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「洗濯に」と「洗濯しに」の違いを教えて下さい。

桃太郎の話を検索すると、殆どが「おばあさんは川へ洗濯に行きました」と書かれてありました。

「洗濯に行きました」と「洗濯しに行きました」の意味はほぼ同じだと思いますが、この2つの違いを文法的に説明する事は出来るのでしょうか。

もしかしたら正解の無い質問かもしれませんが、ご回答宜しくお願いします。

A 回答 (21件中1~10件)

「洗濯に」と「洗濯しに」の違い goo 



 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【23】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975055968&owne …

mixi日記2020年06月16日から

 テーマサイトは下記。
【「洗濯に」と「洗濯しに」の違いを教えて下さい。】2020/06/11
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11698966.html
===========引用開始
「洗濯に」と「洗濯しに」の違いを教えて下さい。

桃太郎の話を検索すると、殆どが「おばあさんは川へ洗濯に行きました」と書かれてありました。

「洗濯に行きました」と「洗濯しに行きました」の意味はほぼ同じだと思いますが、この2つの違いを文法的に説明する事は出来るのでしょうか。

もしかしたら正解の無い質問かもしれませんが、ご回答宜しくお願いします。
===========引用終了

 毎度おなじみのかたがたが、質問の本題から離れて延々と……。
 質問者は理解できるのでしょうか。当方は何度読んでもわかりません。よほど上級者同士なんでしょうね(笑)。
 とりあえずお一人は「質問者さんのご迷惑にもなりましょうから、このスレでの解説は以上とさせていただきます」とのことなので、質問と無関係な問答はおさまるでしょう。ということで、コメントいたします。

 むずかしい話はさておき、国語辞典をひけばかなりの部分は理解できるはずです。
 どの辞書も似たようなものなので、手軽なところでgoo辞書を見ます。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AB/#jn- …
 全文は下記に。

 ご質問は、格助詞のニの話でしょう。
 できるだけ簡単に書きます。助詞はいろいろな働きがあるので、厳密に考えるとキリがありません。
 辞書に〈[格助]名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。〉とあります。
「洗濯に」の場合は、ニは名詞はについています。
「洗濯しに」の場合は「洗濯する」という動詞の連用形についています。
 もうひとつついでに「洗濯をしに」という形もあるます。(洗濯を)「する」の連用形についています。
 意味は〈5 動作・作用の目的を表す。「見舞いに行く」「迎えに行く」〉でいいでしょう。
 ↑の3つは、ほとんど同じでしょうね。
 ニュアンスに微妙な違いがあるかもしれませんが、そんなことにこだわっても何もいいことはありません。

 では〈桃太郎の話を検索すると、殆どが「おばあさんは川へ洗濯に行きました」と書かれて〉いたのでしょうか。
 それはおそらく原文というか、古くから伝わるお話がそういう形のものが多いからでしょう。
 それがなぜか、ということなると、相当感覚的な話なので、少し強引な書き方が必要になります。
 当方はこういう質問に答えるとき、できるだけ自分の主観は抑えることにしていますが、これは主観を交えます。
 
「おばあさんは川へ洗濯に行きました」の前の部分をいい加減な記憶で補います。

昔々、あるところにおじいさんおばあさんが住んでいました。
1)ある日のこと、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 ぐらいなのでは。1)の文を↑のように書きかえてみます。
2)ある日のこと、おじいさんは山へ柴刈りしに、おばあさんは川へ洗濯しに行きました。
3)ある日のこと、おじいさんは山へ柴刈りをしに、おばあさんは川へ洗濯をしに行きました。

 おばあさんの「洗濯」を書きかえるなら、おじいさんの行動も書きかえるべきでしょう。
 その結果、語呂が決定的に悪くなっています。それは単なる主観だろ、と言う人もいるかもしれませんね。
 でも、個人的には2)も3)も相当イヤ。わざわざこんな形にする意味がわかりません。
 文法的には間違っていなくても、物語としては……。実際そう感じる人が多いから1)の書き方が主流になっているのでは。

