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どーも、今回は一般の方々のキリスト教に対するイメージ・意見など幅広く聞きたいです。一般の方々の考えを聞かせて下さい。

A 回答 (14件中1~10件)

宗教全般に対して『争いの素』だという印象があります。


本当に宗教は人間に救いを与えているのですか?と聞きたいです。(キリスト教含めて)

この回答への補足

意見ありがとうございます。そーですねぇ、ホントは人に平安を与えるハズの宗教が争いの素になっているのは非常に残念です。アメリカが報復しましたよね。キリスト教にそんな教えはありません。キリスト教にしろ仏教にしろ、人を殺していいわけがありません。ようするに大事なのはそれを信じる人がどこまで教えを守れるか、ですかね。ただ教えを100%守れる人はこの世にはいませんが。私はキリスト教を信じ、救い・平安をもらっているつもりです。

補足日時:2002/04/02 21:45
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 最初にキリストを知ったのは、小学校の帰り道で宣教師?の人が配っていた絵本を読んだとき。

 そのころは宗教といった概念も知らず、お地蔵さんを見ては手を合わせてみたり、墓場の近くは怖くて走って逃げてた頃です。 その絵本から受けたキリストのイメージは穏やかで、明るいものでした。
 わたしは今でも(30代)宗教には属していませんが、キリスト教は私に何も求めないという点で素晴らしいと思います。多くはその宗教を成立させるために必要となる資金を強要し、それが当然であるとふんぞり返っていますが、キリスト教はむしろ与えてくれているものの方が多いように感じます。
 また、仏教やその他の宗教は暗いイメージであるのに対し、キリスト教は明るく、開けたイメージがあるのは私だけでしょうか?
※カキコ終わって気が付いたのですが、ここは『哲学』だったんですね。(#^^#)
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この回答へのお礼

この質問どこに出せばいいのか、わからないんでとりあえず哲学かなぁと(笑)
この回答はホントに嬉しいです。ここで仏教やその他の宗教を否定するとブーイングが飛んできそうなんでやめときます(元より否定する気はありませんが)
確かにキリスト教は明るいですよ~ノリのいい歌とか(もち賛美歌です)も歌うし、みんなで遊ぶ事も多いです。それに一日何回祈れ!とか、厳しい修行!など全くありません。ホント自由でいい宗教ですよ、キリスト教は。もちろん常識の範囲での規制はありますが。

お礼日時:2002/04/02 22:32

 この世の全ての物事には、必ず原因と結果があり、原因がないのに結果ができたり、原因があるのに結果がない、などというものは何一つありません。

もし、これに反するようなことを説くとすれば、それは因果を無視した、道理に外れた教え、ということになります。
 キリスト教などでは、万物創造の神を立て、人間や地球・宇宙は神によって生じたのだと、巧みに因果を説いているかのようですが、では、その肝心な神はどこから生じたのかと問うと、神は時空を越えた、元からの実在であって神の生ずる原因はない、といいます。つまり、原因が途切れてしまうのです。
 したがって、万物創造の神を立てること自体が、因果を無視した邪説である、ということになります。
 もし、そのような教えを信ずるとすれば、信じた側は、因果無視の邪説の影響を受け、不幸になることは必定です。
 実際に、汝の敵を愛せよと説く神父が、私達の言動に対して、憤慨し、大切とされている聖書を叩きつけたことがあります。そして、信者の中に犯罪者が出ることを追究した時も、悪いことをする奴は悪いことをすると言っていました。ということは、信心しても直らない、力の無いことを白状されています。
 如何でしょうか?
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この回答へのお礼

貴重な意見ありがとうございます。私はまだまだ若いので、大人の人のようなきれいな(?)回答はできませんがお答えします。そう、神はどこから来たねん!ですが・・・私にも分かりません、ゴメンなさいm(_ _)m聖書には最初から神はいますし・・・ただ一つ言いたいのはキリスト教を信じたからといって、完璧な人間になるわけではありません。例えばその牧師、聖書を叩きつけた!いけない事ですねぇ(と言いつつ、私もたまに踏んでしまう時もありますけど、笑)しかし!そのお話はそこで終わりでは無いのです。たぶん牧師はその後、後悔し神に謝っているでしょう。キリスト教を信じたから全く罪を犯さないのでは無いのです。私を含めこの世に生きている限り誰しも罪を犯します。キリスト教はそれを悔い改める事ができる宗教なのです。その点わかっていただけたら幸いです。

