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懐石料理は小鉢ばかり並べて、おままごとみたいじゃないですか?
あんなチマチマした一口サイズの料理並べて日本料理の真髄とは呆れます。
アレならCoCo壱でトッピングのせたカレーのが満足度が高いですよ。
王将のラーメン炒飯セットにも負けるでしょう。
私は値段に騙されません。懐石料理なんて見栄えだけです。
海外から来た人が懐石料理を食べたら、ずっとオードブルばかりで怒って店を出るでしょうね

A 回答 (54件中21~30件)

未開発国のひとは、そう思うかもね。

在日と見た
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日本の食文化を理解する。

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色んな嗜好の人がいるんだから、好きなものも価値観もばらばらなのが普通かと思うのですけど・・・。

CoCo壱でトッピングのせたカレーが満足度が高い人もいるし、器や季節の旬のものを少しずつ味わいたい人もいるでしょう?アイドルAが好きな人もいるし、アーティストAが好きな人もいるし、両方好きな人もいるし。
あなたの言う、ずっとオードブルばかりって怒って出ていく外国人って、面白い視点だなぁと・・・楽しく思いました。感じ方は色々ですね。どう思うかも人それぞれで楽しいのではないでしょうか?
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そう思うなら食べなければ良い。


蛆虫が好きな奴もいますし。
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この質問は的外れのように見えますが、物事の裏の的には当たっているかも知れません。


まず、「懐石」という言葉は温石(おんじゃく。禅宗の修行僧が寒さや空腹をまぎらわすため、石を温めて懐に入れた)から来ているそうです。禅寺って1日2食が建前で夕食は無し。温石で我慢しろと。
実際は夕食が出ますが、薬と解釈して薬石(やくせき)と言います。いずれにせよ、ガッツリたくさん食べるものではありません。懐石もそういうものでしょう。

で、裏の的と申したのは、「懐石料理はスノビズムではないか」ということです。今の懐石は、薬石とは別物の高級料理になってますが、なるほど「小鉢ばかり並べて」「あんなチマチマした」ものですね。
そんなのを「日本料理の真髄」とありがたがって食べるのは、スノビズムの一面があるかも知れません。上品ぶって、教養があるようなふりをする態度です。紳士淑女を気どったキザな俗物根性です。
禅宗自体は「俗」の対極ですが、その影響を受けた懐石や茶の湯は、逆に俗物根性が見え隠れするのです。

ただし、裏の裏まで考えると、また表に戻ってくるでしょう。スノビズムは、あながちバカにできません。スノビズムを排除したら文化は成り立ちません。私たちの内なる俗物根性を抱きしめて、たまには懐石料理もいいんじゃないでしょうか。高価ですが、日本文化のための御布施のようなものです。
物事の裏を暴くよりも、裏の裏ということで、表の建前(懐石は日本料理の真髄)を愛するのも一興ではないでしょうか。
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餓鬼が住む地域の小山(おやま)の天辺から見る限りでは餓鬼の世界しか見えないのでしょう、


GPS並とは言いませんが、せめて富士山程度の山の天辺から見ればあなたの知らない世界が見えます。
井の中の蛙、という言葉もあります。
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懐石料理って和食の歴史や意味合いが詰まっているものなので、量を求めるのであれば、量を提供するメニューをいただくのが良いと思います。




量を求めるのか、質を求めるのかといった観点の違いもあると思いますし、見た目の美しさや彩りも含めての盛りつけではないでしょうか。


個人的には、【最初の一口が最高の一口】だと思っています。二口目以降は、一口目の惰性で食べているというか。だからこそ、量が多いとおなかを満たすことしか印象に残らないような。懐石料理の意味することと違ってしまうというか。


また、「一汁三菜」が基本だったと思いますが、それが懐石料理の魅力だとも思います。


普段と違う、格式ある場でいただく料理だと思います。
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色々試すのがお勧めですよ。



人が一生で食事できる回数はだいたいで7万回くらいです。そのうち自分のお金で好きなものを美味しく食べれる期間は3万6千回くらいです。無限じゃないんですよ。お金が無いからと言って食事を抜いたり、忙しいからと言って適当に済ませると、限られた回数から無駄を生じさせます。

私も質問者さんみたいに考えていました。若かった時は寿司屋、CoCo壱、ステーキハウスを続けてはしごしたことがあります。吐きそうでした。友人と無茶をしました。何度かトライして、その後は辞めましたけどね。苦しいので。

懐石料理も何度かチャレンジしました。トライしてみて分ったのは「当たりを引くのが難しい」ことでした。地元の老舗に期待して行ったことがあります。質問者さんのいう様な品質。そういう印象でした。しかし、地方の鄙びた旅館に泊まったときは「こんな事があるのか?」と思えるくらい豪勢で、友人と一緒に感動したことがあります。