 
 ちなみに助詞に関してこういうところで質問しても、まともな回答はめったに得られないようです。同じような話がウンザリするほど繰り返されていますが……。
 まずご自身で辞書をひくか、もっとしりたければ文法書を調べることをおすすめします。

参考サイト【助詞に関する話】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3159. …

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AB/#jn- …
===========引用開始
に の解説
[格助]名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。
1 動作・作用の行われる時・場所を表す。「三時に間に合わせる」「紙上に発表する」

「熟田津 (にきたつ) ―舟 (ふな) 乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」〈万・八〉

「二十一日、卯 (う) の時ばかり―船出 (い) だす」〈土佐〉
2 人・事物の存在や出現する場所を表す。「庭に池がある」「右に見えるのが国会議事堂です」

3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家に着く」「東に向かう」

「蟻のごとくに集まりて、東西―急ぎ、南北―走 (わし) る」〈徒然・七四〉

4 動作・作用・変化の結果を表す。「危篤に陥る」「水泡に帰する」

「青葉―なり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます」〈徒然・一九〉

5 動作・作用の目的を表す。「見舞いに行く」「迎えに行く」

「白馬 (あをうま) 見―とて里人は車清げにしたてて見―行く」〈枕・三〉

6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。「人によくかみつく犬」「友人に伝える」

「人―若菜給ひける御歌」〈古今・春上・詞書〉

7 動作・作用の原因・理由・きっかけとなるものを示す。…のために。…によって。「あまりのうれしさに泣き出す」「退職金をもとでに商売を始める」

「春の野に若菜摘まむと来 (こ) しものを散りかふ花―道はまどひぬ」〈古今・春下〉

8 動作・作用の行われ方、その状態のあり方を表す。「直角に交わる」「会わずに帰る」

「桐の木の花、紫―咲きたるはなほをかしきに」〈枕・三七〉

9 資格を表す。…として。「委員に君を推す」

「はじめより我はと思ひあがり給へる御方々、(桐壺ノ更衣ヲ)めざましきもの―おとしめそねみ給ふ」〈源・桐壺〉

10 受け身・使役の相手・対象を表す。「犬にかまれた」「巣箱を子供たちに作らせる」

「ありがたきもの、舅 (しうと) ―ほめらるる婿」〈枕・七五〉

11 比較・割合の基準や、比較の対象を表す。「君に似ている」「一日に三回服用する」

「御袴着 (はかまぎ) のこと、一の宮の奉りし―劣らず」〈源・桐壺〉

12 (場所を示す用法から転じて、多く「には」の形で)敬意の対象を表す。「博士には古稀 (こき) の祝いを迎えられた」「先生にはいかがお過ごしですか」

「うへ―も聞こしめして渡りおはしましたり」〈枕・九〉

13 (動詞・形容詞を重ねて)強意を表す。「騒ぎに騒ぐ」

「風いたう吹き、海の面 (おもて) ただあし―あしうなるに」〈枕・三〇六〉

14 「思う」「聞く」「見る」「知る」などの動詞に付いて状態・内容を表す。

「この継母の有様をあたらしきもの―思ひて」〈源・帚木〉

15 比喩 (ひゆ) の意を表す。

「逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花 (しらゆふはな) ―波立ち渡る」〈万・三二三八〉

[接助]活用語の連体形に付く。
1 あとの叙述の前置きとして続ける意を表す。…と。…ところ。「考えてみるに庶民のための政治は当分望めそうにない」「こともあろうに警官にけんかを売るとは」

「あやしがりて寄りて見る―、筒の中光りたり」〈竹取〉

2 理由・原因を表す。…ので。…だから。

「渡し守、はや舟に乗れ、日も暮れぬと言ふ―、乗りて渡らむとするに」〈伊勢・九〉

3 逆接の確定条件を表す。…けれども。…のに。…だが。

「日中の照りに乾いて、きょうは道が好かった―、小庭の苔はまだ濡れている」〈鴎外・蛇〉

「よろしうよみたりと思ふ歌を人のもとにやりたる―、返しせぬ」〈枕・二五〉
4 添加・並列を表す。…のに加えて。…の上にさらに。

「旅の空を思ひやるだにいとあはれなる―、人の心もいと頼もしげには見えずなむありける」〈かげろふ・上〉

[補説]接続助詞「に」は、用言の連体形に付く格助詞「に」から転じたもので、1は口語では多く「要するに」「こともあろうに」などの慣用的表現として用いられる。
[終助]
1 《上代語》活用語の未然形に付く。他に対してあつらえ望む意を表す。…てほしい。

