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下記の文が桃太郎のあらすじとして不自然な理由を日本語学習者に解説してあげてください。

・なぜ「は」(または「が」)ではダメなのか?

という点について、懇切丁寧、且つ論理的に解説できる方、お願いします。

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん【 は 】いました。
ある日、おじいさん【 が 】山へ柴刈りに、おばあさん【 が 】川へ洗濯に行きました。
おばあさん【 は 】川で洗濯していると、どんぶらこっこどんぶらこと、川上から大きな桃【 は 】流れてきました。
おばあさん【 が 】その桃を家に持ち帰りました。
桃を食べようと割ったところ、桃の中から元気な男の子【 は 】飛び出しました。

質問者からの補足コメント

  • 質問者も同時進行でチャレンジ中です。
    より《懇切丁寧、且つ論理的に解説》するための参考にさせていただきたいのです。

      補足日時:2022/10/01 17:48
  • 今回は、《自ら創造的に述べる》内容で、非常に良かったですぞ。(笑)
    ただ、お示ししたように矛盾点や論理の脆弱性が際立っており、説明にはなっておらない、と言わざるを得ません。
    ご検討の上、再チャレンジしていただければ有難い。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/02 16:08
  • #8お礼欄からの続きです。

    その前提で「山へ柴刈りに行っている」という述部の主格が必要になるわけですが、それを「が」を使って「おじいさん」と指定している構図。
    「は」でなく「が」を使うのは、
    《「が」は A を主格として指定し、同時に述語「 B だ」を連用修飾する語「A が」 を形成する。》
    という本質的意義にもとづいているためです。

    もうひとつの判断として、
    「A が B 」という構文において、
    《主格 A は、聞き手にとって未知情報でなければならない。》
    という規則を思い起こす方法もあります。
    「山へ柴刈りに行っている」は既知ですが、誰が行ったかは未知なので「おじいさんが」となる。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/02 17:02
  • 6.
    >桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。

    の「元気な男の子」は個別的概念です。

    わかりますが、

    ・戦時中は兵士にするため男の子が重宝された。

    などの場合は個別的概念じゃありませんよね?
    「男の子というもの」という意味なので。
    《その普遍性はもはや個別的な規定を超えた存在としてとらえられるのであり、類としての普遍性が対象とされているのである。》という記述にもとづけば普遍性と捉えざるを得ないかと。
    この辺も納得のいく説明が必要とされるところでしょう。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/02 18:25
  • 米つきバッタみたいにいちいち反応している暇があったら、

    #11であなたのおっしゃったことについて、いくつかわからない点がありますので、教えてもらえませんか?

    《纏めたメモが行方不明》のまま見つかってないのでしょうか?
    それで答えられないのですか?

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/03 15:32
  • あれこれ御託を並べている暇があるなら、

    #20お礼欄に対するお答えをいただけませんか?

    忘れておいでですか?
    それとも逃げてる?(笑)

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/03 22:01
  • おやおや、#23についても応答しておられませんな?
    お忘れですか?
    どうなっておりますかな?

    No.25の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/10/03 22:43

A 回答 (52件中31~40件)

>>山根君を知らない相手に対して、


「山根君は元気ですか?」
と尋ねても、君は一切アドバイスをしないのだね?

右も左も判らん私は唯傍観するしかありません。

そんなことは、「は」と「が」とは何の関係もないということじゃ!

一体、何を問題にしておるのじゃ???■
「「は」と「が」についてー検証 桃太郎」の回答画像22
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>右も左も判らん私は唯傍観するしかありません。

日本語学習者が、山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言っても何のアドバイスもしない、というわけだ。

《山根君を知らない相手に対して「山根君は元気ですか?」と言うことはできないよ》
という指導もできないわけだね。
しかし、それでは、「は」と「が」の違いについて教えることができないと思うのだが、どうかね?

お礼日時:2022/10/03 18:46

>>【話者の特殊性の認識】が聞き手に伝わっているかどうかは、まったく考慮しなくて良い。


と言ってることになるのだが、それで間違いないのかね???

