推しミネラルウォーターはありますか?

 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1650281の方の質問の便乗質問のような気もするのですが。
 視線って感じます。真横あたりでも、誰かがこっちを見ているのを感じます。そちらに目を向けると、たいていこちらを見ているか、少なくとも顔をこちらに向けてます。
 いえ、きれいな女性に見とれてて、視線を向けられてどぎまぎする方が多いのですが。(^^;
 視線の力や何か出てるって言うのは一切信じませんが、1650281さんの回答にある、顔ニューロンが、こちらを向いているのを感じるのでしょうか。周辺部にある桿体細胞あたりが処理でもしてるのでしょうか。もっと高次レベル?。でも、周辺部って、そんなことに使うような気もするのですが。詳しい方がおりましたらご教示ください。

A 回答 (4件)

こんにちは。


ご提示の質問回答で「顔ニューロン」の例を回答した者です。私の拙い回答にも目を通して頂き、感謝です! 
まず、ご質問の一部に就いて補足致します。
「顔ニューロン」は、パーツ化された視覚情報によって、そのパターンから顔というものに暫定的に反応するもので、その表情や「視線」などを判断する機能はないと思います。
顔の視覚情報を受け取った脳は、まず顔ニューロンの働きによってそれを顔と認識するわけですが、それがどんな顔なのか、どんな表情なのか、更には誰の顔なのかといったことは、それよりややあとに、より高次な部位が具体的な情報を整理することによって判断が下されます。
このように、顔ニューロンには視線を感知することはできませんし、その機能は視覚情報に基く「個体識別」に役割を果たしています。そして、視線というのは顔の表情にも影響しますが、それは他人の特徴を示すものではなく、どちらかと言えば他人の「行動」です。ですから、視線によってそのひとが何処を見ているのといったことを判断するのは個体識別ではなく「行動識別」ということになると思います。このような判断は、知覚、学習記憶、運動機能までの中枢が統合されて行なわれる比較的高次なものです。

「桿体細胞」といいますと、また難しい話になってしまいますが、要は、視野の外郭で捕らえた情報は中心部のそれよりも不正確だというのは間違いないですよね。通常でしたら、このような情報は固視点で捕らえた情報の状況判断に使われるわけですが、たまたま外殻の桿体細胞領域に現れた人影に意識が向けられてしまった場合は、脳は直ちにその情報の不足を補おうとするはずです。質問者さんがその人物に視線を向けようとするのはそのためですね。つまり、質問者さんが横を見ようとするのは、脳にとって情報が不足しているという証拠であるわけです。相手も同じことをすれはお互いの目が合ってしまいますし、そちらを見ようとした質問者さんの行為そのものが相手にとって引鉄になることだって十分にあり得ます。
では、事実が確認される前に視線を感じる、即ち、相手が自分のことを見ていたという判断が何の根拠もなく下されてしまうのはいったいどういうことでしょうか。はっきりと見えないのですから、その時点では相手が何処を見ているかは分らないはずです。

このような状態で感じられる全ての視線は「思い過ごし」以外の何物でもありません。相手が実際に自分を見ているかいないかに拘わらず、脳はありもしない他人の視線を自分の周りに勝手に作り出してしまいます。これは、脳に与えられた「情報の不足」が成せる技です。
目の前の人物が横を向いていて、自分を見ていないということがはっきりしているのであれば、我々はその人物から視線を感じ取ることはどうやってもできないはずです。ですが、ひとたびその人物が視界から外れてしまうならば、このような事実確認ができなくなります。つまり、脳はこの瞬間から事実に基く判断を下していないということになります。ですから、我々は背中からでも物陰からでも視線を感じることができるわけです。
誰かがそこに潜んでいるといった想像が働いた場合、我々はその視線を感じ取ることができます。ですが、それが思い違いであるならば、我々は存在しない人物の視線を感じたことになります。明らかにこれは、脳の中に作り出された「思い過ごしの視線」ですよね。
他人の視線を感じているのは背中でも桿体細胞でもありません。それは、仮定によって産み出された脳内の意識です。では、情報が不足しているにも拘わらず、脳はどうして視線を感じるなどといった判断を下してしまうのでしょうか。

視線を感じるという心理現象が発生するのは、脳が対象となる人物に意識を向けたからに他なりません。まず、脳は対象となる人物の存在を認識しようとします。それが目の前にいる場合はともかく、見えない場合は情報の不足、即ち「不安」が主な動機となります。
次ぎに、その人物の行動を予測します。他人の行動といっても様々ですが、それが自分に向けられたものであるならば当然関心は強くなります。そして、相手が自分に対して如何なる行動をとる場合であろうとも、まずはこちらに視線を向けなければなりません。つまり、相手の行動を予測する上で、その視線が自分に向けられているかどうかが真っ先の関心事ということになります。これに対し、不正確な情報を基に脳の下した判断が「思い過ごしの視線」ということになるのだと思います。
このように、不正確であってもそれなりの判断を下すことができるのは、脳が情報の不足を自らの経験や記憶によって補ってしまうからです。ここが、きちんとしたデータを与えなければ結果を出せないコンピューターと違うところですよね。これを「経験予測」「可能性の創出」などと言います。

