下記の文が桃太郎のあらすじとして不自然な理由を日本語学習者に解説してあげてください。
・なぜ「は」(または「が」)ではダメなのか?
という点について、懇切丁寧、且つ論理的に解説できる方、お願いします。
むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
ある日、おじいさん【 が 】山へ柴刈りに、おばあさん【 が 】川へ洗濯に行きました。
おばあさん【 は 】川で洗濯していると、どんぶらこっこどんぶらこと、川上から大きな桃【 は 】流れてきました。
おばあさん【 が 】その桃を家に持ち帰りました。
桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子【 は 】飛び出しました。
No.33
- 回答日時:
>>ゆっくり拝見しますが
はい。
まず、じっくり読み自分に理解する力があるのか否かその辺を念頭に置きしっかり理解できるまで読み抜いて下さい。
下らない応答は不要です。
新たに、まともな質問を立てられるようになりましょう!
■
ご回答ありがとうございます。
以下の質問に対して一向にお答えがありませんが、どうされましたか???
忘れておられるかもしれないので再掲しておく。
自分の発言した内容なのだから責任を持って答えたまえ。
それとも降参するか??(笑)
【#30での質問ー未回答】
1.普遍性に関して、
「【事物全体】を問題にすることも必要になる」し、
《他の事実との比較、対象という意識、認識》が必要になることもある。
とおっしゃっていることになりますが矛盾していませんか?
3.
桃太郎の作者は、(おじいさん、他の人なら持ち返ろうと【は】しませんでしょうが、)という含みを持たせて、
・おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
と書いたのですか?
4.
・桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
この「男の子」は個別的概念とおっしゃいました。
・戦時中は兵士にするため男の子【 が 】重宝された。
こちらの「男の子」も個別的概念ですか?
という簡単な質問です。
個別的概念なのかそうでないのか、どちらなのか教えてください。
【#23での質問ー未回答】
君は、
《日本語学習者が、山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言っても何のアドバイスもしない》
のだろ?
であれば、
《山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言うことはできないよ》
という指導もできないよな?
しかし、それでは、「は」と「が」の違いについて教えることができないと思うのだが、どうかね?
No.32
- 回答日時:
>>《【 は 】の後》が特殊性を表わしているのは、どの例文ですか?
君な!
回答した内容が全く理解できておらんではないか!!
君の単細胞の条件反射的に痙攣したあれかこれかの誤ったp-^万な質問は止めてくれ!!
当方の脳に感染しそうじゃ!
まずは、これまでの回答を良く理解した上で何が不明なのか中身のある応答、質問をしてくれたまえ!!
基本的に回答は終わった。
後は君の理解力の問題だということをきちんと自覚してくれたまえ!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>回答した内容が全く理解できておらんではないか!!
:
内容が矛盾していれば理解できんのは当然だと思わんかね?
どういった矛盾なのか、以下に再度述べるから、よく読んだ上で答えてくれたまえ。
(ア) * ある日、おじいさん【 は 】山へ柴刈りに、おばあさん【 は 】川へ洗濯に行きました。
と言うときには、単なる個別の老夫婦の存在の把握から、その生活のありかたへと把握がひろがっていきます。しかもこの二人の生活のありかたは共通ではなく、それぞれ「山へ柴刈り」「川へ洗濯に」という【特殊性】を持っています。生活全体の中でのそれぞれの特殊性を取り上げており、特殊性の認識を表す「は」が使用されます。
:
これは君の発言だ。
つまり、
「は」は、《「は」の後》の特殊性を取り上げている。
と言っているわけだ。
(イ) * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。
:
これも君の発言だ。
つまり、
「は」は、《「は」の前》の特殊性を取り上げている。
と言っているわけだ。
(ア)と(イ)で君は矛盾したことを言ってませんか???
