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なにか心に迷いがあったり、愚痴っぽいことを、心のよりどころとして両親に相談すると、決まって気持ちが最悪になります。おもっ苦しく絶望的です。

それは、両親が気持ちの斟酌というものをしないからです。「ああそれはつらいね、それは残念だね」という共感があってほしいのですが、いつもあるのは「じゃあこうしろ、こう考えろ」という話筋で、「心」に触れない。そして非常に説教的になり、私の話ができないほど一方的に弁舌をはじめるというパターンです。打ちのめされます。

両親はタフな人生を歩んできた人たちで、「心」のケアなどしている余裕がなかったからこういう人間になったということなのですが、大変「話し合い」には相性が悪い。それとも私の甘えなのでしょうか。幼児性なのでしょうか。

A 回答 (11件中11~11件)

まず、親は子供が幾つになろうとも、気にかけ心配しているという事。

「じゃあこうしろ、こう考えろ」という言葉の前には聞こえない「ああそれは辛いね、残念だね」という言葉が発せられていると考えて良いのではでしょうか?
あなたは、親と一緒に暮らしているのではないですか?私は10代で親元を離れ学校に通い仕事を始めました。あれから15年になりますが、その間に親との良い距離感を感じられる様になりました。
親を親と思うなという意味では無く、一人の大人対大人として話してみてはどうでしょうか?自分の求めていた応えが得られなくても、その言葉が逆に励ましに聞こえてくると思います。
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この回答へのお礼

その言葉の前に確かに「気持ちはわかる」というのはあると思います。あっても態度で示してもらわないと、こちらの気持ちがやはり渇いたままという感じで…

親とは一般的に距離感が大事なのかもしれません。

お礼日時:2006/04/07 20:56

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