お礼日時:2002/04/02 23:03

キリスト教全般について:


●バテレンくさい おしゃれ こころが清い感じ 弱い者の見方 白い 演技っぽい。

懺悔について:
●人生自慢の場 偽善 役者じみてる ナルシスティック。

プロテスタントについて:
●不倫が最高に燃える(興奮できる)設定。

わたし的には キリスト教は残したい文化だと感じています。
が マジで信じるほどの 内容ではありません。
イメクラっぽく ときどきお遊びで活用したい文化です。
結婚式だけにその様式を取り入れてる方々は
ときどき お遊びで活用したい文化として
ちゃんと理解・実践できている とても良い例だと感じています。
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この回答へのお礼

キリスト教を認めているのか、否定しているのか、おもしろい意見ありがとうございます(笑)素直でいいですね。
皆様の中にはキリスト教と言うと教会行ってアーメンアーメンを想像する方もおられると思いますが、それだけじゃないですよ。外で遊んだり、キャンプしたりもします。演技っぽいと言われますが、それはTVドラマなどを見てでしょう。実際にはそーでも無いですよ。あと懺悔についてもそう。実際はたいがい一人で静かな場所でしますんで自慢も役者も関係ないですよ。
最後に一応まだ若いんで、不倫とかイメクラとかを違った言い方で言ってもらえたら嬉しいです。

お礼日時:2002/04/02 23:24

 


 「純真」「純朴」「真面目」「ナルシスト」・・・

 でも一番感じてしまうのは、「偽善者が多い」という事でしょうか。しかも、ほとんどの人が「偽善の行」に気づこうとしない。

 私が二十歳くらいの頃、知人に熱心に信仰されているクリスチャンがいましたので、ある時、片方の頬を一発平手打ちした事がありました。・・私はその後の反応に期待していたのですが、反対側の頬を向けるどころか、逆上して怒っていました。

 そもそも、聖書とはいったい何なのでしょう。大筋においては、確かに人が生きていく上において有益な指針を与えてくれているのかもしれません。しかし、私にとっては、訳のわからない事が多い書物です。

 伝言ゲームを体験された事があると思いますが、先頭の人から最後尾の人へ言葉が伝達されると、必ずと言っていいほど、最初とは違う言葉になってしまいます。(何故、そうなってしまうのかは、ご存知だと思いますので割愛します。)

 私は神の存在を実証する術を知らないので、神の存在は肯定も否定もしませんが、布教が開始された頃、神の教えを伝えて行く手段のほとんどが口伝だったとすると、長い年月が過ぎ去るにしたがい、正確に伝わって来たとは到底考えられません。

 聖書の解釈というのは、一般人にとってはとても難しいものです。しかし反面、とても簡単だとも言えます。・・なぜなら、キリスト教の中にも各宗派が存在している通り、自分の都合のいいように解釈して良いのなら、苦労は必要ないからです。

 自分の生きるべき方向性を見出せない人にとっては、指針を与えてくれますから、信仰して行くにしたがい、明かりが見えてくる事でしょうね。しかし、その頃には、「洗脳」という「呪縛」からは、のがれられなくなってしまいます。
 
 ・・・また、そういう状況に陥りやすくさせる要素が多い宗教です。
 
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
まずあなたにとって偽善者とはどのような人ですか?平手打ちして怒ったら偽善者ですか?聖書に背き罪を犯したら偽善者ですか?そうすれば偽善者は『多い』ではなく全員です。我々は日々罪を犯しながら生きています。その罪を認識し悔い改めるのがキリスト教で、わかっていながら悔い改めないのが偽善者ではないでしょうか。私だっていきなり殴られたら、怒り、殴り返すでしょう。ただそこで終わりではありません。次に聖書を開いた時に、ハッとし罪に気づき悔い改めるでしょう。

