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もうすぐ大学2年になるものです。理系です。
最近はセンターがあったりで大学受験の話題も多くふと思ったのですが、数学力はセンスなのでしょうか?

私は一浪し、第1志望の大学を前期で受けるも不合格(センターリサーチではBに近いC判定、記述模試では学科内で最高10番ぐらい、だいたいAかB判定)、 今では後期滑り止めで受けて受かった大学に通っています。 
大学受験にはホント良い思い出がありません(泣)

前期受けた大学の数学はたぶん3割ぐらいしかできませんでした。しかし続く理科が会心の出来(手応え8割超)、英語も無難に6割~7割(あくまで手応えですが)ぐらいだったので受かるかなーと思いました。まー結果は↑に書いたとおりですが(ToT)

いらない前置きが長くなりましたが、最後の最後まで苦手な数学が尾を引いてしまいました。現役時も1浪時も1番数学に時間をかけたのに得意になれませんでした。なんですかねー、いろいろ試したんですけど…
「暗記数学」なるものもやってみましたが効果はさっぱりだったし… 数学苦手で分かる人は分かると思うのですが、数学の入試問題って解けそうにない時は全く解ける気がしないんですよねー。何時間粘ったとしても… 努力はしたのに結果が出ない、悲しいことです。

ちなみに受験科目の中で努力しても伸びるとは限らない科目1位だそうです、数学は。曲者数学。今でも思います。やっぱりセンスがないのかなー(嘆) 

長々すいません。誰か教えて下さい。

A 回答 (8件)

数学はセンスではありません。

数学は努力です。
ただし、努力といってもただ我武者羅に努力しても駄目です。コツがあるんです。数学は小学校のときの算数に始まり、初等数学の最終段階である高校数学へと途切れることなく続いています。今数学を苦手としている人は、必ず過去のどの段階かでつまずいています。そこをまず補強してやることが大事です。そして、過去に理解の抜けや漏れが無い状態にしてから、現在の分野に集中するのです。小学校のころの分数計算が苦手ではありませんか?中学校のころの関数がわからないままではありませんか?初等数学、高等数学(大学レベル以上)を完全に理解して新たな理論や法則を展開するレベルになってから初めてセンスが必要になるのかもしれませんね。積み重ね学習の「努力」を惜しまないなら、数学ほど簡単で明確な学問はありません。
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この回答へのお礼

回答を読ませて頂きたいへん説得力のある回答であるように感じました。数学は積み重ね科目の典型だと。

私自身、高校以前は数学を得意だと感じたことは1回もないです。高校1、2年は模試の結果もまずまずよく「やや得意」だなんて思っていましたが、高3になると化けの皮がはがれたではないですが、さっぱり振るわなくなりました。浪人時代は偏差値自体は高1、2年時代に近い水準まで盛り返しましたが、根本的に変わったなーという気はしませんでした。

そうなるとやはり高校以前からの数学または算数の勉強法に問題があったという感じでしょうね。復習が甘かったり、分からないままほったらかしにしたり、深く考えるということも足らなかったり。いろいろ思い当たる節があります。

そうすると数学はセンスではない… 過去にどこかでつまずいて積み重ね科目の要素が強い数学は高3でツケが回ってきた。といった感じなのでしょう。だから浪人時代かなりの勉強をしてもいまいちぱっとしなかった。こう考えるのが妥当なのかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/28 16:43

数学のテストでは、公式を覚えるのがイヤで、公式はテストの最中に自分で作っていました。

元の公式を生み出す経緯を覚えれば、公式を何本も覚えるより簡単です。周りの人が、なぜ(x+a)(x-a)の公式を必死に覚えるのか、不思議でたまりませんでした。
これを、どう言うかは、お任せします。
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この回答へのお礼

私も現役時代、和積や積和の公式は加法定理から自分で導いていたりしていた記憶があります。数学教師から公式なんてむやみに暗記しなくても自分で導けばよいなんてよく言われました。 