という質問だ。
何か言いたいことがあれば言っても構わないが、まずイエスかノーで答えてくれたまえ。
No.31
- 回答日時:
さらに、
>>こちらの場合は、「おばあさん」という《【 は 】の前》が特殊性を表わしているのですね。
これは矛盾していると思いますけどね。
これは、先の批判に続く部分をまず引用しましょう。
まず「が」であるが、この使いかたはいくつかあるにしても、そこには共通点がある。「わが涙」「わしが在所」「梅が枝(え)」「夢が浮き世か浮き世が夢か」など、体言をつなぐかたちのものが文語に多く、また「言わぬが花」「知らぬが仏」「目に見るがごとく」など、用言の下につくこともある。これらは、むすびつきとして意識する以上のものではない。
風が吹いて、木がゆれる。
彼が行かなければ、私が行きます。
これらのかたちをとっても、物ごとのありかたをやはり単純なむすびつきでとらえていることは同じである。風については吹いていることだけをとらえ、木についてはゆれることをとらえている。彼と私は対置させられているが、彼のありかたも私のありかたも単純なむすびつきでとらえている以上のものではない。
これが父で、これが母です。
これは父で、これは母です。
たとえ同じ対象をとりあげても、この対象をとりあげる話し手の意識にはちがいがある。「が」を使うときは個人を一人一人別々にとりあげているにすぎない。ならんでいる動物を、「これが犬で、これが猫です」というのと同じような意識である。しかし「は」を使うときには、父のときはそれ以外の人間ではなく母のときはそれ以外の人間でないことを意識して、集団の中でとりあげている。山田のいいかたを借りれば、「排他的」なとらえかたをしている。
誰が何といっても、私は平気だ。
彼が行かなくても、私は行きます。
ここでは「排他的」なことがさらに明かである。他人のことは単純なむすびつきでとらえるが、それと対置されている自分のほうは、全体の中の自分として異質な存在であることを意識したり、彼と自分とは異質な人間で自分は主体性を持っていることを意識したりして、「は」でその差異を強調する。
梅は咲いたか、桜はまだかいな。
梅は春に咲く。
この二つは、「は」の使いかたがちがっている。前者はこれまた「排他的」で、花全体の中での梅や花全体の中での桜を、それぞれ他を意識してとりあげているのだが、後者は「梅」といわれているものすべてに共通した普遍的なありかたをとりあげている。この二つは正しく区別しなければならない。
反作用はつねに作用と方向が反対で大きさが等しい。
全体は部分より大きい。
科学の法則は、普遍的に存在する関係をとりあげているのだが、このときもわれわれは「は」を使っている。
(三浦つとむ『認識と言語の理論 第二部 言語の理論』(1967年刊)から
「第四章 言語表現の過程的構造(その二) (4) 判断と助詞との関係」)
そして、次のように述べています。
以上のように見てくると、われわれは対象を概念としてとらえて言語で表現するとは言うものの、【①その概念がまず個別的概念か、特殊的概念か、普遍的概念かに区別することができるし、②これらの概念の自己自身による規定作用としての判断も、個別的判断か、特殊的判断か、普遍的判断かに区別することができる】。そしてこれらの判断は、当然に肯定判断や否定判断と認識構造においてむすびついているものと見なければならない。宣長は直観的に、てにをはにおける係と結とのつながりをとらえたのだが、用言そのものが「力を持つ」わけでもなければ、係助詞そのものが「支配する」わけでもない。
(同上)
ということです【】、①②は当方の付加です。■
ご回答ありがとうございます。
当たり前のことばかり書いておられますが、質問の要点はたったひとつですよ。
《【 は 】の後》が特殊性を表わしているのは、どの例文ですか?