視線というのは他人の行動であると申し上げました。では、脳が経験によって他人の行動を予測するというのはどういうことなんでしょうか。
他人の行動を認識するという過程では「模倣」という行動学習の基本的なプロセスが使われています。行動を認知するということは、他人の行動を自分の行動として脳内でシミュレーションするということです。これが模倣です。我々は子供の頃からこれによってあらゆる行動を学びました。他人の行動をシミュレーションするためには、行動を認知するための知覚だけではなく、それを脳内で再現するために運動機能中枢の助けを借りなければなりません。先に、行動識別には知覚、学習記憶、運動中枢が統合されなければならないと申し上げたのはこのようなことです。そして、我々は行動の意味を解釈し、それによって他人の心を理解します。
さて、例えば質問さんが公衆の面前で大失敗をしてしまったとします。状況の確認が成されなくとも、質問者さんは即座に不本意な視線を大量に感じると思います。それと同時に、質問者さんは大衆の意識もしっかり感じ取ります、「あ! かっこ悪い」。
これは、他人の行動に対する経験予測です。質問者さんが逆の立場であるならば、当然、そのひとに注目すると同時に「あ! かっこ悪い」と思うはずです。ですから、質問者さんは経験とシミュレーション結果に基き、自分に対して一斉に視線を向けるという「大衆の行動と心理」を一瞬にして予測したということになります。
ですが、たまたま向こうで有名人の撮影会などが催されており、現実には誰ひとり質問者さんを見ていませんでした。では、質問者さんが浴びた大量の視線はいったい何だったのでしょうか。

以上、思い過ごしの視線が情報の不足によってもたらされる錯覚であることをくどくどと述べました。これ以外にも、人間の脳は様々な勘違いを起こします。ですが、それと引き換えに、「経験予測」や「可能性の創出」が脳の限りない能力であることは間違いありません。逆に我々は、これによって創造や未来予測など、見えないものでも見ることができるわけです。なんてったって、後ろにいる人物の視線さえ感じることができるんです。人類はこのような能力によって、様々な可能性を実現してきたわけですよね(長々と書いたわりには、纏め方がちょっとありきたりですね・汗)。
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専門家でもないし、詳しくもありませんが、鼻先にはさみや錐をこちらに向けて近づけてみると鼻の先が痛いような感じがします。

この現象と同じではないでしょうか。向こうから来るように思うのは、われわれが、危険性のようなものを予想した結果であってそのような実際の力がこちらへ発射されているているとは考えられません。
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少しでも顔が視野に入っていれば、こちらを向いているのが、その角度・形状などで判別できることもあるでしょう。


しかし、相手の目や顔が視野に入ってないのに視線を感じるというのは、やはり錯覚のように私は思います。

確かに何気に視線を感じて振り向いたり、横に顔を向けた時に、やはり相手がこちらを見ていたという事はあります。
しかし冷静に考えて見ると『いつも』というわけではない事がわかります。
実は真横あたりにいる人が、たいていあなたを見るというのは、むしろ自然であって見ないほうが少ないのではないでしょうか。
瞬間的に見る。
ちょっとの間見る。
じっと見続ける。
のいずれかを行うでしょう。

つまり、
「視線を感じたので目を向けると、相手が見ていた」のではなく、
「横にいる人は隣(あるいは近く)の人を見るという習性があるので、目を向けると大体はあなたの方に視線が向けられている。」
ということではないでしょうか。
タイミングの差によって、あなたが目を向けた時見ていなくても、その直前に見ていたかもしれません。
逆に、あなたが目を向けた時見ていたとしても、その一瞬お互いに見合っただけということもあるでしょう。
見続けている人に対してあなたが目を向けることもあれば、あなたを見ていない人に対してあなたが目を向ける事も当然あるわけです。

「本来、人は相手を認識するために近くの人を見る習性があるので、視線を感じなくても、自分がその対象になっているかどうか確認するために目を向けると、自分に視線が向いている確率は低くはない。」
という言い方もできるかもしれません。

この回答への補足

 アドバイスありがとうございます。
 言われて、今視野を確かめたら、大体人間は90°はあるのですね。ほぼ真横でも、見えていそうです。
 ただ、視線を感じるのは、至近距離(1~2m)だけでなく、4~5mの大勢の中でも、見ている。いやせめてこちらを向いているのは感じるような気がするんですよ。
 なので、視野に入っている90°以内なら、「顔」(目、鼻のパーツがそろっているもの。例えばポスターでも)がこちらを向いていることを意識の外で判断しているというようなことはないのでしょうか。顔ニューロン?等で。
 しかし、昼間に白黒しか感じない桿体細胞は何しているんでしょうね。黄斑以外でも、私たちはカラーの世界で生きているんだし。注視している所以外の判断をしているのかなと思ったものですから。

補足日時:2005/10/02 21:48
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視線は「目で見るもの」と定義したら不思議でしかないですが


強いて言葉をあてるなら、皮膚でも周りを見られるのではないでしょうか。

目隠しをした人に2種類の部屋に入ってもらう実験で、寒色系の部屋では寒がり、暖色系の部屋では暑がるとか、赤い下着を身につけるのも流行りました。

で、なんで皮膚が視覚を持っているの?表皮には水晶体も網膜もないよ?と聞かれたら。
その点はわからないです。

だけど視線は、敵に狙われたサインだったこともあったはず。
かつて視線が生命の危機につながっていたなら、
人体はありとあらゆる情報を全身で掻き集めていそうです。
皮膚に色を見分ける程度の能力があるとすれば
視線は皮膚が刺激を受け取ることができる情報のひとつでも
おかしくないような気がします。
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