ただ私の場合機械的にやりすぎでそれが良くなかったということが考えられます。数学教師は本質が分かっていないなどということをよく言ってましたが、高校時代の私は本質って抽象的すぎていまいちイメージできないものでした。
今考えると、「本質」=「機械的にやるのではなく定義や定理の根本を徹底的に理解すること」 こういうことなのではないかと思います。定義や定理の根本を中途半端に理解したままだったことが入試問題が結構解ける、あまり解けないの分岐点になった可能性はあります。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/28 16:58

march777さん、今日は。

数学にセンスが必要かどうかと言うことならば、多分必要でしょう。ただ、それは数学でなくても言えることでしょう。
また、数学でもそれ以外でも、センスを身につけることは努力すれば可能だと思いますので、現在はセンスがないと自分で思っていても悲観することは無いと思います。

数学でセンスを身につける方法は、大雑把な言い方ですが、物事を深く考える、また、先入観を持たず、自分が正しいと思っていることも、その根拠が何かを明確にすることでしょう。
例えば、高校までの幾何学では直線とは(あいまいな言い方ですが)真っ直ぐな線のことだと言われたと思います。しかし、それはあくまで高校以下の数学においてであって、一般の幾何学もそういうものだという先入観を持つのは望ましくないです。実際、真っ直ぐかどうかと言うことが意味を持たない幾何学や、長さが存在しない幾何学なども有りますし。

あと、暗記云々の話は、どういう意味で言っているかによって違ってきますが、もし、意味を考えない字面だけを覚えるということならば、そんなことはやるだけ無駄でしょう。
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この回答へのお礼

>数学でセンスを身につける方法は、大雑把な言い方ですが、物事を深く考える、また、先入観を持たず、自分が正しいと思っていることも、その根拠が何かを明確にすることでしょう。

なるほど!と感じました。確かに数学の勉強をしている時に「深く考える」ということが不足していたように思います。今後の糧にしたいと思います。
ありがとうございました☆

お礼日時:2006/01/28 15:54

数学に限らず、どんなことにも、向き不向きがあります。

向いている場合、あなたはすじがいい、とか、センスがいい、というのだと思います。数学はあきらめて、ご自分に向いていることをした方がいいと思います。
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この回答へのお礼

回答者様のおっしゃるとおりそういった面はあると思います。ただ、「数学はあきらめて…」というわけには学部の性質上いかない気がします。
ありがとうございました☆

お礼日時:2006/01/28 15:48

 私も大学入試までは努力で解決できるのではと思います。

ただ、数学を「暗記して解くもの」としか考えられないなら結果が出ない可能性は高いのではないでしょうか。大事なのは、数学(を勉強すること)が好きかどうかだと思います。好きなら解けるか、と言われると嘘になりますが(身をもって体験済)。
 以上、三度の飯の次に数学が好きな者の意見でした。
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この回答へのお礼

>数学を「暗記して解くもの」としか考えられないなら結果が出ない可能性は高い

なるほどーと感じました。確かに数学を勉強することは好きではなかったです。問題が解けないので苦痛でしたよ。得意科目って勉強していても苦痛を感じたりしないものですが、ダメでしたねー!数学は。今でもしみじみ思います。

数学は高3に入って急にできなくなりました。ま、「急に」なんていうと大げさですけど… それまでは得意科目の1つに「数学」と書いていたぐらいだったんです。

高校の定期試験ではやり方を暗記してないと、とてもじゃないけど時間的に間に合わない問題ばかり出され、暗記が比較的得意な私は高校の成績はまずまず良好でした。

でもそれは定期試験だから使える技で、入試問題にはほとんど通用しなかったですね。やり方がお決まり的な入試問題は解けてもどこかひねってあったり、ちょっと見たことない問題になったり、公式をいくつも組み合わせて解く問題とかはお手上げという状態でした。

数学の入試問題に限らず、初物に弱いというのは今でもあります。そんな性格(?)がもしかしたらどこか影響したのかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/25 01:33

