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受け身と敬語について、聞きたいです。「私はお客さんに来られて、勉強できませんでした」は受け身で、「お客さんが来られて、私は勉強できませんでした」は敬語だと理解すればいいのでしょうか?

A 回答 (5件)

そのとおりです。


他の回答にもありますが、助動詞「られる」は、尊敬・受身・可能・自発という4つの用法があります。
「来られる」という動詞の主語は何(誰)か?
のように考えるとわかりやすくなる場合が多いでしょう。

「私はお客さんに来られて、勉強できませんでした」
⇒この文の主語は「私は」ですから、「来られる」が尊敬用法ではないことがわかります。受身が最も適切。

「お客さんが来られて、私は勉強できませんでした」
⇒この文の主語は「お客さん」ですから、尊敬用法が最も適切です。
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私は別意見です。

ここは国語の試験問題を議論してるんじゃないですよね。 相手に真意が伝わるかどうかが大事という話題でしょ。
ならば、

お客さんがおいでになりました。 それにお付き合いしなければならず、勉強に就けませんでした。

第三者に言うなら『お』なんかはとって、

客が来たのでそれに付き合わないとならず、勉強に就けませんでした。

誰に向かって言うかも定義しないでの敬語の議論、そもそも間違ってませんか。
だって、敬語って、天皇に向かって言う場合から年下の近所の子に言う場合まであるんだから。

なにか、学校の試験の悪いところをもじった話題は好きではないです。
かえって日本語をダメにしているようで。
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「られる」という助動詞は「受身・尊敬・可能・自発」のいずれかの意味を持ちます。


A.「お客さん<に>来られて、勉強できませんでした」は受身ですね。
B.「お客さん<が>来られて、勉強できませんでした」は尊敬(たぶん)です。
わずかひとつの格助詞「に」「が」の使い方でこの差ができてしまいます。こういう問題があることを知っていれば、区別のため適当な言葉を加えること、または別の言い方を選ぶことで、違いを出せるのですが。
 まず、A.は「に」という助詞は受け身形の事実上の動作主を表します。そして、「来る」という動詞は自動詞ですので、(自動詞の受身=迷惑の受身と呼ばれます。ま、それを知っていてわざと使ったのですが)ほんとに迷惑なことに、おかげで私は勉強できなかったと表現しました。
 それに対して、「お客さんがいらっしゃったので、勉強できなかった」という表現です。
本当を言えば、これは「れる・られる」の多義性を利用して人を迷わせるための文章です。
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「間違いも多い「来られる/来れる」の敬語の違い・使い方と例文


https://mayonez.jp/topic/285
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そうです。

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