聖書の正確さですが、昔は口伝ではなく巻物を一つ一つ写していたそうです。もちろん口伝もあったでしょうけど。だから割と正確だと思います。
イエスの生涯については4つの福音書が書かれていますので多少のズレはあっても正確だと思います。

聖書を都合のいいように解釈する。これは簡単な事ではありせんよ。むしろその意味をそのまま受け取った方が簡単なくらい。なかなか都合のいいようには解釈できませんね。

最後にキリスト教は自由な宗教です。出入り自由、無理矢理な勧誘、引き止めはしません。そして楽しい宗教。だから洗脳、呪縛などはありません。

お礼日時:2002/04/03 00:05

何をもって一般でしょうか。

いろんな人がいますから、いろんな人の一人として解答します。
 私は霊能者ですから、キリストの霊柱の中で生きていることを知っています。個々の人格というのは、そういった人格系列とも言えるところから由来します。
様々な人格の入れ物になるのが自我です。
キリストというのは人格の事で、それが人間イエスに降りたという事です。
私にとってのキリスト教のイメージは、銀河における地球教といったところですか。この銀河には、この地球教があります。
仏教はたくさんの宇宙を含む、世界教でしょうか。
地球を統治するのはキリストの霊柱の霊ですから、そういう見方でキリスト教をとらえるとよいと思います。銀河(一つの宇宙)において地球は重要な霊的進化の場です。それを導くのが、イエス=キリストの霊です。
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この回答へのお礼

なかなか難しい意見ありがとうございます。一般とはキリスト教を信じていない方々(他宗教の方を含めて)の事です。説明不足でスミマセン。私は若いのでまだよくわかりません、ゴメンなさい。ただキリストの内に生きることはすばらしい事だと思います。

お礼日時:2002/04/03 00:15

予想はしていたのですが、キリスト教に対して肯定的な意見が少ないですね。


日本は歴史的に一神教を受け入れにくい国なので、まぁ仕方がないのですが。
(それでもキリスト教は、戒律の厳しいイスラム教よりは受け入れられています)

けれどもね、信じる・信じないは別としてキリスト教とは何なのか、ということ
はよく理解していた方がよいかと思います。


日本は一応、政治的には民主主義・経済的には資本主義の国家ですが、民主主義も
資本主義もキリスト教なくしては成立はありえなかったのです。

超簡単に説明すると、キリスト教では神と人との「契約」という概念があります。
この契約の概念が人と人の間にも適用されるようになって、資本主義社会が発展
していきます。商売で契約がきちんと守られないと、健全な企業が育つことがで
きませんから。

一方、キリスト教では「神の前での平等」を説きます。
王様だろうが庶民だろうが、神の前ではみんな同じだというわけです。
この教えが、やがて「法の前の平等」という思想に発展します。
「法の前の平等」なくして、民主主義の成立はありえません。


今の日本で政治家を信頼している人がどれだけいますか。あまりいないでしょう。

では、なぜ政治家が国民の信頼を無くしているかというと、政治家が「公約」
を守らないからです。選挙の時には「公約を守ります」と言いますが、選挙に
当選すると、いつのまにかなし崩しになっていることが多い。

日本の政治家がなぜ公約を守らないかというと、結局は「契約」という概念が
無いからです。頭の片隅くらいにはあるかもしれませんが、その「契約」を
死んでも守りぬくまでの覚悟は、まずありません。

その点、欧米の政治家は少しはマシです。「公約」とは選挙民との契約です。
契約を守らないような人間はまともなキリスト教徒ではない、つまり欧米の
クリスチャンの観点ではまっとうな人間とはみなされませんから、公約を破れば
間違いなく次の選挙で落選します。


キリスト教の本質を理解すれば、政治・経済に対する見方が大きく変わります。
政治や経済に興味が無い人はかまいませんが、将来に社会で活躍したいという人
は、信仰は別にしても、キリスト教に対して理解を深めていても損なことはありませんよ。
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この回答へのお礼

