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タイトルの通り、大学の先生方や親、大人たちは、世界や日本の歴史について学ぶ事(世界史や日本史を「覚える」のではなくて「学ぶ」こと)はとても大切で、どんな方面の学問なども歴史や哲学が根幹にあり、とても大切だと良く主張します。
これはなにも学術の立場にある・ないに関わらず、父親も同じように歴史は大切だといいます。

しかし、対照的に、史学科卒の人の進路が悲惨という現実もあります。高校の進路教諭も「史学科や哲学科に行ったら、将来は塾講師ぐらいしかない。悲惨だ。」と言っていました。

なぜ世間の多くの人が「歴史は大切だ」というのに、その大切なものを学んできた人たちを社会は欲さないのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

僕は、今を理解するためには、歴史は重要だと思います。

歴史の積み重ねによって、今はある、ということです。今、存在しているすべてのことが歴史を経てできあがっているということです。
教養としての歴史だったら、意義はこれで充分だと思います。

学問としての歴史学の場合は、かなり事情が違ってきます。今を念頭において考えるならば、古い時代の方が関連がどんどん薄くなりますから。しかも、研究が進めば進むほど、いわゆる「タコツボ化」が起こって、微細な研究が主流になっていきますから、近代史でもそういう研究だと役に立つような気がしません。
歴史学だけではなく、およそ学問というものは、日常レベルでは、短期的には役に立たない場合が多いです。それは経済学だろうと政治学だろうと同じです。法律学も、実務のために学ぶのと学問として学ぶのとでは、実はだいぶ違います。短期的に、あるいは日常生活のレベルでは役に立たなくても、長期であったり、地球や宇宙といった単位だったり、逆にナノの単位だったり、というレベルでは、いつか必ず役に立つようになる、というのが学問なんではないでしょうか。
実際には、法学部や経済学部の学生の場合は、企業が求めているのは、学問としてではなく、教養として身につけていることを求めている場合はありますが、多くは「就職のことを考えて法学部や経済学部に行くような、現実感覚があったり、世慣れていたりする学生」が欲しい、といった程度の話なんではないでしょうか。このことは、企業自身がそれを自覚していないことが多いので、言行不一致が生じているように感じます。
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 歴史の知識は実生活で役立ちますよ。



>史学科卒の人の進路が悲惨という現実もあります。

 歴史の情報を詰め込んでいただけでは
だめで、それを活用できる才能が必要と
いうことです。

 例えば学校の音楽の先生は、音大とかで
音楽の基礎知識をばっちり詰め込んで
いるんで、教えることはできますが、
それと音楽家として社会で成功するかは
別な話でしょ。
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人は移り、時代は変われど、人々の営みは変わることは無い。

これが歴史の基本です。

とすれば歴史を知る者が邪魔な理由は…。
ネタばれ。世の中が歴史から色んなマジックショーを魅せて商売しているのに、歴史家はネタをばらす訳です。

あと歴史家は讒言するからです。歴史上讒言者は重要とされてますが、迫害の第一対象にもなっているのです。
器量の無いリーダーは邪魔者としか写らないのです。

器量のあるリーダーたるものは大抵歴史を知っていますよ。そして歴史は先人の遺産です。歴史の大切さはつむぐものであり、時代を橋渡し出来ない人間はどんなに金持ちでも堕落します。
西武グループ、JR西日本など、橋渡し出来ず次世代に託せ無い企業がどのような末路をたどるか、わかるはずです。
諺では「温故知新」とあるくらいです。
大切に。
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現代が資本主義社会だから、歴史がうんぬんよりも、あくまで資本がものをいう社会です。



そのことは置いといて、saxphoneさんが仮に今20歳だとします。今まで20年間生きてきたわけです。その20年の積み重ねがあるからこそ、今のsaxphoneさんが居るわけです。また、今のsaxphoneさんがいるからこそ、過去の20年を振り返ることができるわけです。もし仮に、時間の概念を受け入れることができなければ、その存在に歴史も過去も存在しません。今生きているだけであり、つまり本能のままに生きる存在になります。