当たり前田のクラッカーだろう。

呆け!!!!

今は語の意義を問題にしているのじゃ!

会話の問題ではない位わからんのか!!

呆け!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>今は語の意義を問題にしているのじゃ!

会話の問題ではない位わからんのか!!

語の意義と実際に表現される日本語とは何の関係もない、という意味ですかな?
それはおかしいのではないかね?
ま、いいだろう。

もうひとつの質問に答えるのを忘れているようなので以下に再掲するから、ちゃんと答えてもらいたい。


では、日本語学習者が、

山根君を知らない相手に対して、

「山根君は元気ですか?」

と尋ねても、君は一切アドバイスをしないのだね?

お礼日時:2022/10/03 17:35

No.11 のお礼に応えて



若干理解が深まったかなと思い書いたメモを回答する前に消去してしまったようなので、改めて纏めました。

1.
>つまり通常文には、主題は存在しません。
見解の相違ですな。

いいえ。
単細胞的な体の好い逃げですね!
それでは何の進歩もありません。
事実誤認です。
主題の定義をもう一度しっかり確認して下さい。

しゅ‐だい【主題】
①主要な題目。
②(Thema ドイツ)
㋐芸術作品などの中心となる思想内容。テーマ。
㋑楽曲冒頭(序奏を経て)で提示され、その後の展開・構成の基となる旋律や旋律動機。ソナタ形式では、普通、複数の主題を使用す
【広辞苑】

文に主題などありません。

2.
>>《個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる》
下記と矛盾していませんか?

いいえ。
「【事物全体】を問題にすることも必要になる」ということです。

3.
>>こちらの場合は、「おばあさん」という《【 は 】の前》が特殊性を表わしているのですね。
これは矛盾していると思いますけどね。

根本的に誤解されていますね。
【特殊性】の認識とは話者による対象の捉え方の問題で、「《【 は 】の前》が特殊性を表わしているので」はありません。【は】自体が表しているということです。日本語が不自由なのか、論理的な思考ができないということですか?

>>この場合は、「山へ柴刈り」「川へ洗濯に」という《【 は 】の後》が特殊性を表わしているということですね。

なので、これも「《【 は 】の後》が特殊性を表わしているということ」ではなく「は」が特殊性の認識を表しているということです。

もう少し論理的に思考し日本語としてまともな表現、質問をして下さい。
まあ若干、言わんとすることは理解できますが粗雑な思考と表現です。

まともな質問が出ればこの辺はきちんと回答する必要がありますが!

4.
>>(おじいさん、他の人は見向きもしませんでしたが、)おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

いいえ。
(おじいさん、他の人なら持ち返ろうと【は】しませんでしょうが、)おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

というシチュエーションです。

5.
>>・戦時中は兵士にするため男の子が重宝された。
などの場合は個別的概念じゃありませんよね?

いいえ。
これは、「父は頭が白い。」「紳士は金髪がお好き。」という構文と同じ「~は~が」構文です。
「父」と「頭」は一つの実体の全体と部分の関係にある。ここでの「は」は特殊性をとりあげるものであって、「父」のからだの特徴的なありかたについて語ろうとするもので、それが「頭」に結びついている。そして「が」はそれらの特殊性そのものをさらに目に見えるような現象の面から取り上げ、個別的なありかたにおいて扱うのである。「頭」を見れば現象的に「白い」のである。
対象はまずその特殊性において、さらに特殊性の側面の個別性においてニ重にとらえられながら一つの文に統一して表現され、立体的な認識が「は」と「が」の使いわけで区別して示されている。「反作用はつねに作用と方向が反対で大きさが等しい」という科学の法則の表現も、やはり立体的な認識を扱っている。「は」は普遍性をとりあげて「つねに」以下にむすびつき、普遍性の中での部分的な現象をとりあげるときに「が」が使われている。いうならば、「――は――が――」の形式は、日本的なスーツケースとして独自性を持つと見るのが適当であろう。助詞について説明しながら、この形式について正しく解説することが、文法書の任務です。

納得できましたか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「【事物全体】を問題にすることも必要になる」ということです。

質問の意味を理解されていますか?