 私は、数学のせいで医学部受験失敗しました。

他の教科の偏差値は70近いというのに、数学だけがどうしても駄目でした。かなりの多浪をしましたよ。でも、だめでした。しかし、今、何故だか高校の数学の教員です。もともと、情報分野で大学進んだのですが、ふとしたことで数学も勉強することになりました。今は大学院に通いながら高校で非常勤講師しています。院に入ってから、自分だけのテーマがあります。それは、「なぜ自分が数学が苦手か?」というものです。努力したのに、なぜできないのか?どこに欠陥があるのか?ということです。字数制限があるので、簡潔に言いますね。
 私の場合根本的に頭の使い方が間違っていました。私は数学を哲学と勘違いしていました。勿論、数学も哲学的な要素があります。が、そうではないのです。No.1の回答の方は定義・定理を根底から理解すると答えていらっしゃいます。これは正しいと思います。しかし、私は根底から考え過ぎたのです。昨今数3では回転行列を扱います。証明は、容易です。ですが、私はなぜ、あの数字の並びが、これほど多様な表現ができるのか?と悩んでしまうのです。すると、どうも先に進めません。この私の悩みは哲学的であり、数学以前の話です。数学とは、公理を根幹に据えています。が、公理前提としており、公理以前を疑ってはいけません。高校数学の確率で「同様に確からしい」という公理確率を前提として、サイコロの1つの面が出る確率は1/6と習いますね。コインならば1/2とね。これが、受験生時代、どうしても溜飲できなかったですね。確率論にも、色んな立場があってその一つに公理的確率があって、これを「同様に確からしい」という言葉で高校数学では扱っている!これを知って初めて高校数学の確率問題が容易に解けるようになりました。阿呆らしい問題だと思いながらです。こういう私の様な思考をする人間は、受験数学でも大学での数学でも苦労します。何せ、公理を疑うのですからね。いわば、ユークリッドの平行線の話を、ヒルベルトが解決した真逆の流れをしていたのです。数学2000年の発展を逆走する思考だったのです。解けるわけないですよ。
ある意味、純粋に自由な思考が好きな人間には、数学的な美しいルールですら不自由を感じるかもしれないのです。本当に自由な発想をする生徒が、案外、数学で苦しんでいるのでは?と思っているのです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私よりも数学で苦しんだ方だというのを回答を読ませていただいて感じました。たいへんな苦労をなさったことと察します。

私の場合、回答者様のように哲学的に考え過ぎたが故に問題が解けなかったのではなかったと思います。「自由な思考」「自由な発想」…どうなんでしょうね。

長文頂き感謝しております。

お礼日時:2006/01/25 01:04

一定のレベルを超えるとやっぱり「センス」というか、「ひらめき」の差はどうしても出てくるように思いますね。


でも、一定のレベルまでは、努力と「経験」だと思います。
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この回答へのお礼

一定のレベルというのも線引きが難しいところですよね。
自分の中では数学が得意にならなかったのはセンス≒ひらめき がなかったからだということで気持ちを整理させた(させてきた)わけですが、実際のところはどうなのでしょうか。皆さんの意見を参考にまた考えていきたいと思います。 過去を引きずり過ぎだって言われそうですが… ありがとうございました☆

お礼日時:2006/01/25 00:46

数学がセンスなんていえるのは、やはり大学、それ以上の話だと思います。

高校センター、大学入試程度ではやはり暗記科目のように思われます。「99%の努力と1%のひらめき」が数学だと思いますよ。

努力しても伸びるとは限らない、そんなことはないと思いますけどね・・でも、問題をたくさん解くという努力ばかりではダメだと思います。定義や定理などを、根底から理解することができていことが、数学が出来ない人の一番の理由なのではないかと思います。
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この回答へのお礼

かなり努力はしたつもり(特に浪人時代)なので要はそのやり方がまずかったってことなんでしょうね、おそらく。受験勉強なんかはやり方一つで結構変わってきますからね。

「定義や定理の根底からの理解」 ですか…。なかなか深いですね。そこに原因があったのでしょうかね!?でも「定義や定理の根底からの理解」をすれば問題が解けるようになるとは正直思えないです。もちろん「定義や定理の根底からの理解」が重要であることは十分に承知しています。高校の時の数学教師から耳にタコができるくらい聞かされましたので。それでもやはり納得がいきません。回答して頂いたのにすいません… 

お礼日時:2006/01/25 00:35

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