プロが教えるわが家の防犯対策術!

数十年前(国鉄時代)まで終列車の1本前の列車のことを「けりこみ」と言ってましたが(少なくとも紀勢西線沿線で)これの語源か、いわれを教えてください。
なぜ「けりこみ」と云ったんでしょうね。
”遅くても「けりこみ」で帰ります”・・こんな使い方をしてました。
今のJR西日本で聞いたら分からないそうです。

A 回答 (7件)

当時和歌山大学の中でも使われた言葉です。

南海本線、和歌山線、に使われた記憶があります。当時の私の勝手な独自の解釈で、今まで誰にも話しておりませんが、最終列車は、何か最後を締めくくる大切な列車であって、その前は、最終列車を安全に通すために、その前を露払い(これは朝か?)する役目をもっていて、邪魔な、遅れている列車を蹴り込む列車と思ってました。(想像してました)興味があった当時、みんなに尋ねておけばよかったと思います。お邪魔でした。和歌山線のでけりこみで帰ってきたという会話が多かった。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。同好の士がいて心強い限りです。当時(昭和40年ごろまで)箕島に住んでましたが御同様に理由なぞ調べる気にならなかったものです。
だんだん核心に近づいてるような、そうでもないようなですね。

お礼日時:2005/02/06 20:42

古い質問はほとんど見られません。

私も、火曜に出しても来ないのが土曜に「その2」として出すと一発で来たがある。失礼。
    • good
    • 0

もうひとつ忘れてました。

そのころ複線でなく、単線でしたとしますね。ケリコミといわれる長距離列車が短距離列車を最終駅の側線へケリコミながら走った。。。でも、そのあともう一本最終列車があったのかな。もう答えもこないようですから、再度質問されてほしいです。私も見たい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。返事が遅くなりました。
今のところ、このご意見が一番もっともらしいように思います。
再質問しても同じ質問になるのでもうしばらくこのまま続けさせていただきます。
「けりこみ」をよろしくお願いします。

お礼日時:2005/02/18 08:46

再度ピタゴラです。

ケリコミとは最後から2番目の列車じゃなくて、たまたま、天王寺から東和歌山に列車が到着するのを待ちかねて、湯浅行きが出発していくとか、東和歌山で新宮へ出発する列車の最後尾へ南海難波から客車が一両和歌山市で切り離され東和歌山で最後尾へ連結(ドカンとぶち当たって連結)されたり、以上すべては例で、時刻表確認はしてません。ただ、到着を待ちかねてすぐ出発とか、後ろへ増結(昔だから蹴られたようなショックがある)かなあとも思います。和歌山の方言サイトもあたってみましたがとりあえずわかりません。楽しいですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅くなりました。
国鉄と関係ないところで使われ出したとは思えませんが、
JR西日本と紀勢東線OBの方からの返事でも分からないとのことでした。

お礼日時:2005/02/18 08:37

再度ピタゴラです。

和歌(短歌)で「けり」がついたら終わりでしょう。関係あるかな?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「けり」の前に「こみ」ですか、ひょっとして関係あるかもしれませんね。こんなに反響があるのは「けりこみ」を知ってる方が多いのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2005/02/06 20:52

No.1のものです。



OBの方でこのサイトを覗いている方も数は決して多くないかと思います・・・(国鉄時代を経験されている方は少なくとも40代以上でらっしゃいますから・・・)

もし投稿いただけなかった場合(+ お知り合いで国鉄関連の方がいらっしゃらない場合)
むしろ、国鉄職員のOB組織にお尋ねになったほうが早く、かつより高い可能性で語源がわかると思われます。
http://www.amigo2.ne.jp/~ksaka/ob12.html 
(こちらであれば、紀勢西線を管轄していた、旧天王寺鉄道管理局管内の方々ですので、より期待持てるのではないかと。。。)
もしくは、もう既にお尋ねになってるかもしれませんが、「交通科学館」に尋ねてみるというのも1つの手でしょう。

-----

また、天王寺発の普通夜行列車の変遷についてはこちらが参考になります。(「はやたま」という時代も含めて、愛称は比較的最近までついていました。復刻版ほか、古い時刻表見ればすぐわかります)
http://www1.odn.ne.jp/~cas29350/2921mrepo-1.htm
http://jnr1980.at.infoseek.co.jp/contents3-3-2.h …

この回答への補足

教えていただいた鉄道OB会に聞きました。
以下の通りでした。
”お問い合わせの「けりこみ」ですが
職員養成所の講師の先生を始め、各機関の先輩・
同僚にもお尋ねし、ご期待に沿うべく調査に努めま
したが「けりこみ」の付く用語は、当時の紀勢東線・
参宮線方面では使われていないとの結論で、JR
西日本と同様のことしか分かりませんでした。
鉄道OB会 伊勢支部”

補足日時:2005/02/15 08:33
    • good
    • 0
この回答へのお礼

参考になるご意見ありがとうございます。
早速、鉄道OB会伊勢支部へきいてみます。「交通科学博物館」は質問窓口が見つかりませんでした。
夜行寝台付列車「はやたま」ポピュラーですね、私は寡聞にして存じませんでした。

お礼日時:2005/02/06 20:38

そのころの紀勢西線の最終列車は、新宮・紀伊勝浦方面への夜行各駅ではなかったですか?(「はやたま」?)



そのことと何か関係ないでしょうか?


また、
語感からすれば「けりこみ」→「帰り」+「混み/込み」のような感も受けないことはないですが・・・


(全く本件自信はありません)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
たしかに終列車は鈍行の新宮行きだったようです、が愛称はなかったと思います。
これは国鉄用語ではないか、それが一般にも使われていたのではなかったか、とおもいます。
当時の国鉄職員の方でご存知の方よろしくお願いします。

お礼日時:2005/02/04 17:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!