(ア)《個別的な事物ではなく、この普遍性をそなえている事物全体を問題にすることも必要になる》
(イ)《他の事実との比較、対象という意識、認識》なしに普遍性の認識は生まれません。

どちらもあなたのおっしゃったことですよね?

普遍性に関して、
「【事物全体】を問題にすることも必要になる」し、
《他の事実との比較、対象という意識、認識》が必要になることもある。

とおっしゃっていることになりますが矛盾していませんか?
という質問です。
イエスノーでお答えください。

2.
>これも「《【 は 】の後》が特殊性を表わしているということ」ではなく「は」が特殊性の認識を表しているということです。>:

「は」が何の特殊性を表わしているのですか?

3.
>(おじいさん、他の人なら持ち返ろうと【は】しませんでしょうが、)おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

というシチュエーションです。

桃太郎の作者は、(おじいさん、他の人なら持ち返ろうと【は】しませんでしょうが、)という含みを持たせて、

・おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

と書いたのですか?

4.
>いいえ

・桃の中から元気な男の子【 が 】飛び出しました。

この「男の子」は個別的概念とおっしゃいました。

・戦時中は兵士にするため男の子【 が 】重宝された。

こちらの「男の子」も個別的概念ですか?

という簡単な質問です。
個別的概念なのかそうでないのか、どちらなのか教えてください。

お礼日時:2022/10/03 17:26

>>「山根君は元気ですか?」


とあなたに尋ねたのですが、あなたは何とお答えになりますか?

えっ!
だれのことですか?

と会話が成立します。
しかし、会話が成立するか否かは何ら問題ではなく、

「山根君は元気ですか?」

自体は日本語の文として正しい表現で、「は」は既知未知とは無関係に他の人ではなく「山根君」という【話者の特殊性の認識】を表しているということです。

やはり、助詞の意義ということが本質的に理解できていませんね!

そして、「は」「が」論が何を問題にしているのかが全く理解できていません。

あまり珍妙な恥さらしの質問は止した方が良いでしょう。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「山根君は元気ですか?」
えっ!
だれのことですか?

と会話が成立します。

ほお~?
では、日本語学習者が、

山根君を知らない相手に対して、

「山根君は元気ですか?」

と尋ねても、君は一切アドバイスをしないのだね?

2.
>しかし、会話が成立するか否かは何ら問題ではなく、

「山根君は元気ですか?」

自体は日本語の文として正しい表現で、「は」は既知未知とは無関係に他の人ではなく「山根君」という【話者の特殊性の認識】を表しているということです。

君は論点がまったくわかっとらんようだの?
《日本語の文として正しい》かどうかを問題にしているわけでないことが理解できてませんな。

【話者の特殊性の認識】が聞き手に伝わっているかどうかは、まったく考慮しなくて良い。

と言ってることになるのだが、それで間違いないのかね???

お礼日時:2022/10/03 15:28

No.15 のお礼に応えて



1.
>>既知未知も分かるが、

何が分かるのですか?
既知未知は無関係と再三再四論証、指摘していますが??
一度として、納得できる反論も事実も提示されていませんが。

したがって、個別・普遍・特殊という概念のほうが説明としてわかりやすいと言うだけでなく、言語本質に則した科学的、論理的な理解、解釈だと指摘しているのですが。

奴素人の君の粗雑な三上章の発想の受け売りを、現在の日本語教育学のレベルでは次のように展開しています。

一橋大学国際教育交流センター教授 庵 功雄

日本語教育文法から見た「は」と「が」 ― 「は」と「が」はこんなに簡単だった!
http://www12.plala.or.jp/isaoiori/nagoya_ywca190 …

君は、「こんなに簡単だった! 」と理解できますか??

当方が相手にしているのはこうレベルの誤りです。奴素人の寝言とは次元が異なることを理解して下さい。なお、

「は」「が」論の前提 : 何が欠けているのか。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9085 …
参照。

2.
>>2.
>因みに、
山根君が元気ですよ!
どういう意味???