No.30
- 回答日時:
で、前置きは以上で具体的に誤りを指摘しておきましょう。
>>そのため、事実は述語によって語られるから、「おじいさんとおばあさん」に着目する以上に「いました」という述語に重点を置く必要があった。
そして、「が」によって「おじいさんとおばあさん」を主格として指定することで「おじいさんとおばあさんが」という主格補語を形成し、「いました」という述語を連用修飾する構文にした。
まあ、こういう誤った発想は当然生まれるので批判が展開されています。
以下に、提示します。
何度も参照するよう指導していますが、とても読む力もなく、当然読解できていないという惨状を呈しているので、せっかくの具体例に即し引用します。
そして山田は、「が」と「は」のちがいをつぎのように説明している。まず
鳥が飛ぶ。
鳥は飛ぶ。
を見ると、その異るところは「が」と「は」だけで、他にすこしもちががないように思われるけれども、これを変形して
鳥が飛ぶ時。
鳥は飛ぶ時。
にすると、「鳥が飛ぶ時にはその姿勢を見たまへ」「鳥が飛ぶ時には空気が動く」など、それ以下を変えても「鳥が」と「飛ぶ時」との結合はつねに変らない。これは、もはや「が」で示すべきものは示し終っているからである。ところが「鳥は」と「飛ぶ時」とは分離していて、かならず「どうするか」とか「どうなるか」とかいう性質の一つの説明が要求されている。それゆえこのちがいは内面的なちがいであって、「は」は「が」と異り、一定の陳述を要求していることになる(2)。これが係といわれた理由なのだとされている。
佐藤喜代治は山田の用言についての解釈を正しいものと認め、係助詞についても山田を支持して彼が係助詞の「真義を解明」したと評価している。そしてさらに、「『は』の場合主語となるものは一往了解された概念であり、それについて説明を与へる、意義を拡充するといふ場合にこの『は』を用ゐるのである。『が』の場合には主語が強調されるに反して『は』の場合には述語に重点がおかれる。」(佐藤喜代治『国語学概論』)という。そこではつぎのような例をひいて、意味の重点のちがいを論じるのである。
梅が咲きました。
梅は咲きました。
この二つの文を比較してみるならば、「が」の場合に意味の上でこの文の中心になっているのは「梅」であり、梅が強調されている。これに対して「は」の場合には、意味の上でこの文の中心になっているのは「梅」ではない。他のものは咲いていない中で「梅」だけを特別にとりあげてそのありかたを説明するのであるから、「咲きました」が中心になっており強調されていると思われる。それゆえ山田のいうように、陳述のほうを支配し重点がおかれていると考えるわけである。
山田や佐藤の示したような単純な文では、これらの説明もたしかにもっともらしく思われないでもない。けれども
彼が行かなければ、私が行きます。
彼は行かなくても、私は行きます。
の二つの文を比較してみると、前の例とはちがってくる。思想的には、彼がいけない事情ができて行かないなら、その仕事ぐらい自分でもできるから自分が引受けようとか、彼だけが行く資格を持っているだけでなく、自分にも同じ資格があるから、自分が出席しようとか、要するに「行く」というところに重点があって誰が行くかは二義的な問題のとき、「が」が用いられている。
これと反対に、彼が行こうと行くまいとそんなことは自分はいっこうに問題にしない、勝手にするがいい、しかし自分は自分だ、彼とは別だ、あくまでも自分のやりたいことをやってのけるのだと、要するに「彼」と「私」のちがいに重点をおき、行くか行かないかは第二義的な問題になっているとき、「は」が用いられている。意味の上でどこに中心があるかといえば、前にあげた例の場合とちょうど逆になっているといわなければならない。それゆえ、【意味の中心ということから「が」と「は」との使いわけを説明するのは、まだ現象論から脱却できないもの、正しい説明を与えるに至らないもの】、ということになる。
(三浦つとむ『認識と言語の理論 第二部 言語の理論』(1967年刊)から
「第四章 言語表現の過程的構造(その二) (3) 係助詞をどう理解するか」)
ということで、【】挿入は当方です。■
ご回答ありがとうございます。
ゆっくり拝見しますが、まずは#20について答えたまえ。
なぜ、それほど答えることを拒否するのですか???
君の発言内容について質問しておるのだから責任を持って答えてもらわないと困りますな?
要旨を下記に記しておくからちゃんと答えていただこう。
1.普遍性に関して、
「【事物全体】を問題にすることも必要になる」し、
《他の事実との比較、対象という意識、認識》が必要になることもある。
とおっしゃっていることになりますが矛盾していませんか?
2.
>これも「《【 は 】の後》が特殊性を表わしているということ」ではなく「は」が特殊性の認識を表しているということです。
:
「は」が何の特殊性を表わしているのですか?
3.
桃太郎の作者は、(おじいさん、他の人なら持ち返ろうと【は】しませんでしょうが、)という含みを持たせて、
・おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。
と書いたのですか?
4.
・桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
この「男の子」は個別的概念とおっしゃいました。
・戦時中は兵士にするため男の子【 が 】重宝された。
こちらの「男の子」も個別的概念ですか?
