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文系、理系差別(論争)について違和感を感じる者です。どうして争っているんでしょう
か?誰か教えてください。

支離滅裂な文章で申し訳ありません。

なるべく公平に書きたいです。

もしかしたらこの文章を書いたのは、自分が「文系という立場を正当化」する為かもしれません。知らんけど。



自分なりに考えてみたのですが、人は「完璧」に憧れ、目指す者という事を前提にするならば、論争する人にとって完璧に欠けている要素が理系の何かであったり文系の何かであったりする。

それから、違いを認められない場合、劣等感が膨らみ自分とは違う人間を攻撃するというプロセスでしょうか。

背景として、社会(日本)に文理選択の影響が強く根付いていて、進路選択や大学(高校)受験以降で「取り返しが効かなくなってしまう」ことが根本的な問題の一つだと思います。これが最大の要因かと。

総合的に見て、文系理系の「付加価値の高さ」による論争ならば、客観的に見ても理系の人達が優勢になるのは必然という事が自分の結論です。給料ならば平均値でも中央値でも勝てないのでは?

学力面(高校)ならば平均で理系の方が優等生は多いです。そういうデータが絶対あったはずです。だから、学力や偏差値で競っているならば理系科目の人達の勝利っではないでしょうか。また、入試体系などで競っているならば、理系の人達は教科書数冊分多いので難しい。大学での活動は個人によるので分からないです。巷で有名なお題として数学の出来るできないという事も個人次第ですし。



自分としては、文系理系という大きな枠組みで拡大解釈し過ぎですし、くだらないと思いました。他人の進路に口出しするなよって思う。

何かに優れている者が全てなんでしょうか?人との違いが差別する理由ならばその人は三流以下ですよ。

皆違って皆いいじゃ駄目なのかな?

「自分には何もない」と心底にあるならば、何かアクションを起こせばいいだけでは?文系理系という枠組みに囚われて何もしないことは言い訳なんじゃないかって。



結論で、両方出来る力が大切という意見に個人的には賛成です。偏り過ぎるのではなく、バランスが何事も大切だってばっちゃが言ってたので。今後、文系の人にも理系系統の学習ができる環境を作るべきだと思います。逆もまた然りです。お勧めの本とかも有れば是非教えてくれませんか?文学か理数系の本で。

って考えると文系理系に分ける必要性って何だろう?

根っこの理由が分からず腑に落ちない感覚がありむず痒いです。私が思っているよりも深刻な問題らしいです。「バカ」な自分に教えて下さい。

A 回答 (5件)

>お勧めの本とかも有れば是非教えてくれませんか?文学か理数系の本で。



①寺田寅彦の著書。寺田寅彦は地球物理学者でした。特に火山の研究や、金平糖の出来方などのユニークな研究が有名な人です。同時に彼は日本神話の解読を地球物理学的な事実や仮説と紐付けしながら、時にユーモアを交えつつ「文学的に」書いたり、俳句や音楽の才能も持っていて、そういった分野でも有名な人でした。理系・文系という二分法では寺田寅彦の著作の面白みは説明できません。随筆家として大衆に人気を博した人でもあり、著作は多いですので色々読むと良いですが、「神話と地球物理学」などは理系と文系を柔軟にミックスさせることの魅力をよく感じることができると思います。

②吉田武の著書。吉田武は数学者でした。彼の書いた「オイラーの贈物」「虚数の情緒」は若いうちに一読されることを強く勧めます。総てに関心を寄せることは出来なくても(私は数学のあるジャンルにだけ関心を持つので、彼の専門性の高い著述は理解してません)、吉田武の数理系と文系の情感を見事にクロスオーバーさせている世界観、文章力は圧巻です。

③朝永振一郎の著書。ノーベル物理学賞の受賞者です。物理学者ですね。かれも名文家で、専門家以外の一般人に向けて平明な言葉で物理の素朴なしかし、重要な要素を紹介するエッセイ(?)を多数書いています。私が好きなのは「鏡の中の物理学」という本でしたが、他にもいろいろあります。