「ひさかたの天路 (あまぢ) は遠しなほなほに家に帰りて業 (なり) をしまさ―」〈万・八〇一〉

2 《近世語》活用語の終止形に付く。軽く注意を促したり、とがめたりする意を表す。…のにな。…のだぜ。

「飯をたいたら、かゆになってしまうわな。米をたくといへばいい―」〈滑・膝栗毛・初〉

[並助]並列・列挙・添加・取り合わせを表す。「バターにチーズに牛乳」「月にむら雲、花に嵐」
「有識 (いうそく) ―公事 (くじ) のかた、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ」〈徒然・一〉 
===========引用終了
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花にたとえて見れば、具体的な花の名前を挙げて説明したところ、全く同じ種類の花でも生息する場所によって微妙に相違する、で、違うじゃないかと指摘される。


そんな時、くだんの人はそれを持って相手を全面的に否定してしまう、そんな癖が有ります。
人は考えごとをする場合、基準は自分、または自分が経験したことを最優先にします。
根性がひねくれた?自分は言葉尻をとらえて相手を全面否定する癖が有ります、だから他人もそうだと思います、そこで具体的な花の名前は言わず、単に花と言うだけになります。
ところが花屋の前で客があじさいの花の色が・・どうのこうのとい言っていました。
花の色、形といえば花びらのことになります、、でもあじさいの花は花びらではないのですね、そこで、くだんの人は花といってしまうと不味いと思い花的なもの、と言うことにしました。
そうです、詐欺師が、まー元本保証的なものですわー、ひっかっ人が騙された、と言えば、元本保証と言い切ってはいない「的」を付けています、そう思いこんだのは、その人の勝っ手だといいます、それと同じ理屈です、花びらではないじゃないかと言われても逃げ道を作ったつもり。
そこで、あじさいの花的なものの色は・・・・・、なんてことを言って居ます。
それが、このカテのあちこちで触れ回っている内容です。
あじさいの花的名ものの色・・・・・、誰が聞く気になるでしょうか。
花屋の店頭でなら、生物学の上では花びらでは無くとも、花で十分なんですが、自分の根性がひねくれているので、相手がそれで通してくれると信用できないのでしょう。
それが多分すべて?、臭いものは元を断たなきゃ・・・といわれる、元でしょう。
どのように対応するかは質問者次第です、都合の良い回答ばかり集めて、真実の追求より類は類を呼ぶで群れたがるだけの質問者もいますが、今回のような場合はどうでしょう、必ずしもそうとは言えないような気もします。
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#16(アスナロウ)です。


#15(hakobulu)さんのご回答に関して、矛盾点を明らかにすることによって、質問者のご理解の一助につながればと思います。

◎「先生」を、格助詞「に」によって、「本を貰った」という動作の着点として位置づけている。

残念ながら、言語の表現としての本質が全く理解できていない誤りが露呈しています。

< 格助詞「に」によって、「本を貰った」という動作の着点として位置づけ>ることなど、語にはできません。

語、言語は表現であり語が「動作の着点として位置づけ」ることなど手品でもできないでしょう。こんな、間抜けな断定をしているようではどうにもなりません。

語は概念を表わすもので、格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの【認識】を直接に表すものです。

腑に落ちなければ、いくらでも質問して下さい。

言語表現を論理的、理論的に理解することは極めて重要なことです。

こうした間抜けな言語表現理解では、現在の『古事記』、『万葉集』などの国学的な理解の誤りを正すことは絶対にできません。

まあ、『古事記』、『万葉集』などまともに読んだことはないのでしょうが日本を考える上で、これらの誤った理解を正すことは極めて重要です。

が、この程度の表層的、機能主義的な理解では如何ともしがたいところです。■
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#15(hakobulu)です。