どうでしょう。今話している日本語、使っているインターネット環境にパソコン、全て学び、知っているからこそ、扱えるわけです。言わば知識や知恵とは、過去の遺産でもあるわけです。saxphoneさんにとって、saxphoneさんの歴史はかけがえのない財産なんです。

このように僕が自分の意見を言えるのも、自分の哲学があるからです。全ての根底にそれがあり、とても大切です。その「自分の歴史」を生かせば、ビジネスにも応用できます。まず、自分ありきです。
自分の人生に、今まで学んできた歴史や哲学が生かせるか生かせないかは、その人次第です。
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「賢者は歴史から学び愚者者は経験から学ぶ」と ドイツ帝国の宰相ビスマルクは言いました。


ひとりの人間の寿命などせいぜい80年くらい。
社会でバリバリ活躍できるのはそのうち、せいぜい40年かそこらでしょう。
しかし、人類には数千年の歴史の蓄積があり、その間で生まれて死んでいった人はいったい何百億人、何千億人いたのか想像もつかないですね。
その中で様々な出来事があり、立派な人も愚かな人も、考えられる限りの成功や失敗を重ねています。
そういった過去の蓄積(歴史)を学び活用しようとせず、自分の経験や現在の世の中の情報だけで生き抜こうとするのは、やはり効率の良い生き方とは思えませんね。
ではなぜ、歴史は大切なのに、それを学んだ人たちを社会は欲しないのかということになりますが、一般論では「学校で教わるような知識だけでは役に立たない」ということではないでしょうか。どんな事件や出来事が何年に起きたかなどということの暗記や人物の名前はうんちくを語る時には良いでしょうが、実際に役に立つのは、どのような政策がどのような結果を招いたとか、こういう人柄や性格の人はこんな目にあったとか、こういう社会情勢だと過去で言えば次にこのような事態になっているなどといった、実生活に応用できる歴史の知識だからではないでしょうか。
歴史の知識があることが大切なのではなく、歴史から学び、それを活かすことができる人を社会は欲しているのだと思います。
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「歴史から学ぶことのできる唯一のことは、『人類は歴史から今まで何も学んでこなかった』という事実である。



誰の言葉だか忘れました。ご質問の直接の答になっていないかもしれません。しかし歴史とはそういうものかもしれません。さらに、歴史を学ぶことと、学んだことを社会生活の中で生かすことは全く別の次元のことであると思います。
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございます。
まとめてお礼させてください。申し訳ありません。

さて、歴史は「学問」として重要だけども、「実生活で役に立つ」こととは別物であるといのレスが主流のようですが、やはり文学部史学科卒は、進路では不利なのでしょうか?
社会科学系(経済学、商学、社会学、政治学、法学、経営学系統)のほうがいい感じはしますが・・・。

お礼日時:2005/06/01 05:47

この場合、「歴史は大切」という言葉の意味をしっかり確認しなければならないでしょう。



「大学の先生方や親、大人たち」が歴史は大切だという理由は、
「どんな方面の学問なども歴史や哲学が根幹にあり」
ということですよね。

「父親も同じように歴史は大切だといいます。」
ということですが、その理由は他のご両親・大人たちと違うのでしょうか?
おそらくお父様も同じ教養という立場から「大切だ」と仰っているのでしょう。

教養というのは、まず第一に文化に関する広い知識です。例えば歴史が大切なのと同じく、英語も国語も大切です。しかし、もっとも大切な教養は道徳観のようなものだと思います。

つまり、それまでの大学生活における体験や経験から形成された人生を歩む上でのポリシーのようなものです。あるいは性格や品性とも言えるのかも知れません。

単に史実を知っている、英単語を知っている、などという知識は本当の教養ではないでしょう。
歴史的事実(と解釈されたもの)から良識を学ぶこと、拙くても英語を駆使して異文化交流に努めることの方が大切なのでは。

ですから、歴史を学んだからといって、その人が他の大切なものも身に付けたといえるわけではなく、いろんな場合があるはずなので、「歴史を学んできた人たちを社会は欲さない」、と強引に一般論化することはできないと思われます。