先に事例を挙げた通り、「山根君は」も「山根君が」も既知未知とは無関係に使用されるということです。

3.
>>的外れの疑問を解決

的外れの回答を指摘したのですが??

4.
>>どういう意味???



5.
>>【これは】お父さんが買ってきたものだ。
   あすこに【これが】落ちていたよ。
という文とどのように関係するのですか???
とお尋ねしておるのだが?

代名詞(関係詞)とは何かが理解できていないことを露呈していますね。「形而上学的」という語の意義ができていないのと同様です。対象の名前が未知で具体的に名前を挙げても理解されない、挙げられないために、話者と対象との関係として対象を【これは】【これが】と表現しているということです。

6.
>>《「は」と「が」とは無関係》なんですね。
では、どんなレベルでも「は」と「が」が使えるのですね?

又、脳が短絡的条件反射で痙攣しておる!(藁)

当たり前じゃろう!

前項5.の通り相手に伝える回り道(話者との関係認識として表現)を工夫すればどんなレベルでも「は」と「が」が使えるということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>先に事例を挙げた通り、「山根君は」も「山根君が」も既知未知とは無関係に使用されるということです。

「山根君は元気ですか?」

とあなたに尋ねたのですが、あなたは何とお答えになりますか?

お礼日時:2022/10/03 13:21

No.16 のお礼に応えて



>>しかし、だからといって既知未知が関係ないと考えるのは短絡思考と言えるな。

それこそが、日本語の言語事実に相違した短絡思考、妄想と指摘しているのですが。
もう一度種々の実例を挙げておきましょう。

1.
最初に「は」が出てくる事例。

 童謡:『海』 作詞:林柳波

   海【は】広いな 大きいな
   月がのぼるし 日が沈む

   海【は】大波 青い波
   ゆれてどこまで続くやら

   海にお舟を浮かばして
   行ってみたいな よその国


 『旅の終りに』 作詞:立原 岬

   流れ流れて さすらう旅【は】
   きょう【は】函館 あした【は】釧路
   希望も恋も 忘れた俺の
   肩につめたい 夜の雨

 汽 車  作詞:不詳  作曲:大和田 愛羅

   今【は】山中 今【は】浜
   今【は】鉄橋 渡るぞと
   思う間もなく トンネルの
   闇を通って 広野原


 最初に「が」が出てくる事例

 童謡『夏の思い出』 歌詞:江間章子

   夏【が】くれば 思い出す
   はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
   霧のなかに うかびくる
   やさしい影 野の小径(こみち)

   水芭蕉(みずばしょう)の花【が】 咲いている
   夢見て咲いている水のほとり
   石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
   はるかな尾瀬 遠い空
                       
 文部省唱歌 『月(つき)

   出た出た 月【が】
   まるいまるい まんまるい
   盆のような 月【が】

   隠れた 雲に
   黒い黒い まっ黒い
   墨のような 雲に

   また出た 月【が】
   まるいまるい まんまるい
   盆のような 月が//

>>最初に出てくるときは「が」だけど、次に出てくるときは「は」。日本語ってそういうものなの。
ではありませんね。//

この最初の事例は、 「海【は】広いな 大きいな 」ですが、海の無い県に生まれた子はもとより、海に言ったことも無い子にとって生みは未知です。なので、聞き手の既知未知は何ら「は」「が」の選択には関係ないということです。

 2.
アメリカの言語学者 L.W.Chaef の見解に援助を受けて、チェイフ=大野説ともいうべき国際的な正確を持っているだけに、その点は注目する必要があるだろう。
 チェイフは、その著作『意味と言語構造』の中で、「古い情報」と「新しい情報という概念を持ち出すのだが、「日本では表層における助詞のハが古い情報を、ガが新しい情報を反映している。」と述べている。表層は例のチョムスキーの表層構造の意味である。……
大野はチェイフのいう「古い情報」と「新しい情報」を、【既知の情報】と【未知の情報】と受けとって「が」と「は」の区別を論じていく。

