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昔からよく虚無主義という言葉、英語で言えばニヒリズムですが、自分の心に突き刺さるくらい理解が出来ず、悩んでいます。そこで、この意味をどなたかわかりやすく。小学生でも理解できるくらい簡単に教えていただきたいです。どのような場面で使われるとか、どういう人のことを言うかなど、お願いします。

A 回答 (3件)

No.2です。

補足質問をいただいておきながら、お返事が大変遅くなって申訳ありません。お礼メールが、「messages indesirables(望ましくないメッセージ)」のboxに入っていたため、本日まで発見されず、急いでお返事差し上げる次第です。まだ締め切られていなくてほっとしました。

補足質問にお答えします。

ご質問:
<ちょっと納得がいくほど理解できないのですが、あまのじゃくとはちがいますよね?何かマイナスな考えかたの人のイメージがあるのですが・本来みな正しいと思っていることを虚無主義の人だけが、間違っていると批判することなのでしょうか?>

あまのじゃくとは違います。そう思われがちですが。彼らはちゃんとした主義を掲げています。既存の主義・制度が肌に合わないのか、受け入れられないという人達です。あるいは、そうするのがかっこいいからそのふりをしているおバカなニヒリストもいるようですが、それはただのかこつけにすぎません。右翼の名をかりたやくざのようなものです。

マイナスな考え方というのは、ある意味、的を得ているかもしれません。虚無主義が「神は死んだ」「真理を認めない」「既存の主義・制度を認めない」と全てを「否定する」ことから出発している点では、マイナスなイメージが付きまといます。

実際、虚無主義が日の目をみないのも、「真理を認めない」といいながら「虚無主義」という主義にを認めること自体が、矛盾するからです。彼らにとってそこにひとつの真理が生まれます。その真理は現社会があってこそ存在意義をもつものなのですから。わかり易くいえば、「この社会は受け入れられない」というアンチ社会な態度をとること自体、社会を意識していることであり、この社会があって初めてアンチ社会という看板も掲げられるというわけです。

虚無主義の人は、みなが正しいと思っていることを間違っていると批判することではありません。批判しないで無視するのです。そして、みなが正しいと思っていることとは違う、仮想の真実を作り出し、自らが作ったルールに則って、自らが敷いたレールの上を歩いていくことなのです。その意味では、建設的であり、必ずしも消極的、マイナス的態度ではありません。

ただ、虚無主義になってしまう人は、生れ落ちた世界を楽しめなかった人達、現実世界に背を向けなければならない過去のトラウマが合った人達、と見られがちです。虚無主義は先天性でなく後天性のものだからです。

また、理解できにくい文章になってしまったでしょうか。最後にわかり易く例をあげれば、不幸な家庭に生まれ、不幸な生い立ちを経て、不幸な青春を過ごした青年が、自分がこんなになったのは、世の中が悪い、社会が悪い、周りの人間が悪いと考え、でも、自分では世の中を変える勇気も実力もない、八つ当たりするほど馬鹿にもなれない、社会に復習するほど暴力的でもない、人間を信じようとする意欲もないっていうんで、じゃ、自分の納得のいく生き方で、自分の目指す方向に向かって、お気楽に生きようじゃないか、と自分で自分のルールに則った「自己社会」の中で前向きに生きようとする人達、それが虚無主義者、と考えてよろしいかと思います。

ご参考までに。

この回答への補足

回答ありがとうございます。すいませんまたまた補足です。
つまり虚無主義という人は、特別マイナス思考ということではなく、
世の中で良しとされていることを彼らは良いと思わなく、じゃあ自分の規則を自分の中で作って生きていこうとする人たちの事ですよね??
昔、哲学の人でニヒリズムを掲げていた人がいましたよね?ニーチェでしたっけ??
彼はどういうニヒリストだったのでしょうか?またニヒリストは特別誰か例えば国家とかから罰せられたり、追放されたりしたものなのでしょうか?お願いします。

補足日時:2007/07/04 22:55
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はじめまして。



虚無主義の定義はNo.1で回答されてますので、ここでは簡単にご説明します。

虚無主義とは、
世の中で正しいと思われている考え方が、実は間違っていると思うこと
世の中でえらいと思われている人が、実はえらくないと思うこと
世の中でいいと思われているきまりが、実は悪いと思うこと
などなど、、、ということです。

ただし、虚無的であること=間違っていること、ではありません。ただ、多数が正しいと思う世の中で、それを認めることができないというのは、なかなか難しい生き方ではあります。そのため、虚無主義者は少数派です。が、表面は穏健主義の顔をしながら、心の奥で虚無主義の顔を持つ人も数知れずいることでしょう。

たとえば、No.1の回答にある
<「心に突き刺さるくらい」という表現は、自分に取って非常に印象的で、忘れることの出来ない事柄などに使うもので、「理解できない」という類の言葉には使ってもピンとこない言い回しです>

という常識的な意見に対して、???と疑問を投げかけるのも、虚無的な反応と言えるでしょう。しかしその虚無的な反応が、あらたな新発見につながることもあります。「心に突き刺さるくらい」という程度を表す副詞は、「理解できない」という述語を本当に修飾できないのか?日本語だけの特徴なのか?他の言語でもそうか?新定理を発見した時、最初の虚無的な姿勢は創造的な姿勢へと姿を変えるのです。

「ピンとこない」というのは人それぞれです。私にはピンときましたから。ここは、ある語を挿入すれば、世間一般の人にはより理解し易くなります。それは「悲しいほどに」という副詞の挿入です。

「心に突き刺さるくらい(悲しいほどに)理解できない」

心に突き刺さるくらい→悲しい
悲しいほどに→理解できない

と、「悲しいほどに」という副詞を挿入すると、「心に突き刺さるくらい」という程度を表す副詞を受けることができ、同時に「理解できない」という動詞の程度を、副詞として修飾することができます。

あなたや私のように、「悲しいほどに」がなくても表現が理解できる人もいますが、大多数の人は「悲しいほどに」を補わなければ、あなたのいいたいことは伝わらないのです。わからない人が間違っているという虚無的な態度のままでは、相手に理解されにくいのです。

ご理解のヒントになれば。

この回答への補足

回答ありがとうございます。ちょっと納得がいくほど理解できないのですが、あまのじゃくとはちがいますよね?何かマイナスな考えかたの人のイメージがあるのですが・本来みな正しいと思っていることを虚無主義の人だけが、間違っていると批判することなのでしょうか?

補足日時:2007/06/26 14:02
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「虚無主義」は、今までの既成概念、既定の事実・秩序、時の権威・権力、現行の制度などの全てを否定し、打ち壊そうとする考え方を言います。



「自分の心に突き刺さるくらい理解が出来ず」という言い回しはありません。
「心に突き刺さるくらい」という表現は、自分に取って非常に印象的で、忘れることの出来ない事柄などに使うもので、「理解できない」という類の言葉には使ってもピンとこない言い回しです。
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