「うちは名物が無くて、板前さんと悩みました。
 お客さんが仰る予算を消化できないので、うちで出せる
 限界みたいなコースになったんですよ」

名実ともに美味しい経験でしたね。相手の方も人間であり、人間と人間の関係はその時その時で違う訳です。

一定の品質を保証するチェーン店のほうが無難なのは当たり前です。料理手法が問題なのではなく提供者のやる気や誠実さが問題なのだと思いますよ。日本の文化の話でもなく、自分が人生の中で接した人が「どうであったのか?」と言う事だと思います。

「一期一会だと思ってくれる料理人に出会うのは難しい。
 こちらにも探そうとする気力が必要。
 ただただ自分には探し出せないのだと思う事が嫌なんだ」

日本の食文化はかなり進歩しています。全体の品質が向上しています。一方で料理人が料理を作って提供する外食産業はそのままです。お金を払ったからと言って美味しいものが食べれるわけじゃありません。これは自己責任で探さないと行けないんです。お寿司屋さんも同じです。またお客を見てサービスの質を変えるなんてざらです。

「ゲームだと思ってトライしないと。
 大事にしたいと店から思われて始めて店の本気を味わえる」

客側がお店を口説くわけですよ。私は給料を貰えるようになってからお寿司屋さんを(無理して)開拓しました。期間を置かずに通い、好みを知ってもらうまで粘るんです。あるお寿司屋さんは2年前に通っていたことを覚えていてくれて、当時のメニューをそのまま出してくれました。

当時は、

「〇万円でお任せにします。お酒も欲しいです。
 お寿司とお刺身。煮魚、焼き魚も欲しいな」

こういう頼み方をしました。

そして同じようにやりましたら、すぐに思い出してくれたんです。こんな頼み方をすると予算内でコースを作り仕上げてくれます。そういうお客さんの方が嬉しいそうです。このノウハウを確立するまで結構かかりました。そしてそのお店のご主人も若い時は懐石料理などを出すお店で修業していたそうです。

料理を出す人が人間であるという事を忘れなければ、それはそれで面白いんですよ。自分の振る舞い次第で質が変わります。客側が他の客と競争するわけですよ。すると得るものが良くなっていく。こういう楽しみはチェーン店では味わえない物なんです。

3万6千回の食事をどう割り当てるか。これは個人の自由ですから、他の人からのプレッシャーで悩む必要はありませんよ。ただ有限回数だと考えましょう。年を取って味が分からなくなって来たり、量を食べれなくなってから後悔するかもしれないでしょう。

最近は行きつけのコンビニで店員の若い方が一生懸命サービスしてくれます。店長が私が行くと頭を下げてくれます。他の客とサービスが違うんですよね。なんでなんだろうと思っていました。どうも私の方が軽く頭を下げてからレジに立っていたようです。気づきませんでした。また、物臭をして似たような物を買っていました。それを店員が覚えていて、注文する前から色々とやってくれます。

「コンビニでいつものヤツが通用するとは思って無かった」

相手が人間であると言うこと。そこで働く人を一人の人間として見ること。そして自分の態度が他の客と比較されていると言うこと。これらを忘れてはいけないなと改めて思いました。私には若い時に「美味しいものを食べさせてくれるお店の開拓」をしていた時の習慣が残っていたようです。

ですので何が良いとか何が悪いとか考えず、

「自分の一生は一つしかなく、それも直ぐに終わってしまう」

と言うのだけ気を付けて、自分だけを見て、自分だけを彩りましょう。

他の人の意見に賛成や反対をしたからと言って、自分の彩が鮮やかになる分けではありません。思い出が輝くわけでもありません。今この時、どの様な考えを持ち、どの様な言葉を紡げるのか? それだけに興味を持ち、それらを何とかしたいとだけ考えるのが吉ですよ。その様に集中することで、他のそうしていない人より余暇時間が増えるはずです。

「どうせ死んでしまう同じ身分なのに、何かについてああだ
 こうだと論じている時間は寿命の無駄だろう。
 そういう事をしている人を見た瞬間、

 『やった、風呂入ってこよう。美味しいもの物食うぞ。
  酒飲んでゴロゴロするぞ』

 とやるもんだ。幸せを満喫した後に、

 『お、まだやってるのか・・・楽しいのかな?』

 と笑ってやるもんだ」

と言うのが一番ですよ。

以上、ご参考になれば。
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いやなら食べなきゃいいんじゃないですか?



カレーも、ラーメンも美味しいですが、日本の伝統料理ではありませんね。

懐石料理は、料理の組み立てはもちろん、作法も含めて、日本の伝統的なおもてなし文化の真髄です。何気なく食べる、旅館の和食のようなものも、それを簡略化した、日本食の原点なのです。お金がなくて、食べられないのかもしれませんが、ジャンクフードとならべても無意味ですね。

文化の継承とは、国を維持して行くことです。それを無視するなら、我々は、その日ぐらしの、文化も文明もないサルと同じです。
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食事を楽しむ、というより、飢えた狼が餌をむさぼるのと同じ。


そんな感覚の餓鬼が言っているだけなんです。
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