④山鳥重の著書。彼は脳科学者です。専門は失語症。文系の人は多くの場合「ことば」を道具にしますが、失語症という症状から顧みた言葉の仕組みについて、非常に興味深いことを沢山書いておられます。文学や哲学をよく理解したい、あるいはそれを自分の仕事にする場合にも、忘れてはならない大事な点を突いている学者の一人であると個人的には思っています。

⑤ルイス・キャロルの著書。彼は「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」で非常に有名な児童文学作家でもありますが、本職は論理学者でした。数学も専門でした。彼の文学作品はしばしば物理法則や論理学の初歩に絡んだ言い回しや言葉遊びが頻出しますので、文系・理系どちらのセンスも刺激してくれます。大人向けの作品として、日本語版は少し入手しにくいですが「不思議の国の論理学」など、論理学の世界を彼なりのユーモアで書いている本なども出版されています。

⑥ファラデー「蝋燭の科学」。古典と言える作品かもしれませんが、これも理系の知識を紹介する本でありながら文学的な趣の深い作品です。蝋燭をともして読むべき本かもしれませんね。

⑦フリードリヒ・シュナック「蝶の生活」。岩波文庫所収です。私が特に好きな一冊です。ファーブル昆虫記の蝶-蛾版とも言えますが、実に詩的な文章の羅列に眩暈がします。ほとんどは事実を書きつけていますが、創作小説も挿入されていて、それも名作です。図版も美しく、科学的な正確さや合理性よりも「美しさ」や「装飾的な言い回し≒修辞」こそを至上とすることがよくある文系の人だったらメロメロになるでしょう。

⑧宮沢賢治の著書。彼は児童文学を沢山書き残したことで知られますが、普段は農民としての生き方を愛していましたし、彼の文学作品には、化学や農学の素養がふんだんに出てきます。

文系理系にジャンル分けするのがナンセンスな名著は、他にもわんさかあると思いますが(名著は大体ノンジャンル的になりますし)きりが無いので、今なんとなく思いついたものを挙げました。

あなたが文系理系にこだわる理由がよくわかりませんが、芸術系の人もいればスポーツ系の人もいると思うし、宗教系の人もいるでしょうし、そういう人を理系文系と言えるんかな。第三者が色々と言ったところで、ご本人たちは、笑うでしょう。

古代文明なんか見ると、昔の人は全員、数理系であり文系であったようにも見えますし、神道や仏教も、一見すると非科学の塊みたいに見えますけど、深く知れば知る程、宇宙の法則や数理系の世界と深く関わっています。

思うにですが、全ての情報の「ジャンル分け」は、まあ、うわべの国境とか、建物みたいなもので、普段の多くの人の生活を考えた場合、そうする方が安全で効率がいいことが多々あるので、便宜上、人工的な線を引いたり仕切りを作ったりして細かく分けてはいますが、地球の陸地を国境で見た場合と、大陸プレートで見た場合では、全然違う「境界線」が見えてきますよね。地層で見たら今度は垂直方向の「境界線」が見えます。緯度経度で切ってもまた違う線が見えますね。

そんな風に、学問その他の情報も、時と場合によって適切な境界設定が色々ある。というだけです。一つのケーキをいろいろな風に切ってみるのは面白いことですし、相手に合わせたり状況に合わせたりして、ケーキの切り分け方を変えることが出来たら、フェアで便利ですよね。

世間的に、どういう情報のジャンルわけ、分断や論争が流行していようと、個々人の知的好奇心や感性自体を阻むものではありません。他人が便利に使っている境界線や分野のことを妄りに貶めたり破壊しようとしたりするのは私は賛成しませんが、自分にはいまいち合わない境界設定やなあ、と思ったら、自分は別の切り方で知的に生きればそれでいいだけです。のびのび生きてくださいね。
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文系、理系差別(論争)について違和感を感じる者です。


どうして争っているんでしょう
か?誰か教えてください。
 ↑
日本だけが峻別されているのは、旧制高校に
端を発し、入学試験や就職で区分されているから
でしょう。

争っているのは、2ch辺りの影響かな、と
考えています。
2chでの、3バカ論争てのがありました。

東京大阪論争。
学歴論争。
理系文系論争。

2chですから、遊びで争っているだけです。
ワタシは理系で、文系をバカにしていますが
あくまでも、遊びです。
マジでバカにしているわけではありません。
マジで争っているのなどいるんですかね。




