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茶道の内容について勉強しています。日本の家系について疑問を持ちお伺いいたします。

https://www.kyotonikanpai.com/spot/01_04_kitano_ …

上記のサイトによりますと、千宗旦の子なぜ千という苗字ではなく、江岑という苗字でしょうか。また、もう1人の子はなぜ仙叟という苗字でしょうか。でも、養子に行っている千宗守はかえって千という苗字をそのまま引き継ぎました。普通に考えますと、養子でしたら、養子先の苗字をとるような気がしします。ご存知の方、教えていただけませんか。よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

興味深いので調べてみました。



そもそも、「千」は千利休がもらった敬称です。利休死後に、千家を起こしたとされています。
つまり、江岑宗左の「江岑」は号になります。実名は恐らく、千宗左だそうです。
武者小路千家は養子に出された次男一翁宗守が千家に戻り、兄に勧められて茶人になったとか。
官休庵のある地名から「武者小路千家」と通称されたそうです。

昔は号が多々あったので、今でいう芸名でしょうね。
昔の方がずっと姓に関して選択の自由だったことを思い知らされますね。
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この回答へのお礼

みなさん、ありがとうございました。

お礼日時:2020/09/12 00:55

明治以前の苗字は、貴方が考えるほど、厳格な血統を表すものでは有りません。


だから、父方の苗字を名乗るも母方の苗字を名乗るも異なる苗字を名乗るも自由。
それは、茶人と云えども例外ではありません。

政権が武士に移った中世以降も、天皇から政権の信託を受けるため、武士の棟梁は、貴族の血を引く平家か源氏を名乗っています。
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