフロイトやマーフィーなんです。

ーーーー
かんたんに言いますが:
★ ニーチェ
☆ は 阿呆です。意識や本能の説について 一般に確認されていま
せん。そして 広くその著書の内容について 議論に整合性がありま
せん。見るべき内容がありません。

たとえば 次のように――やり取りをつうじて――批判しています。:

【Q:ℚ1: 《神は死んだ》って言うけれど いつ・どのように死んだの?
・・・】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9896947.html

【Q:《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9935080.html

【Q:¿ 不倫がどうぢゃこうぢゃと 弱者の反感(ルサンチマン)がかま
びすしくなった あぁ 世も末ぢゃわい】

【Q:ニーチェの《信仰 / 根本確信》!?】
 etc.
ーーーー
ーー>
うーーん・・・
失礼ながら、ニーチェを単純化しすぎているんですよ。
「善悪の彼岸」
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ フロイト
★ ~~~~~~
了解です。
私の考えは、すべてのものが今までのモデルを超えたような風に、関係
しているのではないのか、ということなんです。
それを指摘しているのがニーチェやフロイトやマーフィーなんです。
~~~~~~
☆ それは 可能性の一つ二つとしてそれまで見落とされていたことな
であって その間隙を縫って何かを言ったとしても――あるいは その
間隙じたいを指摘することがあったとしても―― それによって 新知
見が理論的に打ち出されたことには成っていない。

むしろ それぞれ部分的な貢献である。と考えます。



★☆ ニーチェ
★ ~~~~~~
失礼ながら、ニーチェを単純化しすぎているんですよ。
「善悪の彼岸」
~~~~~~~
☆ ざんねんながら これでは 検討・検証しようがありません。

お礼日時:2017/11/05 13:04

>好き嫌いの問題ではないはずです。


ーー>
ですが・・・
趣味の問題って大きいと思いませんか?
ニーチェの常套句ですが・・・
哲学上はじめてこの問題を主要な題目にした人なんです。
この趣味の問題をナンセンスだとするかしないか、それがニーチェなんです。

ーーーー
【Q:《自我・超自我・エス(無意識)》の理論は まやかしである。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9216057.html

【Q:ブッダ vs フロイト】

【Q:フロイトのタナトス】
【Q:フロイトの《喪の仕事》 とは?】
☆ この議論は 結着がついていない。

【Q:無意識ないしアーラヤ識をめぐって おうかがいします。(続編)】
ーーーー
ーー>
実にいろいろな人がいるな、って感じです。
音楽の演奏と解釈と同じですね。

ーーーー
★ ラカン
☆ については よう取り扱いませんし 批判のしようがないと思います
が 摂取するものではありません。エクリの訳本三冊など かなりの量を
読んでいます。
ーーーー
ーー>
さっすがーです!!!

ーーーー
つまり 《患者〔と聴き手〕》と設定がなければ――つまり ふつうに二
人のあいだの会話としてなら―― 互いに過去の経験について話し合うこ
とも じゅうぶん あり得ます。

その対話をとおして どちらの側にしても ふと何かをきっかけにしてわ
れに還るということは 起きることがあります。

わたしがわたしであるとさとる。
あるいは 世界との和解が出来る。われ自身との和解が出来る。
――こういう体験は 積むことができます。

そのような一般的な事例と問題を 無意識・リビドー説に還元するのは
作り話であると考えます。
ーーーー
ーー>
ウーーーーーーーン・・・
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像33
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 好き嫌いの問題ではないはずです。
★ ですが・・・ 趣味の問題って大きいと思いませんか?
☆ それは その問題を理論として組み入れたときに問うべきことです。