という簡単な質問です。
個別的概念なのかそうでないのか、どちらなのか教えてください。
No.29
- 回答日時:
>>【話者の特殊性の認識】が聞き手に伝わっているかどうかは、まったく考慮しなくて良い。
と言ってることになるのだが、それで間違いないのかね???
君な!
話者の認識と表現を問題にしておるのに、何故突然に聞き手の理解の問題に飛躍するのじゃ!!
最初から指摘しておるが、「対象→認識→表現」という表現の過程的な構造が全く理解できておらんということを露呈しておるぞ!
都合が悪くなると話を聞き手の側の問題にすり替えるという全くのピント外れであることを深く自覚、反省しなさい!!
何故、そういうとんでもない発想になってしまうかという君の論理自体を反省する必要があるぞ!!
ご回答ありがとうございます。
>話者の認識と表現を問題にしておるのに、何故突然に聞き手の理解の問題に飛躍するのじゃ!!
:
変わった御仁ですなあ。(笑)
《【話者の特殊性の認識】が聞き手に伝わっているかどうかは、まったく考慮しなくて良い。》という君の発言内容自体についてお伺いしているのだがね?
考慮すべきか、しなくて良いのか、どっちかね。
超簡単なイエスノーの問題だ。
君の発言内容について質問しておるのだから責任を持って答えてもらわないと困りますな?
>最初から指摘しておるが、「対象→認識→表現」という表現の過程的な構造が全く理解できておらんということを露呈しておるぞ!
:
それは十分に理解済。
No.28
- 回答日時:
もう少し言わせていただければ、このヘーゲルの観念論的弁証法の論理を引き継ぎ、唯物論的に改作したのがマルクス/エンゲルスです。
ドイツ古典哲学の遺産を継承した高い段階の唯物論ということです。そして、この唯物弁証法の論理を基に認識論を展開し、言語本質を明らかにしたのが”三浦つとむ”の『認識と言語の理論』です。
まずは、こうした歴史的な発展を辿り言語、文法を科学的に解明するとはどういうことかを理解しましょう。
今日、我々の持つ何等かの言語本質観は、凡(すべ)て歴史的に規定されたものであつて、先ず我々は自己の歴史的に所有する処の言語本質観に対して、飽くまでも批判的であることが必要である。」「言語過程説は、我が旧き国語研究史に現れた言語観と、私の実証的研究に基く言語理論の反省の上に成立し、国語の科学的研究の基礎概念として仮説せられたものであつて、いはゞ言語の本質が何であるかの謎に対する私の解答である。」(『国語学原論』序。表記は原文のまま。時枝の著書は著者名を省略。以下同じ)
「学問の至極の妙味は、スペキュレーションにあると、僕は思ってゐる。事実を山ほど集めて、そこから素晴しい結論が出るだらうなんて期待するのは、学問の邪道さ。」「地球が円いと考へた最初の人間は、やつぱり大変な思惑師だよ。最初の見込みさへ確実なら、事実は必ずあとからついて来るものさ。思惑をやる人間が不精(ぶしょう)なのぢやなくて、資料の上に安心して寝そべつてゐる人間の方が余程のんきだし、不精だよ」(『国語学への道』144~5ページ)//
時枝の言語過程説は、まだ充分理論的に仕上げられていなかった。彼の認識論と論理学の弱さにわざわいされて、機能主義的なふみはずしを克服できず、言語規範の把握や認識構造の説明にも混乱が存在していた。『国語学原論』のソシュール理論批判が、その重要な欠陥をつきながら不徹底なものに終ったのも、その能力の限界を示すものである。けれどもこれらの弱点は、時枝理論が革命的な業績だということを否定するものではない。これまでも言語過程説にはいろいろな疑問や批判が投げかけられているし、的はずれのものも的に当っているものもある。部分的な弱点を指摘するのはけっこうであるが、そこから時枝理論を軽視したり抹殺したりするのは行きすぎである。弱点を訂正して前むきに発展させる方向へすすむのが、われわれのとるべき道である。
【三浦つとむ 「時枝誠記の言語過程説」(『言語学と記号学』】
ということですが、判りますか????■
ご回答ありがとうございます。
三浦も
《山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言うことはできる》
と考えていたのですか???