 こうした(チェイフの―引用者)新しい情報、古い情報ということの適切な例として、次の民話をあげることができるだろう。
   昔々、オ爺サントオ婆サン【ガ】アリマシタ。オ爺サン【ハ】山ヘ柴刈リニ、オ婆サン【ハ】川ヘ洗濯ニ行キマシ 
   タ。
 はじめてオ爺サンとオ婆サンの提示される時は、ガが使われ(未知の情報)、一度提示された後は、オ爺サンとオ婆サンは既知の情報となったからその下にはハが使われ、ハの下に未知の情報として説明と叙述が加えられる。

  ここで、実は一つのスリカエが行われる。チェイフが「新しい情報」とか「古い情報」とかいうのは、【表現された文章の上のこと】で、だからオ爺サンとオ婆サンはまず「新しい情報」として扱われ、つぎに「古い情報」になる。ところが、大野は「未知」と「既知」に書き変えることで、表現された文章ではなく、【聞き手の対象認識における】未知と既知の区別にスリカエてしまう。彼が「ハが既知の物事を提示するに対して、ガは未知の物事を提示する。」と定式化したのも、スリカエであるが、これを【既知未知論】と名づけて、スリカエたものの検討に入っていこう。

   私ハ 大野デス。
   私ガ 大野デス。
 この二つの文を比較すれば、私ハ大野デスという文は、アナタハドナタという問いに対する答えである。相手にとってアナタなる存在、「私」という存在は、【話の場で既に確実に存在しているものとして知られ、話手聞手の共通の認識のもとにある。従って話の場に提示されたこの「私」なるものは、既知のものであり】、それはハによって表現される。それに対して未知のことを追加する部分が、「大野デス」にあたる。ところが、
  私ガ 大野デス。
という表現は、「大野サンハドナタデスカ」という問いに対する答えである。ここでは既に知られているのは「大野」である。つまり、「【大野】」は【既知】であり、「【私ガ】」【が未知の部分である】。

 チェイフは、表現で【まず述べられる】のを新しい情報とよんでいるから、「私【ハ】」も「私【が】」も【どちらも】新しい情報になる。だから、「【ハ】が古い情報を、【ガ】が新しい情報を反映している。」という彼の区別は、この例だけでふっ飛んでしまう。大野はそんなことに頓着なく、話しの場で聞き手が既に認識しているから、「従って」既知だと、表現から対象へと観点をスリカエて、【チェイフが「新しい情報」とよぶものを既知にしてしまった】。そしてここにはいま一つトリックがある。「大野サンハドナタデスカ。」という問い手にしても、「私」についてまったくの未知ではない。「『私」というのは話し手が自分自身をさす言葉で、自分のさがしている「ドナタ」がこの場にいるらしいこと、いればその「ドナタ」が自分のことを「私【ガ】」と表現して教えてくれるであろうこと、【を知っている】。大野はこれを未知だというが、それなら「大野」についてもまったく同じことがいえよう。「大野」がどこの教授かどんな本を書いたか何歳でどんな顔をしているか、そんなことは全然未知なホテルや会館の女の子が「大野」を単なる<固有名詞>として扱って、この未知の人間によびかけることもある。大体、顔や年かっこうを知っているくらいなら「ドナタデスカ」なんていわずにまっすぐに当人のところへ行くにちがいない。つまり、大野は、「私」が未知だというときには【既知を具体的なものとして扱い】、「大野」が既知だというときには【彼のいう未知に相当する抽象的なものまで密輸入している】。こうしないと既知未知論とくいちがってくるだけでなく、五一年の見解の「が」の説明まで危うくなるのである。

 3.
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。長唄の『月の巻』に

 鎌倉見たか江戸見たか、江戸【は】見たれど鎌倉名所【は】まだ見ない。

とあるように、話し手は自分にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、聞き手にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、そんなことに関係なく同じように、「は」を使うのである。