★ ~~~
ニーチェの常套句ですが・・・
哲学上はじめてこの問題を主要な題目にした人なんです。
この趣味の問題をナンセンスだとするかしないか、それがニーチェなんです。
~~~~
☆ たとえば 《神は死んだ》。これにしても すでにヘーゲルが言ってい
たことです。(意味合いが違っていたとしても)。

ディオニュソス説が いちばんの致命傷でしょう。これは オウム真理教と
おんなじです。と指摘しなければならない代物です。



☆☆ ーーーー
つまり 《患者〔と聴き手〕》と設定がなければ――つまり ふつうに二
人のあいだの会話としてなら―― 互いに過去の経験について話し合うこ
とも じゅうぶん あり得ます。

その対話をとおして どちらの側にしても ふと何かをきっかけにしてわ
れに還るということは 起きることがあります。

わたしがわたしであるとさとる。
あるいは 世界との和解が出来る。われ自身との和解が出来る。
――こういう体験は 積むことができます。

そのような一般的な事例と問題を 無意識・リビドー説に還元するのは
作り話であると考えます。
ーーーー
ーー>
★ ウーーーーーーーン・・・
☆ そう反応してもらえれば ありがたいです。

お礼日時:2017/11/05 13:10

あなた様の場合、・・・


たぶん、科学と哲学がごっちゃになっているんだと思います。
科学や哲学はーー何度も言いますがーー我々の思考形式なんです。
いかがでしょうか?

ーーーーーーーーーあなたのサム
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像34
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ あなた様の場合、・・・
たぶん、科学と哲学がごっちゃになっているんだと思います。
科学や哲学はーー何度も言いますがーー我々の思考形式なんです。
いかがでしょうか?
☆ 自然科学は 知りません。(自信がありません)。

哲学ないし人文科学とそして社会科学とは 別ですよ。
心ないし心を超えた場についても 前者はあつかいます。

★ 思考形式
☆ は 経験合理性にもとづくということです。

有る無いをめぐって 排中律をまもること。
因果関係の法則性にしたがうこと。

そして 心などの経験世界を超えた場については それとして想定
し(――想定するということが 経験合理性に従うことです――)
及ぶ限りで 推論をほどこすこと。
(これは 神論の問題のことです。形而上学のことを言っています)。



★ ーーーーーーーーーあなたのサム
☆ 《サム》っていうのは? 何か意味がありますか?

お礼日時:2017/11/05 13:17

■No.33


ーーーー
☆☆ 好き嫌いの問題ではないはずです。
★ ですが・・・ 趣味の問題って大きいと思いませんか?
☆ それは その問題を理論として組み入れたときに問うべきことです。
ーーーー
ーー>
私も長年科学や工学をやってきた者です。
その中で「理論」って何なのか、なんです。
そんなに大したものではないんですよ。
ニーチェはこの理論をナンセンスにしてしまったのです。

ーーーー
☆ たとえば 《神は死んだ》。これにしても すでにヘーゲルが言ってい
たことです。(意味合いが違っていたとしても)。

ディオニュソス説が いちばんの致命傷でしょう。これは オウム真理教と
おんなじです。と指摘しなければならない代物です。
ーーーー
ーー>
「神は死んだ」とかはどうでもいい感じです。ツァラストラなどはどうでも
いいことばかりです。ニーチェを知らないものほど、これらを重視しています。
本当に大事なのは、彼の検討過程ですね。実にいろいろなことが検討されています。
その後、この彼の方法は有名になり、多くの「ニーチェアン」に使用されています。
世界で最も敵がいない、最も好かれている哲学者ニーチェですかね。
私も大好きなんです。

■No.34
>☆ 自然科学は 知りません。(自信がありません)。
ーー>
正直者は大好きです。
わたしも知っていること以上を語ろうとはしません。
私は、物理と工学をやってきました。

>哲学ないし人文科学とそして社会科学とは 別ですよ。
心ないし心を超えた場についても 前者はあつかいます。
ーー>
科学とはなにか?
思考形式である、というのが私の行きついたところです。
つまり、なんだかわかりません。
哲学というものは特異なものですね。


>★ 思考形式
☆ は 経験合理性にもとづくということです。
ーー>
カントは空間・時間は感性の形式であるといっています。これは経験に
先立つものです。だから、それで経験が可能になります。
そう考えると、理論なんかよりこれらを探るほうがおもしろいんです。
マーフィー則はその1つなんです。

>★ ーーーーーーーーーあなたのサム
☆ 《サム》っていうのは? 何か意味がありますか?
ーー>
デビット・バーコウィッツの恐ろしい殺人事件に関係しています。
彼は現場に手紙を置き、「サムの息子」と書きました。
サムは彼の父親です。
この名前が、私には忘れられません。
http://www5b.biglobe.ne.jp/madison/murder/text/s …
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像35
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 私も長年科学や工学をやってきた者です。
☆ それは たのもしいですね。そして工学は 実用を重んじると思います。
近似値をもって すすめて行くところがあると思います。

哲学は 量〔だけ〕ではありません。定性的なことがらを扱い それでも整
合性を問い求め 理論づけることを基本とします。

★ ニーチェはこの理論をナンセンスにしてしまった
☆ それが ナンセンスです。


★ 「神は死んだ」とかはどうでもいい感じです。
☆ 道徳から権力の問題――生存としての《力への意志》――まで みなこ
の《神は死んだ》にかかわります。クリスチアニズムの問題です。

★ ツァラストラなどはどうでもいいことばかりです。 / ニーチェを知らな
いものほど、これらを重視しています。
☆ ニーチェ党は それこそ主著だと言います。あなたの説は まだ中身を
聞いていません。ほとんどみな予告編です。


★ 本当に大事なのは、彼の検討過程ですね。
☆ まだ 例証のひとつも お聞きしていません。

★ 世界で最も敵がいない、最も好かれている哲学者ニーチェですかね。
☆ アンチ・ニーチェは けっこういます。その議論をあつめた本も出てい
ますよ。



★ ~~~
科学とはなにか?
思考形式である、というのが私の行きついたところです。
つまり、なんだかわかりません。
哲学というものは特異なものですね。
~~~~
☆ そんなことはありません。これから 量子論が発展してどうなるか分か
りませんが 《或るものが 有るか無いか》そして《因果関係をたどること》
は 経験合理性の問題です。

