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こんにちは。いつもお世話になっています。

ペリーが浦賀に来航、事実上日本は開国したわけですが、日本人は開国を承諾した幕府に対して不満を抱きました。外国人や外国の建物に襲撃もしました。このように攘夷が発展した理由は何でしょう?
本では、外国との貿易が始まった為に物価が暴騰し、市民の生活が困難になったからと書いてありましたが、他の理由はありますか?

教えてください><お願いします!

A 回答 (4件)

私も、日本史に興味を持った頃に同じ疑問を持ちました。

明快な解説には接したことがありません。

私見ですが

1. 外交に責任を持ち、外国と実際に交渉する幕府は、軍事力をバックに交渉する外国の要求を受け入れざるを得ない。責任のない者から見れば「外圧に屈している」と見えます。

2. 責任のない者からすると、幕府を叩く格好の理由となります。昔の社会党、今は民主党がやっていますが、「反対のための反対」と言うヤツです。なお、幕府を倒した勢力は、維新政府確立後は「攘夷」などとうコトバも考え方も綺麗に捨て去りました。

3. 外国の要求を受け入れて開国した結果、「外国との貿易が始まった為に物価が暴騰し、市民の生活が困難になった」のはその通りです。開国によって日本がトクしたことは、少なくとも明治維新までは何もありません。実際は、開国以来猛烈なスピードで欧米の学問や技術を学びだした日本人は、欧米へのキャッチアップを始めて150年後の現在に至っているのですが、そんなことは神でない身には分かりません。
「開国は災厄でしかなかった」ということです。

4. さらに、国内のあちこちの開港場に外人がやって来て西欧レベルの生活を始めました。唐人お吉の話にあるように、日本女性を呼び入れて妾にします。不心得者の外人がいても、治外法権で守られています。
実際に外人と接する日本人はほんの少数ですが
「何だあの異人どもは!好き放題しやがって!これも幕府のせいだ!」
という感情が生まれるのは無理ないことです。
表現が適当か分かりませんが、米軍基地と日本社会の摩擦を考えて下さい(今の米軍は、開国当時に日本に来た外人よりずっとマナーが良いはずです)。
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江戸時代の代々の天皇にはわざとウソを教育されてました。

日本は神代のころから鎖国していたと。幕府が鎖国政策を正当化するためです。だから孝明天皇は先祖代々鎖国しているのに開国はけしからんということになったのです。自分の代で外国の力に屈して開国したとなれば後世までの恥ということです。
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外国人に対する本能的な反感、恐怖が働いたのだとおもいます。



異人とよび、言葉も習慣も異なる人種でしかも卓越した武力を個人的にも集団としても有していました。

保守的な人にはそれらに本能的な恐怖を感じたのは無理ありません。

保守の頂点にいたのが孝明帝でした。 孝明帝には元寇の再来と感じられたのでしょう。
神社仏閣に外敵退散の祈願を命じた位でこれを倒幕に利用したのが反幕府勢力でした。
当時の閉塞した社会は変革を待望して「世直し」運動が起こり、これを扇動し、外国人に対し襲撃さえ起こしたのです。
あらゆる変革を必要とする事項を全て開国、異人のせいと宣伝して攘夷の国民的同意を促したのが攘夷騒ぎの本質だったと思います。

従って実態のない恐怖は明治維新と共に霧散してしまいました。
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当時の日本ですが、孝明天皇は元々攘夷論者ですが、天皇の場合は未知なる恐怖があったのではないでしょうか。


自分が生きている神聖な国土に、獣の肉を貪り食う毛むくじゃらの紅毛人が足を踏み入れる不快感があり、公家社会はこういった獣の肉を食らう人間を穢れとして嫌う素地があります。
武士と言う階級も穢れとして嫌うくらいですから。
それを様々な勢力が利用して「攘夷熱」とでも言うべき、ブームになったのが本来ではないかな。
生活への不満、世の中への不満を、異人が日本の国土を汚したためと、方向性を変えてしまい、できないと言うことは判っているのに、帝の思し召しとして、幕府に押し付け、実行を迫る。
元々開国論者の徳川慶喜も政治的な理由から、攘夷論者を装いますし、一種のブームだった。
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