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Parlez-moi d'amour よりの疑問です。

Le chagrin est vite apaise'
Qui se console d'un baiser.
Du coeur on gue'rit la blessure
Par un serment qui le rassure.

1)Qui の指す内容は "le chagrin" でしょうか?
2)2行目の d'un baiser は「口づけによって」でしょうか?英語で「by」、フランス語で「par」に相当するものでしょうか?
3)3行目の本来の語順は "la blessure du coeur" でしょうか?

A 回答 (2件)

ご質問は



その美貌からマネキンとしての人生のスタートを藤田画伯の目に留まり、そのモデルとなったことでも有名な Lucienne Boyer ( リュシエンヌ・ボワイエ)の空前のヒット曲。

今、そのレコードを聴きながら認めております。ご質問の箇所は
Qui se console d'un baiser でなくEt se console d'un baiser です。
作詞家Jean Lenoirでも点検しましたので、Et として、以下回答致します。

1)この文章は前々文のSi l'on ne croit pas~を受けていますから
se console の主語は on となります。このEtは音綴を整えるのにも一役買ってます。

2)Verbes de sentimentと言われるse consoler とい一緒になって Par l'effet de, a cause de の意味を持っています。 和訳すればparと同じになってしまいうも、ちょっとニュアンスが異なります。『baiser(さえ) があれば』とでもなるのでしょうか。

またここでのbaiserはもっと強烈な意味の捉えた方が、両対戦間(1930年発表)の社会状況を考えると、宜しいかと思います。一部の国では官能的とさえ言われましたから。

3)"la blessure du coeur" とお考えになったのは、脚韻を踏むために語順を変えたとしたのでしょうか。確かに一節はsupremeとaime、二節はhistoireとcroire、そして三節はblessureとrassureですから。

でもここでは、de+le+coeurと読みたいです。このdeは分離のdeとしたいです。
つまり心の底から、傷が癒えると。それほどまでの力のあるのが2)に記述のbaiserなのです。

ご不明の点は、何なりと。。。
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この回答へのお礼

(1)私の読んでいるCD BOOK はところどころオリジナルの歌詞とは異なっているようです。http://www.daisan-shobo.co.jp/books/ISBN4-8086-0 …

(2) by や par まで強くなく、with にむしろ近いということなんですね。すみません、「もっと強烈な意味の捉えた方がよろしい」のところがよくわかりませんでした。?ただの「キス」という訳では不足でしょうか?

(3)anapaultole さんと同じ解釈のサイトもありました。迷っています。もしドイツ詩だったら私の解釈がたいてい当たってるんでしょうけどね。フランス詩ではこのような倒置は少数派なのでしょうか?

とても助かりました。ますますこの歌が好きになりました。歌詞の意味が分かって聴くのは知らないで聴くのとは全然違いますから。

今後もよろしくお願いします。

お礼日時:2006/09/30 09:44

黙読出来る書かれた詩において、ソネット形式が流行の頃は、倒置は少数では在りません。


詩句と形式美を再考してみますと完全押韻ですし、良く見るとhistoireとcroire
blessureとrassureは名詞と動詞の順に磨き上げての配列と上手です。
こう分析すると、貴見に大きく傾くのも頷けます。

前回の回答は次のような解釈からです。

お腹が減っている方が、より美味しく食べられる。
つまり、『空腹は最良のソースである』です。

色々な傷が、心からスッカリ無くなれば、その空っぽになった心は
『je vous aime』との誓いの言葉で満ち満ちる と最終行を含めて解釈するのです。

つまり『心の傷』との傷の場所を示すばかりでなく
その心の状態が、空になり、それがまた別の物で
満たされることを表現していると。。。
(第一節で既に心は徐々にその魔法の言葉で満たされ始め、この心の展開を暗示しています。)

次に、詩は暗示の芸術とか喚起の魔法とか言われます。一つ一つの言葉を一義的に解釈するも良し、より多義的(日本語に訳す際のことで、フランス人は当然ずべてを包括して捉えます)に読むのも楽しからずやです。

この1930年は、ご存知のようにles annees folles(狂気の年々)と享楽に堕ちた時代から不況に入り西洋没落への端境期です。 baiser を bise 、 bisou との意味に限定することなく、読み手や聞き手の体験や願望を投影するかのようにaccoler、avoir des rapportsへと広げても良いのではと述べたかったのです。

このような意義は、時代性だけでなくこの歌詞の動詞の推移をご覧下さい。 第一節は聞くことの受動の姿勢です。それが、次節ではcroire、veuxとに強く変化してきています。最後にそれがより強くなるのかと思わせて、実はchagrinとかblessuureとかマイナスのイメージを示して底に突き落し、このbaiserで一気に頂上に登るとの、ジェットコースターのような劇的な展開変化を味わいたい物です。

ある人は、詩の主題はと聞かれて、『パリと愛』此れで十分と答えたそうです。この歌に一杯ありますね。

お読み頂き有難うございます。多少でもお役に立てれば。。。
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この回答へのお礼

お礼がおくれてごめんなさい!
「読み手や聞き手の体験や願望を投影するかのようにaccoler、avoir des rapportsへと広げても良いのではと述べたかったのです。」
そうですよね。

すてきな回答!

お礼日時:2006/10/04 17:13

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