そして この整合性がついているなら 人は互いにその内容を――相対的な
がら――妥当として共有します。

ニーチェの議論は これがないのです。意外性を見せて引っ張って行こうと
するだけです。


★ カントは空間・時間は感性の形式であるといっています。これは経験に
先立つものです。だから、それで経験が可能になります。
☆ 人間の能力の及ぶところは その程度だと言っているのだと思います。

その程度の理論化もできないのは いただけません。

★ サムはデビット・バーコウィッツの父親で
☆ は ないぢゃん。デビッドはその飼い犬に当たっている。

母親への《聖なる甘え》は 大切だと思われます。

お礼日時:2017/11/06 05:25

ニーチェとかマーフィー則には理論がありません。

そこに寿命が
長い秘訣があります。
この世界は理論などでは整理できません。
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像36
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ニーチェとかマーフィー則には理論がありません。そこに寿命が
長い秘訣があります。
☆ それは 一面性であることの偏愛です。


★ この世界は理論などでは整理できません。
☆ ということも 理論づけて人は互いにその見解を共有し納得しま
す。

お礼日時:2017/11/06 05:28

知恵袋


https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace.php?fr …
では工学や物理で回答しています。
そこでは「サム」と名乗っています。
工学は理論ずくめですが・・・
理論のない世界にあこがれます・・・
特に哲学はすきですね。
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像37
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この回答へのお礼

へえーっ。長いんですね。

わたしは 知恵袋はやったことがありません。

お礼日時:2017/11/06 05:32

ーーーーー


☆ それは 一面性であることの偏愛です。

★ この世界は理論などでは整理できません。
☆ ということも 理論づけて人は互いにその見解を共有し納得しま
す。
ーーーー
そのとおり、
同じ味に飽きるということですかね。
理論なき世界、というのも、一種の理論ですからね。

>わたしは 知恵袋はやったことがありません。
ーー>
是非来てみてください。
お待ちしています。

ーーーーーーーーーサム
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像38
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 知恵袋
☆ は 次の人が OKwave――その頃は 教えて! goo もまだ分化独立
していず おなじQ&Aの場でした――に来たとき いちおうその内容を知
ったので もう知ろうとは・また参加しようとはしませんでした。

それは 哲学カテに限ってのことですが 次の人が 議論していると知っ
たら OKwave でも同じだと見なしたからです。

○ urigadai2013 (現在は 次の次の koosaka のIDで参加しておられま
す)
https://okwave.jp/profile/u2375465.html

○ urigadai2013 (いま見たら 同じこのIDで 知恵袋の参加者です)
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/urigadai2013

○ koosaka
https://okwave.jp/profile/u2746173.html

☆ 決して見下げるのではありません。従来の哲学の路線と言いましょう
か それとしてまとまっているのだと思います。

工学などは 参加するのは 無理です わたしには。




mpcsp079goo さんには 次の仮説が 批判するにしても おもしろい
かも分かりません。この質問と同じ趣旨ですが 切り口が違っています。

【Q:これが 神の理論だ】―― 一般および個別絶対性理論ならびに 特殊絶
対性仮説または 宗教の絶対的批判――
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9904929.html

お礼日時:2017/11/06 07:18

一般および個別絶対性理論ならびに 特殊絶対性仮説または 宗教の絶対的批判


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9904929.html

うーーん
相対性理論ですね!
読んでみます。
ちょっとみたところ理解できそうもありません。
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像39
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 相対性理論ですね!
☆ わたしは 分かりません。

お礼日時:2017/11/06 12:57

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9904929.html
で、
kothimaroさんは知恵袋の物理で出てきていました。
面白い考えのかたです。
>コピペ―は 遠慮してください。
ーー>
この方の回答はたいてい自分の書いたものからのコピーですね。

この話は私には・・・ですね。
まぁ、少し見てみます。

ちょっと、わからないなぁー
もっと要約してくれるといいですね!
3行くらいに・・・
「神とは何か?・・・・フルボッコのご批判を」の回答画像40
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ kothimaroさんは知恵袋の物理で出てきていました。
☆ そうなんですか。

しかしながら もう8,9回になります。
最初の2,3回は きちんと応答しましたが まったくお返しがあり
ません。

そして 同じ内容の投稿を繰り返して来ます。という事情です。

★ 面白い考えのかたです。
☆ わたしに言わせれば それほどではありません。

デカルトのコギトは いただけません。そういう問題もあります。


★ ~~~~~~~~
ちょっと、わからないなぁー
もっと要約してくれるといいですね!
3行くらいに・・・
~~~~~~~~
☆ その質問の趣旨説明が いま現在でいちばんきちんと整理されたも
のです。

そのずいぶん前に いまこの質問の神論を問いました。

必ずしもよい反応が来ないので 何度も問うています。

お礼日時:2017/11/06 13:03
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