最後に、学問の根幹は哲学で、歴史は文学と同じような立場のような気がします。
また、勉強ができるからといって良い人間とは限りません。
性格悪いからといって勉強ができるとは限らないのと同じです。

あ、そうです、きっと私たちに大切なことは、
「これはこうだ」、と決め付けないことだと思います。ちなみに、偉そうなことを言ってしまいましたが、私には良識が欠けています・・・
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参考に


教養と芸の問題ですね。教養は人を作り芸は人を助けるということですね。教育には二つの側面がありますね。教養を磨く面と芸を磨く面ですね。経済学を含むなどの教養系学部は主に教養を磨き、化学や理学、技術系は一芸を磨きますね。若者が収入を得るには一芸がないと難しいということですね。例えば教養系の一芸は、体力があるとか外国語ができるとかということではないでしょうか。あまり難しいことは問われませんね。逆に技術系は一芸の要素はあると判断されるのでものづくりの点で仕事は見つけやすいでしょう、しかし、ほりえもんのように会社を起こしてというかたは少ないですね。芸は自身を助けるが小さく固まってしまうけらいがありますね。人生の総決算としてはどちらもバランスよくするのがよいのでしょうね。さて、歴史は教養の最たるものですが、ほとんどの一般人は人生のとじで歴史を学びますね。歴史を学んでいない経営者や管理職はいませんね。ここでいう歴史というのは何年に何があったということではなく、そのときどう考え、どう対処したかを学ぶんですね。例えば、よく立派な経営者が「ルビコン川を越えた」などといっていますね。つまり、人生や経営の指南として歴史を学び続けていますね。そういうニーズは社会にありますね。もし歴史学者が不遇だとすればそのニーズにこたえていないゆえかもしれませんね。それも芸のないことといえますね。芸は芸に出来るかどうかという能力や先見性にもよるということですね。
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「社会は欲さない」のではなく、金儲けと「大切なこと」の基準が違う、ということです。


今の世の中、金儲けは自分ひとりのため、せいぜい自分の家族や会社のため、ということ。JR西日本なんざ金儲け第一主義で挙句の果てに問題を起こしていますね。
ほんとに「大切なこと」はしばしばお金になりません。
介護保険法ができて以降、介護、福祉関係の悪徳業者がふえました。一方、以前から良心的にやっている福祉関係の仕事の人たちは、あいかわらずお金がありません。
医者だってそうです。ぼろもうけしているのはやはりなんか問題あり、のところが多いです。
今の日本はそういう国なんでしょう。
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塾講師です。



>高校の進路教諭も「史学科や哲学科に行ったら、将来は塾講師ぐらいしかない。悲惨だ

ははは。ご冗談を。そんなことを先生が言って、生徒が信じこんでしまったら、大変です。史学科行きたい人も敬遠しちゃいますね。

日本の大学で学ぶことなんて大したこと学んでいないのは企業も百も承知のすけです。
大学入学時の偏差値で差別されることはあっても、学部、学科でそう差別されるものでもありません。
就職活動時に問われる点は月並みですが、何学部、何学科で学んだか?
ではなく、
どうやって学生時代過ごしてきたか?自分の力でなにを学び取りどういう結果(資格など)を得たか?
です。以上のことを把握せずして、経済学部で学んだからといって、就職に有利とは言えません。

史学科の生徒が就職に不利だとすれば、こういう条件が上がるでしょう。
「史学科の生徒は、世の風潮に流され主体的に行動できる人が少ない。よって、企業に不人気である。」

歴史が大切か?については、個人の主観によるし、少なくとも私は畿内説とか大和説とかは大切ではないと考えます。ただ、江戸時代の財政建て直し策や真田氏の兵法は現代に応用でき、それを知っていると知らないでは人生で損するか、しないかに関わってくると思います。

また、塾講師になれるか?ですが、塾講師も少子化や競争激化で主体的に行動できない人は即リストラです。塾講師ではなく学校の先生の方が主体的でない人にはいい職場だと思います。
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