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「馬関」が何処にあるのかを調べていてhttp://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/f … に辿り着きました。
下関の別称であることと「馬」が「赤間」の「間」の転化であることは分りましたが、新たに「赤間」が何処から出てきたのか由来に疑問が生じました。
「下関」が「赤間関」と呼ばれていた理由は何ですか。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

私も勉強になりました。



参考URL:http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kyoiku/ …
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この回答へのお礼

5つの説は分りました。本当のことは判らないほど古くからある呼び名なのですね。
下関に変えるのは勿体ないほど、赤間関にも由緒があるのが分かりました。
有り難うございました。

お礼日時:2007/06/16 06:45

下関が元来"馬"関(ばかん)なのは著名でしょうが、これが赤間関(あかまがせき)の別表記の赤馬関の赤が略されたのは今回知りました。



http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/f …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2% …

尚、赤間関が名を留めているのは赤間関硯か?"朝鮮通信使"関連の日本(or東洋)史位だと私は感じたのですが、如何でしょうか?

http://itp.ne.jp/contents/kankonavi/yamaguchi/de …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE% …
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この回答へのお礼

硯が特産品なのですね。こんど文房具点で気をつけてみます。
朝鮮通信使の記事は、ざっと読みました。鎖国をしていた時代には出島が成田、赤間関が横浜のような位置づけなのかもしれないと思いました。
有り難うございました。

お礼日時:2007/06/16 06:47

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