プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

【禅の不識とは何ですか?】不識の意味を教えてください。

A 回答 (3件)

自身は一体、何者か分かりますか。


との問いに、禅の宗祖である達磨大師の回答です。
つまり「知らない」と言う事です
何をどう説明しようが、無責任極まりない回答です

禅宗等で行われる座禅等の瞑想体験が
流行だそうですが・・・危険です

宗教も歴史も教義も何も知らない無智無学での実践は
エセ聖職者の都合の良い、猿回しのサルになります

他力本願を否定し、自力での成仏を目指すという事ですが
禅の悟りは、一人よがりに過ぎないものです。

禅は「不立文字」で、悟りの境地は言葉では表現できないとしています。
弟子が悟ったかどうかを決めるのは、師僧の主観です。客観性ゼロです。

菩提達磨[ぼだいだるま]が祖で
ダルマがその象徴です
九年間、座禅を行ったことによって
手足が腐ってしまったといいます・・これが模範ですよ
手足のない不気味なダルマは縁起の悪い置物ですが
エセ宗教は金儲けのためなら何でも利用します
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2023/04/23 15:56

“禅の不識”と云うのは、頭で考えるなと云う事です。



参禅では頭を使って学ぶ事になりますが、座禅する時はそれらの知識に依ることなく、何も考えないでただ座って、心を静めなさいという意味合いになります。

座禅の効用は、心の垢を落とす、と云う事になります。
誰しもが、より良く生きようとして、自我を育ててしまいます。
そして、その自我が育ちすぎてしまう事で、却ってそれの存在に苦しむことになります。

そこで、この自我欲に因ってまとわりついた、心の汚れを落とす手段が座禅なのです。

汚れは、水と雑巾が有れば落とせます。
水は静寂という環境で雑巾は自身の姿勢で、知識は不要です。
    • good
    • 0

そのままの意味は「知らない」と言うことですが、


禅ではもっと深い意味があります
人間はどうしても、聖とか凡とか、生とか死とか、有るとか無いとか、好きとか嫌いとか、対立する二つの思考にとらわれてしまいます。禅ではとかく、この対立する二念を嫌います。「識る」、「識らず」と、自分が生まれてから身につけてきた知識や経験に惑わされることなく、それらを完全に捨て去ることを、禅の「不識」です。
知るとか知らないということを知らない。つまり執着を離れるということです
https://www.bdk.or.jp/read/zenpriest/bodaidaruma …
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す