#16(アスナロウ)さんのご回答に関して、やりとりを整理した上で矛盾点を明らかにすることによって、質問者さんご理解の一助につながればと思います。

【hakobulu】
「時間的・空間的に位置付ける」なら、「位置付ける先」が必ず存在しますよね?
ということ。
つまり、同じことを言っているわけで

【アスナロウ】
これが同じに思えるのが根本的な誤りです。

★ 先生に本を貰いました。

この場合、格助詞「に」は先生を位置付けています。位置付ける対象自体(これが位置付ける先?)を表わしている語は「先生」で、「に」ではなく、着点でもありません。本の着点は話者です。これを、「に」が着点で、「位置付ける先」だというのは根本的に誤っています。(「位置付ける先」が必ず存在>とは先生?本?)

どこが同じなのか、日本語が理解できているのか疑問に思います。

この説明を拝見する限り、アスナロウさんは、ほとんど、いや、まったくと言ってよいほど、この構文、ひいては「に」の意義について理解しておられませんね。
せっかくですから、もう一度だけ解説させていただきましょう。
ただ、他人の庭でいつまでも言い争っていてはご迷惑がかかるので、これ以上は申し上げません。

まず、「位置づける」とは、

『 物の占める場所をある地点に定める。配置する。』(明鏡国語辞典)

という意味です。
なので、《先生を位置付けています》と言うなら、先生をどの地点に定めて(または配置して)いるのか?》
という質問に答えられなければなりません。
答えられないでしょ?
「に」の意義が理解できていないため、

(「位置付ける先」が必ず存在>とは先生?本?)

などという初歩的な疑問も浮かぶわけです。
この点も合わせて疑問を氷解して差し上げますから、素直な気持ちで以下をお読みください。

大辞林には「に」の本質的意義について、
〔上代から用いられている語で,動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法〕
という注釈があります。

★ 先生に本を貰いました。

の構造を、この語釈に忠実に解釈すると以下のようになる。

◎(私が)本を貰ったという動作が行なわれた空間的な位置は、「先生」という場所である。

つまり、要点は、

◎「先生」を、格助詞「に」によって、「本を貰った」という動作が行なわれた場所として位置づけている。

ということ。
これが、「に」の意義によってもたらされているところの、

★ 先生に本を貰いました。

という文の意味なのです。
これをスマートに表現すれば、

◎「先生」を、格助詞「に」によって、「本を貰った」という動作の着点として位置づけている。

となるわけだ。
わかっていただけましたかな?(笑)

《本の着点は話者です。》
などと間抜けな断定をしているようではどうにもならない。
これは、「貰う」という動作に伴う「本の着点(移動先)」にすぎないのであって、格助詞「に」によって位置付けられる先としての着点(=先生)とは何の関係もない。

質問者さんのご迷惑にもなりましょうから、このスレでの解説は以上とさせていただきます。
腑に落ちなければ、新たに質問を立ててください。
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思って居ることの半分も言葉にできない、それを避けて(逃げて)、具体的な意味を持つ言葉を極力避けた。


具体的な花の名前、(バラ、菊・・・・)で表現すれば表現しきれないかも、それで花であれば、すべて花、としか言わない。
認識、主体、位置、空間・・・・具体性に乏しいですね、さらに「的」がついていますね、〇〇的→〇〇みたいな→〇〇ではない。
名詞で言えば、花、箱、人、動物、金属・・・・そんな一般名詞?。
しか使わない?、幼稚と言えば幼稚ですね、大人ならより具体的な表現します。
でも日本人といってしまえば英語は話せない人も居ますね、それを避けている。
他人の回答でそこを付いて全面否定する以上使えないのです。 
空間と言えば、異空間と言う言葉もあります、その異空間でどんな位置を認識したところで、発言者の位置からの方向は、異空間の方向、でしか有りません、異空間の具体的な方向はつかみようが有りません、助詞「に」「を」は方向を意識させる表現と言う感覚が完全に欠落しています。
相違点の説明が必要では無く、本来似て非なるもの、と言う説明が必要なのです。
なのに、サソリもどきのように、見てくれだけが似ている、そこだけを見ると、相違点について「何故」を付けて考えてしまっているだけ、の説明が必要なのです。
何故違うのか?では無く、元もと違うことの説明が必要なんです。
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相変わらず、ピンボケなコメントをされる方がいますので、具体的な誤りを指摘していきましょう。