No.27
- 回答日時:
>>《山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言うことはできる》
とお考えなのですね???
当たり前田のクラッカ―だと言っていますが!!
根本的に問題のレベルを取り違えるか、すり替えていますが!!
「山根君は元気ですか?」自体極めて正しい表現だということです。
まあ、話者の勘違いで相手が山根君を知らないのに「山根君は元気ですか?」と言えば、
相手は、「えっ! 山根君てだれのことですか?」と応えてくれるでしょう。ただ、それだけのことです。
そんなことも理解できずに、何をグダグダ言っているのですか??
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。//
ことが全く理解できていないことを満天下に晒していますが。
この「形而上学的」という概念も理解できずに個別/普遍/特殊の論理が理解できる訳がありません。
概念論はヘーゲル論理学の最高峰というのは哲学を学ぶものの常識です。
ものには順序があるということです。
判りますか??????■
ご回答ありがとうございます。
>まあ、話者の勘違いで相手が山根君を知らないのに「山根君は元気ですか?」と言えば、
相手は、「えっ! 山根君てだれのことですか?」と応えてくれるでしょう。ただ、それだけのことです。
:
《話者の勘違い》とはどういう意味ですか???
No.25
- 回答日時:
>>とりあえず今は、#11であなたのおっしゃったことについて、いくつかわからない点がありますので、教えてもらえませんか?
グダグダ言う前に、とりあえず#11について応答したので、No.17に応答するのが良識ある質問者では?
これが全く理解できずに、脳【が】条件反射の痙攣を起こしたままになっておるようじゃが?
そして陳腐な軽挙妄動の質問をしておるが???
これを豚ずらして逃げおおせようとは太(ふて)い料簡んじゃ!!!
きりきり応え申せ!!!
■
ご回答ありがとうございます。
>とりあえず#11について応答したので
:
たしかに#20で応答していただきましたね。
しかし、その中身がまったく意味不明でしたので、お礼欄で補足質問させていただいております。
そのご返事がまだのようですが、どうなっておられるでしょうか?
忘れておいでだと思うのですが、お答えをお願いします。
お応えが無いと《とりあえず#11について応答した》ことにはなりませんよ?
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質問者も同時進行でチャレンジ中です。
より《懇切丁寧、且つ論理的に解説》するための参考にさせていただきたいのです。
今回は、《自ら創造的に述べる》内容で、非常に良かったですぞ。(笑)
ただ、お示ししたように矛盾点や論理の脆弱性が際立っており、説明にはなっておらない、と言わざるを得ません。
ご検討の上、再チャレンジしていただければ有難い。
#8お礼欄からの続きです。
その前提で「山へ柴刈りに行っている」という述部の主格が必要になるわけですが、それを「が」を使って「おじいさん」と指定している構図。
「は」でなく「が」を使うのは、
《「が」は A を主格として指定し、同時に述語「 B だ」を連用修飾する語「A が」 を形成する。》
という本質的意義にもとづいているためです。
もうひとつの判断として、
「A が B 」という構文において、
《主格 A は、聞き手にとって未知情報でなければならない。》
という規則を思い起こす方法もあります。
「山へ柴刈りに行っている」は既知ですが、誰が行ったかは未知なので「おじいさんが」となる。
6.
>桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。
の「元気な男の子」は個別的概念です。
:
わかりますが、
・戦時中は兵士にするため男の子が重宝された。
などの場合は個別的概念じゃありませんよね?
「男の子というもの」という意味なので。
《その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。》という記述にもとづけば普遍性と捉えざるを得ないかと。
この辺も納得のいく説明が必要とされるところでしょう。
米つきバッタみたいにいちいち反応している暇があったら、
#11であなたのおっしゃったことについて、いくつかわからない点がありますので、教えてもらえませんか?
《纏めたメモが行方不明》のまま見つかってないのでしょうか?
それで答えられないのですか?
あれこれ御託を並べている暇があるなら、
#20お礼欄に対するお答えをいただけませんか?
忘れておいでですか?
それとも逃げてる?(笑)
おやおや、#23についても応答しておられませんな?
お忘れですか?
どうなっておりますかな?