総合的に見て、文系理系の「付加価値の高さ」による論争ならば、
客観的に見ても理系の人達が優勢になるのは必然という事が
自分の結論です。給料ならば平均値でも中央値でも勝てないのでは?
 ↑
そうですね。
理系の仕事は文系は出来ませんが
文系の仕事は理系でも出来ます。




学力面(高校)ならば平均で理系の方が優等生は多いです。
そういうデータが絶対あったはずです。
だから、学力や偏差値で競っているならば理系科目の人達の
勝利っではないでしょうか。
 ↑
最難関は医学部であり、東大理3です
からね。
ノーベル賞は、圧倒的に理系です。




自分としては、文系理系という大きな枠組みで拡大解釈し過ぎですし、
くだらないと思いました。他人の進路に口出しするなよって思う。
 ↑
少年よ大志を抱け、のクラーク博士曰く。
「欧米に追いつこうと思ったら、技術だけを
 学んではだめだ。 
 文化を学ばねば。
 技術は、文化の基礎があってなりたっているからだ」




結論で、両方出来る力が大切という意見に個人的には賛成です。
 ↑
区別しない欧米では、理系の哲学者が
多いです。
カントなどはその例です。

ノーベル経済学賞を受賞したジョンナッシュは
高名な数学者でした。




偏り過ぎるのではなく、バランスが何事も大切だってばっちゃが言ってたので。今後、文系の人にも理系系統の学習ができる環境を作るべきだと思います。逆もまた然りです。お勧めの本とかも有れば是非教えてくれませんか?文学か理数系の本で。
  ↑
ワタシは理系ですが、理系だけでは偏る
と考え法学と経済学を勉強しました。



って考えると文系理系に分ける必要性って何だろう?
  ↑
ありません。
日本が間違っているだけです。



根っこの理由が分からず腑に落ちない感覚がありむず痒いです。
私が思っているよりも深刻な問題らしいです。
「バカ」な自分に教えて下さい。
  ↑
日本から、世界的な哲学者や、ノーベル経済学賞
が出ないのは、分けているからかもです。
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文系が理系を攻撃するのは、学力についての劣等感から、


理系が文系を攻撃するのは、文系が楽して社会的に恵まれることへの僻みから
だと思いますけどね。
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私立大学において文と理で学費に差があり、憲法に定めた学問の自由に抵触するかいなかが論争の根本ではないか?



もし、文学部でも工学部でも同じ学費だったら、論争は起きないでしょう?

学費が同じ法学部と経済学部で法経論争は起きない。
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あなたは大阪人か、その近辺の生まれ育ちの人でしょうかね。

「知らんけど」と文章の最後に付け加えているので。…まあ、どうでもいい話ですが。

私自身はプロファイルにも書いているように、大学は理系でした。もともと幼い頃から電気をいじって遊んでいたので、文系理系など何も考えずに自然とこの専攻になったわけ。

でも会社で何年も仕事をしていくと、だんだんと文系理系という分けかたに関係のないマネジメントの仕事になって行きます。なので、会社人生の後半は文系理系を意識することも、それを口に出す人もいなくなります。

理系の私がいまやっている仕事は、マネジメントの延長にある経営コンサルティングなんですよ。まるで文系みたいな。でも、経営コンサルティングの仕事は文系でも理系でもないんです。そんな分けかたなんて出来ませんし、分けて分離させること自体が宜しくありません。

結局、文系か理系かは、社会に出る(会社に入る)ときの入口(言うなれば、右から入るか左から入るか)にしか過ぎない、と思いますよ(人生の大半を終えた経験で言えば)。

「結論で、両方出来る力が大切という意見に個人的には賛成です」に関して余談ですが、理系の私が学生のときに得意だったのは英語です。次いで数学かな。
そして30代になってから(勤めながら)幾つかの月刊雑誌に科学技術的なエッセイのようなライター(物書き)を25年以上も続けてきました。なので、物書きもいまは得意ですよ。
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