有体に言うと#9さん(#15さん)のことですが。(笑)

>>「時間的・空間的に位置付ける」なら、「位置付ける先」が必ず存在しますよね?
ということ。
つまり、同じことを言っているわけで

これが同じに思えるのが根本的な誤りです。

★ 先生に本を貰いました。

この場合、格助詞「に」は先生を位置付けています。位置付ける対象自体(これが位置付ける先?)を表わしている語は「先生」で、「に」ではなく、着点でもありません。本の着点は話者です。これを、「に」が着点で、「位置付ける先」だというのは根本的に誤っています。(「位置付ける先」が必ず存在>とは先生?本?)

どこが同じなのか、日本語が理解できているのか疑問に思います。

それが証拠に、「現代語の文法。格助詞について。」という質問に対し、
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11701723.html

NO.5で、全くピント外れな誤った回答をしています。<「に」:着点>という理解が全く役には立たないことを、自証、自滅しています。■
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#9です。



せっかく噛み砕いて述べたつもりですが、まったく伝わっていない方が約一名おられるようですね。
有体に言うと#5さん(#14さん)のことですが。(笑)
ま、自分の考えを押し付けるつもりはありませんが、頭を冷やされることをお勧めする意味で、明らかな矛盾点だけお示ししておきましょう。

『なお、格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わすもので、まかり間違っても「着点」などという客体を表わす語ではないので注意が必要です。』(#5)
とおっしゃっていますが、
「時間的・空間的に位置付ける先」こそが、すなわち『着点』に他ならないわけです。
「時間的・空間的に位置付ける」なら、「位置付ける先」が必ず存在しますよね?
ということ。

つまり、同じことを言っているわけで、本質を【端的に】表現しているという意味で「着点」という表現のほうが若干優れている、ということ。
『時間的・空間的な位置付けの認識を表わす』などと稚拙な表現しかできない人間に批判されるとは片腹痛いことではありますな。(笑)
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No.13 の回答について



当方の回答に触れられていますので若干のコメントを。

>>>空間的な位置付けの認識を表わすの
要するに、「どこだ」と認識するということとしか受け取れません、動きを連想することも、方向を考える必要もありませんね。物事の認識のレベルが浅すぎ?、狭い、で幼稚?とすら思えてなりません。

言語は話者の認識の表現で、動きを連想することも、方向を考えるのも話者の認識です。

言語表現は言語規範(つまり文法)を媒介とした個別の話者の認識の表現で、動きは動詞で、方向は動詞と助詞の組合せなどで表現されます。

格助詞が表すのは語と語の資格、関係という話者の関係認識である主観の直接の表現です。
こうした、言語表現の媒介的、立体的な構造が全く理解できずに「動きを連想することも、方向を考える必要もありませんね。」などと寝惚けたことをいうのは、全く【物事の認識のレベルが浅すぎ?、狭い、で幼稚?と】しか言いようがありません。

この表現された内容と話者の認識の関係が意味ですが、語の意義と意味の媒介関係が全く理解できていない寝言です。

いつもの誤字<濾過医しにくくなります。>が見られ、××症かと危ぶまれます。■
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さそり、とさそりもどき、との相違は?。