4.
  天【は】自らたすくる者を助く。
  縁【は】異なもの味なもの。
  玄宗【は】なきなき耳のあかをほり。
 一文文章にも具体的な未知ではじまるものがある。「玄宗」について具体的に既知の読者など、数えるくらいしかいまい。

5.
  天【は】自らたすくる者を助く。
  縁【は】異なもの味なもの。
  玄宗【は】なきなき耳のあかをほり。
 一文文章にも具体的な未知ではじまるものがある。「玄宗」について具体的に既知の読者など、数えるくらいしかいまい。

5.
  この道【は】いつか来た道。
    ああ、そうだよ
  あかしやの花【が】咲いてる。
                     (北原白秋『この道』)

  雨【は】ふるふる
  城が島の磯に
  利休鼠の
  雨【が】ふる 
                     (北原白秋『この道』)
  
  おれ【は】五十人余りを相手に約一時間許り押問答をして居ると、ひょっくり狸【が】やって来た。                    (夏目漱石『坊っちゃん』)
  
  東京六大学野球リーグ戦第五週三日目の立大―早大三回戦【は】七日、神宮球場で行われ、早大【が】勝って二つ目の勝ち点をあげた。  (『朝日』一九七五年一〇月八日)

等々、大野の示した民話の例とは逆に、まず「は」が使われその叙述を受けて「が」が使われる例がいくらもある。

 6.
新聞のスポーツ欄を見ればすぐわかることだが、野球ばかりでなくラグビーでもゴルフでもこの種の形式で書かれている。

「十年目を迎えた日本アイスホッケーリーグ【は】二十六日、東京・品川スケートセンターで開幕。
国土計画―古河、西部鉄道―十条製紙の二試合【が】行われた。」(『朝日』一九七五年一〇月二七日)

と、二つの文を組合わせてもいる。

もしこれらの例を十分説得的に説明できないなら、既知未知論は破産の宣告を受けよう。//

ということですが、十分説得的に説明できるのですか????
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>もう一度種々の実例を挙げておきましょう。

恐縮です。

とりあえず今は、#11であなたのおっしゃったことについて、いくつかわからない点がありますので、教えてもらえませんか?

《纏めたもメモが行方不明》のまま見つかってないのでしょうか?
それで答えられないのですか?

お礼日時:2022/10/03 13:12

色々応答していて気持ちが悪いのですが、まず既知未知と「は」「が」は関係ありませんと以前から論証しています。

理解できたのですか?

従って、貴「は」「が」論は破産宣告を受けたのですが、どのように理解されていますか。

助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …

で、「は」と「が」のどちらから始まるかも何ら規則性などない事実を示しましたが理解でたのですか。

事実認識さえまともに出来ない相手と議論するとさっぱり話が進まないのですが?

それに主格修飾補語やら、既知未知規則など時々に都合のよい原理を持ち出し、「は」「が」の意義との関係をどのように理解されていますか?

既知未知と主格修飾補語と語の意義は一体どういう論理的な繋がりがあるのですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>まず既知未知と「は」「が」は関係ありませんと以前から論証しています。理解できたのですか?

いいえ。
理解したいので、いろいろお伺いしているのですが?
#11お礼欄の質問に答えていただければ、理解が進む可能性があります。
急がないのでよく考えてから「論理的に」答えてください。

お礼日時:2022/10/02 23:14

No.12 のお礼に応えて



1.
>>《「おじいさんとおばあさん」がどんな人なのかわかっている状況》を示すのが自然なのか?
という問題。

いいえ。
自然、不自然の問題ではありません。
老夫婦の存在を他の事実と関係なしに、一つの個別的な対象としてとりあげています。他の事実との比較、対象という意識、認識はないので、眼前の対象をズバリ個別的な対象としてとりあげ「が」と表現しており「は」では意味が異なってしまいます。

ということです。話者の認識の問題です。それは主題とその展開ということになります。

2.
>>おかしなことをおっしゃいますね。

どこが??
因みに、
山根君が元気ですよ!