的確なご意見ありがとうございます。
私も皆が信者になればいいとは思っていません。ただ世の中にこのような宗教や考え方があるんだ、と認識していただけたら幸いです。

お礼日時:2002/04/03 15:59

こんばんわ、疑問は尽きませんね。



さてご質問の件ですが、私自身宗教のことはまじめに学ぼうとしたことが無く、お答えすること自体が冒涜になるのではないかという気持ちがあります。

ただ、私自身マックス・ヴェーバーの『プロテス
タンティズムの倫理と資本主義の精神』という書物を学生時代に読み、非常に感動した経験があります。

ずいぶん前のことなので、内容はあまりおぼえていませんが、ストイックに生きてきたプロテスタントの生き方が、資本主義の勃興に貢献したと行った無いようだったと思います。

宗教の教義がどうであれ、そのように1つの時代の民衆の心の支えになっていたことはすごいことだと思います。一方価値観が多様化した現在、キリスト教などの宗教がどの様な役目があるのかに興味もあります。

まとまらない意見ですみません
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この回答へのお礼

いえいえ、質問が質問ですから、まとまってなくたって結構ですよ(私はこの意見まとまっていると思いますが)
キリスト教であれ仏教であれ、人の支えになっていると言うことは非常に嬉しい事です。

お礼日時:2002/04/03 16:06

回答者どうしの議論は好ましくないのですが、wa-chanさんが詰まっているよう


ですので、少々助け舟を出します。

この世には因果の法則はあるかと思います。
原因→結果の関係ですね。そしてキリスト教の多くの宗派では、神が創造主、
つまり第一原因であるという教理を持っているかと思います。

そこで私たち人間は、第一原因のその前の原因はないだろうか、という考え
を持ったときに、答えに詰まってしまうこともあるかもしれません。

それについて、私はこう考えます。神は法則をも創造したのだと。
つまり因果関係という法則そのものも、神の創造であるということです。


一般に仏教では「法前仏後」、つまり法則そのものは最初から存在していて、
悟りを開いた人(仏)がその法(ダルマ)を知るという考えです。
キリスト教では神が絶対であるように、仏教では法が絶対であるということです。

それに対してキリスト教は「神前法後(※)」という考えのようです。
神がまずあって、神が様々な法則を創造したということです。
また、聖書を注意深く読むと、神の業(わざ)は単純な因果法則を凌駕している
ことも読み取れるかと思います。
善因善果/悪因悪果の法から逃れられない仏教の教えと比べて、これは福音では
ないかと思います。


なお個人的な意見がずいぶん混じっていますので、正式な宗派の見解は、
教会の神父/牧師さんに確認してください。


(※)「神前法後」という言葉は、小室直樹先生の「日本人のためのイスラム原論」から拝借しました。なかなか便利な造語です。
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この回答へのお礼

勉強不足ですみません。そしてお助けありがとうございます。

お礼日時:2002/04/03 16:09

クリスチャンではなく,一般人ですが,過去に聖書は旧約も新約も,日本語版,英語版,中国語版を読破しています。


過去の世界規模の大きな戦争を引き起こしたのは,キリスト教が中心であるといえますネ。
古くは十字軍による虐殺遠征から最近ではアフガンまで。
「汝の隣人を愛せ」
「右の頬を‥」
これらの有名な「愛」に満ちた言葉は,あくまでも同じキリスト教徒のみを対象としたものであり,異教徒は悪魔であって,制裁を加えることに何も問題がない(魔女裁判なども露骨ですよネ)ということですネ。
これが本質としてあることは明白であると歴史は教えてくれますネ。

もう一つの面として,科学と対立し,科学の進歩を妨げたという事実もありますネ。
ガリレオに対する裁判などは有名ですネ。

欧米の利己主義の原点はキリスト教にあると思っています。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

そうですね。キリスト教の堅い考え方のせいで多くの命が奪われたのはとても悲しいことです。ただ愛に満ちた言葉があくまで同じキリスト教徒を対象にしているというのは間違いです。愛は未信者、他宗教の方々にも向けられています。しかし人間というものは都合のいいもので、自分に不利となると聖書の言葉など忘れてしまうのです。これは人間の一番いやな部分だと思います。常に誰にでも愛を向けていれば一番いいのですが、なかなか難しいことですね。

お礼日時:2002/04/03 16:21

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