どだい分類上の科目?からして別科目?。
「に」と「で」の相違は、方向(ベクトル?)を意識する必要が有るか、無いか、と言うことになるのかな?、でもこれだけでは何のことか??ですね。
助詞「に」と「を」
他動詞の目的格にも使われます。
目的と言えば、どの方向へ・・・と言う方向の感覚が不可欠です、動詞の目的なので動きに関する要素も必要です。
その上で、「に」は収束を表し、「を」は拡散を表します。
収束の行き着く先は一点へ収束ですね、何処にある一点か、方向の感覚も必要です、それが目的語で表現されています。
一方「を」は拡散、で、収束と同様に、行き着く先?、全360度、無数になりますね。でも拡散の場合の究極は元の位置、一点から拡散ですね、その一点の具体的位置が究極なんですね、言い換えれば起点です、それが目的語で表現されています。
目的語を取らない自動詞でも、使われますが、全く同様に「収束」「拡散」ととらえて考えることが可能です、その場合は動作の対象では無く、収束の結果の収束点、拡散の起点としての位置・具体的な場所を表すことになります。
言い換えれば、目的語と言う認識が無くても、正しく内容の理解は可能です。
「に」「を」は対で理解し、方向を意識して理解する必要が有ります。
その上で、方向の意識がそれほど重要でない場合は、方向を意識する必要のない「で」で表現しても、理解する内容に大きな差が出ません。
「で」と「に」の相違点、ととらえてしまうと濾過医しにくくなります。
一部内容的に重複は有るが、似て非なるもの、と認識すれば、理解が容易になります。
飛行機が空を飛ぶ、雲が空に浮かんでいる、「を」起点から拡散=動き。「に」収束点に収束、停止?。
どちらも自動詞なので目的語を取りません、「に」「を」は場所を表します。
動きの連想が必要な場合は「を」、そうでない場合は「に」。
日本語の感性が十分でない子供なら、どちらも「で」で表現することもありそうですね。
※全く私の個人的な理解のしかた、と断っておきます、参考になれば、取り入れて自身の理解をより深めれば・・・・。
>空間的な位置付けの認識を表わすの
要するに、「どこだ」と認識するということとしか受け取れません、動きを連想することも、方向を考える必要もありませんね。
物事の認識のレベルが浅すぎ?、狭い、で幼稚?とすら思えてなりません。
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迷回答がされていますので、基本的な誤りを指摘しておきます。



No.9
>>その「始ります(述語)」という動作の着点(落ち着く先)は、「5時」という時刻ですよ、と指定しているわけです。

これは、まともな日本語ではありません。
語や文は概念を表わすもので、文は話者の認識を表現しており、語が指定などしないことは明らかで、格助詞「に」は「始ります(述語)」という時刻を「5時に」と時間的に位置付ける認識の表現です。

この場合は当然、「始ります(述語)」なので文での意味としては5時は会議時間の始点です。どうまかり間違っても動作の着点(落ち着く先)ではありません。基本的な言語観が誤っているとこうした屁理屈が最もらしく思えてしまい、誤った論理展開がなされます。

>>「に」は収束「を」は拡散、というとらえ方でとりあえず対処しています。

これは、誤りに輪を掛けた誤りの二乗です。

No.8
>格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わすもので
これは「に」は目的語を表すだけではない、単に場所を表す場合もある、というだけの説明です。目的格である場合の認識についての説明にはなっていません。

「時間的・空間的」と明記しているように、客体としての場所ではなく空間的な位置付けの認識を表わすのが格助詞の「に」で、この空間認識が時間認識に拡張展開したのが、「5時に」という表現です。

>>洗い物をすること、と説明するときは、「する」の動詞の意味も含むので、あえて不要とも言えます。文法の中でも、基本の、主語、述語、目的語、の形式で見れば述語で多く使われる、動詞(形容詞)が重複して、違和感があるのは確かです。

これは名詞、動詞が何を表わすのかが理解できていない根本的な誤りです。
「洗濯」は動詞的、つまり動的な内容を持った名詞です。名詞は実体認識を表わすものです。
この名詞「洗濯」が持つ動的な内容を敢て取り上げ、抽象動詞「する」を付加したのが複合動詞「洗濯する」です。したがって、ある意味くどいところがあり違和感を感じるかもしれません。

>>なを、目的格としての「着点」は言葉の妥当性はともかく、ぼろくそに言われる内容ではありません。

先に記したように、「会議は5時に始る。」の場合、会議の始る時間、つまり始点を表わしており、「に」【自体】が客体を表わすという発想では本質的なボロクソの矛盾に逢着することになります。

残念ながら、この回答はボロクソな回答となる他ありません。■
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