何度言っても、

 既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。//

この意味が理解できませんね。それに、

助詞「は」と「が」に関する頓珍漢な回答
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …

で具体例を挙げていますが?

3.
>>【その事実】は述語によって語られる

当たり前で、「は」と「が」に関係ありませんが???

4.
>>例の件はどうなっていますか?

えっ!!!!

5.
>>それが、
 【これは】お父さんが買ってきたものだ。
 あすこに【これが】落ちていたよ。
という文とどのように関係するのですか???

「これ」という物は既知でも子供は具体的な名前や気のうは未知ということで、未知か既知かは具体的なレベルを問題にして初めて意味のあることで、君のようにあれかこれかの既知未知というのは単細胞の形而上学的な発想だと言っておるのじゃ!

山根君にしたって名前を知っているレベルから性格、仕事など種々のレベルがあり、「は」と「が」とは無関係なのじゃ!!

>>因みに、#11へのお返事はまだですか?

纏めたもメモが行方不明です。!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>他の事実との比較、対象という意識、認識はないので、眼前の対象をズバリ個別的な対象としてとりあげ「が」と表現しており「は」では意味が異なってしまいます。

ま、個別・普遍・特殊という視点からすればそうなるだろうね。
しかし、だからといって既知未知が関係ないと考えるのは短絡思考と言えるな。
既知未知も分かるが、個別・普遍・特殊という概念のほうが説明としてわかりやすい、といった認識に至らないと、課題を深めることはできんと思うぞ?

2.
>因みに、
山根君が元気ですよ!

どういう意味???

3.
>>【その事実】は述語によって語られる

当たり前で、「は」と「が」に関係ありませんが???

???
《「が」の場合は「虚偽が述語によって語られる」のか????》
といった的外れの疑問を解決してさしあげるために申し上げた内容ですが、理解できたということですかな?

4.
>えっ!!!!

どういう意味???

5.
>「これ」という物は既知でも子供は具体的な名前や気のうは未知ということで、

言いたいことはわかった。
で、それが、

 【これは】お父さんが買ってきたものだ。
 あすこに【これが】落ちていたよ。
という文とどのように関係するのですか???

とお尋ねしておるのだが?

6.
>山根君にしたって名前を知っているレベルから性格、仕事など種々のレベルがあり、「は」と「が」とは無関係なのじゃ!!

《「は」と「が」とは無関係》なんですね。
では、どんなレベルでも「は」と「が」が使えるのですね?

7.
>因みに、#11へのお返事はまだですか?

纏めたもメモが行方不明です。!

わかりました。
見つかったら教えてください。

お礼日時:2022/10/02 23:06

No.13 に応えて



>>予想どおりの展開なので、当方はコメントを控えます。

なにやらしおらしいコメントをされていますが、事実誤認に対する応答はないのでしょうか。

結局こうして、一目散に逃げ回るだけで何の進歩もないコメントを繰り返されていますがどのように理解されているのでしょうか。

格助詞「から」と「に」の相違
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9928 …

も同断です。

当方が絶対という訳ではないので、逃げ回らずに事実誤認、論理に誤りがあれば指摘いただきたいと思います。

下らない挙げ足取りに終始するしかないのですか???■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>当方が絶対という訳ではないので、逃げ回らずに事実誤認、論理に誤りがあれば指摘いただきたいと思います。

いや、ご立派なお心構えですな。さすがです。

#11に対していくつか指摘しておりますが、そのご返事も忘れずにいただけるということでよろしいですな??

お礼日時:2022/10/02 22:17

予想どおりの展開なので、当方はコメントを控えます。

●●をmixiに垂れ流す燃料になるのも迷惑でしょうし。
 一連のやり取りに参加されていた日本語教師のかたの意見もお聞きしたいところですが、この展開ではむずかしいでしょうね。
===========引用開始
自分で述べることが出来ないのなら、今後大きな口をたたかないで黙っていてください。そうすれば、有意義な回答がほかの回答者から出てくると思いますから。 
===========引用終了
 同感です。もったいない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/10/02 22:14

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